全世界防衛戦⑥ それぞれの防衛戦 中々
「おーーーほっほっほっほっ!!」
威風堂々。金ぴかの鎧と真紅のドレスを合わせたドレス甲冑を纏い、漆黒の大鎌から無数の弧を描く斬撃を飛ばし、空を飛ぶ十二体の蛸モドキを吹き飛ばした金髪縦ロールの女。
その背後には、今この瞬間も続々と銀色の鎧と朱色のドレスを合わせたドレス甲冑を纏いし如何にも〝女騎士〟といった感じの女性達が、交差点のど真ん中にそびえる真っ黒な壁の奥から出現してくる。
異形の蛸モドキは、普段ならバルーンだとでも思っただろう。どこかの目立ちたがり屋の悪戯か、どこぞのイベント会社の催しか。
だが、その場にいた何百何千という人々は、一人の例外もなく感じていた。本能的な忌避感と、蛸モドキが発した背筋が凍るような殺意を。
だからだろうか。まったくもって意味が分からないし、何一つ状況は分からないが、
――恩を返しましょうか
そう不敵に笑った金髪縦ロールの女性の、不可思議なほど良く通ったその言葉だけは何故かすんなり信じられて。
かつ、自分達を助けようとしてくれているのだと理解できて。
良かった。助かった……と、そう思えて――
「――あんまり効いてないですわ!」
思わず、ズッコケそうになった。
「いや、今の完全に怪物を倒しちゃう空気だったよな!?」
と、その場の大勢の心の声の代弁が飛び出す。ハジメ達の大学の友人たる強面四人衆が一人、ボクシング部の池田君である。
その声に反応して、見た目も言動も雰囲気もやたらとゴージャスな大鎌の女――ヘルシャー帝国の第一皇女トレイシー・D・ヘルシャーは、耳ざとくも反応しグリンッと顔を向けた。
「ひっ!?」
強面だが中身は至って普通の、なんならちょっと繊細な青年そのものである池田君は、生まれながらに他者を圧倒するような空気感を纏う絢爛豪華な皇女殿下様の視線に竦み上がってしまう。
が、同時にちょっとドキドキしてしまった!
だって、派手で迫力はあるがめっちゃ美人だから!
それに目を眇めるトレイシー。怯えながら少し頬を染めるという器用なことをしている池田が珍生物に見えたから……ではない。トレイシーと関わる男は少なからずこうなるので慣れている。
なので、原因は他。この状況で、大半の者がまだ逃げていないこと、それに訝しんだのだ。
だが、戦闘狂だが聡明なトレイシーは直ぐに理解する。これぞ平和な世界で超常現象とは無縁に生きてきた者達の反応の鈍さなのだと。
故に、スゥッと息を吸って――
「お聞きなさい! 下々の者!!」
戦場の兵士を鼓舞するが如き〝威〟を纏った声を響かせた。
普通に生きていたら現代日本人がまず聞かない呼び方で呼ばれ、憤るよりもキョトンとしちゃう下々の者達。
「感じましたわね? たとえ凡夫たる平民であっても、魂で感じたはずですわ! あの怪物の脅威を!」
本当によく通る声だった。拡声器も使っていないのに、素の声だけで遠くまで、かつ明瞭に届く。ナチュラルな罵倒もあんまり気にならない!
「ならば」
〝言語理解〟のアーティファクトは身につけているが、機能はあくまで翻訳だ。滑舌の良さ、オペラ歌手の如き美声と発声、それらによる思わず耳を傾けたくなる意識誘引効果は、まさに皇族として天性のものだろう。
「さっさとお逃げなさい!!」
幼子を叱り飛ばすような声音だった。ビリリッと響くそれに、困惑しきりだった者達がハッと我に返ったような表情になる。
直後、生存本能を後押しするみたいに絶叫が上がった。
無数の斬撃により更に上空に吹き飛んでいた蛸モドキが咆えたのだ。遙か上空にいるはずなのに、その恐ろしき絶叫はまるで、耳に口を付けて直接吹き込まれたかのようだった。
ゾッと鳥肌が立った。思わず耳を塞いでしゃがみ込む人々が続出する。
「この戦場は、わたくし、ヘルシャー帝国の第一皇女トレイシー・D・ヘルシャーが預かりますわ!!」
おぞましい絶叫に対抗するような凜とした花が咲き誇るような声音だった。自信に溢れた、この人が言うならそうなのだろうと無条件に納得してしまうような、そんな心を奮い立たせる声音だった。
「安心して背を向けなさい! 己が命のために! さぁ、駆けなさい!!」
一拍。
「逃げるぞっ!!」
「走れ!!」
数十人が皇女の命令を遂行せんとするかのように声を張り上げた。その中には米蔵と根本もいた。
悲鳴が上がる。一目散に己だけ逃げ出す者、周囲の者達を起こし、促し、手を引いて駆け出す者。
「ほらっ、立つんだ!」
「あ、ご、ごめん。腰が抜けて……」
強面四人衆が一人、青木と同じ柔道部の五反田君がシアの友人の一人を促すが、ベリーショートとジーンズが似合う如何にも勝ち気そうな彼女は、必死に起き上がろうとするも手足が言うことを聞かない様子で。
「っ、悪い! 後でビンタでもなんでもしてくれていい!」
「ひゃぁっ!?」
結果、五反田君は彼女を抱き上げた。所為、お姫様抱っこである。まるで羽毛布団を抱えるような軽やかさで抱き上げ、そのまま仲間と共に繁華街の方へ引き返そうとする。
その様子に、青木君と向坂君がスンッとなるも、別の女の子達に「なにしてんの!」と怒鳴られ慌てて逃げ出す。
一方、
「明さん!?」
根本が叫ぶ。不動明が仲間達とは別方向に走り出していたからだ。
行き先は同じく腰を抜かして逃げられていない年配のサラリーマンらしき男性。その男性をひょいっと肩に担ぎ、更には店の看板の後ろで震えて蹲っている女性も逆の肩に担ぎ上げる。
流石は某格闘ゲームのキャラ――リアルマリ○ザ様のようだと多くの先輩後輩に慕われているだけはある。心意気まで姉御だ。
「ごめんなさい! でも放っておけないわ!」
「ああもうっ! けど、そういうところも素敵だ!」
「! こ、こんな時に恥ずかしいこと言わないで!」
そんな様子を米蔵と幼馴染みにして婚約者である女の子は、場違いにも微笑ましく思い、氷塊でも流し込まれたようだった心持ちが少し温かくなるのを感じた。
というのは、どうやらトレイシーも同じだったようで。その口元にフッと笑みを浮べる。が、直ぐに表情は一変した。
「総員!! 命令ですわ!!」
「「「「「「「「「「ハッ」」」」」」」」」」
ガンッと大鎌の柄が地面に叩き付けられる。アスファルトが砕け、衝撃が地面を伝わっていく。未だに呆然としていた者達も物理的な衝撃を浴びて飛び上がり、慌てて逃げ出していく。
その間にも急降下してくる怪物達。それに怯むことなく、むしろ凶悪に笑い返す彼女の姿は恐ろしくも美しく。
それに応える女騎士達の応答もまた、空気を震わせる覇気に満ちていた。
「死守なさい!!」
大恩ある〝あの方〟の故郷と、その地に生きる全ての民のために!!
応えは、副官による号令と魔法の一斉射撃だった。
上空に向かって放たれる色とりどりの魔法。全てが中級以上で、複数人による複合魔法は上級クラス。その内、隊長クラスを含む分隊からは最上級クラスも。
流石は皇女殿下が選りすぐった選抜部隊というべきか。本職が侍女とは思えない力量だった。
一応、帝国軍の選抜派遣部隊は他にもいる。というか、むしろそっちが本命の戦力だ。今もライラ達が選定した地へ〝ゲート〟を通じて展開していることだろう。
だが、そんな本職の軍人達にも負けない、一部は凌ぐほどの威力を秘めた魔法の砲撃が繁華街の空を貫いていた。
「損害軽微! 中級では目くらましか行動阻害が限界! 目に見えるダメージは最上級クラスが必要です!」
「構いませんわ! 撃って撃って撃ちまくりなさい! とにもかくにもヘイトを買うのですわ!」
部隊が交差点に円陣を組むようにして展開していく。
上空から襲い来る蛸モドキが地上に到達できぬよう弾幕を張りつつ、標的を自分達に固定させようとする。
その蛸モドキが頭部を下に向けたまま顎門を開いた。頭部が〝花咲く〟というにはグロテスク極まりない開き方をし、そこから黒い粘液を砲弾のように飛ばしたのだ。
即座に展開された結界だが、こちらもやはり一人二人の中級クラスでは強度が足りないらしい。ガラスを砕くように粉砕し、しかし、軌道だけは変わって地面に着弾する。
アスファルトが砕け散った。同時に沈み込んでいく。
融解か、腐食か。何にせよ直撃すれば粘液砲弾の副次作用により、ただでは済まなそうだ。
弾幕に弾幕で対抗するかのように粘液砲弾が雨あられと降り注ぐ。それにより僅かに乱れる陣形と、部隊の弾幕。
一体がひゅるりと流体の如き動きで弾幕の隙間を抜け、逃げる人々の背を標的にした。重力に従うような速度で一気に降下強襲を仕掛ける。
その先にいたのは、奇しくも池田達で。
「あ、危ないっ」
「いやぁっ」
思わず身を竦めて足を止めてしまった女の子。池田は迷わずその上に覆い被さった。
だが、皇女様はいつだって有言実行であるが故に。
「しゃらくさいですわ!!」
どこかのバグウサギみたいなセリフを叫びながら、踵部分がピンヒールの如く鋭いブーツで地面を踏み締める。
途端に、どす黒いオーラが噴き上がった。勇者でもないのに自力で限界を突破しちゃった戦闘狂の証だ。
金髪縦ロールがブワリッと広がる。獅子の鬣の如く。
直後、アスファルトの地面が砕け散った。と認識した時には既に、トレイシーの姿は弾幕を抜けてきた蛸モドキの真横へ。
ニィイイイッと凶悪に釣り上がる口元。
「斬首の時間ですわぁっ――エグゼスゥウウウウウッ!!」
どす黒いオーラを纏った大鎌が回転した。空中で舞踏の如く回転したトレイシーに合わせて、遠心力をたっぷり込められた斬撃が蛸モドキに振るわれる。
蛸モドキの頭部と多脚の付け根辺りに食い込む大鎌の刃。並の大木どころか、大理石の太い柱さえ紙くずのように斬り裂く一撃が、しかし、半ばで止まる。
「アハッ! 固いですわぁっ!!」
反撃の槍脚がトレイシーに突き出された。にもかかわらず、トレイシーは意にも介さない。
防具を信頼して? 違う。
そんなことより〝簡単には切り裂けない敵を、それでも斬り裂くことに夢中だから〟だ。
戦闘狂、ここに極まれり。
だが、この選抜部隊の者達は、そんなどうしようもない戦バカな皇女様だと分かっていて、それでもそんな彼女に惹かれてついてきた者達だから。
分かっていたかのように絶妙なタイミングで飛来した閃光が、その突き出された槍脚を弾き飛ばす。
「ァアアアアアアアッ!!」
裂帛の気合いが迸った。皇女様が見せてはいけない牙を剝き出しにする猛獣の如き凶暴な形相で、更に大鎌へ力を注ぐ。己の身を引き千切らんばかりに体を捻る!!
一拍。
斬ッと。
蛸モドキの頭部と多脚部分が切り離され、宙を舞った。
回転しながら地上に降りてくるトレイシー。アスファルトと金属のピンヒールが摩擦で火花を散らす。
荒々しい戦闘とは裏腹に、それはさながら回転技を見事に決めたフィギュアスケーターの如き優雅さで。
「す、すげぇ……」
女の子を抱え込んだまま、池田が肩越しに背後を見やる。手を伸ばせば届きそうな位置に、威風堂々と残心を解くトレイシーの姿が、そこにはあった。
ファサッと片手で豪奢の金髪ロールを払う姿の、なんと絵になることか。
池田君の頬が更に赤く染まる。その目は憧れと心を鷲掴みにされた者特有の熱い輝きに満ちていた。
池田の大きな体にすっぽり収まっている女の子も、池田の肩越しに目をまん丸にして見惚れている様子。
呆然としてしまう二人に、「大丈夫か!」と根本達が駆け寄ってきた。
そして、間近で見る本物の皇女様が放つ雰囲気に息を呑み、少しだけ視線を向けてきたトレイシーと目が合ったことで軽くテンパってしまう。
だからだろうか。米蔵は友を助けられた礼を反射的に口にしつつ、思わず尋ねてしまっていた。明らかにファンタジーの住人だ。ならばそうかもしれない、と。
「あ、ありがとうございました! えっと、南雲の知り合いの方、ですか?」
「あら?」
直ぐに視線を切って戦場へ戻ろうとしていたトレイシーが、興味を惹かれたように振り返る。
「あの方のご友人?」
「あ、はい。俺達は南雲と同じ大学の学生で、はい、友人です」
「まぁ! なんという偶然! あの方のご友人方を守ることができたなんて僥倖ですわ! ですわですわ♪」
戦闘狂の凶悪な笑み、あるいは威厳と品格を持った皇女様の雰囲気が一気に崩れる。いっそ、無邪気と称しても過言ではない素直な笑顔は、男女関係なくハッとさせられる可憐さだった。
だが、のんびりと話している時間はない。再び絶叫が轟く。副官からの報告が雷鳴の如く飛んでくる。
なので、トレイシーは最後に〝あの方のご友人達〟に敬意を示すように恭しくカーテシーを決めて、
「我が主に、どうぞよろしくお伝えくださいまし」
最後に爆弾を置いて戦場へと戻ったのだった。
爆弾とは何か? 決まっている。
非現実的な状況で、まるでお伽噺から出てきたような美女と知り合えた。少しくらい夢を見ちゃってもいいじゃなぁい? だって、もう癖になってんだ。夢を見るの。
なのに、その女性は案の定というべきか。例のあの人に敬愛を捧げているらしい。
例のあの人と関わると、夢が覚めるの早すぎ問題。
ならば、ここが逼迫した戦場であろうと叫ぶしかあるめぇよ!!
「「「また……また南雲君かよぉおおおおおおおおっ!!」」」
池田、青木、そして向坂の魂の叫びが木霊した。
五反田君が魂の叫びに参加しなかった理由は、未だにベリーショートとジーンズが似合う女の子をお姫様抱っこしたままである点と、その彼女がギュッと抱き付いている様子から推して知るべし。
ちなみに、池田に庇われている女の子が少しジト目になって池田君を見上げているのだが……
もしかしすると池田君、自ら絶好のワンチャンを逃したのかもしれない……
駅前のロータリーに「きゃぁあああああっ」と悲鳴が上がった。
仕事帰りだろう。スーツを着た女性がへたり込んでいる。
当然だ。その男が魔術師の類いであり、他者の認識に干渉していたなんて知りもしない側からすれば、その術ごと斬り裂かれて吹っ飛んできた男は、突然、目の前に現われたようにしか見えなかったのだから。
血飛沫を上げながら目と鼻の先で仰向けに倒れる男。一拍遅れて鉈を握ったままの片腕が落ちてくる。
なんというスプラッタ。完全に事件である。それは悲鳴も上がるというもの。
その悲鳴に気が付いて周囲の人々も足を止める。なんだなんだと視線を向け、腕を切断されて倒れ込む男の姿に一瞬停止し、息を呑む。
だが、悲鳴が伝播するということはなかった。
じわりと広がっていく血溜まりが、いつも変わらぬはずの駅前に広がっていく光景の現実感の無さ故、というのもあるだろう。
だが、本当に現実感を喪失させているのは別にあって。
「服部幸太郎様のご息女、麗那お嬢様であらせられますね?」
「ふぁ……?」
静かで柔らかい声音だった。なのに凜とした響きも感じられて、聞いた者の背筋をシャンッと伸ばさせるような声音だった。
「メ、メイドさん?」
「ヘリーナ・アシエと申します。麗那お嬢様のお迎えに上がりました」
美しく、そして熟達を感じさせる一礼だった。付け焼き刃ではない〝本物〟を感じさせた。
今は消えている闇を凝縮したような黒い壁から現れ、ヘリーナの後ろに並ぶ三十人のメイドさん達も、一糸乱れぬ動きで同じくカーテシーによる礼を行う。
そう、メイド集団だ。メイド喫茶があるような場所でもないのに、突如として現われた彼女達こそが非現実感の最大の元凶だった。
おまけに、だ。クラシカルなメイド服なのに、彼女達はそれぞれ武器を装備しているのである。
ヘリーナが一礼の邪魔にならぬよう一時的に逆手に持ち直している漆黒の西洋剣は言わずもがな。
短剣や先端の鋭い小型盾、鉤爪といった小型の武器の他、戦斧や戦槌、槍に大剣などの重量武器を背負っている者も。中には元の腕の五倍はあるだろう巨大な金属製グローブや蛇腹剣なんてイロモノ武器を持っている者まで。
それはまぁ、〝創作の世界の住人〟のお手本みたいなメイド集団を目の当たりにすれば、そちらにこそ意識を奪われるというもので。
傷害事件を傷害事件として認識できなくなっても仕方ない。テレビか何かの撮影か……? と思う方が自然である。
実際、麗那もヘリーナ達を呆然と見やったまま、お口をパクパクさせることしかできていない。
そんな麗那の様子に頓着せず、ヘリーナはサッと身を起こした。
「人払いを」
音もなく五人のメイドが場を離れた。更に十人が、悲鳴を上げた女性を含め周囲の人々を遠ざけるように誘導していく。笑顔のメイドさんに促され、戸惑いながらも離れていく人々。
「救助を」
更に二人のメイドが、これまた滑るような足取りでロータリーの一角へと走り去っていく。
「制圧なさい」
残りのメイド達がワンボックスカーに向かって駆け出した。
だが、避難誘導と人払いの魔法が完全に効果を出す前に、そして、ここが駅前であり、そのために現在進行形で人がやって来て、あるいは駅から出てくるために、多くの人々は目撃することになった。
撮影ではない、現実に起きている本物の殺し合いを。
現実離れしたファンタジーな戦いを。
『オォオオオオオオオッ!!』
開戦の合図であるかのように咆哮が上がった。と同時に、
「失礼いたします、お嬢様」
「へ? きゃぁっ!?」
麗那の腕が柔らかく引き寄せられる。重心の移動を利用した技で、麗那はふわりっと宙に浮く心地で移動する。
その視界に映るのは、麗那と位置を入れ替えるようにして背を向けるヘリーナの姿。
直後、シャンッと澄んだ音色が響いた。かと思えば轟音も響く。
「な、なに?」
困惑が声になって漏れ出る。麗那に見えたのは斜め下に振り下ろされた漆黒の剣と、その先の地面を叩き割っている触手のような何か。
凄まじい速度で振るわれた触腕を、滑らかに受け流したとは思いもしない。
代わりに、その触腕の出所を無意識に視線で辿り、何が襲い来たのかだけは理解できた。脳も心も理解を拒んだが。
「ひっ、な、何よ、あれっ!!」
『ヴヴウウウウッ』
低い唸り声を上げる体長二メートルを超える巨躯の怪物が、そこにいた。黒い服がビリビリに破れていてボロ雑巾のようになっている。
あの魔術師の男だ。失血死の運命を辿るはずだった男は、しかし、倒れたまま何かをし、その結果として変異したのである。
血色の悪い死人の如き肌、膨れ上がった筋肉、濁った眼、異様に伸びた爪と牙。切り落とされたはずの腕は先程の一撃を振るった触腕となっている。
浩介達が遭遇した〝食屍鬼〟の亜種ともいうべき怪物だ。
それが、
『『『『オォオオオオオオオッ!!』』』』
更に四体。ワンボックスカーの荷台部分が破裂でもしたみたいに吹き飛び、中から飛び出した巨体とメイド達が激突する。
純粋なパワーはグール亜種に利があるらしい。メイド達が一斉に吹き飛ばされる。だが、流石は〝とある計画〟のためにヘリーナが選抜したメイド達というべきか。
これまた〝とある計画〟のために魔神式の鍛錬、あるいはハウリア式や八重樫式も取り込んで行われたブートキャンプは、彼女達に確かな実力を与えていたらしい。大した怪我もなく、それどころかスカートをはだけさせることもなく、それぞれ綺麗に受け身を取って瞬時に体勢を立て直している。
「三対一、遅滞戦闘です」
「「「「「はい、侍女長」」」」」
フォーメーションが瞬時に変わる。重量武器、小型武器、そして魔法特化が三人一組となり怪物達を囲う。
当然、その間にも最初のグール亜種がヘリーナへと襲いかかる――という寸前、
「イグニス」
地を踏みしめた太い足の先に、血色の斬撃が飛んだ。
『!?』
〝飛ぶ斬撃〟は見事に怪物の足の指を切断し、絶妙なタイミングで出鼻を挫くことに成功する。
踏み込むための力の集中点の喪失。当然、推進力は空振り、巨体は前のめりに倒れる。
「麗那お嬢様」
「え、あ、はい。はいっ!? 麗那お嬢様ぁ!?」
反射的に返事をし、しかし、人生で一度も呼ばれたことのない呼び方にようやく意識が向いて目を白黒させる麗那。
「お気を確かに。我々はお嬢様をお守りするために参りました」
肩越しに振り返り、安心させるようにふんわりと笑うヘリーナに、そんな状況ではないと頭では分かっていながら麗那は少し見惚れてしまった。
ヘリーナの方が背が高いので自然と見上げる形になるのだが、その視界に真上から襲い来る極太の鞭――グール亜種が倒れながらも振るった触腕が映って「あ」と声が漏れ出る。
一瞬、血の気が引くが心配は無用だった。見もせず、ゆるりと弧を描くようにして斬り上げられた剣が触腕を受け止め――否、〝合流〟と表現すべきか。
衝突音もなく剣身は触腕と合流し、そのまま停滞なく表面を滑った。皮膚が硬化しているのかシャァアアンッと金属同士が擦れ合うような音色が響き、触腕はそのままあらぬ方向へ逸れていく。
「お母様の方にも、既に私の部下が出向いております」
水が流れるような流麗さで手首を返し、再び斬り上げられる魔剣。血色のオーラが刃と化して飛翔し、斬ッと。
いとも容易くグール亜種の首が飛んだ。
「あ……ひ、人が死んで……」
もう何がなんだか分からない。思考停止状態の麗那は、ただ目の前で行われた斬首というショッキングすぎる光景に無意識のまま声を震わせる。
「麗那お嬢様には、あれが人に見えるのですか?」
「え!?」
あまりに端的かつ冷静な声音に、麗那は横っ面を叩かれたような心持ちになった。斬首死体に釘付けになりかけていた心と視線がヘリーナに向く。
罪悪感など欠片もない、冷静を通り越して穏やかですらある眼差しが自分を見つめている。とても人を殺した人の目には見えない。
チラッと斬首死体を見やる。どう見ても人間じゃない。というか、触腕だけビッチビチと打ち上げられた魚みたいに元気よく跳ねてるし、すんごい気持ち悪い。
「そっかっ。人が怪物に変身したんじゃなくて、怪物が人のフリをしてたってわけね!」
重ねて言うと、麗那は怒濤の超常的事態を前に人生で一番テンパっている! もっと言及すべき点も気にすべき点もあるだろうに、取り敢えず、そこだけ自己完結しちゃうくらいには。たぶん、現実逃避であり、精神的防衛反応だ。
「麗那お嬢様は聡明ですね」
本当は違うけれど、ヘリーナさんは即座に同意した。肯定なんてしていないが、如何にも「その通りです」と言ってそうな雰囲気で。
と、そこで、
「ヘリーナ様! 服部様の部下二名! 救助に成功いたしました!」
怪物達が暴れるロータリーを大きく迂回しながら、二人の侍女がそれぞれスーツ姿の男性達に肩を貸しつつ、半ば引き摺るようにして駆け寄ってきた。
シャツの部分が真っ赤に染まっている。頬にも血が飛び散っていて、一目で重傷だと分かる。
だが、意識はあるようで苦しそうではあるものの、しっかりとこちらを見ており、麗那の姿を見るなり安堵の表情を浮べた。
麗那は思い出す。事前に父がスマホに送ってきた部下の写真を。確かに、その人達だ。
特に警戒せず身を預けているということは、正体不明で非現実的なメイド集団は確かに味方なのだろう。
それで停止状態だった思考が、ようやく少し回り出す。
「……えっと……お、お父さんの部下って……貴女もなんですか?」
確かに部下を迎えに寄越すとは聞いたが、まさかメイド集団が来るなんて思いもしない。
あのクソ親父は、いったいどういう人達を部下にしているのか。まさか女性の部下に個人的な趣味で、こんな制服を支給しているのだとしたら……今度こそ親子の縁を切らざるを得ない。
という父娘の関係性に致命的な亀裂が入りかけているなんて思いもせず、ヘリーナはあっさりと首を振った。
「いいえ、我が主は別の方です。お嬢様が狙われているとの具体的な情報が入り、急遽、援軍として参りました」
「な、なるほど?」
「これより麗那お嬢様を安全な場所へお連れします。お母様ともそちらで合流できるでしょう」
そう言って、ここに来る前に預かった〝ゲートキー〟を使うヘリーナ。輝く膜が背後に現われ、麗那は目を白黒させる。
「私が共に参ります。どうか信じて、私の手をお取りください」
転移での移動なんて普通は困惑も恐怖もあるだろう。そう配慮して手を差し出すヘリーナに、麗那は戸惑いつつも自然と手を差し出していて――
その瞬間、二つのことが同時に起きた。
ヘリーナが己を抱き締めるようにして魔剣を持つ手を背中側に回した。刹那、響き渡る金属同士の衝突音。
銃撃だ。どうやら怪物に変異していない伏兵がいたらしい。現代兵器による狙撃をヘリーナに向けて行ったのだ。それを見事に防いだのである。魔剣の能力が一つ〝超直感能力の付与〟のおかげだ。
だが、その金属音は誰の耳にも届かなかった。
――ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛゛ア゛ア゛ッ!!!
ヘリーナが狙撃を防ぐ直前に、常軌を逸した絶叫が響いたからである。
鼓膜を直接掻き毟るような、黒板に爪を突き立て思いっきり引っ掻いたような、不快の極みというべき叫び。奇妙なほど出所が分からない。
単純に声量自体が凄まじく、ロータリーに駐車していた車両や駅の窓が一斉に破砕してしまうほど。アーティファクトによる防護を有するメイド達以外、誰もが思わず耳を押さえてしゃがみ込んでしまう。
そして、意識を飛ばした。
音の爆撃で気絶したから? 違う。
「ゥヴヴ、ア゛……」
「ア、ァ」
呻き声を上げながら立ち上がる周囲の人々。
魔法的な人払いによりロータリー内部には既に人影はない。駅の出入り口も改札からこちら側にはいない。
だが、その絶叫は、人の精神を狂気に堕とし脳内に響く暗示の声に従って暴れさせる魔術は、その外側にも十分に届いていたが故に。
『侍女長! 避難者が正気を失ってっ』
『闇系統魔法による解除、できません!! アーティファクトの使用が推奨されます!!』
『数が多すぎます! 抑えきれません!!』
『結界による進路遮断を行います!!』
人払いと避難誘導を担っていた部下達から〝念話〟が届く。
「外道ですね」
吐き捨てるような呟きは独り言ではなかった。下手人に対する批難だ。
――※***##!!
そんな聞いたことのない言語が、微かに耳に届いていたが故に。先程の絶叫と似通った声音だ。
狙撃方向とは別方向から、明らかに何かしらの意味のある言語が紡がれている。意思疎通のための言葉ではない。まして罵倒でもない。
詠唱だ。と、ヘリーナの直感は告げた。
そう感じた時には既に、再び麗那とダンスでも踊るように回転しながら位置を変え、イグニスを振り下ろしていた。
斬ッと何かが斬れた。何を斬ったかは分からない。ただ、不可視の力の奔流が急迫し、しかし、直撃する前に斬り裂くことに成功して霧散したことは分かった。
「ば、馬鹿な……」
戦いているような呟きが微かに聞える。だが、姿は見えない。
見えないが、攻撃の方向は既に判明しているから。
魔剣イグニスが虚空に赤い軌跡を二度、刻む。魔力を斬り裂く血色の飛ぶ斬撃が駅前広場にあった噴水のモニュメントと、ロータリーの向こう側のビルの屋上に飛んだ。
「うぉおおおっ!?」
斜めにずれ落ちるモニュメントの陰から野太い悲鳴が響いてくる。男が噴水の中から横っ飛びに現われ地面を転がった。肩口が薄くスライスされたように切り取られ、痛みに呻いている。
瞳に驚愕が感じられた。視線は真っ直ぐにヘリーナの持つ剣に向いている。
不可視の魔術を使っていたのにバレたことより、あるいはメイド達の誰一人、それどころか服部の部下二人でさえも狂気に堕ちていないことよりも、不可視の魔術そのものを斬り裂かれたことに驚いているようだった。
なんとなく理解したのだろう。あのメイドは、その手に持つ黒い剣は、魔術師の天敵だと。
「武器なし、意思なしの者達は可能な限り無力化を。判別が困難な場合を含め、欠損程度は許容範囲です。後で治せます。無理に倒そうとせず継戦能力を重視。私が戻るまで術師と怪物を抑えておきなさい」
「「「「はい、侍女長!!」」」」」
まるでゾンビにでもなったかのような有様の一般人達の暴走、逃げられると察してか続々と姿を見せてくる術師達、相変わらず駅前の破壊に余念のない怪物四体。
それらを前に、しかし、メイド部隊は怯むことなく連携を以て守りの陣を敷く。
随分と若い、なんなら麗那より年下に見える金髪お下げが可愛らしいメイドが駆け寄ってくる。胸元のブローチに祈るように手を添えて輝く結界を発動する。〝ゲート〟の守護要員だろう。
「さぁ、麗那お嬢様。避難いたしましょう」
ヘリーナが麗那の手を取った。グッと引き寄せる。先程の柔らかい手つきではない。強く促す手つきだった。
きっと、部下を置いて離脱することに拒否感があるのだろう。顔には一切出ていなくても、少しでも早く戻りたいと思っているに違いない。と、麗那は感じた。
引かれるまま〝ゲート〟へ一歩踏み出し、しかし、視線は周囲を巡っていて。
ゾンビみたいに理性も言葉も失って、こちらに襲いかかろうとする人の群れを見て……
たぶん、言う通りに避難するのが正解なのだろう。それが賢い選択で、一番、迷惑にならないのかもしれない。
……本当にそうだろうか? こんな酷い、平和に生きてきた麗那からすれば地獄絵図みたいな光景をあっさり作り出すような連中に好き勝手させたまま、自分だけ逃げるのが本当に正解なのか?
だって、でも……
思考がぐるぐる。胸の奥がギュッとなる。
気が付けば踏ん張っていた。ヘリーナの手を引く力に逆らうように。
「お嬢様?」
「あ、あの! お姉さんが本気で戦えばなんとかなる感じですか!?」
ヘリーナの目が珍しくも丸くなる。麗那は無我夢中といった様子だった。何かに突き動かされているような雰囲気で言葉を向けてくる。
「なら、私のことは気にせず戦っちゃうってどうですか!?」
「いえ、私達の任務は貴女の保護であり――」
「クソ親父の人質には、私、たぶんなれないと思うんで!」
今度こそ本当に驚いたらしい。ヘリーナの手を引く力が思わず緩む。
それを〝話してみなさい〟と受け取った麗那は、回り始めた頭で今までの状況から理論武装を急速に行っていく。
「うちのクソ親父、クッソ怖い人っぽくて! どんな仕事してんのか知らないけど、でも凄く大事な仕事っぽいってのは分かってて……だから、たぶん、私が人質になっても仕事の手、緩めないじゃないかなって! ほんとクソッ」
思い出されるあの日のこと。父を見る目と関係が少し変わった時のこと。
――俺はな、百人の殺人鬼に襲われるより、君の父親一人の方がよほど怖い
――〝日本の服部〟と聞けば、今や各国の重鎮共さえ顔色を窺うくらいだぞ?
正体不明の、でも間違いなく今の親子関係に変わるきっかけをくれた不思議な青年と、有名な外務大臣の言葉。
妙に心に残っている。なんだかむず痒いような、わけもなく反発したくなるような、そんな奇妙な心持ちだ。
だからだろうか。クソクソと悪態を吐きながらも、そこに嫌悪や憎悪はなかった。自分を見捨てるだろうという予測を、特に感情を波立たせることもなく自然としていた。
そして、それは的確な推測だった。服部幸太郎は、たとえ娘を人質に取られても仕事の手を緩めはしない。救助のために手は尽くしても、それは仕事に影響しない余力の範囲だろう。
静かなる憤怒と悲嘆を胸の奥に押し込みながら。
それで責務を終えた後に世界の果てまで仇を追いかけ、追い詰め、考え得る限りの恐ろしき報復を行うに違いない。
「なら優先的に避難させる意味あんまないでしょ。それより私に手を出せなくなった後で、あいつらが標的を変える方が問題! じゃないのって思うわけ!! それこそ今みたいに!」
服部幸太郎が守っているものは何か。
決まっている。祖国そのものであり、引いては国民だ。
なら、身内の情ではなく、国益のために簡単に切り捨てるわけにはいかない重要人物が狙われたら? あるいは……人々を狂気に堕とせる者達だ、それこそ麗那の代わりに何百何千という国民そのものを人質に取ったら?
だが、麗那が手に届きそうな位置にいるなら今なら、被害はここだけ。彼等は自分という誘蛾灯を夢中で目指す。
「いっちばんヤバイのって雲隠れされちゃうことじゃない!?」
麗那が消えた途端に撤退し、逃がした場合が一番恐ろしいと麗那は思う。そんなの、まさにテロの危機じゃん! と。いつどこで、こんな地獄絵図が生み出されるか分からないのだから。
ヘリーナと、そして結界を張っている金髪お下げのメイドさんが目を丸くしてマジマジと麗那を見ている。
それが居たたまれないというか、自分でも何を言ってるのか分からなくなってきた麗那は、せっかく理論武装したのに本音を漏らした。
「うぅ、ごめんなさい! ちょっと格好つけましたっ。ぶっちゃけると、あんな犯罪者如きに脅されて、なんもできなかったのが悔しすぎぃ!! なので、なんかしたいっ、みたいな!! お姉さん達にできるなら、私を囮にでもなんにでもしていいからやっちゃって!って感じでっす!!」
ハァハァッと荒い息を吐いて、言い切った感を出す麗那。
場違いで見当外れ、空気読めてない、ただ迷惑。なんて心の中のもう一人の自分がセルフ罵倒してくるので、ヘリーナの顔色も窺うように恐る恐る見ちゃう。
一拍。
目を丸くしていたヘリーナは、フッと笑った。
「流石は、主の祖国を守る方のご息女様。私の部下に欲しいくらいです」
ヘリーナは生まれた時から英才教育を施された王女専属の侍女だ。魑魅魍魎の如き貴族同士のやり取りをずっと見てきた。
こんな短時間でも、腹芸の一つもない女子学生の気質を読み取るなど造作もない。
その磨き抜かれた観察眼からすれば、確かに〝悔しい〟というのは本当なのだろうと思う。己が受けた理不尽に対し、屈したくないという負けん気だ。
だが、その感情の根本にあるのは〝悪意や理不尽を見逃したくない〟、もっと言えば〝それに晒されている人達を前に、知らんふりをしたくない〟という、言わば〝正義の心〟に違いなく。
なるほど。
必要悪を認める服部幸太郎は、この国の暗部でもある彼は、間違っても己を〝正義〟と称したりはしないだろうが、それでも彼の心の深奥にある信念は〝祖国と国民の守護〟である。
その気質、心根は、どうやら確かに娘へ受け継がれているらしい。
『計画変更! 後顧の憂いを確実に断ちます!!』
〝念話〟によるヘリーナの指示が迸る。
服部の部下二人を救助したメイド二人が、麗那の傍に二人を座らせ、金髪お下げのメイドと同じくブローチに手を添えた。
更に二枚、異なる性質を持った結界を張る。目には見えないタイプだ。あまり強固な守りを見せると、襲撃者達が諦めて撤退する可能性があるから。もちろん、最悪の場合に備えて〝ゲート〟は展開したまま内側に入れた状態であるが。
その結界が完全に展開される寸前で、ヘリーナは自ら外に出た。
直後、阿吽の呼吸で一部の守備陣形が崩れた。怪物が一体、更に魔術師が二人、突っ込んでくる。
そこから先は、圧巻の一言だった。
「すごい……」
緊張感もどこへやら。まるで主人公無双系のアニメでも見ているかのような安心感、そして高揚感。
堅実にしてトリッキー。少し離れた場所だから、その動きが良く分かる。
ピンッと伸びた一本の芯が通ったような背筋、揺るがぬ頭部、ふんわり広がった足首まであるスカートにより隠された足捌き。すり足の極みというべき流麗かつ独特の歩法が、まるで宙を滑るような動きを実現している。
そのせいで動きの予兆が掴めない。次の動作が著しく読み難い。
おまけに呼吸を読むのが凄まじく上手く、逆に呼吸を隠すのも上手い。技のレパートリーも多種多様。
魔法による暗幕や閃光、極細の〝縛煌鎖〟による拘束や重心の強制移動、地面の小さな陥没や隆起、氷結による足捌きの阻害、感電による数瞬の硬直etc.
攻めきらせず、戦いのペースを掴ませない戦闘。
魔術師達もグール亜種も攻撃の出鼻を尽く挫かれる。
ヘリーナから攻撃の意志を見てカウンターを狙ってみても、感じる意志とは裏腹にするりっと距離を取られてしまう。
極めつけは、だ。
「ダンスでも踊ってるみたい……」
麗那の言う通りだった。被弾覚悟で強引に攻めても、まるで届かない。
グール亜種の豪腕から繰り出される爪撃も、皮膚が硬化した触腕による鞭のような打撃も、魔術師達とは思えない高度な武術と併用された武器も。
その全てが受け流されるからだ。
受け止められたという感触もなく、ただただ己の攻撃の軌道に合流してきたヘリーナの剣により、そのまま力のベクトルだけを変更されてしまう。
その度に響き渡るシャァアアアンッと金属同士が擦れ合う澄んだ音色。回転するヘリーナに合わせて翻るスカートの裾と弧を描く漆黒の剣の軌跡。
確かに舞踏のようだった。
ただし、受け流されたことで、僅かな間だが体勢を崩された者の末路は悲惨だったが。
一撃、そして必殺。
トレイシーを波濤と称するなら、ヘリーナの戦闘はさながら大渦だ。気が付けば抜け出せない流れにはまり深き水の底に呑み込まれる。
まるで手順が決まっている流れ作業のように一人、また一人と倒れゆく襲撃者達。
(イグニスを使った初の実戦ですが……やはり、この剣は破格ですね)
ヘリーナは侍女だ。戦闘のプロが侍女を兼ねているのではない。あくまでも侍女が護衛も兼ねているのだ。
それは取りも直さず、ヘリーナの戦いとは、アシエ家の護衛戦術とは、遅滞戦闘こそが主眼であるということ。
近衛騎士達が駆けつけるまでの間、リリアーナを守り切りさえすれば勝ち。そういう戦い方なのだ。
だがそれは、守り特化型の戦闘術ということであり、同時に〝決定打〟に欠ける戦い方でもあった。
ならもし、だ。
守護という意味では鉄壁の戦闘術であるが故に攻撃力に欠けるというそれに、破格の攻撃力が備わったら?
すなわち、かつて解放者が生きていた時代、魔王の手にあり猛威を振るったそれ。
その後一部の魔人族を世界の潮流から守り抜き、〝魔剣〟でありながら〝守護の剣〟として継承されてきた最高クラスの神話級アーティファクト――イグニス。
答えは、この通り。
「くそっ、なんなんだお前等は!」
「ただのメイドでございます」
遠距離も近距離も通じない。鉄壁の守備に翻弄され、刹那の隙に致命的な一撃が確実に叩き込まれる。
同じ戦闘術を叩き込まれたメイド達が作る防衛線。そこから意図的に突破を許された者達が入り込む、侍女長様の死の闘技場。
誘い込まれている。否、完全に包囲され殲滅態勢に入っている! と、ようやく気が付いたものの時既に遅し。
敵の数が減り、メイド部隊にも余力が出る。もはや逃げ道は完全に失われた。それどころかフォーメーションが更に変わり、止めの一手へと至る。
襲撃者達ではなく、今度は侍女長の攻撃を通すための道が作られた。
「終幕の時間です――」
天を衝かんばかりに掲げられた守護の剣が、血色のオーラを噴き上げ、
「イグニス!!」
振り下ろされた。ただ一撃、唐竹割りに。
なのに、その剣身から飛び出したのは無数の赤き刃。メイド達が作った道を一瞬で駆け抜け、全ての標的に直撃する。
しんっと静まる空間。魔術師達も、そして怪物も、目を見開いたまま硬直している。
一拍。
襲撃者達の体が一斉に、ずるりっと斜めにずれ落ちていく。当然ながら、彼等の意識もまた永遠の闇の中へと消えていったのだった。
「周囲警戒! 一般人の様子は?」
「術は解けていません!」
「では引き続き無力化を。順次、アーティファクトによる回復を試みます」
テキパキと指示を出しつつ、どこからか取り出した鞘に魔剣を収めながら戻ってくるヘリーナ。
かっこいい……と、素直にそう感じて頬を紅潮させている麗那が迎える。
「お待たせいたしました、麗那お嬢様」
「は、はい……いえ、ぜんぜん、はい……」
ぼへぇっとヘリーナを見つめる。完全に憧れのお姉さんを見るような眼差しだった。
だからか、これまた無意識に言葉が転がり出る。
「お、お姉さんは……お父さんの部下でないなら、いったい……」
「? 麗那お嬢様は面識がございませんか? 我が主と」
「え?」
こんな凄い人、というかファンタジーな世界から出てきたような人が仕えている人と、ただの女子高生である自分に面識?
困惑する麗那に、ヘリーナは改めて一礼し名乗った。麗那にとっては衝撃的する事実と共に。
「南雲ハジメ様です」
硬直、困惑。ふわっと脳裏に浮かぶ、最近ちょっと気になっていた、不思議で、どうやらただ者ではないらしい青年の顔。
「正確には、今、お仕えしている方が正式にハジメ様のもとへ嫁ぎ、あの方の妻の一人になってからということになりますが」
今はまだ祖国での仕事がございますので、と苦笑するヘリーナさん。
……
……
……
この時の麗那の表情を表現するなら、まさに〝宇宙猫〟のそれ。
情報と感情が飽和している。無理もない。ただでさえ超常的事件の真っ只中で思考も感情もパンク寸前だったのだ。
そこへ、これである。
なお、服部は南雲家の情報に関して何も麗那に伝えていない。当然だ。南雲家の情報は国家に関わることである。調べれば分かるようなことでも、仕事に関する情報である以上、服部が漏らすことはない。たとえ、ハジメに許可されても身内に話しはしない。
服部幸太郎は、身内に仕事の情報を話したことがある――という事実そのものが危険だからだ。もしかしたら身内なら何か知っているのでは? という疑問を抱かせかねないが故に。
つまり、あの青年がファンタジーなメイド集団のご主人様で、しかも、なんか〝妻の一人〟とか、ちょっとよく分からない情報まで加わって――
と、そこでファンタジー空間から現実に引き戻すような着信音が。
半ば反射的に、それでもノロノロとした動きでスマホを見やる。
お父さんだった。
通話をオン。
『麗那? 無事か? なぜまだ避難していない――』
冷徹で、ちょっと怖いと感じる父の声音。だが、麗那は怯むことなく、というか怯む余裕もなく、ただスゥッと息を吸い。
「どういうことおぉおおおおおおおおお!?」
なんか一杯一杯になっている精神を解き放つかのように、腹の底から叫んだのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
感想欄にて、最終章なんだし書きたい話を存分に書けばいいじゃない的な温かい言葉を幾つも頂きました。ありがとうございます! ニコニコで書いた結果、案の定、予定の半分しか話が進みませんでしたが……久々にヘリーナさんとトレイシー書くの楽しすぎた。時間が足りない。マジでアワーグラスが欲しい……
あと〝上々〟をも超えそうな場合は素直に諦めてナンバリングに変更しようと思います。
遅々とした進みですが、よろしくお願いします。
※ネタ紹介
・ヘリーナさんの受け流し剣術
『パンプキン・シザーズ』のアリス少尉の〝左の護剣〟より。
・癖になってんだ
『HUNTER×HUNTER』のキルア「クセになってんだ。音殺して動くの」より。
※魔剣イグニス
能力の詳細は『450話 トータス旅行記54 流石のヘリーナさん』より。




