第14話
翌日から三日間、リーゼロッテは宣言通り城下を回った。
湖沼熱の患者は百人を超えていたが、彼女は一人も取りこぼさなかった。貴族の屋敷も、船乗りの長屋も、分け隔てなく。三日目の夕方に最後の患者を癒やし終えたとき、路地には彼女を一目見ようとする人垣ができていた。
その評判は、当然のように総本山へ届いた。
四日目、リーゼロッテは聖教会総本山の大聖堂へ召し出された。祭壇の前には教皇代理と枢機卿団、そしてフェリクス王までもが臨席していた。
「リーゼロッテ・シュヴァルツヴァルト辺境伯夫人」
教皇代理の声が、高い天蓋に響いた。
「鑑定の儀の結果、ならびに此度の城下での御業を鑑み、聖教会は貴女に、三百年ぶり大陸五人目となる『大聖女』の称号を授与する」
どよめきが走った。大聖女。伝承の中の存在。その称号は、大陸全土の教会組織に対する指導権すら伴う、聖界最高位の栄誉だった。
「ついては大聖女には総本山に居を移し、教会の至宝として――」
「お待ちください」
凛とした声が、儀式の流れを断ち切った。
リーゼロッテは祭壇の前に進み出た。跪きはしなかった。まっすぐに立ったまま、教皇代理を見上げた。
「称号は、謹んでお受けいたします。この力を公に認めていただくことは、私と、私の領の民を守る盾になりますから。ですが――総本山に居を移すことは、お断りいたします」
「……なんと?」
「教会への所属も、お断りいたします」
枢機卿団が色めき立った。前代未聞である。大聖女の称号を受けながら、教会の管理下に入らないなど。
「夫人、お分かりか。大聖女とは教会の柱。その力は神と教会のために」
「私の力は、私のものです」
リーゼロッテの声は、静かで、しかし一歩も引かなかった。大聖堂の高窓から差す光の中、彼女は小柄な体で、大陸最大の宗教組織の重鎮たちと対峙していた。
「私は二十年間、『聖女のあるべき姿』のために生きて、力を組織に吸われ続けました。誰のためのものかも知らされずに。ですからこれだけは、二度と譲りません」
彼女は左手首の腕輪に触れ、はっきりと告げた。
「称号は受けます。ただし、私は誰の装置にもなりません。私は夫の領地で、私の意思で、私が救いたいと思った人のために、この力を使います。それをお認めいただけないのなら、称号は今この場でお返しいたします」
大聖堂が、凍りついた。
沈黙を破ったのは、朗々とした笑い声だった。フェリクス王が、玉座代わりの臨席台で手を叩いていた。
「見事! 実に見事だ、大聖女殿。――教皇代理殿、余は証人となろう。力ある者が組織に飼われず、なお民を救う。それこそ我がレーヴェンの気風に最も適う姿。彼女の自由、この金獅子が保証しようではないか」
国王の言質。教会はもはや、頷く以外の道を失った。
こうして大陸史上初の「どこにも属さない大聖女」が誕生した。歴史書がこの日をどう記すか、まだ誰も知らない。
儀式の後、廊下でギルベルトが待っていた。彼は妻の顔を見て、めずらしく、口の端だけでなく目元まで緩めた。
「……堂々たるものだった」
「震えていましたのよ、膝は」
「知っている。それでも一歩も引かなかった。俺の妻は」
言いかけて、彼は不意に口をつぐんだ。俺の妻は、の続きを、リーゼロッテは聞けなかった。けれどその横顔が誇らしげであることだけは、確かに分かった。
その夜、フェリクス王主催の祝賀の宴の招待状が二通、夫妻の客室に届いた。金獅子の王は、新しい大聖女とその夫を、よほど気に入ったらしかった。




