第6話
体力が戻ると、聖力制御の訓練が始まった。
場所は城の裏手、森に面した鍛錬場。教師役は、意外なことにギルベルト本人だった。呪いと三年間付き合ってきた彼は、荒れ狂う力を御する術において、そこらの神官より遥かに実践的な知識を持っていた。
「まず、いつも通りやってみろ。祖国で習った方法で」
リーゼロッテは頷き、その場に跪いた。両手を組み、目を閉じ、幼い頃から数万回繰り返した祈祷の文句を唱える。聖なる父よ、御身の器たるこの身に、慈悲の光を――。
何も、起きなかった。
胸の奥では確かに力の鼓動を感じるのに、祈れば祈るほど、それは遠ざかっていく。まるで呼べば呼ぶほど臍を曲げる猫のようだった。三十分後、額に汗を浮かべた彼女に、ギルベルトは容赦なく告げた。
「やめろ。時間の無駄だ」
「……やはり、私には才能が」
「逆だ。方法が間違っている」
彼は彼女の前に立ち、組まれた両手を解かせた。無骨な手だった。剣だこと古傷だらけの、書物より現実と戦ってきた者の手。
「お前のそれは何だ。誰かに何かを乞う手つきだ。祈りとは嘆願だろう。『どうか力をお貸しください』と、自分の外の何かに頭を下げる行為だ」
「聖力とは、神の御業では」
「なら聞くが、あの橋で天を割った光は、神が起こしたのか? 違うだろう。あれはお前の内側から溢れた。あの力の持ち主は神ではなく、お前だ」
ギルベルトは自分の左手を掲げた。夕暮れが近い。彼の指先に、うっすらと黒い靄が纏わりつき始めていた。
「俺は毎晩、この呪いを抑え込んでいる。祈ったことは一度もない。これは俺の内にあるもので、押さえつけるのも、飼い慣らすのも、俺の仕事だからだ。力は神への嘆願じゃない。お前の腕だ。腕を動かすのに、誰の許可がいる」
私の、腕。
その言葉は、二十年間の教えを根底から覆すものだった。ひざまずくな。乞うな。ただ、動かせ。
リーゼロッテは立ち上がり、目を閉じた。祈祷の文句を、頭から締め出す。組んでいた手を解き、右の手のひらを、鍛錬場の隅で萎れていた鉢植えの野花へ向ける。
乞わない。願わない。ただ、届けと思う。自分の指先を伸ばすように、胸の奥の熱を、あの花へ。
――ふ、と。
手のひらに、小さな白い光が灯った。蛍のように儚い光は、ゆっくりと漂い、萎れた花びらに触れた。
花が、頭をもたげた。茶色く枯れかけていた葉が瑞々しい緑を取り戻し、蕾がひとつ、ほころんだ。
「……咲いた」
リーゼロッテは呆然と呟き、それから自分の手のひらを見つめた。
二十年。冷たい石床に膝をつき、届かぬ天に乞い続けた二十年。あれほど祈って一度も起きなかった奇跡が、たった今、こんなにあっさりと。
視界が、滲んだ。
「私……できた。できたわ、初めて、私……」
涙は後から後から溢れて止まらなかった。誇らしさと、そして同じだけの喪失感。正しい方法さえ知っていれば、あの日々は。あの孤独は。
嗚咽する彼女に、ギルベルトは何も言わなかった。慰めもせず、急かしもせず、ただ黙って隣に立ち、彼女が泣き止むまで夕暮れの風に付き合った。
やがて涙が尽きた頃、彼はぼそりと言った。
「筋は悪くない。明日も同じ時間に来い」
それは彼なりの、最大級の賛辞らしかった。
その夜、リーゼロッテは窓辺で手のひらに小さな光を灯し、消し、また灯した。何度繰り返しても飽きなかった。これは奇跡ではない。私の腕だ。そう思うたび、胸の奥がじんわりと温かくなった。
窓の外、月光の森を黒い獣影が駆けていくのが見えた。彼女はその背に、小さく灯りを掲げてみせた。




