【木彫りのハニーベア・終章:4】
少年を見た。
泣いている。
悲しくて、悔しい。
そして、つらい。
身体が弱く、病気がちだった少年を、父はすぐ見放した。
母だけが、彼をずっと見てくれていた。
おかげで少年は外を歩けるようになったけれど。
「さあ。私はもういかなければいけない」
「や、やだ!やだよう母さま!う……えぐ……」
「まあ。また泣いてしまって。ほら、これで涙をふきなさい」
「て、て、手前は……母さまがいないとなきます!ずっとなきます!!」
「大丈夫。あなたのそばにはいつもそのハンカチがありますから」
「こんなの母さまの代わりには……!……母さま?母さま??」
母は夜空に溶けて星になってしまった。
視界が暗くなる。
場面が変わった。
獣人族の和平を記念した収穫祭。
少年はウルフェン族の子供たちに取りかこまれていた。
元々身体が小さく、運動もうまくできなかった少年は、格好の“ターゲット”だった。
「こいつ女みてえなハンカチ持ってんぜー!」
「や、やめて!そ、そ、それは母さまからもらったの……!て、手前は……手前は……!」
「うるせー!もともとフォクサス族なんてヒキョー者の集まりじゃねーか!生意気なんだよ!」
殴られる。
わかっていた。
獣人族の和平が結ばれたとはいえ、いまだに部族間の憎しみは根深い。
大人はそれを隠せても、子供には無理だった。
「うう……!痛いよお……!!」
「泣いてんじゃねーよ!」
更に殴られそうになったとき――
「何をしている」
その人は現れた。
「あっ……ロウガ様」
「えっと、これは……」
しどろもどろになる子供たち。
ふう、とため息をつくと、ロウガと呼ばれたその人は静かに言った。
「まあ、君たちだけの責任ではないのだろう。大人ですら一時的に和平を結ぶだけでも何人も死に、殺したんだ。子供ならなおのこと。……とはいえ、私の目の前でやられるのは不快だ。」
それにね、とその人はやや語気を強めて言葉をつづける。
「君たちは知らないかもしれないが、この村に私の目の届かない場所はない。つまり――二度とこんなことはするな……わかったら消えろ」
静かな中に確かな怒り。
その人だって少年やいじめっ子とそうは変わらない歳だというのに、その迫力は大人顔向けのそれだった。
いじめっ子たちは怯えて泣きながら逃げていく。
落とされたハンカチの土を払いながら、その人はこちらを見た。
「すまなかったな。これはあなたの物だろう」
「……」
何も言えずにハンカチを受け取る。
目が離せなかった。
すごくかっこよくて、きれいで、言葉が出ないほど素敵だった。
そのまま去っていこうとするその人を何としても呼び止めたくて、声を出した。
「あ!!!!あの!!!!!!」
「うん?」
振り返るその人。
しまった。
呼び留めたいだけで全然言葉を考えていなかった。
「あ、あ……えっと、その……ロウガさんは手前のようなものにもお優しいのですね」
「あなたがそう思うのならそうなのかもしれないな。……おや、顔に葉がついているぞ」
「ひゃっ……!」
頬に触れられて、妙な声をあげてしまう。
さっき殴られて地面に倒れた時についたのだろう、緑色の葉を渡される。
「それではな」
ひらひらと手を振りながら去っていくその人。
その時からだった。
その時からずっと、ここまで。
あなたに見合う男になりたかった。
いつか、ヒーローのヒーローになりたかったんだ。
それから少年は、一度も涙を流したことはない。
再び暗くなる。
そんな風景を見た。
(ああ、わかった)
思考が巡る。
(だから私は。彼に怒れなかったんだ)
何となくわかっていたから。
この人は自分と違ってずっと頑張ってきた人だから。
ようやく頑張り始めた私と比較した時、仕方ないと思ってしまった。
もしも奇跡が起きるなら、この少年に起きるべきだ。
そう思ったとき、再び視界が明るくなる。
だが、鮮明だった先ほどの風景とは違って、かなり不明瞭でとぎれとぎれなものだ。
青年を見た。
その血まみれの腕にはぐったりとしたロウガが抱かれている。
「なぜだ」
虚ろな目でつぶやく青年。
月明かりに照らされている。
周りには誰もいない。
答えるものはない。
シーンが点滅する。
コマ送りのように風景が流れる。
慟哭する青年。
動かないロウガ。
破壊されつくした村々。
それを見た時。
初めて私の心臓が動いた気がした。
違 う 。
確かに私は死んでも仕方なかったと思う。
薄っぺらな生き方。
必死で生き直そうと思ったときには時が遅すぎただけだ。
でも。ロウガや、あの少年は。
こ れ は 違 う 。
確かに心臓が脈打つ。
血液が巡り始める。
初めて出来た私の友達と。その友達のためにずっと頑張ってきた人が――たとえ、そのやり方が間違っていたとしても――こんな終わりでいいはずがない。
こ ん な の 間 違 っ て い る 。
痛みを感じる。
熱さを感じる。
燻された独特の香を感じる。
もし、世界がこんな悲劇しか用意していないとするならば。それは。
世 界 の 方 が 間 違 っ て い る 。
目が開く。
周りは炎で真っ赤だ。
朦朧とした意識でドアを開き、倒れこんだ。
徐々に傷が回復していくのを感じる。
這いつくばりながらベッドへ向かう。
このままでも傷は回復するんだろうが、間に合うかはわからない。
何しろ致命傷である。
ベッドに行かなければ。
なんとかベッドに倒れこむと、私はそのまま意識を失った。




