第九十五話 幻想地獄郷 上
グラたん「第九十五話……です!」
月面での戦いから一週間後。月面の清掃と城下町の復興も終わり、メンタたちは飛空艇に乗り込んで幻想郷へ帰還しようとしていた。
「この景色も見納めですねぇ」
飛空艇は月面の傍に止めてあり、その周囲には豊姫を初めとした兎兵士たちが敬礼していた。月面の外を見てみるとメンタたちの地球が見えており、魔理沙もちょっと意外そうにメンタを窘めた。
「感傷か? らしくもない」
「地球を外から眺めるのは初めてだったんです。中身アレでも外は綺麗ですからねー」
確かに、と紫や早苗たちも頷く。
「紫外線怖いですよねー」
「肌荒れもありますし」
「うんうん」
「何か激しく違うと思う」
霊夢の突っ込みに苦笑いしつつ、メンタは豊姫たちの方へと振り返った。
「ま、それはそれで置いておき、帰りましょう!」
豊姫の傍には依姫もおり、パルに抱き付いたまま離れようとしていない。
「うー……」
「我慢しなさい。肉体を持った貴方が現状のまま幻想郷に降りたら大変なことになるから」
第一次幻月大戦の記憶はまだ新しく、依姫に殺された住民や妖怪は多い。霊体で付いていったとしてもいずれはバレてしまうためしばらく時間を置いた方が良いだろうという結論が出ていた。
「そうだよ、お姉ちゃん。それにボクも約束があるし」
「それは分かってるけど……」
時間にして15年。それだけ待てば人間も代替わりをするし妖怪も大抵は忘れる。
「船の準備出来ましたよー!」
「乗って」
村紗の声がスピーカーから響き、ぬえも準備万端を告げた。
「物資の積み込み終了しました。皆さん、そろそろ」
白蓮も艦内から姿を見せて合図し、パルたちは飛空艇に乗り込んでいく。
「それじゃお姉ちゃん、一年後にね」
「……うん」
「最後に、ぎゅー!」
依姫が離れた頃合いを見計らってパルは一瞬だけ抱擁して離れ、手を振って艦内に入っていく。
「やっぱり僕も行くー!」
「ええい!? 余計なことをして!」
窓からは依姫が神纏いをして抵抗しており、その身体には神でも動けない光の鎖が巻き付いている。
「全員乗りましたね? では、発艦!」
「航路、幻想郷!」
『イエッサー!』
村紗たちも依姫が追いかけて来ない内に、と飛空艇を飛翔させ、月面から飛び立った。
更に数日後。帰還は急ぐ必要が無かったため、のんびりと航海して幻想郷をめぐり、守矢神社付近に着陸した。荷物は紫が先に送っているため後は帰るだけだ。
メンタたちは博麗神社に降り立つと無重力に慣れてきたせいか少しだけ体が重く感じたが大きく背伸びをして全身で日光を浴びた。
「イエス! 帰ってきました!」
今日帰ってくるとの知らせを受けて理事長が迎えに来ており、枢とシンは陰陽寺院に帰る予定だ。
「無事に終わったようだな。枢、シン、ご苦労だった」
「ええ」
「うん」
霊夢は寂れた博麗神社を見渡し、一つ唸った。
「とりあえず――」
「ですね」
メンタもそれに同意して急いで箒とバケツを取りに向かった。
同刻。守矢神社に帰ってきた早苗たちもそのありように仰天し、全員が息を飲んだ。
「……帰ってきたんですよね?」
「そう思いたいね」
「うん」
「……ああ……」
スルトは一番思い当たる節があり、その様子を察して早苗は尋ねた。
「……何でこうなっているんですか?」
「すまん、余のミスだ」
スルトとて完璧な超人ではない。あまりミスはしないがやらかす時は盛大にしてしまう運命にある。
「今日は大掃除だな」
「はい!」
守矢神社は枯れ葉と埃にまみれていた。
「いや、待て……時差一か月だと……」
スルトは、ふと何かを思い出したように呟いていた。
それは紅魔館に戻ってきたレミリアたちも同様だ。
「戻って来たわね……」
「うん!」
「今回は短い旅だったからあんまり代わり映えしませんね」
「いいえ。変わった物はあります」
咲夜の言葉にパルは何か変わっただろうか、と首を傾げた。
「へ?」
咲夜は空間から遺影をそっと取り出し、レミリアは痛ましそうに視線を逸らして呟いた。
「そうね……よくやったわ、パチュリー」
「レミリア様、後ろ後ろ」
「ええ、勝手に殺さないでくれる?」
同じく知らされていたパチュリーが町の図書館から帰り、レミリアの背後に立っていた。
「まさか……そんな……」
「……本当、貴方たちだけは忘れそうにもならないわね」
若干の呆れと嘆きを交えて呟き、門を開いていく。
紅魔館に一歩入るとそこは鬱蒼とした茂みになっており、綺麗に整えられた庭園は姿を消していた。
「……こ、これは?」
「えええええ!?」
「ああ、言い忘れていたわね」
紅魔館の内部も酷く埃が溜まっており、ガラスも雨風に晒されて曇っている。所々にクモの巣も見受けられ、破壊跡は無いことから強盗は入っていないと判断出来たが、一週間でここまで酷いことになるだろうか、と咲夜は思う。
「パチェ、これは一体何があったのですか?」
「咲夜、宇宙観測理論というものを知ってるかしら?」
「いいえ?」
「簡単に言えば浦島太郎現象よ。貴方たちが幻想郷から月に行き、滞在していたのが一週間だったわね。残念だけど幻想郷では一か月の時間が経過しているの」
幻想郷でも割と有名な童話を例えにされれば流石に理解出来、唖然としつつもう一度紅魔館を見上げた。
「いち……」
「かげつ……」
逆に言えばパチュリーも一か月放置されていたことに他ならないが、どうやってか生き延びていたようだ。
咲夜は納得した素振りを見せ、パルたちの方に振り返った。
「……なるほど。……パル、レリミア、美鈴」
「はい」
「はい」
「名前で呼ばれた!」
「可能な限り今日中に掃除します。最低でも外部から見ても大丈夫なくらいにはします。美鈴は門番しながら草むしり、パルは能力を使用してロビーの掃除と窓ふき、レリミアは外壁の修理と壁の修理、私は全部屋の掃除を慣行します。申し訳ございませんがお嬢様方は居間で待機願います」
はたしてそれは一日で終わるのだろうか、とレリミアは思う。
玄関まで歩くと足元に転移魔法陣が出現し、スルトが現れた。
「すまぬが、パルは借りていくぞ」
その声色はやや焦りを含んでおり、何かやらかしたようだ、と咲夜は思った。
「スルトさん!?」
「代わりに紅魔館を丸ごとリフォームし、借金もチャラにする」
そんな魅惑的現金な提案に紅魔の主が黙っていられるわけもなく。
「乗ったわ!」
「お嬢様!?」
即決で決まり、スルトはゲートを開いてパルに手を差し伸べた。
「うむ。パルも良いな?」
「えっと……あ、例の件ですね」
何のことだろう、と咲夜は思ったがそれを言う余裕もないのかパルをゲートに入れて指先を紅魔館に向けた。
「そうだ。詳しい事は後で紫が説明してくれる」
魔法陣が一つ発動し、スルトもゲートに入って姿が見えなくなった。
――幻想郷の時間はそこで一度停止した。
時間停止の能力者である咲夜や博麗の巫女である霊夢、魔理沙、早苗――引いては神以外の全ての生物が微動だにしない。
諏訪子たちは後にこのことを知らされ、一度神界へ戻った。
これは事変の始まりであり――
止まっていた時間が動き出して彼女たちは動き出した。
「あ、紅魔館ピカピカー」
振り返ると雑草やら埃まみれだった紅魔館が新築同然のように輝いており、フランがはしゃいで玄関の扉を押し開けた。
続いて咲夜も違和感を感じることなく、夕食をどうしようかと悩みながら紅魔館へと入っていく。
何一つおかしくない今日が続いていく。
強いてあげるならば、やや草や花が成長したり、曇の模様が違うくらいか。
しかし幻想郷は平穏だ。雲の形が少し違うくらいで人は驚いたりしない。
さて、博麗神社に戻ってみよう。
次の日。今日も枯れ葉の掃除を頑張って終わらせ、居間でゴロリと寝っ転がった霊夢はボケーっと天井を見上げていた。
思うならば疲れた、喉乾いたとかそんな他愛のない事ばかりだ。
「霊夢さん、お茶入りましたよー」
お茶を淹れたメンタがお盆に湯飲みを乗せて居間へとやってくる。コトリ、と音を立てて湯飲みがテーブルに置かれ、お茶請けの煎餅が出てくる。
「ん、貰ってあげるわ」
お茶を手にして一口飲み、霊夢はちょっと視線を上げた。
「んん? メンタ、あんた――ちょっと背、伸びた?」
「へ? 急にどうしたんですか?」
赤い髪の毛に赤い目。改造陰陽服に袖を通して向かい側に座っているのは紛れもないメンタだ。しかし、霊夢の目には何故だかメンタが違う人間のように見えた。
それは一瞬の事であり、瞬きすると確かにメンタの姿がそこにあった。
「うーん? 気のせいかしら?」
「久しぶりに働いて疲れたんでしょうね。はい、醤油煎餅です」
「ありがと」
何度見てもメンタはメンタだ。やはり気のせいか、と霊夢は思いなおして煎餅を齧る。
ふと外を見ると秋風が吹き、緑色の葉も落ち葉へ変わろうとしていた。
その夜。霊夢が寝静まった頃、メンタは今日起きた出来事を思い出していた。
昼間。箒とバケツを取りに行ったメンタは掃除用具を取り出して、お堂の裏手の蛇口からバケツに水を入れていた。
「今日も良い天気ですねー。掃除を頑張りましょう!」
バケツとモップを持ってお堂に入り、小一時間ほどで部屋と仏壇を綺麗にし終え、汚くなった水を持ってお堂の階段を降り――
「うわっとぅ!?」
メンタにしては珍しく足をもつれさせてしまい、派手に転んで水を零した。
幸いにもメンタ自身は濡れずに済み、とっさに浮遊したことで怪我をせずに済んでいた。
「うわぁ……オレらしくない失態です……」
疲れていても線がズレたり原稿にコーヒーをぶちまけたりしないのに今回は油断しました、とメンタは思いつつ立ち上がろうとすると変な隙間――正確にはお堂の階段の下に入れそうな空間があることに気付いた。
「あれ? これは……」
試しに階段を一段外してみると小さな四角いくぼみがあった。その奥には階段らしきものが見え、階段を元に戻して今度はお堂の床を外してみる。
予想は外れて何もなく首を傾げると視界に仏壇が見えた。もしや、と思って仏壇を横にずらして床を剥がしてみると竜の王様が居そうな階段があった。
明かりの術符で周囲を照らしてみると階段は下に続いているようだった。
「……ここに来てもう半年になりますが、まだこんなギミックがあったとは知りませんでした。せっかくなのでレッツゴーです!」
興味本位で階段を降りてみると思っていたよりも長かった。
「長い螺旋階段ですね……」
徒歩10分くらいだろうか。ようやく階段が終わって終着点に付くと目の前には大きな扉があった。上を見てみると念のためにと残してきた明かりが小さく輝いていた。
「今更思いましたが明かりを増やして飛び降りて浮遊すれば良かったんです」
それなら30秒くらいで昇降できるため次はそうしましょうと思い、視線を扉へと向けた。扉自体は石作りになっており蹴破れば開きそうな感じがした。
「……とりあえず、蹴破ってみましょう!」
二度、三度と蹴ってみるが押し開けられる気はしない。四度目になって『引き戸』と小さく書いてあることに気付き、取っ手を引いてみると扉は簡単に開いた。
中に小さな鳥居と古びた御影石があり、仏壇の上には宝珠が置いてある。周囲にはかなり昔の陰陽術で作られた明かりが焚かれている。
「……これ、明らかにヤバイ場所ですね」
「ええ、ある意味危険よ」
フッとメンタは鼻で笑う。
「いい加減慣れてきましたが、このタイミングで来られるとラスボス感がありますよ。はい、『よくぞ来た勇者よ。私の部下になるならば世界の半分と一生遊んで暮らせる財宝をくれてやろう』って言ってくれたらオレは不老不死になって喜んでそっち側に付きますよ」
「そんなことありませんし言いません」
オホン、とメンタは咳払いして真面目な口調で尋ねた。
「……それで、ここは何ですか?」
「――それを知る覚悟はありますか?」
「……一応これでも巫女見習いですし、働かない霊夢さんよりは巫女仕事してますんで知らないのはちょっと不味いと思います」
御影石には博麗と書かれているため集団墓地なのではないか、とメンタは思っている。対して紫は同じく真面目に答えた。
「それで充分です。……ここは博麗の巫女が代々眠りにつく場所。そして博麗大龍神の塒よ」
「ってことは、あの宝珠みたいなのが……ですか?」
「その通りよ。そして博麗大龍神の声はもう聞こえているはずです」
宝珠が輝き、紫の言葉も相まってメンタは最大限の警戒態勢に入った。
やがて宝珠からは一匹の小さな竜の霊体が出てきた。
――これが博麗大龍神ですか。
そして博麗大龍神は、
『よくぞ来た勇者よ、我のために酒を持ってきたなら好きなだけ力を使わせてやるぞ? どうだ、我、超強いぞ? なんなら龍体質にして女の子にモテモテにしてやるぞい?』
超軽いノリで言葉を発した。
「今までの厳かな雰囲気ぶち壊しましたね」
「博麗大龍神は長い年月を眠る合間に地球の様子を見て、今時の若者に染まる傾向があります」
『チョベリバー』
「古っ!? 何世代前の若者ですか!?」
が、よくよく思い返せば神様って確かに快楽とノリで生きている気がする、とメンタは思い返した。
『オホン。ともあれ、よく見つけてくれた。紫もご苦労』
「えっと、紫さん、この状況はどういうことでしょうか?」
「そうね……差し詰めて言えば貴方の方が適任なだけよ」
「適任、ですか? それなら先に霊夢さんに言った方が良いとおもいますが」
『……今代は……な』
「……」
二人の不穏な言葉にメンタは疑問を覚えつつも会話を進展させようと試みる。
「あのー、さっぱり分からないんですけど?」
『次世代の、ちょっと御影石に触りなさい』
「へ?」
博麗大龍神の唐突な言葉にメンタは固まり、戸惑う。
『なに、ちょっと未来を見て貰うだけだ。これが出来たら博麗の巫女の座はお前の物同然だ』
「……ぶっちゃけあんまり要らないんですけど」
そもそも霊夢がまだ生きているのに巫女の座に座るわけにはいかない。年功序列はクソくらえと思っているメンタだが、これでも霊夢から何かを奪うことはしたくなかった。
「メンタ、言いたいことは未来を見た後で全て聞きます。今は触ってみてください」
「良くは分かりませんが……未来ってのはちょっと興味ありますね! 幻想郷に螺腐礼誌暗が咲いているかどうか気になりますし!」
博麗大龍神が目を思いっきり細めて呆れた。
『……やっぱり触らせるの止めようか、紫よ』
「腐経経! もう遅いデス!」
ペタリ、と言いつつ触るとメンタの姿が消え、未来へと飛ばされた。
残された二人は微妙な沈黙の後、先に紫が口を開いた。
「……博麗大龍神」
『なんだ?』
「次の事変は恐らく彼女が中心になります。ご加護を」
『……未来を見たお前なら既に加護があることくらい分かっているだろう? 今代も……』
「……霊夢も自身の未来を知っています。ですが、あの子は人を、異変を解決する力はあっても自分の未来を変える力はありません」
『――能力を使用し続けることによる同化現象だったな』
博麗大龍神の寂しそうな声に紫は頷いた。
「はい。……もう、近いかと」
代々、博麗の巫女は能力によって寿命が決まっている。一番短くて30歳、長くても120歳を超えるくらいだ。霊夢はその中でも長寿だった。
博麗の巫女は襲名制であり、紫と博麗大龍神が選んだ適正者が襲名する決まりだ。無論、博麗の巫女の子が女子であり能力者であれば一番良い。
霊夢に子はいない。そのため、紫は次の世代を見つける必要があった。
『我もその時に目覚めるであろう。時に、彼の神は?』
その問いに紫は苦笑いしながら答えた。
「スルトさんなら自身の運命の刃を受け入れの用意に向かいました」
『ほう、彼の神が死ぬのか』
「『愛娘に殺される』と凄く深いため息を付いていました」
『……遂に隠していた浮気が発覚するのか』
ブラックジョークに紫は思わず噴き出し、口元を手で覆った。
「くっ、ふふっ。失敬……」
『くくっ……そうであったのなら、どれだけ良かったか』
「ええ」
本当に、と紫は悲しそうに天井を見上げた。
季節は冬。年明け――否、クリスマスを目前にした12月の中頃。
外は雪が降り積もっていることからメンタはここが未来世界であると確信し、ハイテンションで博麗神社のお堂を出た。
「へい、未来到着です! 寒いです!」
「来たみたいですね」
お堂を出ると階段下には雪と同じ真っ白な仮面をつけ、博麗の巫女衣装を着用し、その上に温かいジャンパーを着た人物がいた。
それが赤い髪の毛であることからメンタは驚愕して駆け寄った。
「え、オレ!? オレですか!?」
「はい。待ってましたよ、過去のオレ」
「――っ! ま、まさか……」
わなわなとメンタは震え、彼女は先に注意事項を口に出した。
「あ、先に言っておきますが今のオレは正式な博麗の巫女ですので、自分の名前では無く――まぁ、巫女と呼んでください」
その注意は半場聞いて、メンタは巫女の正面に立って歓喜した。
「身長が……胸が……成長してます! やったー!」
確実にC近くはあるだろう胸と160cmはあろう身長、そして第二次性徴期を終えたより女性らしい体躯に思わず拳を固く握った。
「……すみません、身長は靴底です。胸は……まあ、多少は希望になると思いますよ。何せ今は13年後ですからね」
「ぶっ! 13年後ですか!?」
「はい」
ということは現在16歳のため巫女は29歳の三十路一歩手前!? とメンタは驚愕しつつも両手を天高く掲げた。
「――神はオレを見捨てなかったのですね!」
「――いえ、神は……いません」
「何故ですか!?」
普段の自分とは違うテンションと先ほどからずっと落ち着いている口調にメンタはやや違和感を覚えた。
巫女は半歩引いてメンタを居間へと促した。
「……全て伝えます。此方へ」
メンタは馬鹿じゃない。未来の自身がこうなったことに何か重大な理由があるのだろうと思い、黙って後を付いていく。
巫女からお茶を飲みつつ現在の状況の説明を受け、メンタはふぃー、と溜息を吐いた。部屋はストーブが利いて温かく、白い吐息は出ない。
「はい、此方メンタです。未来の博麗神社にやってきたわけですが、帰ろうと思えば博麗大龍神様が何時でも引き戻してくれるそうなのでお茶でも飲んで帰ろうと思います」
「それが出来る状況じゃないのを分かってやるんですから、過去のオレは無鉄砲で怖いですよ」
流石13年前、と巫女は緑茶を喉に流し込んでいく。
「でも帰れるのは事実です。……しかし、これが幻想郷の未来って中々酷いですよね。しかもオレが来るのを分かっていたようにご丁寧に年表までまとめてくれていたんですから」
「そりゃ、オレですからね」
抜け目ない、と思いつつもメンタは自分ならそうするだろうという確信もあった。
「……正直、ここが並行世界じゃないのが驚きですよ」
地球や他の星であれば並行世界理論の通りに別の未来にもなったのだが、幻想郷は時空から切り離された特異点だ。未来も過去も直通一本しかなく、未来を変えたければ過去から干渉して貰い、未来でそのツケを支払う必要がある。
メンタも未来の現状を聞かされてすぐに信じられるかと言われると、疑う。そのため巫女は過去の自分に現状を確認させようとしている。
「残念ですが過去が変われば未来も変わる直線です。で、本気ですか?」
「それはまあ……流石に自分の目で確認しないと信じられそうにもありませんから」
それがどんなに酷い現実であろうとも、変えるためならば敢えて苦痛を与える。
「オレも一緒に案内出来れば良かったんですけどね」
巫女は博麗神社を離れることが出来ないし、友人に会うことも出来ない。行くならばメンタ一人で行かせるしかない。
「いえ、オレだってそこらの雑魚に負けはしませんよ」
この世界において13年前のメンタに勝てる者は居ない。巫女はそれすら説明中に口にし、自らを傷つけた。
「分かってますよ。……辛くなったらすぐにここに戻ってください」
「分かりました」
コートを羽織ってメンタを外へと送り出し、巫女は高く飛んでいく過去の自分が酷く羨ましかった。
空を飛ぶ最中、メンタは巫女には一切見せなかった酷く痛ましい表情で唇を噛んだ。
――……信じたくないですよ。こんな世界。
空は半年前から永遠と雲に覆われ続け、木々は失われ、大地は罅割れている。山もただの土山と化し、町は滅びた。
妖精は絶滅し、妖怪も人も貧困した時代。
幻想郷――今では全ての神が見捨てた地である。
最初にやってきたのは崩壊した紅魔館。
気高い吸血鬼と仲間たちが住んでいた大妖怪の屋敷は今や廃墟と化し、今は人も妖怪も近寄らない場所となっている。
「……これが、あの紅魔館……ですか? こんな廃墟が……」
前庭は荒れ果て、屋敷を守っていた壁も大きな門も破壊されてしまっている。
「酷いですね……草木も花も……全部焼かれてしまったんですね」
内部は荒らされた形跡があり、壮絶な破壊跡と大量の血跡だけが残っていた。
長い通路を歩き、割れたガラス片が寂しい音を立てる。居間も、厨房も、各部屋も破壊された痕跡だけがある。
「……っ」
暖かかった空間は無く、冷たさだけがある。
歩いてパチュリーの大図書館があった場所へやってきた。その周辺は強力過ぎる結界が張られていた跡があり、大量にあったはずの本は一か所に集められて灰になっている。
隣はパルの部屋で、紅魔館の中で唯一記憶と何一つ変わらない空間だった。その周囲には未来の自分が張りなおした結界があり、巫女から許可は貰っていた。
「……パル姉……頑張ってください」
パルは幻想郷にいない。何処に行ったのか、何をしているのかも知っているがメンタは関わることを許されない。メンタは幻想郷に残らなければならない。
前庭へ戻り、メンタは庭の端へとやってきた。
そこには瓦礫で作った墓地があり――紅魔の主たちはその下で眠っていた。
「…………くっ…………こんなことって……。こんな……」
レミリアは咲夜と相打ちになり、フランはその身を激情に焦がし、人と妖怪を襲った。その代償として妖怪の大群に報復を受け、それらを滅ぼす代わりに自身も命を落とした。パチュリーと美鈴はフランと共に戦い、紅魔館が陥落すると同じくしてその身を食われた。
紅魔館を後にしてご用達だった近くの里へとやってきた。
「ここも、ですか」
里人はいない。幻想郷の大多数の里や町は妖怪に襲われて滅ぼされた。この里も少し前までは存在したが、霖之助という大事な主柱を失ったことにより人と妖怪は完全に決別してしまったのだ。
その霖之助は死んだ。彼はフランドール、ひいては紅魔館と繋がりがあったとして人間たちの手によって処刑された。その隣には咲夜の墓もあり、今は安らかに眠っている。
「……未来のオレから聞きましたよ。……今までお疲れ様でした、霖之助さん。大事な物をその手で切り裂いても報われなかったみたいですね、咲夜さん」
両手を合わせ、きつく目を閉じて祈った。
そこから少し離れた、大きな町では外まで難民で溢れかえり、妖怪はこぞって群がっている姿が見受けられた。見捨てられた難民たちは何とか町に入ろうとよじ登り、そうはさせないと衛兵たちが彼らを槍で刺して落としている。
町の中央には絞首刑の台、ギロチン、火刑の十字架が立てられており人々はその前や教会に集って祈りを捧げている。
「……神よ」
「我らを救いたまえ……」
「魔女は討ちました。何故我々を助けてくださないのですか、神よ!」
「恐いよぅ」
「誰か……」
「……神様……」
幻想郷では前時代的な魔女狩りが行われている。誰かを殺せば救われる、魔法を使う奴は死ね、悪しきものは滅びろ、そんな思想が手に取るように分かる。
町の中が一望できる少し離れた山の頂上に魔理沙とアリスは眠っている。彼女たちもまた、魔女と呼ばれ叫ばれて人間の手によって殺されていた。
「オレ、今まで結構酷いことしてきましたけど……ここまで人間を殺したいと思ったことはありませんでした。貴方もきっとそうだったんだと思います、魔理沙さん。……二人が死んだって今は紫さんは助けてくれません。……神奈子さんも諏訪子さんもいません。それでも人は神に助けを求めています」
半年前からほぼ全ての神々は神界から一斉招集を受け、各自の持ち場を離れている。いくら神に祈ったところで助けは来ない。神はここにはいない。
「こんな世界、紫さんたちが戻ってきたらどう思うんでしょうね」
きっと、どの神々も見捨てることだろう。
二柱が離れた守矢神社はかつてのような繁栄はなく、博麗神社同様に防衛結界を張り続けていた。鳥居を潜って本堂を参拝し、裏手にある母屋の戸を叩いた。
カラカラ、と音を立てて扉が開かれる。
「……早苗さん」
早苗は車椅子に座っていた。怪我、それも両足を失っている大怪我をしていた。見上げる視線は記憶にある穏やかなものではなく、殺意や憎しみ、絶望に染まっている。
「……博麗の巫女、何の用ですか?」
言葉も冷たい。これをスルトや神奈子たちが見たら――そんなことは考えたくもなかった。メンタは巫女から聞いた言葉をそのまま伝えることにし、口に出した。
「オレは過去から来ました……と言えば通じると博麗の巫女に言われました」
「過去……未来……。そう、本当に来ちゃうんですね」
その笑みもどこまでも暗く、嗚咽と一緒に涙を流した。
「ごめんなさい、はく――いえ、メンタさん」
それを口に出すのも久しぶりだったのだろう。メンタも到底早苗を責める気にはならなかった。
「……いえ、話は聞いています。早苗さんは悪くありません」
「それでも……私たちは未来を守れなかったから……」
各自が奮闘し、どこまでも手遅れな中で内側から崩壊するという事態だけは防いだ絶望的な世界。気づいた時には全部手遅れだった未来。
早苗は車椅子の車輪を少し動かし、メンタに近づいた。
「メンタさん、お願いします。どうか、幻想郷を守ってください」
巫女からは言われていたのだろう。今まで信じられなかったものを今一度信じてみようとする早苗の本音が聞こえたような気がした。
メンタは、震えている早苗の手を取り、力強く握った。
「勿論です。オレたちが変われば未来も変わる……そうですよね?」
「はい。未来を知った貴方ならきっと変えられます。もう……二度とこんな苦しみも悲しみも味わいたくありません。過去の私に味あわせたくありませんから」
「――はい、絶対に」
手を離し、踵を返すと僅かな躊躇いの後、早苗は視線を鳥居の傍に向けた。
「鳥居の傍……行く前に、会って行ってください」
早苗の言う通りの場所を見てみると小さなお墓があった。
「……はい」
それは椛の墓だった。彼女は妖怪であるがゆえに事変の影響で狂いながらも守矢神社に急行し、その現状を早苗に伝えた。その後、守矢神社を襲撃してきた大妖怪と刺し違えて死に、早苗も両足を失って討伐した。
お墓の前に座り、両手を合わせる。
「どこまでも忠犬ですね。でも、椛さんらしい最後だったと思います」
当事者でないが故にメンタは悔しさを募らせることしか出来ない。
守矢神社を飛び立ち、地底の入り口の一つへとやってきた。メンタはここからよく地底へと遊びに行っていた。
地底に何が来たのかは未来のメンタでも良く分かっていないらしいが、さとりが力づくで地上との接触を断ったという情報だけが分かっている。
恐らく――とメンタは思う。
「……ここからですが、どうか、今は安らかに眠ってください。さとりさん、こいしさん、皆さん」




