雪の日の来訪者
その朝、砦は白い雪に包まれていた。
窓の外を見ると、門の前に何台もの荷馬車が並んでいる。幌に積もった雪を、御者たちが払い落としていた。
「冬の補給だ」
厨房に顔を出したテオさんが、手をこすりながら言った。
「年に二回、王都から食料と物資が届くんだよ。これがないと冬を越せない」
「あんなにたくさん……」
「まあ、毎回ちょっと足りないんだけどな。仕方ないって団長も言ってる」
ちょっと足りない。
その言葉が、なぜか少しだけ引っかかった。
◇
荷下ろしは、騎士総出の作業だった。
私は食料庫の入り口で、運び込まれる荷を棚に振り分ける係を任された。
麦の袋はこちら。塩は湿気ないように奥へ。干し肉と燻製は風通しのいい棚へ。
運ばれてくる袋の数を、なんとなく数えていた。
数えるつもりはなかったのだが、テオさんの言った「ちょっと足りない」がやっぱり気になってしまって。
麦、百二十袋。
塩、三十樽。
干し肉、八十束。
荷下ろしが終わる頃、中庭に一人の男が現れた。
上等な毛皮の外套に、よく磨かれた革靴。この雪の中で、まるで王都の舞踏会にでも行くような格好だ。
丸々とした体つきに、小さな豚の耳。
「やあやあ、グレイ団長。今年も無事にお届けしましたぞ」
「ご苦労だった、ギルバート補給官」
団長が出迎える。
ギルバート補給官は、ぺらりと一枚の書類を差し出した。
「こちらが目録です。いつものように、署名を」
団長が書類を受け取り、目を通す。
私は少し離れたところから、その様子を見ていた。
そして、気づいてしまった。
◇
「……あの」
声が出てしまってから、しまった、と思った。
中庭にいた全員の視線が、私に集まる。
ギルバート補給官が、怪訝そうに眉をひそめた。鼻をひくりと動かして、露骨に顔をしかめる。
「なんだね、この娘は。……匂いがせんな。気味の悪い」
団長の耳が、ぴくりと動いた。
「彼女は砦の大切な働き手だ。言葉を慎んでもらいたい」
静かな声だった。
けれど、周りにいた騎士たちが、一斉に背筋を伸ばしたのがわかった。
ギルバート補給官は一瞬たじろぎ、咳払いをして取り繕う。
団長は私に向き直った。
「ミラ殿。何か気づいたことがあるなら、聞かせてほしい」
その目は、まっすぐだった。
疑うでもなく、試すでもなく。ただ、私の言葉を待っている。
私は小さく息を吸った。
「申し訳ありません。荷を棚に入れながら、数を数えていたのですが……」
目録には、麦百五十袋、塩四十樽、干し肉百束と書かれていた。
「実際に届いたのは、麦が百二十、塩が三十、干し肉が八十でした」
中庭が、しんと静まり返った。
「な、何を馬鹿な!」
ギルバート補給官の顔が、みるみる赤くなる。
「荷馬車の数を見ればわかるだろう! 小娘が適当なことを——」
「では、確かめよう」
団長が言った。声を荒らげるでもなく、淡々と。
「テオ。手の空いている者を集めて、食料庫の荷を数え直してくれ。補給官殿にも立ち会っていただく」
「はっ!」
◇
結果は、私が数えた通りだった。
食料庫の前で、ギルバート補給官は青い顔で立ち尽くしていた。
団長は目録を手に、静かに彼を見下ろしている。
「説明していただけるだろうか」
「こ、これは……その、手違いで……」
「テオから聞いた。毎回、少しずつ足りないと。私はそれを、輸送中の損耗だと思っていた」
団長は目録を折りたたんだ。
「私の確認が甘かった。それは認める。だが、これは手違いでは済まない量だ」
補給官の額から、汗が流れ落ちる。
「ち、違うのです! 今年は、納入元の商会が約束の量を揃えられず……それで、帳尻を……」
「納入元?」
「ロウェル商会です! あそこが、今年はどうにも手際が悪くて……」
——ロウェル。
心臓が、どくりと鳴った。
補給官が慌てて差し出した納品書。
その隅に押された印章を、私はよく知っていた。
狐の横顔を象った、父の商会の紋章。
去年までは、私が帳簿をつけていた取引だ。
冬の補給は大口だから、半年前から麦の買い付けを分散させて、価格が上がる前に押さえて——毎年、そうしていた。
私がいなくなって、それをする人がいなかったのだ。
「……ミラ殿?」
団長の声に、はっと顔を上げる。
灰色の瞳が、心配そうに私を見ていた。
「顔色が悪い。大丈夫か」
「……はい。大丈夫です」
うまく笑えたかどうか、自信はなかった。
◇
ギルバート補給官は、不足分の補填と、王都への報告を約束させられて帰っていった。
団長は騎士団の名で、正式な抗議の書状を書くという。
その日の夜。
いつものようにお茶を持って執務室を訪ねると、団長はペンを置いて立ち上がった。
「ミラ殿。今日のこと、改めて礼を言わせてほしい」
「いえ、私はただ、数えただけで」
「その『ただ』で、この冬を越せる騎士が何人も増えた」
団長は、私の手からそっと盆を受け取った。
「それから……ロウェル商会は、君の家だったな」
私は小さく頷いた。
「すまない。補給官を問い詰めることが、君の家を責めることになるとは、あの時気づかなかった」
「団長が謝ることではありません」
本当に、そう思った。
悪いのは補給官で、手を抜いたのは商会だ。団長は、自分の部下を守っただけ。
それでも、この人は謝るのだ。
相手の気持ちを、置き去りにしないために。
「……家のことは、もう私には関係ありませんから」
そう言うと、団長は何かを言いかけて、口を閉じた。
しばらくの沈黙のあと、静かに言う。
「ミラ殿。一つ、頼みがある」
「はい」
「今後、補給物資の受け入れと、食料庫の管理を、正式に君に任せたい」
私は目を瞬かせた。
「わ、私にですか? でも、私は下働きで……」
「肩書きは関係ない。今日、一番正確に物を見ていたのは君だった」
団長は、まっすぐに私を見た。
「もちろん、無理にとは言わない。君が嫌なら断ってくれていい。ただ、私は君に任せたいと思っている」
断ってくれていい、と。
命令すればいいだけの立場の人が、そう言う。
胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
「……お引き受けします」
「ありがとう」
団長は、ほっとしたように笑った。
それから、少しだけ声を落として付け加える。
「それと——今日、あの補給官が君に言ったことは、気にしなくていい」
匂いがせんな。気味の悪い。
慣れているはずの言葉だった。
けれど団長は、それを覚えていて、わざわざ言ってくれたのだ。
「私には、匂いはわからない。だが——」
団長は、少しだけ言葉を探すように視線を落とした。
「君がこの砦に来てから、ここは温かくなった。それは、匂いがなくてもわかる」
何も言えなかった。
ただ、目の奥が熱くなるのを、必死にこらえた。
「……おやすみなさいませ、団長」
「ああ。おやすみ、ミラ殿」
扉を閉めて、私は廊下の壁にもたれた。
窓の外では、まだ雪が降り続いている。
けれど、少しも寒くなかった。
◇
数日後。王都、ロウェル商会。
「北方騎士団から、正式な抗議文だと……!?」
父は、震える手で一通の書状を握りしめていた。
騎士団長ルーカス・グレイの署名と、王家の紋章の入った封蝋。
「今後の取引は、すべて見直すとのことです。それから……補給官のギルバート殿が、我が商会に責任があると証言を……」
「なんということだ……」
番頭の言葉に、父は椅子に崩れ落ちた。
騎士団への納入は、商会の売り上げの三割を占める大口取引だった。
「ジゼルは! ジゼルは帳簿を見られんのか!」
「お嬢様は……クラウス様とお出かけに……」
父は額を押さえた。
脳裏に浮かぶのは、毎晩遅くまで事務所の灯りの下で帳簿をつけていた、匂いのない娘の背中。
一度も、礼を言ったことはなかった。




