1話、死んだはずの弟
「兄上? 何を見ておいでですか?」
「……な、なぜ……ここに……」
愕然と目の前の青年を見て呟いた。
「ん? どうしたんですか、兄上。そんな浮かない顔で。え、もしかして私に何かついてますか?」
俺を兄と呼んだ彼は、短い灰色がかった茶色の髪を揺らしながら、これまた色素の薄い瞳で自身の瑠璃色の着物をぐるりと眺め始めた。やがて髪の毛を雑に払い始めた姿を見ながら、俺はあることを思い浮かべる。
(拝啓、魂の円環の狭間にいるはずの我が弟へ。兄は禁忌を犯してしまったようだ……)
と、そんな手紙を心の中で亡き弟の吉野に宛てた。
弟は、霊核崩壊の病で死んだはずだった――。
◇◇◇
「いやぁ、今回も葛城様と吉野様のおかげで、穢れが大きくなる前に阻止できて何よりでございましたわあ! さすがお二人は呪奏者、仕事が早いですな!」
がははと豪快に笑う中年の小太りの男が喋っているが、話は何も頭に入ってこなかった。
呪奏者とは、この常世の霊力バランスを保つ守護者のような役割を担う者のことを言う。
なぜ死んだはずの弟がいる?
着物の中を、汗がだらだらと伝う。
「や、矢舞吹殿、兄上が……」
「あああ! すまんすまん! 久方ぶりに会えたから嬉しくてだなあ! すまんな、葛城様!」
ばんばんと手で背中を打ち付けられる。
今し方笑いながら背中を叩いてきた男は矢舞吹と呼ばれ、この東地区の中心部で咲く千年大桜を管理している、この常世では名のある盟主の一人。
何故か死んだはずの弟が心配そうに俺の顔を覗き込んでくるが、それを気にしている余裕はない。一刻も早く家に戻りたいという思いが思考を支配し、彼らの会話など耳に入ってこなかった。
「兄上。大丈夫ですか……? では矢舞吹殿、我々はこれで。本件については、また後ほど書面をお送りします」
「ああ、吉野様も足止めしてすまんかったな! そうだ、葛城様。いい店を見つけましてなあ、今度お時間ある時に是非、いかがですかな」
「……」
「……兄上」
「……あ、ああ。その時は是非とも」
弟に小突かれて、慌てて返事をする。
困ったような表情の吉野の顔は、ただ懐かしく胸が苦しくなるだけだった。
吉野と二人、矢舞吹の元を去ると家路に着く。隣を歩く弟の横顔を見るが、不気味なほど穏やかな表情を浮かべていた。
なぜ……吉野はあの日俺の腕の中で……いや、吉野がおかしいんじゃない、おかしいのは俺だ。
先程からずっと生暖かい風にさらされ続けているかの如く気分が悪い。
この光景もなんとなく覚えがある。
今いるのは、過去なのだ。
矢舞吹からの依頼は記憶にあった。最後に吉野と二人で請け負った依頼だ。東地区には永遠に狂い咲く桜の大木があり、その根元に穢れがついた為、祓って欲しいという依頼であった。
「兄上、さっきから変ですよ? 具合でも悪いんですか?」
吉野が怪訝そうに尋ねてくる。
具合が悪いのはお前だろう……そう言いたいのをぐっと堪えて飲み込んだ。
弟はこの依頼を境に体調を崩すようになった。始めは眩暈からで、それがだんだんと酷くなり、ついには全身の痛みを訴え立てなくなった。
生命活動に必要な霊核が崩れて死ぬなんて、この頃は思いもしなかった。
まだ、間に合うのか。
今だって弟は時々こめかみ揉んでいたりで、不調とまで行かずとも疲労は感じているのだろう。
「俺は……問題ない。吉野、帰ったら薬師を呼ぶ。部屋で寝て待っていろ」
「ええ! 兄上、そんなにお加減がすぐれないんですか! どこかで休んでから帰りましょうか。庁舎に届いている報告書は、私が後で見ておきますよ」
「違う、俺じゃない。とりあえず帰るぞ、吉野」
「は、はい……?」
ぱちぱちと瞬きし戸惑う吉野を横目に、少し早歩きに家を目指した。
夢なら夢でいい。今ならまだ、助かるかもしれない。
霊核の崩壊による苦痛は、弟の心も身体も酷く蝕んでいった。
二度とそんな思いはさせてなるものか。
指先に体内を巡る霊力を集めると、黄金の光の蝶を形作る。
薬師にすぐに屋敷に来るよう蝶に声を吹き込むと、伝令を飛ばした。




