3話、弟の抵抗と兄の思い
薬師が来た翌日、朝の玄関前にて。
「兄上、そこをどいてください。遅れてしまうじゃないですか」
「駄目だ、寝てろと言っただろう!」
「寝てろって、私は元気ですよ、ほら! 薬だってちゃんと飲みましたし、何が問題なんですか」
「ダメなのはダメだ」
吉野とそんな押し問答を繰り返す。
俺は今、玄関まで歩いてきた弟を、扉の前に立ち足止めをしていた。
吉野は任務の時にはよく着ている藍色の着物を纏い、薄茶の書類がいくつも入りそうな程の大きな肩掛けカバンを肩から提げていた。通せんぼをする俺にオロオロと、上目遣いで見上げてくる。その顔は何をしているのだと不満そうだ。
「兄上、どいてください。今日は人と一緒なんです、本当に間に合わなくなります!」
左右に足踏みしながらどうにかして外に出たそうにするが、俺は容赦なく道を塞ぐ。行かせるわけにはいかない。俺は動く吉野の肩に両手を置くと、ぐっとその場に押さえつけた。
「間に合わなくていい、先方にはこちらから断りの連絡を入れる。安心しろ、俺の名前を出すからお前の名に傷はつかん」
「そ、そういう問題じゃ、あ、兄上!」
振り切ろうとしているのか、吉野もがしりと両腕に掴みかかってくるが、俺は気にせず指先に霊力を集めた。掴んでいた片手を離し、玄関の扉に人差し指を向ければ、ガチャリと鍵のかかった音が聞こえる。玄関扉には薄く黄金の光の幕が張られており、それを見た吉野はギョッとしたように肩を振るわせた。
「な! 結界を張ったんですか! どういうつもりですか!」
「出さんと言っただろ。部屋に戻れ吉野」
「いくらなんでもこれは、あんまりですよ……そこまでするなら、私にも考えがあります」
吉野はわなわなと肩を震わせながら言うと、顔を伏せた。俺と吉野に身長差はあまりなく、指三本程度だけ吉野の方が低いくらいだが、顔が見えなくなる。
「そういうつもりなら……フン!」
「ぐは! よ、……しの、なにを……」
ばちんと全身に電撃のような衝撃が走った。体が動かず、ひやりと背中を汗が伝う。指一本も動かせない。まさか、と弟を見据えた。
これは、相手の動きを封じる呪縛の術だ。
吉野がするりと俺の腕から抜け出していく。
「ふぅー……兄上こそ、そこで大人しくしててください。信用問題に関わりますよ、私たち呪奏者は、依頼人との信頼関係が大事なんですから。では……あ、三分くらいしたら解けるので。それでは、行って参ります」
そう言うと吉野は着物の襟を直しながら玄関の方に向かった。
術のせいで振り返れない俺は、背後で結界が弾ける音を聞く。
勝手に外を出ないように強めの結界を張ったのに! 吉野の方が上手だったか。
吉野と俺は共に東地区を収める呪奏者だが、霊力に関しては吉野は際立って優れていた。現役の呪奏者の中では一、二を争うだろう。だが、俺とてこの東地区の長。術の扱いはそこらの呪奏者とは引けを取らないはずなのだが、複雑に編んだ結界をこうもいとも簡単に破られるとは思わなかった。
「よ、吉野……まて……」
「兄上こそ休んでくださいね? 昨日から変ですよ」
休むべきなのはお前なんだと、振り返って捕まえたいのに体は言うことを聞かない。
ガラリと玄関の引き戸が動く音が聞こえると、吉野の気配は遠ざかっていった。
外では雀の鳴き声が響き、鼓膜を突く。それが屋敷の静けさを強調させた。
体は動かない。三分と言っていたか?
早く追いかけないといけないのに。吉野が術を使ってしまったら……?
解けるのを待っていたら、どんどん遠くに行ってしまう。
ぐっと指先に力を込めると、今度はゆっくりと握り込む。動けと念じながら、胸の中心にある霊核という場所から霊力を引き摺り出し、全身へと巡らせた。霊力が、血管のように体中に張り巡らされている霊脈を通り広がっていくごとに、ちりちりとくすぐられる感覚を肌の内側で感じる。
「……あと少し」
少しずつ、吉野の術を紐解いていく。指先の感覚を完全に取り戻した時、腹に一段と力を込めた。
張り詰めていた糸が切れるかの如く、ぶつりと術が破れる音が聞こえる。どっと疲れが押し寄せ、ふらりと膝をつきそうになった。
「はあ……はあ、やっと、動けた。兄に呪縛の術を使うとは、なんて弟だ吉野め。ああ、頭も痛くなってきた……まったく。あいつの今日の任務はなんだ? 東地区の五ノ町の祠だったか……この頃の吉野は各地を回っていたはず……縮地の術で先回りすれば間に合うか!」
無理やり術を解いた反動でがくがくと関節が震えるが、立ち止まっている暇はない。結界の張り直しや封印術といった類は霊核の内側にある霊力を多く引き摺り出す。今の吉野が少しでも霊核に負担の掛かる術を使えばどうなることか。
高等術を使わせるのだけは阻止しなければ。昨日だって任務で術を使っている。こんな短期間で何度も使用すれば、脆くなっている霊核にヒビが入りかねない。
きっと吉野は、着いたら下調べをするだろう。
その間に俺が全てを終わらせておけば。
脱力感に見舞われながらも、弟のためにと自身を奮い立たせ外に飛び出した。




