第5話
目を覚ますと、見知らぬ天井があった。
石造りの、飾り気のない部屋。しかし寝台の敷布は清潔で、暖炉には火が入っている。窓の外には、見渡す限りの深い森が広がっていた。
「お嬢様! お目覚めですか!」
ヨハンナが水差しを取り落としそうな勢いで駆け寄ってきた。聞けば、丸二日眠っていたという。
「ここは……」
「シュヴァルツヴァルト辺境伯のお城です。ほら、あの、橋で私たちを拾った無愛想な……」
ヨハンナが言い終わる前に、扉が無遠慮に開いた。
黒髪の男が立っていた。朝日の中で獣から人へ戻った、あの男だ。昼の光で見ると、その双眸は金色ではなく、深い灰色をしていた。
「起きたか」
「……助けていただいたようで、感謝いたします。私はリーゼロッテと申します。あなたは」
「ギルベルト・シュヴァルツヴァルト。この辺境領の主だ」
男は寝台から距離を置いた椅子に腰を下ろし、単刀直入に言った。
「先に聞く。お前、自分の力が何なのか分かっているのか」
「……いいえ。私は祖国で『力なき聖女』と呼ばれていました。二十年間、何の力も示せなかった。あの橋での出来事が、何なのか、自分でも」
「聖女、か」
ギルベルトは吐き捨てるように呟き、それから淡々と説明を始めた。あの夜、国境の橋から天を貫く光の柱が見えたこと。駆けつけたとき、彼女は自分の聖力の暴走に焼かれる寸前だったこと。
「そして、見ただろう。俺は夜になると、ああなる」
「あの黒い獣……」
「シュヴァルツヴァルト家に代々かかる呪いだ。当主は夜ごと魔獣と化す。理性は保てるが、人には戻れん。夜明けまでな」
あまりに重い秘密を、男はまるで天気の話でもするように語った。
「この領は魔獣の森と国境に挟まれた土地だ。呪いを負う代わりに、当主は魔獣を従える力を持つ。だから森の獣どもは人里を襲わない。領民はそれを知っていて、知らぬふりをしている。それがこの土地の三百年だ」
「呪いは負の力の塊だ。お前の聖力は正の力の塊。だから俺の呪いは、お前の暴走した力を吸って中和できた。それだけの話だ」
「……なぜ、それを私に明かすのですか。『忘れろ』と仰ったのに」
「お前の力は、また暴走する」
ギルベルトは立ち上がり、窓の外の森を見た。
「あれだけの規模の聖力だ。器のお前に制御の術がない以上、次の暴走は時間の問題だ。次も俺が居合わせるとは限らん。だから――回復するまで、ここにいろ。制御を覚えるまでは出すわけにいかん」
命令口調だったが、その内容は紛れもない保護の申し出だった。リーゼロッテが目を瞬かせていると、開いた扉から赤毛の青年がひょいと顔を出した。
「伯、お客人が起きたって? ――おお、本当だ。はじめまして、副官のクラウスです」
「入っていいとは言っていない」
「いやあ、歴史的瞬間を見逃せなくて。この人、戦場で拾った野良犬すら『餌代の無駄だ』って断る男なんですよ。それが人間を、しかもご令嬢を拾って帰ってくるなんて、明日は槍でも降るのかと」
「クラウス」
「はいはい、退散します。お嬢さん、ゆっくり養生してくださいね」
嵐のように去っていく副官を見送り、ギルベルトは深い溜息をついた。その、ほんの少しだけ人間らしい仕草に、リーゼロッテは思わず口元を緩めた。
「……何がおかしい」
「いいえ。ただ、拾ってくださって、ありがとうございました。閣下」
ギルベルトは何も答えず、部屋を出ていった。しかしその夜、彼女の枕元には、森の薬草を使った滋養のスープが届けられていた。




