第24話
破局は、深夜の大聖堂から始まった。
ザイフェルト枢機卿は、封印の大扉の前に祭壇を組んでいた。禁術の一つ目――他者から聖力を移し取る術は、二月かけて準備された。集められた「素材」は、教会が抱える治癒師見習いの若者たち十二人。彼らには「特別な祈祷の儀」とだけ告げられていた。
「始めよ」
術式が起動した。十二人から引き抜かれた聖力が、光の帯となって封印の罅へ注がれていく。若者たちが次々と昏倒する。だが枢機卿は止めなかった。これで水位は戻る。三百年の秘法は保たれる。
――そのはずだった。
異変は、注ぎ込みの最中に起きた。罅に吸い込まれていた光が、不意に、逆流したのだ。
「な……に……?」
扉の奥の「それ」は、二十年間、極上の力を味わい続けてきた。リーゼロッテという、三百年に一人の器の力を。かき集めの薄い力など、もはや餌ですらなかった。それどころか、久々に注がれた「本物ではない味」は、飢えた獣の目を覚まさせた。
どくん、と。大聖堂全体が、脈打った。
封印の大扉に、稲妻のような亀裂が走った。罅から黒い瘴気が噴き出し、術式は砕け、枢機卿は吹き飛ばされた。石壁に叩きつけられた老人の耳に、扉の奥から、三百年ぶりの「声」が届いた。
――たりない。もっと、あのひかりを。
その夜、大聖堂の尖塔が黒い霧に呑まれるのを、王都中の人間が目撃した。
夜明けを待たず、瘴気は市街に溢れた。
大聖堂区画は封鎖され、隣接する貴族街から悲鳴と共に避難が始まった。瘴気に触れた者は数刻で淵病みを発症する。王宮にすら黒い霧の先端が届き、病床の国王は離宮へ移された。王都からの脱出者が街道に列をなし、国家の心臓部は、一夜にして機能を失った。
そして、混乱の頂点で、あの文書が世に出た。
『これは、聖教会が三百年間隠蔽してきた、聖女搾取の記録である――』
古文書管理官ベルンハルトの告発文書。写しは新聞社、諸侯、諸外国の大使館へ同時に届けられていた。三百年、十七人の聖女たちが装置として使い潰されてきたこと。リーゼロッテ・ヴァイスハウプトこそが、二十年間この国を守り続けた真の要であったこと。そして教会と、それを検証せず彼女を追放した王家の罪。
瘴気に怯えていた民衆の恐怖は、行き場を得て、一斉に怒りへ転化した。効果は、劇薬のようだった。
「白紙の聖女は、本物だった!」
「あの御方を捨てたから、国が枯れたんだ!」
「王太子を出せ! 教会の坊主どもを引き摺り出せ!」
民衆の怒りが、王宮と大聖堂を取り囲んだ。貴族議会は緊急招集され、真っ先に議題に上ったのは、アルノルト王太子の廃嫡動議だった。
「殿下。あなたが婚約破棄などという茶番を演じなければ」
「わ、私は知らなかった! あの女が本物だなどと、誰も」
「検証もせず、公衆の面前で国の要を侮辱し、放逐した。その軽挙の代価が、この有様です」
かつて追従を競った貴族たちは、今や我先にと王太子に石を投げた。あの卒業夜会で彼の「英断」に喝采した者ほど、声高に彼を責めた。アルノルトは議場で立ち尽くした。世界のすべてが、たった一夜で敵に回っていた。あの夜、婚約破棄を告げられて静かに頭を下げた女は、こんな景色を見ていたのだろうか。
離宮の病床で、国王は震える手で勅書に署名した。
宛先は、シュヴァルツヴァルト辺境伯夫人、大聖女リーゼロッテ。
それは要請ではなく、嘆願だった。一国の王が、追放した娘に宛てて書ける、最も惨めで、最も正直な文面――
『貴女の望むすべてを呑む。どうか、この国を救ってほしい』




