洗濯場の騎士たち
砦の朝は、まだ暗いうちから始まる。
団長に「ゆっくり休んでいい」と言われたのに、いつもの癖で夜明け前に目が覚めてしまった。
少しだけ迷ってから、私は身支度をして階段を下りた。
厨房では、バルトさんがすでに竈に火を入れていた。
「お、嬢ちゃん。団長から遅くていいって聞いてたが」
「目が覚めてしまって。何かお手伝いできることはありますか」
「ははっ、変わった娘だな」
バルトさんは笑って、大鍋を顎で示した。
「じゃあ、粥を頼む。俺は足がこれだからな、立ちっぱなしはきついんだ」
その日の朝食は、麦の粥に、昨日のうちに刻んでおいた干し野菜を少しだけ足した。
塩は控えめに。代わりに、干し肉を一切れ入れて出汁をとる。
食堂に運ぶと、騎士たちがちらりと私を見た。
誰も、話しかけてはこない。
匂いのしない娘を、どう扱っていいかわからないのだろう。
けれど、鍋は残さず空になって戻ってきた。
◇
朝食の片付けを終えて、洗濯場へ向かう。
砦の裏手、川の水を引き込んだ石造りの小屋。
扉を開けた瞬間、私は思わず足を止めた。
山だ。
泥と血にまみれた衣服。黒ずんだ包帯。いつから放置されているのかわからない布の塊。
それが、天井に届きそうなほど積み上がっている。
「……あー。悪い、それな」
背後から声がした。振り返ると、若い騎士が気まずそうに頭を掻いていた。
茶色の短い髪に、丸い犬の耳。まだ十七、八といったところだろうか。
「前の下働きが辞めてから、ずっとそのままでさ。俺たちも交代でやってたんだけど、討伐が続いて……」
「大丈夫です。私の仕事ですから」
「いや、一人じゃ無理だって。俺、今日は非番だから手伝うよ。テオっていうんだ」
テオさんはそう言って、腕まくりをした。
騎士が洗濯を手伝うなんて、と驚いたけれど、彼は当たり前のような顔をしている。
「団長がさ、こういうの嫌がるんだよ。誰かに全部押し付けるの」
……そうなのか。
昨夜の、あの穏やかな声を思い出した。
◇
まずは仕分けからだった。
衣服と、包帯と、それ以外。
包帯は、汚れの具合でさらに分ける。
「なあ、ミラさん。包帯は普通に洗えばいいんじゃないの?」
「血のついたものは、一度煮てから洗ったほうがいいんです」
「煮る?」
「はい。そうすると、次に使ったとき、傷が膿みにくくなるので」
テオさんは目を丸くした。
「それ、どこで習ったの?」
「……さあ。気づいたら、知っていました」
正直に答えると、テオさんは「へえ」と首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
大鍋で湯を沸かし、包帯を煮る。
灰を溶かした水で衣服を揉み洗いする。
すすいで、絞って、風の通る場所に干す。
単純な作業の繰り返し。
けれど、手を動かしていると不思議と気持ちが落ち着いた。
ふと気づくと、洗濯場の入り口に人が増えていた。
「テオ、何やってんだお前」
「見りゃわかるだろ、洗濯だよ。お前らも暇なら手伝え」
そう言われて、渋々という顔で入ってきた騎士が二人、三人。
最初はぎこちなかったけれど、私が絞り方や干し方を伝えると、彼らは黙ってその通りにやってくれた。
「……なあ、これ、思ったより早く終わるんじゃないか」
「分けてからやると全然違うな」
日が傾く頃には、あの山は半分以下になっていた。
物干し場に並んだ白い包帯が、夕日を受けて揺れている。
騎士の誰かが、ぽつりと言った。
「包帯って、こんなに白かったんだな」
◇
その夜。
夕食の片付けを終えた私のもとに、団長がやってきた。
「ミラ殿。少し、いいだろうか」
「はい」
団長は厨房の入り口で足を止め、中に入ってこなかった。
女性が一人でいる場所に、断りなく踏み込まない。そういう人なのだと、なんとなくわかった。
「今日、洗濯場を手伝った者たちから話を聞いた。包帯を煮沸していると」
「はい。勝手に薪を使ってしまって、申し訳——」
「謝らないでほしい」
団長は静かに首を振った。
「実は先月、傷が膿んで熱を出した部下が三人いた。うち一人は、まだ寝込んでいる」
私は息を呑んだ。
「軍医はいるが、手が回っていない。包帯のことまで、誰も気にしていなかった。……私の落ち度だ」
団長は、私に向かって深く頭を下げた。
「ありがとう。君のおかげで、助かる者がいるかもしれない」
騎士団長が、下働きの娘に頭を下げている。
どうしていいかわからず、私はただ首を振った。
「わ、私は、当たり前のことをしただけで」
「その当たり前に、誰も気づけなかったんだ」
顔を上げた団長は、少しだけ笑っていた。
傷痕の残る頬が、ほんのわずかに和らぐ。
初めて見る表情だった。
「寝込んでいる部下……エリクというんだが、咳が止まらなくて困っている。もし何か、知っていることがあれば」
「……裏の斜面に、咳止めになる草が生えているのを見ました。乾かせば使えると思います」
「本当か」
「ただ、お医者様に確かめていただいてからのほうが」
「わかった。明日、軍医と一緒に見てもらえるか」
はい、と頷くと、団長はもう一度「ありがとう」と言った。
扉の前で、彼は振り返る。
「それと——今日は、ちゃんと早く休んでくれ。昨日のお願いを、聞いてもらえなかったようだから」
少しだけ、責めるような、困ったような声。
私は思わず小さく笑ってしまった。
「……はい。今日は、ちゃんと」
◇
同じ頃。
遠く離れた王都の、ロウェル商会。
「おい、先月の仕入れ帳簿はどこだ!」
父の怒鳴り声が、事務所に響いていた。
「旦那様、それが……毎月の帳簿は、ミラお嬢様がまとめておられたので……」
「なに?」
「取引先ごとの支払い期日も、在庫の数も、全部お嬢様が管理を……」
父の顔から、血の気が引いていく。
机の上には、未整理の請求書が積み上がっていた。
その中の一通——取引先からの、支払い遅延を咎める手紙が、ひらりと床に落ちた。




