↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰ってきてほしい? では対等な国家間交渉といたしましょう  作者: 小林翼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/50

第8話

 婚礼は、十日後に執り行われた。


 場所は領内の丘に建つ、小さな古い聖堂。参列者はヨハンナとクラウス、それに式を執り行う老司祭だけ。飾りは野の花、音楽は森を渡る風の音。王都の大聖堂で予定されていた、千人の招待客と七日間の祝宴を伴うはずだった「あの婚礼」とは、何もかもが違っていた。


 純白ではなく、森の若葉の色のドレスを選んだのはリーゼロッテ自身だった。白は、もういい。あの色は祈りの日々と一緒に置いてきた。


「誓いの品の交換を」


 老司祭の言葉に、ギルベルトが小箱を開いた。中にあったのは指輪ではなく、対の腕輪だった。黒銀の細工に、片方は白い石、片方は黒い石が嵌め込まれている。


「家伝の魔道具を作り直させた。聖力と呪いを繋ぐ導線になる。離れていても、互いの力の異変が伝わる」


「まあ。実用品ですのね」


「……不満か」


「いいえ、あなたらしくて結構です」


 白い石の腕輪をリーゼロッテの左手首に、黒い石の腕輪をギルベルトの左手首に。留め金が閉じた瞬間、二つの石が呼応するように淡く明滅した。彼女の内の光と、彼の内の闇が、細い糸で結ばれた合図だった。


「病めるときも健やかなるときも、というのが定型句じゃが」


 老司祭が皺だらけの顔をほころばせた。


「お二人の場合はなんと誓われるかの」


 ギルベルトは少し考え、言った。


「契約の履行に、誠実であることを」


「では私も。契約の続く限り、あなたの善き隣人であることを」


 誓いの口づけは、額に一度だけ。それでもクラウスは盛大に口笛を吹き、ヨハンナは何故か滂沱の涙を流し、老司祭は「近頃の若い者の誓いは新しいのう」と笑った。


 式の後は、城の広間でささやかな祝宴が開かれた。料理番が腕によりをかけた森の恵みの料理と、領民が届けてくれた花束の山。噂を聞きつけた村の子どもたちが窓の外から覗き込み、リーゼロッテが手を振ると歓声を上げて逃げていった。千人の招待客はいなくとも、この婚礼には、あの王都の夜会に一度もなかったものがあった。祝福、というものが。



 その夜、リーゼロッテは初めて、彼の「変化」を見届けたいと申し出た。


「見て気持ちのいいものではない」


「妻ですもの。契約上の、ですけれど。あなたが毎晩何に耐えているのか、知らないままでいたくないのです」


 月が昇ると、それは始まった。ギルベルトの体が軋み、骨が形を変え、黒い靄が皮膚を覆っていく。呻きを噛み殺す声。人の輪郭が崩れ、漆黒の巨躯が現れるまでの数分間は、見ているだけで胸が締めつけられる時間だった。


 変化を終えた魔獣は、彼女から距離を取るように部屋の隅へ伏せた。怯えさせまいとする、彼なりの配慮なのだろう。


 リーゼロッテは、迷わず歩み寄った。


「リーゼロッテ――」


 獣の喉から出る声は低く軋んでいたが、確かに彼のものだった。制止の声を聞かず、彼女は膝をつき、その大きな黒い頭に、そっと手のひらを乗せた。


 夜露に濡れた森のような匂いがした。手のひらの下で、獣がびくりと震える。三年間、誰にも触れられたことのなかった姿。


「……怖くないのか」


「ええ。だってこの姿のあなたが、最初に私を助けてくれたんですもの」


 彼女は柔らかな毛皮を、ゆっくりと撫でた。


「あなた、こんなに苦しい夜を、三年も一人で越えてきたのね」


 金色の瞳が、大きく見開かれた。


 やがて獣は目を伏せ、彼女の手に頭を預けた。それはどんな言葉よりも雄弁な、降参の仕草だった。


 窓の外では、婚礼の夜の月が、静かに二人を照らしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。