第八十九話 聖帝との邂逅
パーティーが終わってから、リドウはすぐにガーラホルン自治領へと帰還していた。
まだそう遅い時間帯ではなかったので、ベアトリクスに取り敢えず報告に行ったら、一緒になって待ち構えていたラクセスから、置いて行った文句をしこたま吐きつけられてしまったリドウは、
「伝説級との戦いで、あんたが何の役に立つんだ?」
と、正直に言ってしまう、ある意味とっても男にあるまじき男である。
リドウからしてみれば、足手纏いをわざわざ連れて行って、自ら危機的状況を招きかねない要素など、一つでも多く潰しておきたいのだ。彼としても、ラクセスが居てもアンドロに負けるとは一ミリも思わなかったが、進んであんな『殺し仕事』を他人の目に晒したいものでもなかった……たった一人でも、それが親しい相手ならば尚更。
今までは連れて行っていたのも、『ここ』に置いておくと“ベアトリクスの”負担が大きいので、できるだけ自分の手元に置いておくためでしかなく、できる事ならば、最初から最後までここでお留守番していてほしいくらいなのだから。
今回はすぐに帰って来る予定だったので置いて行ったわけだが、こうも明確に足手纏いという事実を突きつけられてしまったラクセスは、悔しげに唇を結び、顔を“青ざめさせ”ながら身を翻し、走り去ってしまった。
「……相手が女でも本気で容赦ないな、あなたは」
呆れ顔で言ってくるベアトリクスだったが、リドウは「そうかな?」と首を捻りながら煙を吐き出している。ここは教会から宛がわれているベアトリクスの自室だったが、リドウには積極的に訪ねてきてほしい彼女としては、灰皿は常設だ。
「彼女の現在の行動原理の全ては『あなたのため』、だ。あなたに見捨てられないために、少しでも自分は役に立てると常に示していられなければ、安心していられないのだ。実際にあなたがどう思うかなど関係ない。彼女は強迫観念すら覚えていることだろう。あまり無下にしすぎると、最悪世を儚みかねんぞ」
それを阻止するために、わざわざ面倒を背負い込んだのだろうに、本末転倒ではないかと、ベアトリクスはリドウへ注意する。
彼女自身は、特にラクセスに含むところは無いらしい。元々、千鶴とは違い、リドウを独占したいという気も薄いし、“ラクセス如きに負ける自分ではない”という圧倒的な自信もあるのだろう。
ベアトリクスとしては正直、ラクセスなど“どうでもいい”のだ。だが、自分の知る場所で自殺でもされては寝覚めが悪いので、こうしてリドウに忠告しなくてはならない羽目になっていた。
だが、肝心のリドウの返答は、
「あんま依存されたくねぇんだよ。女のご機嫌を取るために本心を押し隠すなんてマネ、必要もなくしたかねぇしな」
「心配だから、スパイ疑惑まで持ち出して監視を要請してきたのだろうに、もう少しご自分でも気を遣ってもらいたいな」
ベアトリクスのしたり顔に、見抜かれていたか、と心の中で苦笑を浮かべながらも、リドウは泰然とした面持ちで口から煙を吐き出す。
「半分は純粋に監視の意味もあったけどな」
でなけりゃ、あんただって端から断ってたろうに、と続けて言うリドウに、ベアトリクスもあえて否定はしなかった。
「しかし、あれだな……」
「ん?」
「素朴な疑問なのだが……」
「何だ?」
「もし、女がだ、あなたのために料理を作ってくれたとする」
「脈絡もなく、随分と唐突な話だな」
「まあいいから、取り敢えず聞いてくれ。その女は、あなたも憎からず思っている相手だ」
「仮定の話か?」
「ああ。その料理が食うのに困るほど不味かったら、あなたは果たしてどうされる?」
「どうする……? 今一意味が分からねぇんだが。素直に不味い、つって突っ返す以外に選択肢があんのか?」
答えが返ってきた瞬間、ベアトリクスは一瞬黙り込み、どことなく疲れた様子で深々と嘆息した。
「料理関連に大した知識は持ち合わせちゃいねぇが、俺にできる範囲でなら、どこをどう改善した方がいいか助言くらいはするぜ」
「別にその後の行動を問答している訳ではないよ……」
ベアトリクスは頭を抱えて項垂れる。
「本心を押し隠して、美味しいと言って食べてやる、という選択肢は無かったのか?」
「何でそんなマネしなきゃなんねぇんだ?」
どうやら本気で疑問に思っているらしく、リドウの目が驚きで見開かれている。
「相手の女を傷つけないため、だ」
「はあ?」
「世間一般では、それを『男の優しさ』と言うらしいぞ? 時には、男の自分への気持ちを確かめるために、わざと失敗した料理を出す女もいる、と耳にした覚えもある」
途端、リドウの顔が嫌悪で満ちて、ちっという舌打ちが鳴る。
「“それが世間一般の常識”だってなら一度は目を瞑ってやるが、そんな下らねぇ理由で命を粗末にしやがるなんざ許せねぇ。作った本人の味覚が狂ってるとか、本人も意図しねぇ不可抗力ならともかく、わざとやってんなら、二度目はねぇな」
「よくわかった――あなたを当たり前の男に勘定するのは間違っている、とな。非常に今更な気もするが」
他の男とは違う、という定型句は、一般的には褒め言葉として使われるはずだが、しかしこの時のベアトリクスは、リドウを褒めているようには決して思えない口調だった。
が、リドウに気にした風はなく、煙管を灰皿に打ち付けながら言う。
「箸にも棒にも掛からねぇ話だったが、飯の話してたら腹減ってきたな」
「パーティーでしこたま食べてきたのではなかったのか?」
「一度お姫さんと踊ったら、他の小娘どもから次々と申し込まれてな、実際あんま食ってねぇんだよ」
「それはそれは。ご愁傷様」
ふふっと楽しげに笑う様は、リドウからしてみれば底意地の悪い笑みであったようで、「何が楽しいんだよ」という視線を笑い続けるベアトリクスに送るが、あまり意味は無かったようだ。
「そういえば、私もまだだったな。ご一緒させて頂こうか」
と提案して立ち上がるベアトリクス。
ちょっと気分を害したからと言って断るほど、リドウも了見の狭い男ではなく、連れだって部屋を出て行く。
「それにしても、ダンスの嗜みもあったのだな――ああ、ご苦労」
「お疲れさん」
廊下を歩く二人に、すれ違う人々が丁寧に頭を下げていくのを、二人は鷹揚に応えながら、前を向いて話している。
「宮廷作法は一通り叩き込まれてるぜ。どうも窮屈でガラじゃねぇからな、必要ねぇ場面でまでやりたかねぇが。てか、今回初めてまともに貴族のお嬢さん方と話して思ったんだが……」
「何か?」
「貴族令嬢ってのは、もっとみんな賢い女ばかりだと思ってたぜ――あんた程じゃなくてもな」
ベアトリクスは何を言われたのか一瞬理解するのに時間を要したようだったが、次第におかしそうな笑い声がその唇から零れ出した。
「理想的な貴族の女とは――あなたはどういう女だと思う?」
「ベアトリクス=ファン・クラウンディ……もしくは一条千鶴かね、俺が思うに」
「あなたから及第点を貰えたのは嬉しいが、残念ながら違うよ。一条も、為政者としては、あれほど理想的な資質に恵まれた人間もそうはいなかろうが、『貴族の女』としてはある意味最悪だな」
「へえ……」
興味深そうに眉を跳ね上げるリドウに、ベアトリクスはにぃっと口角を皮肉げに吊り上げる。
「美人なのは言うまでもなく、明朗快活でありながら決して男勝りということはなく、純情可憐で、何かしらの教養で他者より秀でる分野があり、礼儀作法は完璧で、外面が良く、取り敢えずよそ様からケチをつけられる要素は見当たらず、夫には従順で、夫の仕事には一切口出しをしようとしない。できれば、よそ様から馬鹿にされないくらいには程々に勉学も嗜んでも、夫の仕事に関わる部分にだけは無頓着――これが理想の貴族の女性像だ」
「…………」
リドウは額を指先で押さえながら、軽く目を瞑って、
「要するに……女の嗜みには造詣が深く、賢くはあるが、てめぇじゃまともに物を考えられねぇ程度には意志薄弱な美人……ってことか?」
「身も蓋もないことを言ってくれる人だな……分かっていたことだが」
リドウの言葉はかなり辛辣だったが、ベアトリクスは妙な物言いをするものの、否定をする気は無いらしかった。
「男女共に、貴族にとって最も重要視されるのはカタログスペックだ。カタログスペックには秀でるが贅沢は言わず、夫の言葉を疑う頭は持たず、夫が失策を犯して凋落してもそれを責めたりはせず、夫が浮気しても笑顔で受け入れてくれる絶世の美女――いれば引く手数多だよ、間違いなく」
「いねぇだろ、そんな都合のいい女」
「案外いるよ、幾らでも。そういう演技をするからな、彼女たちは」
「結婚するまでは?」
「多くは……くくっ、そうだな。あははっ」
女に対して何の理想も幻想も期待も持ち合わせていないリドウの突っ込みに、ベアトリクスはとうとう我慢しきれず、声を上げて笑いだしてしまった。
「貴族に限らず、世の大半の男はそうなんじゃないか? 己を全肯定してくれる美人――取り敢えずこの条件が、基本的に大概の男にとっては理想的な相手らしいぞ? ファル曰く」
だから姫様は、鑑賞するだけなら名人の手が作り出した至高の一品ですが、恋人や妻にする相手としては非常に不適合です――そう、たびたび言われていた、とベアトリクスは自分の従者を思い出して、その時の怒りが再燃してきたのか、ぶすっとむくれて言った。
「理想は所詮、理想だから美しいんだろ。くだら――」
吐き捨てるのか、それとも溜息でもするのかと思いきや、リドウの纏う空気が突然張り詰めた。
何事かとベアトリクスが足を止めて目を見張ると、リドウの視線は廊下の角の向こう側に注がれていることに気づく。その視線の行く先を辿ってみると……
現れたのは一人の女性だった。
かなり小柄だ。見たところ百五十半ば、おそらく高坂愛奈と同じくらいだろう。少しくすんだ金髪を肩のあたりで綺麗に切り揃えた、褐色の肌のオリエンタルな雰囲気漂う容貌で、つり目気味の気の強そうな双眸だが、総合的な目鼻立ちは非常に整ったお嬢さんだった。誰が見ても美人――と言うよりもカワイイ系の美貌の持ち主だが、先ほどまでリドウたちがしていた『理想の貴族令嬢』には間違っても向かないタイプと思われる。
パッと見の年齢は十代半ばから後半で、二十代と判断するには幼さを残す、といったところだろう。騎士が好むピッタリとしたパンツに、複雑なデザインを施された上着を着ている。
彼女はリドウの前まで歩むと、彼の正面に立って、ゆっくりと見上げる。
が、異様な雰囲気のある紫紺の瞳はなぜか彼の顔には定まらず、どこを見ているのか今一判断に困る場所を見つめている。
その“視線”の在り処に、リドウはぴんっとくるものがあった。
「……あんた、もしかして目が見えねぇのか?」
「初対面で断言されたのは初めてだね」
綺麗と可愛いのちょうど中間に位置する見た目を裏切らず、甲高くも麗しい音色の声だった。
「あたしが誰の助けも借りずに歩いてるのを見て、そんなはずはないと、誰でも最初は疑ってくるもんなんだけどね。で、あんたはどこのどいつだい? あたしの予想じゃ、最近売り出し中の月紅なんだけどね、ベア姫」
と、美少女はベアトリクスの方を見上げる。
「ええ、ご明察です。リドウ殿、こちらは」
「聖帝――だろ?」
「そうだよ。自分じゃ“聖”帝ってガラじゃないと思うんだけどね、世間一般じゃそう認識されてる」
『聖』の部分を強調する聖帝さんである。
「一応、自己紹介しておこうかね。名はシルヴィア・ロウ。基本は聖帝って呼ばれてるけど、一部の連中は実家のヴァーレンティンとも呼んでくる。あんたはシルヴィアでいいよ、月紅」
「俺もリドウでいい。貴族の出なのかい?」
「生れ付きの盲目だったせいで、ちっさい頃に捨てられたけどね。貴族って、こういう身体的な障害、それも生れ付きだったりすると、酷く過敏だからさ」
あっけらかんと言い切ってしまうシルヴィアだったが、内容はなかなかに重い話だ。
「アレスブルグに生まれてりゃ、そうでもなかったのかもしれないけどね」
「我が国は、王家が軒並みアレなせいもあって、身体障害には寛容ですからな」
「卑屈な言い方するんじゃないよ。原因はどうあれ、いいことじゃないかい」
「そう仰って頂けると光栄です」
ベアトリクスは、常時よりも幾分緩んだ表情でシルヴィアとやり取りしている。どうやらベアトリクス、シルヴィアのことを相当好意的に思っているらしい。そこには尊敬とか、敬愛とか、その手の念も込められていそうだ。
「答えたくなきゃ答えてくれなくていいんだが……何で今も実家の家名を背負ってんだ?」
捨てられたということは、その時点で実家との縁も切れているはずだし、その際に「今後家の名を名乗る事は許さん」と言い含められているはずなので、リドウは不思議に思ったらしい。
「別に、大した話じゃないけどね。それより、あんたらはどっかに行くつもりだったんじゃないのかい?」
二人がご飯に行く途中だったと答えると、じゃあ自分も付き合うよと、シルヴィアは言って、三人は並んで歩き出した。
「物心つく前に捨てられたあたしを教会は拾ってくれた。細かい事情を知ったのは十六の成人を迎えてからだったけどね。うちじゃ、出自のハッキリしてる孤児は、成人と共にそれを教えられるから」
「つぅと、割と最近じゃねぇか」
「ああいや、目が見えないあたしにゃよく分からないんだけど、あたしゃハイエンドにしてもかなり若く見えるらしいよ。よく勘違いされるけど、そろそろ三十八になるはずだ」
「マジか……?」
実年齢より軽く二十歳は若く見える。正直、ようやく成人(十六歳)にしか見えない。
「リュリュ殿と同じだよ、リドウ殿。ロウ殿の例があるから、リュリュ殿のことも、皆、多少は疑問に思っても、受け入れることができたんだ」
「…………」
あれは苦し紛れの言い訳を、さも当然のように堂々と言い切っただけだったので、実物が存在したとは、リドウも流石に考えていなかった。もっとも、シルヴィアとリュリュの外見年齢にして四年ほどの差は決して小さくなかったが。
シルヴィアの方は、小さい頃から教会で育ったという明確な証拠があるのだから、いきなり現れたリュリュとは訳が違い、誰でも信じざるを得なかったのだろう。
「教会の方は、盲目のあたしにもできるような“お手伝い”しかさせようとしなかったけど、あたしゃそれが嫌でね。それで……まあ、細かい途中経過は省くけど、色々やってる内に闘気に目覚めて、いつの間にか聖帝を襲名してたね」
何でもない風に言うが、その『途中経過』にあった努力は並大抵のものではないだろう。
今だって、シルヴィアは何の不自由も感じさせずに歩いて、リドウたちの前を率先して行きながら、正確に角を曲がっている。
「……どうやって判断してるんだ?」
「道かい? 基本は音さね。足音の反響音。あとは空気の動きとか、無機物以外なら気配」
シルヴィアが不自然に言葉を切った。
一緒に歩いていたベアトリクスが“事”を認識したのは完全に事後の話だった。
「……お戯れがすぎるね、坊や」
シルヴィアは首を左に大きく傾げ、その耳元を掠めるようにして突き出るリドウの拳を、自分の左手で受け止めていた。
「リドウ殿……」
目を爛々と輝かせているリドウを、ベアトリクスが困り切った顔で窘めている。
その内心で、改めてリドウの技量に戦慄を抱いていたりもした。速いとか遅いとかの問題ではなく、技術力だけで、彼女では“打たれてからようやく気づける”ような攻撃をしてみせたのだ。
が、それを行った本人は別に誇るでもなく、とってもイイ笑みを浮かべていらっしゃるばかり。
「いや、すまん。ちっとばかし試してみたくってな。謝罪なら幾らでもするぜ」
「いいよ、別に、気にしちゃいないから。けどね、あたしじゃなかったらタダじゃ済まなかったよ?」
「最低限の防御くらいはしてくれると期待してたぜ。それにしても、すげぇよ。身辺の察知能力は俺じゃ比較にならなそうだ。可能な限り気配を揺らさねぇようにしたつもりだったんだが、こうも見事に避けられるとはな」
「自慢じゃなくて、注意したんだけどね……まあいいけど。あたしが強くなれた理由の半分はこの体質があったからだろうよ。目が見えてたら、きっとここまでは来られなかったね」
そこには一体どれだけの努力が介在したのか……きっと想像を絶するものだったに違いないとリドウは考え、それを誇ろうとする様子を欠片も見せないシルヴィアに、彼は自然と畏敬にすら似た感情を抱いていた。正直、アキレウス神父や烈震のガルフなど、敬意を覚えた人間なら、この二年足らずで何名か出会っているが、魔王以外で畏怖を抱いた人間は極々僅かにアレクサンドル・ラヴァリエーレ唯一人だけだった。
それが、ここにきて更に一名追加されそうだった。
その感覚が本当に新鮮で、リドウはますますこのシルヴィアに興味が湧いてくる気がした。
「で、どこまで話したっけね」
「聖帝を襲名されたところまでですよ」
ベアトリクスも、この相手には敬語が常態のようだ。
「ああ、そうだったね。聖帝を襲名した頃はとっくに自分の出自を知ってたけど、あたし自身は正直、何とも思わなくてね。捨てられたのは物心つく前だったし、実家に関する記憶なんて欠片も無いしさ、教会での暮らしにも不満は無かったしね。ヴァーレンティン家って言われても、どこのどなた様? って感じさね」
シルヴィア自身は実家に対して何の拘りも無いらしく、また恨みも感じていなかったようだ。
「もしかして、聖帝を襲名したあんたの権威を実家が欲して、実家がよりを戻そうとしたのか?」
「そうだよ」
それでよく、その気になったものだ。リドウは感心半分、呆れ半分でそう思う。
「権威ってより、財力だったんだけどね、どちらかと言えば。あたしが聖帝を襲名するまでに、見事に没落しかかってたんだよ。あたしの固有資産なんて有って無いようなもんなんだけどさ、ちょっとワガママ言えば叶えられないわけじゃなかったから」
「そこまでは私も人伝に聞いた事がありますが、ご本人からも一度お聞きしたかったのです。どうして、あなたを捨てた人々に、そこまでして差し上げる気になられたのですか?」
「さあ、どうしてだろうね」
シルヴィアの唇が優しげに綻んでいる。自分でも本当によく分かっていないらしい。
「あえて言うなら、どうでもよかったんだろうね。ただ、他人の不幸を自分から望みたくはなかったってだけで……実家が完全に没落すりゃ、領内は少なからず混乱するだろ?」
「そりゃまあ、避けられねぇだろうな」
「あたしだって、なんの不自由もない暮らしを世の中でお困りの全ての民草に提供してやろうなんて神様気取るつもりはさらさら無いけどね、ヴァーレンティンとは血の繋がりって、『こじ付けできる理由』があった……それが全ての理由かね」
シルヴィアは、まるで陽だまりのような明るい顔で、えぐい内容の話を笑い飛ばしてしまう。
「もっとも、あたしがあんまり素直に承知したせいで、調子に乗ったあたしの両親だって連中が、勝手にあたしの夫だって男を連れてきた時は、流石に半殺しにしてやったけどね」
はっはっはと、景気よく笑うシルヴィアだ。
リドウやベアトリクスは別に引くわけでもなく、さもありなん、と納得顔だ。むしろ、よくぞ“その程度”で済ませたもんだと、シルヴィアの心の広さを賞賛せんばかりの様子だった。
「半殺しついでに、あんな他人に寄生するくらいしか能の無い馬鹿共に領地の運営なんてさせてたら、また金をせびりに来かねないと思って、あたしの兄ってのがまともらしかったから、さっさとそっちに継承させたけどね」
「領地運営にしくじった領主を、何の責任も取らせねぇで、そのまま領主の椅子に座らせておく方が大問題だろ」
「身内だからな、責任問題にはせずに済む面はあるが、物心つく前に捨てた娘では難しいだろうな」
「くれてやった金を返せとは言わないけど、あたしは今度こそヴァーレンティン家と縁切りさせてもらうって言ったら、例の兄が、王に直接掛け合って、父親を更迭したらしいよ」
元々、シルヴィアが聖帝を襲名した際、『将来の聖帝』……というよりも、『将来の至天』をむざむざと手放したとして、国王からの覚えが非常によろしくなくなっていたそうで、彼女の大らかな人格のおかげでその零落していた名誉を回復した矢先に、また自業自得で縁を切られかけたのだ。国王は二つ返事で了承したらしい。
ちなみに、聖帝が必ずしも至天であるわけではない。至天とは完全実力称号なので、実力が至天に相応しくなければ、聖帝とは唯の『リリス教会神殿騎士筆頭称号』でしかなく、歴代聖帝で至天も兼ねたのは僅かにシルヴィアだけだ。至天の位が出来たのが百年少々前なので、もっと過去に遡れば、もう数名は至天に相応しい聖帝も居たとされてはいるが。
その後、リドウたち三人は食堂に到着する。
こうしたリリス教の各大陸中央教会の大聖堂には、規模が規模なので、かなり遅い時間帯までやっている大食堂が必ずある。またメニューも、リリス教では特に禁忌とされる食べ物もなく、仏教のような食事制限による『修業』など無いので、割と豊富に用意されている。もっとも、豪華な食材が用いられたお貴族様の豪勢な食事に匹敵する物は流石に供されないが。メニューは豊富でも、内容は質素なものだ。
質素ながらに楽しむ努力をしているのだ。質素を目指すあまり、わざと手順を簡略化し、“質素すぎる”料理を食べるのが本当の質素、と主張する人々も世の中には居るようだし、別にそれで本人が満足しているならご自由にどうぞ、という感じではあるが、リリス教では、同じ材料を使って作れるのなら、少しでもイイモノにした方が正しい行いだ、とされているのである。
一日では使い切れず、余ってしまう材料も出てくるが、それらは教会の職員たちがきっちり冷凍させて保存しているので、無駄になる材料は殆ど出てこない。その程度なら、『魔法使い』に頼らずとも、キャスティングの中位魔法で十分事が足りる。氷系は消費魔力が雷系の次に多い魔法だが、一発くらいなら使える人間は、一般人の二十人に一人くらいは居るものだ。
聖帝、アレスブルグ第一王女、そして月紅の超VIP三名が勢揃いした光景に、反射的に室内が水を打ったように静まり返っている。
が、それも一瞬のことで、すぐに全員が入れ代わり立ち代わり、シルヴィアの前に来て一言挨拶をと長蛇の列を作る。リドウもベアトリクスも、リリス教に対する貢献度及び人気は並々ならぬものがあったが、やはりリリス教会においては、聖帝に勝るものではなかったようで、シルヴィアが第一に優先されている。まあ、それで気を悪くする二人であるわけもなかったが。
もっとも、
「鬱陶しいね。さっさと席に戻って食事を済ませちまいな!」
シルヴィアは囲まれるのが好きではないようで、しっしと手を振って、半ば恫喝するように追い払ってしまった。
至天の聖帝だからと言って特別扱いされることはないのがリリス教で、シルヴィアは自分で食事を注文しに行っている。目が見えないため、メニューの内容を口頭で質問する姿は見られても、それ以上の助力は、申し出ようにも口にできない雰囲気を、彼女は自然に発していた。
特別扱いされることはないとは言え、この三人と同じ席に着く勇気までは流石に無いのか、計十六名が座れる大きなテーブルが等間隔に設置されている中、比較的空いているテーブルに着いた一同であったが、途端に、同じテーブルに座っていた先駆者たちが、他のテーブルにいそいそと、食べかけのトレイごと移っていった。挨拶は交わしたくても、馴れ馴れしくするには、この三人は格調が高すぎるらしい。
気を遣う必要は無いのに、と揃って思う三人だったが、神経に負担をかけてまで自分たちと同じ席で食べろ、とも思わなかったので、そこは黙って見逃してあげる。
「そうそう。大分世話になってるようだね、坊や。礼を言っとくよ」
「何がだ?」
「魔物退治だよ。もう八件も片づけてくれたって聞いてるよ」
「今日で九件になりましたね」
「そうかい、そりゃご苦労だったね。あたしも頑張ってるつもりなんだけどね、まだあんたの半分にも満たない三件だよ。どうしても移動で時間を食われちまってさ」
「そりゃ仕方ねぇだろ。向き不向きの問題だ」
「それに、ロウ殿は討伐任務にだけ感けてばかりもいられないから」
「フォローありがとよ、ベア姫。それにしても便利すぎるね、坊や。転移と飛行ができる術者はこういう時、重宝する。自力で大陸跨ぐような距離を転移できるようなのは、アニーか烈震くらいのもんだと思ってたよ。それにしても、戦闘できる余力を残すには余分な日数が掛かるからね。助かる」
こうして食べる姿にも一切の淀みが感じられない。本当に目が見えていないのか、これでは疑いたくなる人間が居るのも無理はない。
他人の視線の動きが漠然と明確に……というのも何だか妙な表現だが、何となくどこに向いているかをある程度は感じ取れるリドウだから、今もシルヴィアの視線は決して皿に注がれているわけではないと理解できるが、察しの悪い人間ならば、そもそも彼女が盲目である事にすら気づかないかもしれない。それ程に、不自由の欠片も感じさせない動作だった。
「あたしじゃちょっと勝つのは難しそうな感じだし、味方としちゃ頼もしい限りだよ」
ちょいちょいと食事を摘みながら、平然と自分の不利を認めてしまった。が、勝てない、と明言したわけではないところが肝心要でもあった。
二人のやり取りに、食事の手を止めて息を呑んでしまうベアトリクスもいる。
(私では到底及ばぬ次元の話だな……悔しいが)
「あんたとは一度、魔法抜きでやってみてぇな」
「よしときなよ。それじゃあたしが勝つ」
しれっと、勝って当たり前と言うシルヴィアに、リドウの笑みが楽しげに牙をむく。
「そう言われると、ますます試したくなってくるね」
「いずれね。今はあたしたちが潰れるわけにはいかないだろ」
「分かってるよ。いずれな」
「ああ、いずれ、だよ」
二人はにっと唇だけ笑って顔を合わせる。
「ところで、何だか今日は、いつもより女たちの視線が妙な雰囲気だね。何かあるのかい?」
「ああ、それはリドウ殿が居るからでしょう」
「もしかして、色男なのかい?」
「一万人の男を無作為に集めたら、その中で五指にはまず入るでしょうな。あとは好みの問題でしょう」
「へえ。あたしには見てくれの良し悪しなんてとんと意味不明なんだけど、そりゃ恵まれてるね、坊や。剣姫が持ってた最年少記録を抜いて至天に収まった上に男前なんて、女がほっとかないだろ」
「さあ、どうかな」
「謙虚だねぇ。面白い男だよ」
「そうか?」
リドウの質問を受けたシルヴィアは意味深に笑う。
「よく、目が見えない人間は、普通の人間よりも他の感覚が鋭敏になるって聞かないかい? あたしもその口でね、人には見えにくいものが見えたりすこともある」
「それが?」
「あんた――かなり普通じゃないね」
「そうかな」
単刀直入かつ率直だったが、シルヴィアの表情は笑顔を保ったままだったし、リドウの態度にも特別な変化は無かった。
「ほら、やっぱり普通じゃない」
「……どういうことだ?」
今の自分の態度のどこに、『普通じゃない』という意見を肯定する要素があったのか、リドウにも理解ができず、思いがけず声が若干低まってしまう。
「普通、普通じゃない、なんて女から言われたら、大半の男たちは悦ぶ――『あなたは他の有象無象とは違うわね』って感じに、勝手に脳内変換してね。どうやらあたしゃ美人らしいからね、そんな女から言われたら尚更さね。外面では『そんな事はありませんよ』とでも謙遜してみせても、内心は有頂天になる……か、異常者扱いされたと思って怒るか、さ。けどあんたは違った。本当に自分を普通だと思っているね?」
ナイフとフォークを置いたシルヴィアは、顎を撫でながらリドウの方を向く。彼女にとって、何かを観察するのに一々顔を向ける必要は無いのだろうが、対象の方へ顔を向けてしまうのは単純に癖なのだろう。
「いや、少し違うね。自分の異常性に一定の理解はあっても、それは大した事じゃないと、心底思っているんだ」
「ハイエンドなんて連中は、どこかしら頭のネジがぶっ飛んでるもんだろ、往々にして」
「そういう意味じゃない。もっと根本的に……どこかがズレている、と……あたしゃ言ってるんだ」
ベアトリクスは注意深く二人の会話の行方を見守っている。まさか魔神の息子とまで見抜いたとは思えないが、
(相変わらず、恐ろしい方だな……。人物眼に関しては、もういっそ化け物染みている……盲目のこの方に対して人物“眼”というのも変な話だが)
とか考えていることも、こうしてリドウと会話をしながら、シルヴィアならば同時進行で見抜いていそうで怖い、とベアトリクスは心の内で唸る。
二人の間に横たわる緊迫した空気に、自然とつられて沈黙してしまうベアトリクスだったが、その空気が唐突に融解したのには、咄嗟についていけないでいた――
「ま、好きだけどね」
「そりゃ光栄だ」
――と、微笑み合う二人には、到底。




