第12話
その夜、城の書庫に四人が集まった。
リーゼロッテ、ギルベルト、鑑定官エルンスト、そして記録係のクラウス。卓上には教会の古文書の写しと、シュヴァルツヴァルト家に伝わる家伝の記録が広げられていた。
「仮説を申し上げる前に、確認させてください」
エルンストは老いた目でリーゼロッテを見た。
「奥方様は二十年間、オストマルク王都で祈祷を?」
「ええ。五歳から。場所は決まって、王都大聖堂の礼拝堂でした」
「祈祷の場は、地下に近い区画でしたかな」
「……なぜ、それを。礼拝堂の中でも、最奥の古い一室と決められていました。石段を三つ下がった、半地下の」
エルンストは深く息を吐き、一枚の古文書の写しを卓の中央へ押し出した。
「教会に伝わる、三百年前の記録です。当時、大陸を災厄が襲った。土地を腐らせ、生き物を蝕む負の力の塊――名を『黒淵』。古代の聖者たちはこれを滅ぼしきれず、二つに割って封じました。ひとつは、とある王都の地下深くに。いまひとつは、とある辺境の森に」
「……待て」
ギルベルトが家伝の記録を掴んだ。
「うちの森の呪いの起源も、三百年前だ。初代当主が『森に封じられた災厄の番人となり、その澱を一身に受ける』と誓約した、と」
「はい、閣下。おそらくは同根。そしてここからが、老骨の恐ろしい仮説です」
エルンストの指が、古文書の一節をなぞった。
「封印は、聖なる力を糧に保たれる。ゆえに黒淵の封印地では、代々の聖女が祈りを捧げる習わしがあった――と記録にはあります。ですが奥方様。負の塊のすぐ傍で正の力を注ぎ続ければ、何が起きるか。黒淵は、注がれる力を喰らうのです」
「……喰らう」
「奥方様の力は、発現しなかったのではない。五歳のあの日から今日まで、湧き出る端から、あの地下の『何か』に吸われ続けていたのです。あなた様ほどの規格外の力が、二十年間、一滴残らず。だからこそ封印は安定し――そして国境を越え、黒淵の『喉』が届かぬ距離に出た瞬間、二十年分の力が堰を切った」
書庫が、静まり返った。
リーゼロッテは、自分の手のひらを見つめた。祈っても祈っても何も起きなかった日々。神官たちの溜息。白紙の聖女という嘲笑。あれは才能の欠如ではなかった。彼女は毎日、力を「奪われて」いたのだ。
「……では、私の二十年は」
声が、震えた。
「私が祈らされていたのは、力を授かるためではなく……吸わせるため? 私はあの国を、知らないまま守り続けていた? 装置として? 誰にも、知らされないまま?」
「教会の上層部が知っていたかは分かりません。ですが、あの祈祷室の配置は、偶然にしては出来すぎている」
カタ、と音がした。リーゼロッテの拳が、卓を押さえていた。怒りとも悲しみともつかない何かが、喉元までせり上がる。嘲笑されながら、蔑まれながら、彼女はあの嘲笑う者たちの日常を、その足元から支え続けていたのだ。
「私の二十年は……装置としての、二十年だった」
俯いた彼女の拳に、大きな手が重ねられた。
ギルベルトだった。彼は何の慰めも言わなかった。ただ、低く静かな声で告げた。
「過ぎた二十年は、取り戻せん。だが」
灰色の瞳が、真っ直ぐに彼女を射抜いた。
「これからの二十年は、お前のものだ。誰にも、一滴も吸わせるな」
重ねられた手の熱が、震えを鎮めていく。リーゼロッテは長い息を吐き、顔を上げた。涙は、こぼさなかった。過去に流す涙より、これからのために取っておくべきものがある。
「……ええ。そうします。そうすると、決めました」
その声は、もう震えていなかった。




