第23話
翌日から、リーゼロッテは書庫に籠もった。
シュヴァルツヴァルト家三百年分の家伝記録、エルンストが置いていった教会古文書の写し、レーヴェンから取り寄せた封印術の研究書。ヨハンナが差し入れる食事も半分残し、彼女は昼夜なく文献を読み漁った。二十年の教育で鍛えられた五カ国語と古語の素養が、今、愛する者の命のために総動員されていた。
手がかりは、五日目の夜に見つかった。
「クラウス、これを見て。初代当主の誓約書の原文よ」
羊皮紙の古語を、彼女は指でなぞった。
「『我、森に封じられし災厄の半身の番人とならん』……半身、と書いてあるわ。『災厄の半身』。つまり森に封じられたのは、災厄の半分」
「半分……あっ。教会の記録の」
「ええ。『黒淵を二つに割って封じた』。ひとつは王都の地下、ひとつは辺境の森。エルンスト様の言った通り。でも、ここからが本題」
彼女は二枚の文書を並べた。
「初代当主の誓約書の続き。『半身と半身は、根にて繋がる。一方が贄を喰らえば他方は鎮まり、一方が飢えれば他方は猛る』――クラウス、分かる? 二つの封印は独立していない。地下茎で繋がった、一株の毒草なの」
クラウスの顔から、血の気が引いた。
「じゃあ、王都の黒淵が今、飢えて暴れ始めてるってことは」
「ええ。森の半身も呼応して猛り始めている。ギルベルトの呪いは森の災厄を抑える『栓』。災厄が猛れば、栓にかかる圧も増す。……彼の体調が崩れた本当の原因は、腕輪だけではなかった。大本は、王都の黒淵の飢えよ」
沈黙が落ちた。書庫の蝋燭が、じじ、と音を立てた。
「このまま王都の封印が決壊すれば、連動して森の災厄も解き放たれる。そのとき、栓であるギルベルトは――」
彼女は、その先を口にできなかった。代わりに、最後の一枚の文書を卓の中央に置いた。三百年前の聖者の手記の写し、その最終節だった。
「でも、道はある。ここに書いてあるわ。『黒淵を真に滅ぼす法はただ一つ。二つの半身が根にて繋がりし刹那、その根に、器を超えたる聖光を注ぐこと。されど、かかる光を持つ者、三百年に一人も現れじ』」
「器を超えたる聖光……って、それ」
「測定水晶を砕いた力、ですって。エルンスト様が聞いたら卒倒なさるわね」
リーゼロッテは、静かに微笑んだ。
「三百年間、誰にもできなかった。でも、今は私がいる。二つの災厄を、根ごと焼き払える者が。黒淵を滅ぼせば、封印も贄も要らなくなる。聖女が装置にされることも、二度とない。そして――ギルベルトの呪いも、消える」
「……条件は?」
「根に触れられる場所は、一箇所だけ。災厄の本体が眠る場所。すなわち」
彼女は、地図の一点を指した。
オストマルク王都、大聖堂、地下。
「私の二十年が吸われ続けた、あの場所よ」
因果なものだ、と彼女は思った。あの冷たい祈祷室から逃れて手に入れた新しい人生。その人生でいちばん大切になった人を救う鍵が、よりにもよって、あの場所の真下に埋まっているとは。
クラウスは頭を抱えた。
「言っときますけど夫人、あなたはあの国の罪人で、あの国は今それどころじゃない大混乱で、しかも伯はこの状態で――」
「ええ、分かっているわ。今すぐには動けない。動くべきでもない」
リーゼロッテは窓の外、北の空を見た。王都のある方角の夜空が、心なしか濁って見えた。
「でも、遠からず、向こうから膝を折ってくる。国が本当に崩れ始めたとき、彼らには私しか残らないもの。……そのときが、すべての清算のときよ」
その予感は、わずか半月後、最悪の形で的中することになる。




