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匂いのない娘は、北の砦で今日も黙々と働く ~番なしと笑われた私ですが、気づけば騎士団になくてはならない存在になっていたようです~  作者: ティアナ
第一部

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3/4

咳止めの草と、眠れない騎士

翌朝、朝食の片付けを終えると、厨房の入り口に見慣れない人が立っていた。


白髪交じりの髪に、丸い眼鏡。背中が少し曲がった、小柄な老人。

頭の両脇から、ふわふわとした羽毛のような耳が覗いている。梟の獣人だ。


「あんたがミラさんかね。軍医のハンスだ」

「はじめまして。ミラ・ロウェルと申します」

「団長から聞いたよ。咳止めの草を知ってるとか」


ハンス先生は眼鏡の奥から、じっと私を見た。

疑っている、というより、面白がっているような目だった。


「案内しておくれ。老いぼれの足でも登れる斜面だといいがね」


  ◇


砦の裏手、雪の残る斜面。

岩の陰に、地面に張り付くようにして、丸い葉が広がっている。


「これです」


しゃがみ込んで葉をめくると、ハンス先生が「ほう」と声を上げた。


「オオバコの仲間だな。北ではめったに見ないが……確かに、昔の薬師は咳に使っていた」

「葉を乾かして、煎じて飲めば喉が楽になると思います。それから、あちらの木の皮も、少し」

「白樺かね?」

「はい。熱を下げるのに使えるかと」


ハンス先生はしばらく黙って、私の顔と植物を見比べていた。


「……あんた、薬師の修業でもしたのかい」

「いいえ。商家の娘です」

「ふむ」


それ以上、先生は何も聞かなかった。

ただ、籠いっぱいに葉を摘むのを手伝ってくれた。


  ◇


医務室の奥の寝台に、エリクさんは横になっていた。


まだ若い、灰色の毛並みの狼獣人。

頬がこけ、目の下に濃い隈がある。私たちが入ると、彼は体を起こそうとして、激しく咳き込んだ。


「無理に起きなくていい」


ハンス先生が背中をさすり、私は煎じたばかりの湯気の立つ椀を差し出した。


「少し苦いですが、ゆっくり飲んでください」


エリクさんは怪訝そうに私を見た。

鼻をひくりと動かして、眉を寄せる。


けれど、何も言わずに椀を受け取ってくれた。


一口、二口。

苦さに顔をしかめながら、最後まで飲み干す。


「……喉が、少し、すっとする」

「よかった。夜は、これを枕元に置いておきますね。蒸気を吸うと楽になるので」


湯を張った桶に、残りの葉を浸して寝台の脇に置く。

エリクさんは、ぼんやりとそれを見つめていた。


「……すまない。俺、最初、あんたのこと……」

「大丈夫です」


何を言おうとしたのかは、わかっていた。

慣れているから、と言いかけて、やめた。代わりに、少しだけ笑う。


「早く良くなってくださいね」


  ◇


その夜、エリクさんは三週間ぶりに朝まで眠れた——と、翌朝ハンス先生が教えてくれた。


「熱も少し下がった。この調子なら、十日もすれば起き上がれるだろう」

「本当ですか。よかった……」

「それでな、ミラさん」


ハンス先生は、眼鏡を指で押し上げた。


「手が空いたときでいい。医務室も手伝ってもらえんかね。わしの代わりに、薬草の仕分けと、包帯の管理をしてくれるとありがたい」

「私で、よろしいのですか?」

「あんたがいい。団長には、わしから話を通しておく」


厨房と洗濯と、医務室の手伝い。

仕事が増えたはずなのに、不思議と嫌ではなかった。


誰かに必要とされるのは、こんな気持ちなのだろうか。


  ◇


それから数日。


医務室の棚を整理し、薬草を種類ごとに干し、包帯を清潔なものとそうでないものに分けて箱に入れた。

どの箱に何が入っているか、紙に書いて貼っておく。


「これなら新人でも迷わんな」とハンス先生は笑い、手当てを受けに来た騎士たちも「探す手間が省ける」と言ってくれた。


少しずつ、騎士たちが私に声をかけてくれるようになった。


「ミラさん、今日の粥うまかった」

「この前の膏薬、よく効いたよ」


翌朝、朝食の片付けを終えると、厨房の入り口に見慣れない人が立っていた。


白髪交じりの髪に、丸い眼鏡。背中が少し曲がった、小柄な老人。

頭の両脇から、ふわふわとした羽毛のような耳が覗いている。梟の獣人だ。


「あんたがミラさんかね。軍医のハンスだ」

「はじめまして。ミラ・ロウェルと申します」

「団長から聞いたよ。咳止めの草を知ってるとか」


ハンス先生は眼鏡の奥から、じっと私を見た。

疑っている、というより、面白がっているような目だった。


「案内しておくれ。老いぼれの足でも登れる斜面だといいがね」


  ◇


砦の裏手、雪の残る斜面。

岩の陰に、地面に張り付くようにして、丸い葉が広がっている。


「これです」


しゃがみ込んで葉をめくると、ハンス先生が「ほう」と声を上げた。


「オオバコの仲間だな。北ではめったに見ないが……確かに、昔の薬師は咳に使っていた」

「葉を乾かして、煎じて飲めば喉が楽になると思います。それから、あちらの木の皮も、少し」

「白樺かね?」

「はい。熱を下げるのに使えるかと」


ハンス先生はしばらく黙って、私の顔と植物を見比べていた。


「……あんた、薬師の修業でもしたのかい」

「いいえ。商家の娘です」

「ふむ」


それ以上、先生は何も聞かなかった。

ただ、籠いっぱいに葉を摘むのを手伝ってくれた。


  ◇


医務室の奥の寝台に、エリクさんは横になっていた。


まだ若い、灰色の毛並みの狼獣人。

頬がこけ、目の下に濃い隈がある。私たちが入ると、彼は体を起こそうとして、激しく咳き込んだ。


「無理に起きなくていい」


ハンス先生が背中をさすり、私は煎じたばかりの湯気の立つ椀を差し出した。


「少し苦いですが、ゆっくり飲んでください」


エリクさんは怪訝そうに私を見た。

鼻をひくりと動かして、眉を寄せる。匂いがしないことに、気づいたのだろう。


けれど、何も言わずに椀を受け取ってくれた。


一口、二口。

苦さに顔をしかめながら、最後まで飲み干す。


「……喉が、少し、すっとする」

「よかった。夜は、これを枕元に置いておきますね。蒸気を吸うと楽になるので」


湯を張った桶に、残りの葉を浸して寝台の脇に置く。

エリクさんは、ぼんやりとそれを見つめていた。


「……すまない。俺、最初、あんたのこと……」

「大丈夫です」


何を言おうとしたのかは、わかっていた。

慣れているから、と言いかけて、やめた。代わりに、少しだけ笑う。


「早く良くなってくださいね」


  ◇


その夜、エリクさんは三週間ぶりに朝まで眠れた——と、翌朝ハンス先生が教えてくれた。


「熱も少し下がった。この調子なら、十日もすれば起き上がれるだろう」

「本当ですか。よかった……」

「それでな、ミラさん」


ハンス先生は、眼鏡を指で押し上げた。


「手が空いたときでいい。医務室も手伝ってもらえんかね。わしの代わりに、薬草の仕分けと、包帯の管理をしてくれるとありがたい」

「私で、よろしいのですか?」

「あんたがいい。団長には、わしから話を通しておく」


厨房と洗濯と、医務室の手伝い。

仕事が増えたはずなのに、不思議と嫌ではなかった。


誰かに必要とされるのは、こんな気持ちなのだろうか。


  ◇


それから数日。


医務室の棚を整理し、薬草を種類ごとに干し、包帯を清潔なものとそうでないものに分けて箱に入れた。

どの箱に何が入っているか、紙に書いて貼っておく。


「これなら新人でも迷わんな」とハンス先生は笑い、手当てを受けに来た騎士たちも「探す手間が省ける」と言ってくれた。


少しずつ、騎士たちが私に声をかけてくれるようになった。


「ミラさん、今日の粥うまかった」

「この前の膏薬、よく効いたよ」


  ◇


ある夜。


いつものように最後の片付けを終えて廊下を歩いていると、執務室の扉の隙間から灯りが漏れていた。


もう、真夜中を過ぎている。


昨日も、その前の日も、同じだった気がする。

団長は、いつ眠っているのだろう。


少し迷ってから、私は厨房へ戻った。

湯を沸かし、乾かしておいたカモミールに似た白い花を浸す。蜂蜜をほんの少し。


盆を持って執務室の前に立ち、そっと扉を叩いた。


「……どうぞ」


扉を開けると、団長は机の上に広げた地図から顔を上げた。

私を見て、驚いたように目を見開く。


「ミラ殿。こんな時間に、どうした」

「差し出がましいかと思ったのですが……灯りが見えたので」


盆を差し出す。

団長は、湯気の立つカップを不思議そうに見つめた。


「これは?」

「眠りやすくなるお茶です。お仕事の邪魔でしたら、下げます」

「いや」


団長は立ち上がり、両手で丁寧にカップを受け取った。


「ありがとう。……いただくよ」


一口飲んで、団長は小さく息を吐いた。


「温かいな」


それだけ言って、しばらく黙ってカップを見つめている。

私はどうしていいかわからず、扉のそばで立っていた。


「……実は、あまり眠れないんだ」


不意に、団長が言った。


「大戦の頃の夢を見る。目が覚めると、仕事をしていたほうが楽でね」


穏やかな声だった。

けれど、カップを持つ指先に、少しだけ力が入っているのがわかった。


「すまない。君に話すようなことではなかった」

「いいえ」


私は首を振った。

何か気の利いたことを言えればよかったのに、言葉が見つからない。


だから、思ったことをそのまま口にした。


「明日も、お持ちしてもいいですか」


団長が顔を上げる。

灰色の瞳が、灯りの中で揺れた。


「……君の負担にならないなら」

「なりません」


即答すると、団長は少しだけ目を細めた。

笑ったのだと、気づくのに少し時間がかかった。


「では、お願いしよう。——ただし、君も同じ時間には休むこと。それが条件だ」

「……はい」



  ◇


扉の向こうで、ルーカスは空になったカップを見下ろしていた。


花の香りがするのだと、彼女は言っていた。

だが彼には、何も感じられない。十年前から、ずっと。


それなのに。


彼女が部屋を出ていったあと、ほんの一瞬だけ。

陽だまりのような、懐かしいような何かが、鼻の奥をかすめた気がした。


「……気のせい、か」


呟いて、ルーカスは灯りを落とした。

その夜、彼は久しぶりに夢を見ずに眠った。


  ◇


同じ頃、王都。


「ジゼル。……今日は、なんだか匂いが違わないか?」


クラウスの問いに、ジゼルの尻尾がぴたりと止まった。


「え? そ、そうかしら。気のせいよ、クラウス様」


慌てたように笑うジゼル。

その鏡台の引き出しには、半分ほど減った香水の瓶が、そっとしまい込まれていた。


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