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匂いのない娘は、北の砦で今日も黙々と働く ~番なしと笑われた私ですが、気づけば騎士団になくてはならない存在になっていたようです~  作者: ティアナ
第一部

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2/4

洗濯場の騎士たち

砦の朝は、まだ暗いうちから始まる。


団長に「ゆっくり休んでいい」と言われたのに、いつもの癖で夜明け前に目が覚めてしまった。

少しだけ迷ってから、私は身支度をして階段を下りた。


厨房では、バルトさんがすでに竈に火を入れていた。


「お、嬢ちゃん。団長から遅くていいって聞いてたが」

「目が覚めてしまって。何かお手伝いできることはありますか」

「ははっ、変わった娘だな」


バルトさんは笑って、大鍋を顎で示した。


「じゃあ、粥を頼む。俺は足がこれだからな、立ちっぱなしはきついんだ」


その日の朝食は、麦の粥に、昨日のうちに刻んでおいた干し野菜を少しだけ足した。

塩は控えめに。代わりに、干し肉を一切れ入れて出汁をとる。


食堂に運ぶと、騎士たちがちらりと私を見た。

誰も、話しかけてはこない。

匂いのしない娘を、どう扱っていいかわからないのだろう。


けれど、鍋は残さず空になって戻ってきた。


  ◇


朝食の片付けを終えて、洗濯場へ向かう。


砦の裏手、川の水を引き込んだ石造りの小屋。

扉を開けた瞬間、私は思わず足を止めた。


山だ。


泥と血にまみれた衣服。黒ずんだ包帯。いつから放置されているのかわからない布の塊。

それが、天井に届きそうなほど積み上がっている。


「……あー。悪い、それな」


背後から声がした。振り返ると、若い騎士が気まずそうに頭を掻いていた。

茶色の短い髪に、丸い犬の耳。まだ十七、八といったところだろうか。


「前の下働きが辞めてから、ずっとそのままでさ。俺たちも交代でやってたんだけど、討伐が続いて……」

「大丈夫です。私の仕事ですから」

「いや、一人じゃ無理だって。俺、今日は非番だから手伝うよ。テオっていうんだ」


テオさんはそう言って、腕まくりをした。

騎士が洗濯を手伝うなんて、と驚いたけれど、彼は当たり前のような顔をしている。


「団長がさ、こういうの嫌がるんだよ。誰かに全部押し付けるの」


……そうなのか。

昨夜の、あの穏やかな声を思い出した。


  ◇


まずは仕分けからだった。


衣服と、包帯と、それ以外。

包帯は、汚れの具合でさらに分ける。


「なあ、ミラさん。包帯は普通に洗えばいいんじゃないの?」

「血のついたものは、一度煮てから洗ったほうがいいんです」

「煮る?」

「はい。そうすると、次に使ったとき、傷が膿みにくくなるので」


テオさんは目を丸くした。


「それ、どこで習ったの?」

「……さあ。気づいたら、知っていました」


正直に答えると、テオさんは「へえ」と首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。


大鍋で湯を沸かし、包帯を煮る。

灰を溶かした水で衣服を揉み洗いする。

すすいで、絞って、風の通る場所に干す。


単純な作業の繰り返し。

けれど、手を動かしていると不思議と気持ちが落ち着いた。


ふと気づくと、洗濯場の入り口に人が増えていた。


「テオ、何やってんだお前」

「見りゃわかるだろ、洗濯だよ。お前らも暇なら手伝え」


そう言われて、渋々という顔で入ってきた騎士が二人、三人。

最初はぎこちなかったけれど、私が絞り方や干し方を伝えると、彼らは黙ってその通りにやってくれた。


「……なあ、これ、思ったより早く終わるんじゃないか」

「分けてからやると全然違うな」


日が傾く頃には、あの山は半分以下になっていた。


物干し場に並んだ白い包帯が、夕日を受けて揺れている。

騎士の誰かが、ぽつりと言った。


「包帯って、こんなに白かったんだな」


  ◇


その夜。

夕食の片付けを終えた私のもとに、団長がやってきた。


「ミラ殿。少し、いいだろうか」

「はい」


団長は厨房の入り口で足を止め、中に入ってこなかった。

女性が一人でいる場所に、断りなく踏み込まない。そういう人なのだと、なんとなくわかった。


「今日、洗濯場を手伝った者たちから話を聞いた。包帯を煮沸していると」

「はい。勝手に薪を使ってしまって、申し訳——」

「謝らないでほしい」


団長は静かに首を振った。


「実は先月、傷が膿んで熱を出した部下が三人いた。うち一人は、まだ寝込んでいる」


私は息を呑んだ。


「軍医はいるが、手が回っていない。包帯のことまで、誰も気にしていなかった。……私の落ち度だ」


団長は、私に向かって深く頭を下げた。


「ありがとう。君のおかげで、助かる者がいるかもしれない」


騎士団長が、下働きの娘に頭を下げている。

どうしていいかわからず、私はただ首を振った。


「わ、私は、当たり前のことをしただけで」

「その当たり前に、誰も気づけなかったんだ」


顔を上げた団長は、少しだけ笑っていた。

傷痕の残る頬が、ほんのわずかに和らぐ。


初めて見る表情だった。


「寝込んでいる部下……エリクというんだが、咳が止まらなくて困っている。もし何か、知っていることがあれば」

「……裏の斜面に、咳止めになる草が生えているのを見ました。乾かせば使えると思います」

「本当か」

「ただ、お医者様に確かめていただいてからのほうが」

「わかった。明日、軍医と一緒に見てもらえるか」


はい、と頷くと、団長はもう一度「ありがとう」と言った。


扉の前で、彼は振り返る。


「それと——今日は、ちゃんと早く休んでくれ。昨日のお願いを、聞いてもらえなかったようだから」


少しだけ、責めるような、困ったような声。

私は思わず小さく笑ってしまった。


「……はい。今日は、ちゃんと」


  ◇


同じ頃。

遠く離れた王都の、ロウェル商会。


「おい、先月の仕入れ帳簿はどこだ!」


父の怒鳴り声が、事務所に響いていた。


「旦那様、それが……毎月の帳簿は、ミラお嬢様がまとめておられたので……」

「なに?」

「取引先ごとの支払い期日も、在庫の数も、全部お嬢様が管理を……」


父の顔から、血の気が引いていく。


机の上には、未整理の請求書が積み上がっていた。

その中の一通——取引先からの、支払い遅延を咎める手紙が、ひらりと床に落ちた。

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