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匂いのない娘は、北の砦で今日も黙々と働く ~番なしと笑われた私ですが、気づけば騎士団になくてはならない存在になっていたようです~  作者: ティアナ
第一部

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休日の過ごし方がわかりません

休日の朝。

私は、いつも通り夜明け前に目を覚ました。


体が勝手に起き上がり、着替えを済ませ、気づけば厨房の前に立っていた。


「おはようございます、ミラさん!」


明るい声に振り返ると、栗色の髪をした兎獣人の娘が、粥の鍋をかき混ぜていた。

麓の村から来てくれた、リタちゃんだ。十五歳。元気で、よく笑う、可愛らしい女の子だ。


その隣で、ふくよかな羊獣人の女性が野菜を刻んでいる。リタちゃんの叔母のマーサさん。


二人が砦に来て、まだ五日。

厨房の段取りや食料の保存の仕方を伝えると、二人ともすぐに覚えてくれた。


「あの、何か手伝うことは……」

「ありません!」


リタちゃんが、きっぱりと言った。


「団長さんから言われてるんです。ミラさんが休日に厨房に来たら、追い返すようにって」

「えっ」

「バルトさんからも、テオさんからも、ハンス先生からも言われてます」


マーサさんが、くすくすと笑った。


「あんたは信用がないねえ。皆に先回りされてるよ」


……返す言葉もなかった。


  ◇


厨房を追い出されて、洗濯場に行ってみた。


「ミラさん、今日休みでしょ。帰って帰って」


当番の騎士たちに、笑顔で追い返された。


医務室に行ってみた。


「休め」


ハンス先生は、顔も上げずに一言だった。


食料庫に行ってみた。


扉に、紙が一枚貼ってあった。


『本日、ミラの立ち入りを禁ず ——ルーカス・グレイ』


几帳面な、見慣れた字。

私は、紙の前でしばらく立ち尽くした。


……休日って、何をすればいいのだろう。


  ◇


中庭のベンチに座って、ぼんやりと空を見上げる。


雪は止んで、薄い青空が広がっていた。

遠くで、騎士たちの訓練の掛け声が聞こえる。


何もしないで座っているのは、落ち着かなかった。

手持ち無沙汰に、指先をこすり合わせる。冷たい水仕事でひび割れた指が、少しだけ痛んだ。


「ミラ」


声をかけられて、顔を上げる。


団長——ルーカス様が、こちらに歩いてくるところだった。

いつもの騎士服ではなく、質素な濃紺の上着を着ている。


「団長。……今日は、訓練ではないのですか」

「ハンスに追い出された」


ルーカス様は、少しばつが悪そうに耳を伏せた。


「君に休めと言った手前、私が休まないのは筋が通らないと言われてね。……返す言葉がなかった」


思わず、小さく笑ってしまった。

ルーカス様も苦笑した。


「休日に何をすればいいのか、正直よくわからない」

「私もです」


二人で並んで、しばらく黙って空を見上げた。


やがて、ルーカス様がぽつりと言った。


「……麓の村に、市が立つ日だ。行ってみるか?」


  ◇


砦から村までは、雪道を歩いて半刻ほど。


ルーカス様は、私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれた。

凍った場所に差しかかると、何も言わずに手を差し出してくれる。

私がその手を取ると、渡り終えたところで、すぐに離す。


それが、なんだかこの人らしいと思った。


村の広場には、小さな市が立っていた。

干し果物、毛糸、木彫りの食器、焼き栗の屋台。


「団長さんだ!」

「団長様、いつもありがとうございます」


村人たちが、次々とルーカス様に頭を下げる。

魔獣から村を守っているのは、北方騎士団なのだと改めて思う。


ルーカス様は一人一人に丁寧に応えていた。子どもに袖を引かれれば屈んで目線を合わせ、老人には自分から手を差し伸べる。


その姿を見ていると、胸の奥が温かくなった。


  ◇


野菜を売る屋台の前で、私は足を止めた。


並んでいる蕪や人参の、半分ほどが萎びている。

店番のおばあさんが、困ったように笑った。


「冬はどうしても、こうなっちまうんだよ。地下の室に入れておいても、すぐ傷んじまって」

「……あの、湿った砂に埋めておくと、長持ちすることがありますよ」


言ってから、はっとした。

今日は休日だ。余計なことを、と口を押さえる。


けれど、おばあさんは目を丸くして身を乗り出した。


「砂に?」

「はい。乾きすぎず、湿りすぎない砂に、葉を落として立てて埋めるんです。それから、林檎とは離して置いたほうが……」


気づけば、説明していた。

おばあさんは何度も頷き、隣の屋台のおじさんまで話を聞きに来ている。


ひと通り話し終えて振り返ると、ルーカス様が少し離れたところで、微笑ましそうにこちらを見ていた。


「す、すみません。休日なのに」

「謝ることはない」


ルーカス様は首を振った。


「仕事をしろと言われてするのと、自分から誰かに教えたくなるのは、違うだろう?」


……そうなのだろうか。

よくわからなかったけれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


  ◇


帰り道。

空はもう、夕暮れの色に染まり始めていた。


「ミラ。少し、いいか」


村の出口で、ルーカス様が立ち止まった。

上着の懐から、小さな包みを取り出す。


「これを」


差し出されたのは、柔らかな灰色の毛糸で編まれた手袋だった。


「市で見かけた。……君の手が、ひび割れていたから」


私は息を呑んだ。

いつの間に。私が野菜の話をしている間だろうか。


「受け取れません。こんな……」

「砦の働き手の手が荒れていては、私の監督不行き届きだ」


ルーカス様はそう言ってから、少し黙った。

それから、言い直すように付け加える。


「……いや。今のは言い訳だな」


灰色の瞳が、まっすぐに私を見た。


「君の手が痛そうだったから、何かしたかった。それだけだ。受け取ってもらえると嬉しい」


私は、そっと手袋を受け取った。

指を通すと、ふわりと温かい。


「……ありがとうございます。大事にします」

「ああ」


ルーカス様は、ほっとしたように目元を緩めた。


砦への帰り道、凍った坂道に差しかかる。

ルーカス様が、いつものように手を差し出した。


手袋をはめた手で、その手を取る。


渡り終えても——ルーカス様は、すぐには手を離さなかった。


ほんの、二歩分だけ。

それから、何事もなかったようにそっと離して、前を歩き出した。


私は、その背中を見つめていた。

手袋の中の指先が、いつまでも熱かった。


  ◇


その夜、私は休日の日記に一行だけ書いた。


『休日は、思ったより悪くなかった』


  ◇


同じ頃、王都。


「ないって、どういうことよ!」


香水店のカウンターで、ジゼルが声を荒げていた。


「申し訳ございません、お嬢様。あの香りは異国からの取り寄せで、次の入荷は春になるかと……」

「春ですって!?」


店主に詰め寄るジゼルの手には、空になった小瓶が握られていた。


店の外。

馬車の陰で待っていたクラウスは、窓越しにその光景をじっと見ていた。


最近、ジゼルの匂いが日ごとに薄れていく。

あの甘い花の香りが消えたら、その下には、何が残るのだろう。


クラウスは、自分の胸に手を当てた。

番を見つけた時の、魂が震えるような感覚。


それを、彼はまだ一度も、感じたことがなかった。

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