【木彫りのハニーベア・終章:5】
石造りの牢。
牢とはいっても、不快な環境ではない。
食事はしっかりとしたものが出されるし、不潔な環境でもない。
地下のため湿っぽいが、換気窓はある。立地の関係か、日光も月光も入っては来ないが。
「……へっ。何でこんなことになっちまったのかねえ」
クロキバはその子にあざを見つけた時のこと、そしてそれからのことを思い出していた。
「クロキバ様、さっきからウロウロしないでよ。みっともない」
「け、けどよう……」
「男なんだからしゃきっとしなさい!」
「ったく、敵わねえなあ」
ベテランの産婆に怒られる。
自分を取り上げたのもこの産婆だったから、いまいち頭が上がらない。
お産がはじまって既に四時間。
向こうの部屋では新しい生命のため妻と産婆が頑張っている。
苦痛の声が聞こえてくる中、男の自分が何もできないようで本当に情けない。
「頑張れ……頑張れよ……」
そう言うしかない。
夫婦仲は良好だったが、ずっと子宝には恵まれなかった。
仕方がないからそろそろ養子でも取るべきか、と思っていたところに、この嬉しい報告。
飛び上がって喜んで、泣きながら村中一周走り回って妻には笑われ呆れられた。
眼を閉じ一心に祈っていると。
「クロキバ様!無事生まれたよ!!!」
扉が開かれて別の産婆が飛び出してきた。
急かされるまま恐る恐るそこに入る。
疲労で汗だくの妻と、その横に泣きもせずこちらをくるっとした瞳で見ているかわいらしい小さな命があった。
言葉を失う。
「……」
妻は生来無口で、余り何も話さない。
単に口下手なだけで、感情表現は豊かだ。
嬉しそうな顔で、無言で赤子に触れるように促される。
「お、おう」
自分のような者が本当に触って大丈夫なのか、壊してしまわないかと、恐る恐るその子に触れる。
柔らかく、小さく、そして本当に――愛らしい。
「お前、ほんとによく家に来たなあ……よくきてくれたなあ……」
自分の方を向かせてミルクをあげだす妻。
そこで。
見つけたのだ。
背中の肩あたりについた、そのアザを。
ウルフェン族の掟は基本的に明文化されている。
皆に共有されて初めて法は成り立つのだから、至極当然の話だ。
しかし、何事にも例外は存在する。
口伝による継承で、代々の長にだけ伝えられてきた、謂わば裏の掟。
“満ちる月の兆しもつ赤子、空へ還すべし”
ウルフェン族には、満月のようなアザをもって生まれてくる子供が稀に存在する。
それは月に愛された子である証。
生まれつき高い知性を持つ代わり、人としては二十年しか生きられない。
徐々にその知性を月に返していき、最後は獣になり果てる。
災いしか呼ばないそのような性質ゆえ、そういう者が生まれた時は……、とそういう掟であった。
子供が三歳を迎えた時に祭殿で行われる洗礼式は、庶民にそういうものが混じっていないかを調べるための儀式でもあったのだ。
とはいえ、ここ数百年、そんな者が生まれた記録はなく、あくまで義務的に行っているだけだった。
――その夜。
クロキバは自分の得物である槍を持って子供の部屋に来ていた。
妻は疲れ切って別室で寝ている。
部屋にはいつか子供ができたらと集めた数々の玩具、子供のための小さな机や椅子でいっぱいだった。
窓からさす月明かりの元、赤子は眠っているようだ。
掟に従いその槍を向ける。
眼から涙がこぼれる。
「なんでお前なんだ」
つい、口をついて出た。
それで目を覚ましてしまったのか、赤子が目を開けてこちらを見た。
自分に向けられている槍を不思議そうに見ると、クロキバの顔を見てにっこりと笑った。
槍が、それを握る手が、震える。
「……俺は王だ」
自分に言うように槍を両手で構え、赤子の上に改めて構え直す。
「畜生」
目を閉じる。
どうしても震えが止まらない。
悲しいのか、悔しいのか、それもわからない。
ただただ、情けなかった。
そうして、振り下ろされることもなくただ震える槍に、小さな手が添えられた。
「う!あー、えう!」
はっとして目を開けると、赤子はまるで玩具を与えられたかのように刃先をぺたぺたと触って遊んでいた。
「あぶねえ!」
手を切らないように、反射的にさっと槍を引く。
玩具を取り上げられた赤子は不満そうにぶうと口を鳴らした。
槍が手から床に滑り落ちる。
「……別に、今日じゃなくたっていい」
1年が過ぎた。
2歳までになんとかすりゃいいと思った。
また1年。2年。3年。
ずるずると時は過ぎていく。
そうして、ロウガと名付けられたその子は、今年やがて20となる。
縁談が来たのは少し前の頃だった。
コゲツというその族長は中々のやり手という噂で、俺はすぐにそれが真実なのだと思い知った。
どうやって調べたのか、アザのことも、それで何が起こるのかも俺よりよく知っていたのだ。
「じゃあなにか?あいつがその、『先祖返り』して、ただ殺戮と破壊を繰り返すだけの存在になるってのかよ」
「ええ。これはほぼ間違いないと思います。このあたりの伝承や当時の記録などを調べて分かりました。今、禁足地と呼ばれ『神』がいるとされる場所。かつてウルフェン族はそこに住んでいたのです。それが遥かな昔に、『先祖返り』が生まれ、覚醒したことで住処を捨て、現在の場所に逃れてきた。」
「……続けろ」
「『先祖返り』の厄介なところは、その狂暴性だけではありません。その出現条件に、規則性が見いだせないことです。特徴といえば生まれつき持つ月のようなまるいアザと高い知性だけ。それが現れる生物の種類も、その頻度も、数すらもまるで分らない。極端なことを言えば、今すぐ世界中に現れても不思議ではない。」
「だが、現実はそうはならなかった。始まったときと同じように唐突に終わり、以降ずっと、彼女に至るまで『先祖返り』が生まれたという記録はない。余りにも不確かで、得体が知れない事象だったからこそ、あなた方は伝承として伝えてきたのです。せめて把握できる範囲で対策をとるために。しかしそれも無駄でした。このままでは、いずれここも滅ぶでしょう」
「……は。もし仮にそうなるってなら。……その前に俺がアイツを殺す。」
「できますか?あなたに。」
「……」
「あなたとてアザがあることには早々に気付いていたでしょう。その余りにも異質な知性にも。それでもあなたは放置し続けた。――逃げたのだ。」
「てめえ……!」
刃先を突きつける。
だが、薄皮を一枚切られ、つうっと血を流しながらも、コゲツはこう言った。
「私なら。彼女を救えます。」
「……」
「人間の国には、すべての病を治すという薬を製造している国がありましてね。当然なかなか手に入るものではありませんが、私にはそれを手に入れる算段がある。」
「で……その代わりとして娘を差し出せってのか」
「これはあなたたちの掟に従う行為でもあるはずです。……まあ、既に一番大事な掟を破り続けているあなたに言ったところで意味はないのかもしれませんがね」
「……」
暫くにらみ合った後、槍を引く。
「本当に娘は助かるのか」
「ええ。もし無理だったとすれば、私が『先祖返り』に殺されるだけでしょう。」
その目に嘘はない。
信用ならない男だが、しかし、ロウガのことを話すときだけは何かしっかりとした真実味があった。
「……だが、アイツの気持ちはどうなる」
「今そんなことを話している場合ですか?……まあ、考える時間も必要でしょう。今回はこれにて失礼致します。遠くないうち、答えを聞きにもう一度参ります」
一礼すると、コゲツは去っていった。
そうして、この間の“事件”だ。
あれは、ロウガが掟を開始して村を出た直後。
あいつは答えを聞きに来た……。




