2話、決意は固く
屋敷に着くなり俺は吉野を部屋で休ませた八畳程度の少しゆとりのある和室。
いきなり布団の上に寝かされた吉野は、戸惑いの表情を浮かべていた。
程なくして薬師が現れ、弟の体をくまなく調べさせた。
薬師は老年の男性で、手際よく吉野の体に触れていく。布団の上で体を起こしている吉野は診察中、気不味そうな表情で俺と薬師を何度も見遣っていた。
吉野の腕には銀の腕輪型の霊測計が巻かれ、腕輪の周囲を小さな星のような光が浮かぶ。ただの装飾具に見えるが、この装置で体内を巡る霊力の流れを見ることができるのだ。光は時々白く輝き、薬師は色が変わる時間感覚を測るとメモに記していく。
「ふむふむ……」
「あの薬師様、兄がすみません……突然。兄上、私はどこも悪くありませんよ? 薬師様だって困惑してらっしゃるでしょうに。ねえ?」
「黙ってくれ吉野、お前は静かに診察を受けていればいいんだ!」
「え、ええ……?」
つい語気を強めてしまった。吉野は突然の大声に目を丸くしている。
「葛城様、落ち着いてくださいな」
「! どうだ、薬師よ。吉野の霊核に異常は……⁉︎」
「……調べましたが、霊力循環に異常はありませぬな。疲労が溜まったのでしょう」
薬師の言葉に目を見張る。
「そんなはずはない! こんなにも顔色が悪いじゃないか! 先程だって、吉野は頭を押さえていて」
「兄上、落ち着いて……すみません薬師様。兄上、最近依頼続きでしたから、疲れているだけですよ。ほら昨日も一昨日も、結界の張り直し作業がありましたし」
「ただの過労だとでも言いたいのか、吉野!」
「葛城様、落ち着いてくだされ。特に悪いところは見つからぬのです。私は薬師であると同時に霊癒者でもありますゆえ、吉野様の霊力の波長も調べましたが、そちらも異常はございませぬ。眩暈がすると仰いましたが、お仕事の状況をお伺いするに、過労でしょう……。診たところ悪いところはございませんよ、葛城様」
「そ、んな、わけが……!」
思わず薬師に掴みかかろうとしたところを吉野に止められる。
「兄上!」
「……ちゃんと、診たのか……そんなはずは」
過労だと? そんなわけがあるか。あの時、ただ疲労が溜まっただけだと言って放っておいたらどうなった?
霊力の循環に問題がない……? 霊核は? なぜ薬師は異常を察知しない?
もっと霊核を調べろ。ひび割れはないか、漏れ出している霊力はないか、くまなく調べ上げろ。そう言いたいが、吉野の腕にある計測器は異常がないことを先程から告げている。
どうすればいい。
今のうちから手を打っておけば、もしかしたら崩壊を食い止めることができるんじゃないのか。
焦る気持ちだけが高まっていく。
「兄上、大丈夫ですよ。薬師様、今日は忙しい中時間を作ってくださりありがとうございます。兄上、私は大丈夫だから。今日は休んで明日からの任務に備えるよ、だから」
「明日からの任務……? 駄目だ、行かせない」
「それこそ駄目ですよ兄上⁉︎ 本当にどうしちゃったんですか……?」
「葛城様、吉野様。ご心配であれば霊力循環を補助するお薬を出しておきましょう。巡りが良くなれば疲労感も薄まりましょう」
「申し訳ございません、薬師様。助かります」
薬師はとりあえず一週間はこの薬で様子を見るよう言い、屋敷を後にした。
門の前まで吉野と二人で彼を見送りに行き、薬師の姿が見えなくなった後、吉野が口を開いた。
「もう兄上、薬師様にご無理をさせてはいけませんよ。いきなり呼びつけるなんて」
「吉野……お前は」
「本当、どうされたんですか。そうだ、きっと兄上も疲れてるんですね。今日はもう何もしないでゆっくりしましょうよ。そうだ、今日は満月ですし、今晩は月でも眺めますか?」
吉野が優しく笑いかけて言う。
お前の霊核は悲鳴をあげている。霊核が崩れてお前は死んでしまうんだと、そう言えたのなら。
……言えばお前はどうする?
大人しく休んでいてくれるのか? それともお前は今のうちにと思い、体に鞭打って任務に出ていってしまうのか。
時を遡るのは呪奏者の中でも禁忌とされている行為……俺は殺されてもいい。だがもし吉野にまで影響が及んだら……?
誰にも未来から来たことは明かせない。
時を遡る術は大罪だ。
吉野が亡くなって約一年、書庫の整理をしていた時、保管していた術具に触れ過去に戻ってきてしまった。自分の意思で戻ったのではないとしても、術の発動自体が禁止されている。他の呪奏者や上層部にバレれば、過去の改変を目論んだとして捕縛され俺が処刑されるのは間違いない。
「兄上? 本当に今日はなんだかおかしいですよ。さ、早く部屋に戻りましょう。お茶を淹れてきます」
「……っ、いらん。俺が持っていくから、お前は部屋で待っていろ」
「え? はいはい」
肩をすくめて返事をする吉野。
今ならまだ間に合うのか。試すなら今の段階で取り掛かるべきだ。
死の間際、吉野は辛い病状に耐えながらも『霊核崩壊』の病について調べていた。その際、吉野が見当を付けた薬についても探る必要があるだろう。他の誰にも疑われずに。
過去に遡るつもりはなかった……だが、ここに来たからには、二度もお前を失うわけにはいかない。お前は俺が必ず助ける。
足を踏み出す度、床板が軋んだ音を奏でる。
『……おさらばです……兄上、これで』
震え掠れた声で紡がれた吉野の最後の言葉。
己がどうなろうと、もうあの言葉は口にさせない。
あの日、命の灯火が消えた弟を思い出しながら、胸の内で誓った。




