第47話
事件は、収穫祭を控えた朝に起きた。
「で、出た! 出ました、村に、魔獣が!」
南の村の若者が、城に転がり込んできた。話を聞けば、夜のうちに納屋が荒らされ、干し芋と麦が食い散らかされたという。そして納屋の隅には、今も「それ」が居座っていると。
夫妻が駆けつけると、村人たちが遠巻きに納屋を囲んでいた。鍬や棒を手にした男衆の顔には、恐怖と、既に殺気が混ざり始めている。
「退治しちまいましょう、伯! 魔獣なんぞ、村に入れといたら子どもが危ねえ」
「待て。……様子がおかしい」
ギルベルトが単身、納屋に入った。しばしの沈黙の後、彼は呼んだ。
「リーゼロッテ。来てくれ。……鍬は置いてこい、と皆に」
納屋の藁の陰にいたのは、あの角鹿型の魔獣だった。春に森の縁で途方に暮れていた群れの一頭。だが今は、脇腹が痩せこけ、後脚には古い罠の傷が膿み、そして――その腹の下に、生まれて間もない仔が二頭、震えていた。
「……母子、ですのね」
「ああ。傷で群れから遅れて、保護区への移動に乗り損ねたんだろう。乳の出も悪い。それで人里の食い物に手を出した」
リーゼロッテは膝をつき、母獣の傷に手をかざした。白い光が膿んだ傷を清め、塞いでいく。魔獣は最初こそ牙を見せたが、痛みが引くにつれ、力なく首を垂れた。
その様子を、納屋の入り口から、村人たちが息を詰めて見ていた。
「……なんだ。おっかあと、赤ん坊か」
誰かがぽつりと言い、殺気が、潮のように引いていった。
その晩、村の集会所で、夫妻は村人たちと膝を突き合わせた。
「皆に、正直に話しておきたい」
ギルベルトが、口火を切った。
「知っての通り、俺の呪いは解けた。森の災厄も消えた。めでたい話だ。……だが、あの災厄は三百年、森の秩序でもあった。澱を糧にしていた獣たちは今、糧を失い、住処を失いつつある。今回のような事件は、放っておけば、増える」
「そんなら、やっぱり狩っちまうしか」
「その道も、ある。だが俺は選びたくない。……あいつらは三百年、俺の家の呪いと共に生きて、この森の主だった連中だ。世界が良くなった煽りを、あいつらだけが食うのは、道理が通らん」
朴訥な、しかし彼らしい理屈だった。村人たちが顔を見合わせる。リーゼロッテが、後を継いだ。
「森の奥の保護区を、正式に広げます。私の聖力で、澱の代わりになる糧の草地を育てる試みは、うまくいき始めています。夫が群れを奥へ導き、境界に結界を張る。……ただ、それだけでは足りません。皆さんの力が要るのです」
「俺たちの?」
「境界の見回り、罠の撤去、迷い獣の通報。狩人の皆さんには、保護区の管理人になっていただきたい。獣を狩る腕は、獣を守る腕にもなりますから。もちろん、領からお給金を出します。……人と獣の縄張りを分けて、双方が生きる。それを、この領の新しい形にしたいのです」
長い相談の末、村一番の古株の猟師が、頭を掻いて言った。
「……ま、考えてみりゃあ、俺らも三百年、あの森の呪いに守られて猟をしてきた口だ。恩返しってやつが、あってもいいかもしれねえな」
こうして大陸初の「魔獣保護区」が、正式に発足した。
後日、納屋の母子は元気になり、保護区の草地へ移された。仔獣の一頭は、見送りに来たリーゼロッテの裾を名残惜しげに甘噛みして、しばらく離れなかった。
「あらあら。……ええ、また会いに行くわ。あなたたちの森に」
失われた秩序の代わりに、選ばれた秩序を。それは小さな、けれど確かな、世界の直し方だった。




