第八十八話 複雑な心境
ケルベロスの一件から、そろそろ百日が経過しようとしていた。その間にリドウが片付けた“仕事”は八件。その功績により、結局あっさり『至天』とやらに叙任されてしまったりするが、その称号を得たからといって特に余計な義務が発生するわけではないので、リドウはあまり気にしていない。
しかし、それだけの時間で八件とは少ないようにも感じられるが、意見調整に少なからず時間が掛かっているのが現実であった。どこの国だってさっさと魔物を討伐してしまいたいのだ。
それに、リドウは、討伐依頼に関しては、移動も戦闘も全て能力全開で行っているのだが、それでも一仕事に四、五日は掛かってしまうのはざらだ。
別大陸の仕事であれば教会の転移魔方陣を使用しているが、起動するだけでも半日は掛かってしまう。空間転移魔法は移動先の座標を正確に把握もできずに安易に行使できるものではないし、行った事もない場所にいきなり行けるものではない。
しかし、本日の件に関しては、そう時間は掛からずに済みそうだった。
もっとも、リドウにとってはちょっとばかり面倒な事になってしまったが……。
切っ掛けは、これまでの数件と同様にベアトリクスだった。
しかし、いつもなら落ち着いた様子でどこそこの魔物を討伐に行ってくれと言ってくる彼女が、この日は彼女らしかぬ焦燥感に満ち溢れた風情で、リドウに対して“大至急”だと言ってきたのだ。
どうやら、その魔物が発生した国の首都がとうとう襲撃されたらしい。今は宮廷戦略旅団と、雇われた冒険者たちの必死の奮闘によって何とか持ち堪えているそうだ。
相手の魔物は彼らでも倒せるレベルらしいのだが、それには少なからず犠牲は避けられない。早くリドウに行ってもらいたいと言うのだ。
今、手が空いているのは、リドウとリュリュ、それに聖帝さんだった。
もっとも、『手が空いている』というのも語弊があったが。リュリュは割と気紛れな出撃をしているが、リドウと聖帝さんに関しては殆どまともな休みも無い有り様だったのだから。ただ、ちょうど両者共に、手を付けていた仕事が終わったジャストタイミングであった。
そこでベアトリクスが聖帝よりもリドウを選んだ理由は、実力云々よりも、殲滅師として“あらゆる手段で移動が可能”というものだった。
そもそも、空間転移は『移動距離×移動質量=消費魔力』のような図式が成立してしまうという、地味ながらに大魔法だったりするので、国を跨ぐような距離など、準ハイエンド程度では一発で魔力が枯渇しかねないし、下手をすれば精神疲労により頭がプッツンしかねない。流石にくるくるパーになるような過剰行使は本能が拒否するだろうが。
だが、今回の伝説級同時襲撃事件ではリドウの空間転移能力や、それに飛行能力が重要な意味を持ってくると、ベアトリクスは最初から考えていた。
聖帝はそもそも気功士で、空間転移などできない。しかし、雪華ならば普通に使える。が、雪華にそれを求めてしまえば、肝心要の魔物を前にしてまともに戦えるかに大きな不安が残る。
しかし、リドウならば気功士としての力だけでも、大半の魔物に後れを取る事はないだろう。
と言った考慮の末に、彼女はあらかじめリドウがどれだけの距離を“どの条件で”転移できるのか詳細に教えてもらっておいたのだ。
したら、魔力満タンで座標がハッキリしていれば、自分一人なら世界の半分くらいはいけると思う、という答えが返ってきて、ベアトリクスは頭痛を感じて眉間を指先で押さえながら項垂れて首を横に振っていた――非常識め、と。この男、気功士よりも魔道士寄りとは聞いているが、魔道士としては烈震と雪華を素で超えているのではないか? とことん反則チックな男だ、と。
リドウも実際にそんな長距離を転移した経験は無いので、感覚的には多分、と注釈はついていたが、気功士にしろ魔道士にしろ、能力者が持つ“その手の感覚”は、己の実力を偽って大法螺を吹いているのでなければまず間違いはないと、ベアトリクスは実体験で知っていたので、疑いはしなかった。
そして好都合にも、今回首都襲撃を受けた国は、以前にリドウが他の国の討伐依頼に出た際に通り掛かった場所だったのだ。
ベアトリクスから頼まれたリドウは、即座に転移先の座標を思い出しながら、「じゃ、行ってくるぜ」と気楽に言い放って、彼女の目の前から文字通りに消え去った。
余談だが、側にいたラクセスが、「お、おい! 私を忘れ」と焦って近寄ってくる姿を横目に、リドウは勝手に行ってしまった。
「報われないな、お互い」
「別に私は……」
とか、残された女性陣が微笑ましげなやり取りをしていたが、リドウが知るはずもない。
リドウが大陸すら跨いで空間を渡って現れた先は、件の首都を一望できる上空千メートル程の場所だった。
空間転移魔法の行使には転移先の座標がハッキリしていなければならないが、かといって思った場所にピンポイントで出現するのは非常に高度な技術が求められる。リドウも、自分一人で千メートル範囲内くらいなら誤差数センチ以内で成功させる自信はあるが、こんな超長距離では流石に無理だった。だからこうした場合、何も障害物が無いお空の上に転移するのが一番安全確実なのである。
「あれか」
都市部から数キロメートルくらいの場所で、ライオンを大きくしたような魔物と十数名に上る人間が戦っている。個体名は『アンドロ』と言い、リドウが名を上げる切っ掛けとなったリントブルムと、ちょうど同じ等級の魔物だった。
都市部を隔てて反対側では、数千人の人間が群れを成して、少しでも遠くへ逃げようと必死の形相で移動している姿も見られる。アンドロ程度なら、宮廷戦略旅団に流れの冒険者も加わった戦力があれば倒せるはずだが、だからと言って人間なのだから安穏としていられるものではないだろう。
それだけの戦力があるならば、襲撃される前にとっとと討伐してしまっていれば良かったのにという意見もあるだろうが、元々は下手に戦力をすり減らしたくないというリリス教連盟の大戦略があったのだから、仕方がなかった。
だからこそ、リドウは急ぐ必要があった。大戦略に従った結果、後手に回って余計な被害が出てしまったと言われないためにも、一人も余計な犠牲は出さずにアンドロを始末する必要があったのだ。もっとも、彼自身の心情的にも、余計な犠牲など出したいわけがなかったのだが。
すかさず現場の直上まで再度の空間転移を行ったリドウは、そこから一気に空気の足場を用いて急降下する。
リドウは墜落しながら冷静な表情で刀の柄に手を掛ける。
そして一刀のもとにアンドロの首を刎ねてしまう。
アンドロと死闘を繰り広げていた者たちは、戦闘にだけ集中していたせいもあるだろうが、リドウのスピードが速すぎて、何が起こったのかは、事切れたアンドロの死骸が独りでに燃え上がったのを見て、ようやく理解した。
――自分たちは助かったのだ――と。
彼らとて、宮廷戦略旅団の誇りと名誉に懸けて、勝てなかったとは思わなかったし、言わない。
しかし、少なからぬ犠牲は避けられなかったはずだ。
自分が無事だったことに、そして同僚にして友人たちが無事だったことに、わぁっと場が歓声で包まれた。
……が、リドウの顔には何の感情も浮かんでいない。
彼は静かにぐるっと場を見渡し、瀕死の怪我人は取り敢えず見当たらない事を確認すると、何も言わずに空へ飛びあがってしまった。
その背に、ちょっと待て、といった類の静止の言葉が投げ掛けられるが、リドウは振り向きもせず飛び去ってしまう。
礼の一つも言えずに置いて行かれてしまった彼らは大きな困惑を示していたが、リドウは一切構わずに飛び去ってしまった。
リドウはそのまま、避難中の群集の方へと飛んでいく。
その先頭を行く豪奢な馬車、その前にリドウは着地した。
「何者だ!?」
馬車を中心に守りを固めている兵士たちが即座に臨戦態勢を整える。
「リドウ」
問われたので簡潔に答えるリドウであった。そろそろ本名も知れ渡ってきて、二つ名を名乗るという羞恥プレイが無くても良くなってきたのだが、今回も兵士たちはそれで理解してくれたようだ。
「仕事は果たした――そう、馬車の中の奴に伝えてくれ」
リドウは言い捨てるようにも思える口調で報告すると、身を翻しながら、さてどうやって帰ろうかなと考える。流石にもう一度ガーラホルン自治領まで転移できる程の魔力は残っていなかったのだ。
半日くらい休めば帰還分くらいは回復するだろうが、暇を潰そうにも街からは住民が避難してしまっていて店などやっていないだろうし、さてどうしようかな、と。
この大陸の中央教会に行って転移方陣を使わせてもらおうにも、そもそも転移方陣の起動に半日くらいの時間は要されてしまうし、更に決して安くない資金が必要とされてしまうのだから、意味が無かった。
空を飛んで近くの町でも探そうかなとも一瞬思うが、それも面倒くさいと即座に却下する。
結局、行動方針も決まらずに空を飛んでも仕方ないので、適当にぶらついて、どっか広場でも見つかったら鍛錬でもするかなと考えながら、煙管を銜えて歩き出す。
その背に、
「お待ちください!」
という女性の声が掛かり、リドウは振り返る。
騎士の手を借りながら馬車から降りてくる女性が彼の目に映った。
額の上に小さなティアラを乗せ、純白のドレスを纏ったその姿は、全力で「私、お姫様です」と主張している。
可愛らしい娘さんだ。ワンピースのドレスのスカート部分を両手で撮み上げながら、緩やかにウェーブの掛かった明るい茶髪を揺らして、小走りに、しかしあくまでも上品に近寄ってくるのを、リドウは静かにその場に留まったままで眺めていた。
年齢は十五、六くらいだろうか? 何不自由なく大切に大切に育てられたが故の無邪気さというか、無垢で純情な第一印象を受ける。これこそが『お姫様』の見本だろうと、時折この世界の登場人物たちに理不尽なものを感じている某『お嬢』あたりなら力一杯に感動していたかもしれない。計算高くてお淑やかとは程遠く、羞恥心にも表情の変化にも今一乏しい銀髪紅眼の麗女とは女子力ならぬ『姫君力』とも言うべき数値が桁違いで、計測器が破裂しそうだ。
が、リドウはむしろ、何となく出逢った頃のお嬢を思い出させるな……と感じて、ふと微笑ましい気持ちになってしまう。彼女は今でも天真爛漫で純情潔癖な面はあまり変わらないが、夢見がちなお姫様という感じはすっかり失せてしまっている。目の前で捕獲した獲物を捌いても平然としたものだし、娼婦を見ても嫌悪感を表すことはない。
家族以外では己が人生の中で最も長く付き合ってきた年下の小娘の変化、それは、少なくともリドウにとってはとても好ましいもので、思い出すと自然に表情が優しそうに小さく笑みを形作ってしまう。
そのせいで、すぐ傍まで走り寄ってきていた彼女は一撃でノックアウトされてしまったようであった。頬を紅潮させているのは決して走って息が上がったからではあるまい。
「何か?」
「あの……えと……」
両手を組んで人差し指をもじもじさせているお姫様を、兵士たちは微妙な顔つきで眺めている。人によってはハッキリと苦い顔をしている。
相手は自分たちが仕える姫様と、公式的な立場は彼女よりも上位、王と完全に対等として扱われる至天の一人だ、自分たちがどうこう口を挟める相手ではない。が、いくら相手が英雄とはいえ、まだまだ『新人』のぽっと出に、うちの可愛い姫様をくれてやれるかっ、といったところだろう。
「わ、私、あなたのファンなんです!」
ルスティニアには『サイン』の概念が無いのだが、地球だったら「サインください!」とでも続けていそうな勢いだった。
これには流石に面食らった様子のリドウだ。
「そりゃ……どうも……」
返事も自ずと適当なものになってしまう。
そもそもリドウは、正直に言ってしまえば、あまり嬉しくなかったのだ。自分が名を挙げているのは主に魔物討伐の功績によるものだ。『殺し働き』でファンだなんだと言われても非常に困る。間違っても喜ぶ気にはなれない。
「それで、あの……お礼をさせて下さい」
リドウの態度があまり好意的ではなさそうと思ったのか、消え入りそうなか細い声だった。ファン宣言からいきなりお礼とは、微妙に文脈がおかしなお姫様の発言であったが、どうやら頭がテンパっているらしい。
「いや、結構だ。こっちは元々仕事だからな」
報酬ならちゃんと他を経由して発生しているから、お姫様が気にする事ではないとリドウは言うが、
「それにっ、父にも紹介したいので!」
必死の様子で言い募るお姫様であった。
聞きようによってはプロポーズにすら受け取られそうな発言であったが、彼女にそんなつもりはないのだろう。そもそも彼女には既に婚約者がいるのだ。おそらく、政治的な理由から父王と面識を作ってほしかったのだと思われる。
「そこに居ねぇのかい?」
リドウは深読みせず、馬車の方を見る。流石に彼でも、こうも周囲にわらわらと人が群れを成している状況で、一人分の素人の気配など感じ取れない。
「父は……我が国の騎士たちがアンドロ如きに負けるわけはないと言い張っておりまして……」
自国の宮廷戦略旅団に絶対の信頼を置いているから、逃げる必要などないという事らしい。
問題はそういう事ではないのだが……。
確かに、先ほどアンドロと戦っていた面々だけでも、アンドロを倒す事はできたであろう。しかし、市街地への侵入を阻止できたかはかなり怪しいところだった。
倒せる倒せない以前に、住民の避難は必要だったのだ。
しかし、この国の王を単なる愚か者と決めつけるのは早計であろう。ならば、今のように、お姫様が民の先頭に立って避難を敢行しているのは少々不自然だ。
(なるほど……大した王だな)
リドウはお姫様の言葉から、一瞬でこの国の現王の人物像を推測し、心の中で賞賛の言葉を贈っていた。
そもそも、そこまで愚かであれば、民に避難をさせたりしないだろう。勝手に逃げ出す民はいたであろうが、王が逃げ出さないなら、「別に大丈夫なんじゃないか?」と流される方が圧倒的多数だろう。いつの時代でも場所でも、民間人など所詮はそんなものだ。この国も比較的大国であり、伝説級中位までなら、大国の宮廷戦略旅団が一揃いしていればまず倒せるというのが通説なのだから。
このお姫様が動かぬ父に業を煮やして自ら先頭に立った……ようには、彼女には失礼ながら思えなかった。
「親父さんはどう言って城に残ったんだい?」
「城が落ちるようならば、自分は城と共に死ぬ、と。ですが、民を自分の巻き添えにするわけにはいかないから、私が共に行け、と」
お姫様のこの発言で、リドウは思った通りかと確信した。
ただし、お姫様の証言を、額面通りに受け取ってはいけない。
この国の力だけでもアンドロはまず倒せたのだ。城は街の中心部に位置し、そこまで侵入される可能性は流石に少ないし、しかも、すぐに月紅が救援に駆けつけてくれる話になっていたのだ。
王が城に残ったのはパフォーマンスだろう。大胆不敵な強王であると内外に示し、更にアンドロと戦っている者たちへ「王の信頼に応えるぞ!」という気にさせ、士気を高く保たせる。
しかし、決して多くはない可能性だが、城が襲撃されて自らの命を落とす事は考えられた。自分の身の安全が第一という小心者では絶対に選べないだろう。
全ての現状を計算に入れて答えを弾き出すと、この国の王は非常に計算高くありながら小心とは無縁であり、国のために己を捨てる事ができる胆力の持ち主であり、優れた決断力も持っていると思われる。
そんな人物なら、今後のためにも一度会っておくのも悪くないかもしれない――リドウはそう考えた。
それから数時間後。
「あたくし、グランシア伯爵の四男の娘でロレインと申します」
「レム・ラディス子爵の次女、ミディスです」
「オランド辺境伯の姪にあたります、ユミールですわ」
「ああ、よろしく」
リドウはなぜか、華やかな衣装で着飾った貴族の娘さんたちに囲まれていた。彼は辟易とした内心は努めて表に出さないよう気をつけながら、ワイングラスを片手に、無難に対応している。
――タイミングが悪かったとしか言いようがない。
本日はこの国、バル・ガイア王国のいわゆる『建国記念日』にあたるそうで、国中の貴族たちが舞踏会に参加する予定だったそうな。
それが、アンドロ襲撃でお流れになりそうだったが、リドウがさくっと片づけてくれたおかげで、中止にならずにすんでいた。
舞踏会に参加するためにこちらへ向かっているはずの貴族たちには、アンドロ襲撃と同時に早馬で中止の報が行っているはずだったが、襲撃から撃退までに掛かった時間が短かったおかげで、改めて出した早馬が、帰宅途中の貴族たちに追いついてくれたのであった。
そりゃ良かったな、と他人事のように思っていたリドウであったが、ある意味当然の流れなのか、王様に参加していけと提案されてしまったのだ。両者の立場は、どちらが上でも下でもない対等なものなので、『命令』ではなかったのは確かなのだが、大臣以下の上層部がこぞって賛同して“くれやがった”し、どうせ時間は潰さなければならないしというのもあって、最終的には押し切られてしまった。
この時のリドウは、正直、なぜそんな“無理”までして舞踏会を開くのか疑問に思った。帰宅を始めてしまった貴族たちに早馬を出して、追いつけるのは間違いないだろうが、開始時間が予定されたものよりも遅れるのは避けられないだろう。そこまで無理をして開催する意味があるのだろうか?
その理由は至極単純で、彼らはリドウが目当てだったのだ。より正確に言えば『月紅卿』が、だが。
そもそもこの建国記念舞踏会は、この国の未婚の貴族子女にとっては集団お見合いの場としての意味合いが強い催し物らしかった。
家格は低いが、親戚などのコネクションは案外馬鹿にできないという、実に微妙な地位にある貴族、その中で更に未婚で、婚約者も決まっていないという子女が、この場で相手探しをするのだ。もっと位が高かったり、長男だったりすると、そんな『自由』など殆ど無いが。
とは言え、実際にこの場で「じゃあ、お付き合いしましょうか」と即決されるわけではない。
正しく言えば、この舞踏会は『お見合いの段取りが大好きなお節介オバサンから、お見合い相手の写真を見せられて、相手のスペックを説明されている』ようなものなのだ。男子であれば己の優秀さを、女子であれば容姿や芸事の習熟度を、連れて来てくれた親戚のオジサンやオバサンが“大げさ”に吹聴してくれるのを聞きながら、彼ら彼女らはその横でニコニコと笑顔を絶やさずに立って、時には謙遜したり、時には相手からの純粋な賛辞ともお世辞とも取れる言葉に礼を言ったりしている。紳士淑女である彼ら彼女らは、自分から己のスペックを自慢したりは決してしない。その役目は、彼ら彼女らを“自慢するために連れて来た”極めて高い地位を持つ親戚の役目なのだ。
そして、この場で気に入った相手がいれば、後日その親戚に、あの人がいい、といった感じの打診をしたり、逆に「彼は若いのになかなか出来た青年だったな」といった具合に打診されたりするわけだ。
――その『ターゲット』として、月紅卿は最高に美味しい獲物であった。
リドウたちハイエンド、その中でも更に至天ともなると、その影響力は計り知れない。
権力は一切持たない彼らだが、その身が秘める武力は、中小国家では対抗する事すら難しい。彼らから「逆らったら潰すぞ?」と脅迫されればどうにもならないのだ。
大国だって、彼らと武力衝突してしまえば結局は終わる。倒す事はできたとしても、被害は凄まじいものになるだろうし、それで得られる利は実質的に『平民一人の打倒』以上の意味は無い。
無論、彼らは決してそんなマネはしない。彼らは己の持つ力がどれだけ理不尽なものであるのかを理解しているのだから。
例を挙げれば、かつて烈震のガルフが若い頃、ハイエンドなど所詮は話が大きく伝わるだけで、本当は権力に逆らえるわけがないと侮った馬鹿な貴族から絡まれた事があった。
この時、ガルフは最初、その貴族を相手にしなかった。その態度にブチ切れた貴族は、金の許す限りの大軍でガルフを襲ったが、彼は一人も殺す事はなく撃退し、「あーあ、せめてこの百倍で襲ってきてくれりゃ、もちっと楽しめるんだがなぁ」とかぼやいていた所、相手の貴族が「俺にこんなマネをして許されると思ってるのか!? 次は望み通り、我が国の総力を挙げて貴様を殺してやる!」とほざいたそうな。するとガルフは物騒に瞳を輝かせて、その貴族の襟首を掴んで空へ飛び立った。
行き先はその国の宮廷だった。ガルフと直接の面識など無かった衛兵たちは彼の前に立ちふさがったが、彼は問答無用で衛兵たちをぶっ飛ばし、王座まで堂々と乗り込み、王様の前に貴族を放り投げて言った――自分とこの部下にどんな教育してやがんだ――と。喧嘩したきゃ大喜びでしてやるが、それで国が潰れたら一般人に迷惑が掛かる。ここで話を終わらせてやるから、この馬鹿を処理するか教育しなおすか、とにかく二度と俺に関わらせるな、と。
結果、その貴族は国を追放され、王はガルフに平身低頭。迷惑料に莫大な金額を申し出たが、ガルフは「いらね」の一言を残して宮廷を去ったそうな。
……リリス教関連国家ではかなり有名な、いわゆる『ヨランド・イオの変事』と呼ばれる事件である。
しかし、これ程にハイエンドの『力』を物語っている話もあるまい。これがハイエンドの『力』なのだ。
実は、リリス教とロンダイク聖教の間に『戦争における至天級戦力の持ち出し禁止』という暗黙の了解があったように、リリス教関連国家では明文化された『戦争の際に至天への依頼は禁止』という国際法があったりする。
叙任された際に唯一発生する至天への義務らしきものだが、至天になるような人間に好んで戦争に参加する者など元々いないので、歴代至天でこの義務を気にした人間は今のところ一人もいない。……まあ、相手の国に、自分が『楽しめそうな相手』がいれば話も変わってくるかもしれないが。
――しかし、『抜け道』が一つだけある。それは『至天自身の国』である場合だ。この対象となるのは、まず『本人の出身国』、そしてもう一つが『その国の貴族と婚姻関係にある場合』だ。流石に、来歴も不明瞭な一般人では無理だが、お嫁さん乃至はお婿さんの国が危機的状況だというのに、それでも我慢しろと言うわけにもいかない。故郷もそうだろう。
自国の貴族が至天と婚姻関係にあるとなれば、その至天が生きている限りは対外政策がかなり楽になるのである。無論、至天が死去した後の事を考えれば、あからさまに脅すようなマネはできないが、国力の著しい増大は約束されたようなものだ。
というわけで現在、リドウは貴族の年若い娘さんたちに囲まれていた。こんな事ならさっさと帰っておくのだったと後悔するが、王の思惑を見抜けなかった自分が間抜けなだけかと諦めるしかない。押し切られたとは言え、最終的には自分から了承したのだから、今更機嫌を損ねたから帰る、というわけにもいかなかった。
このお嬢様方以外にも貴族のご令嬢は目にできるが、彼女たちは既に結婚しているか、婚約者がいる立場なので、自分の相手を放ってリドウに感けてしまうわけにはいかなかった。もっとも、多くはリドウへの興味が尽きない様子でもあったが。
王としては「自分の娘はどうだ?」と言いたいところだろうが、本人の『好み』があるだろうし、取りあえず数撃っとくか、的な感じなのだろう。大体、リドウをお見合い舞踏会に誘ったのだって、ダメ元だけど紹介だけはしてみるか、という程度の心算だったのだから。
だからリドウも王の思惑が見抜けなかったのである――彼が美女たちからチヤホヤされただけで籠絡されるような人間ではないと、賢明な王は理解していたはずなのだから。王が本気じゃない、悪戯くらいのつもりだったから、まさかそんなつもりだったとは……と。
リドウはぶっちゃけ困ってしまった。予想した通り、王は非常に賢明な人物だった。あまり関係を悪くしたくはない。できるならば、こんな“お遊び”なんてさっさと切り上げて、今後のルスティニアの情勢について酒でも酌み交わしながら話し合っている方がずっと有意義だ。
それに……
リドウは自分を囲んでいる娘さんたちをさり気なく見渡す。
このお見合い舞踏会に連れてこられるような貴族子女は、基本的には、男子なら才覚に秀でた者たちで、女子ならまず容姿に優れた者たちなのだ。オジサンとオバサンたちは、現在の地位よりも“高く売れる”親戚の子たちを、自慢して見せびらかしたいのである。
よって、リドウを囲む娘さんたちは非常に美しい。一条千鶴に匹敵するレベルは流石に見られないが、麻木恵子や高坂愛奈……よりも、彼から見ると大半は一段落ちるが、十分に美少女と言える娘さんたちばかりだ。
……本当に、“もう少し大人になってから”お相手頂きたいね――とリドウが思う程度には。
そう、この子たちはリドウの感覚からすると“幼すぎる”のだ。二十歳越えて未婚という貴族令嬢など滅多にいないのだから、今この場にいる彼女たちは、一番上で十七歳くらい、一番下など十二歳くらいだ。ベアトリクスが独身でいられるのは例外中の例外と言っても過言ではない。
リドウからしてみれば、一体俺にどうしろと? と頬を引き攣らせないようにするだけで精一杯であった。
そもそもこの男は基本的に“あからさまな年下”と肉体関係を持った経験が無い。二十一歳の現在、相手も二十歳越えていればまだ対象圏内だが、十代なんてリドウからしてみれば一括りで『小娘』なのだ。せめて肉体面か精神面か、どちらかだけでも“その気になれるくらい”実年齢より大人びて見えるならともかく……。
しかし彼女たちの方は真剣極まりなかった。何せ月紅卿を落とせたら貴族としては大金星だ。
しかも、リドウは容姿の方も抜群にいい。ただでさえ貴族にとっての婚姻で重要なのは相手のカタログスペックだ。令息連中に求められるのはまず地位、次が能力ときて、容姿など二の次なのだが、容姿もいいに越した事はない。その点、リドウは二重丸をぶっちぎって花丸だった。
彼女たちが必死になるのも無理はないのだが、全くその気になれないリドウからしてみれば、わざわざ美少女たちの不況を買おうとは思わないが、できれば静かに酒に浸らせてくれ、という感じなのである。
「一服したいんで、失礼するぜ」
そろそろ本格的に精神的疲労を覚えてきた頃、リドウはそう言ってテラスに出た。
流石にここまで追い掛けては来ないようで、リドウはのびのびと煙管を楽しむ。
そこに、おもむろに現れたのはこの国の王だ。
年齢は三十代後半だろう。凛々しく、自信に満ち溢れた目の輝きが印象的な、素敵なおじ様であった。
「楽しんでいるかね?」
くくっと意地悪げに笑っている様は、リドウの心中などお見通しと物語っている。
「……次があったら、せめて美人の未亡人にでもしといてくれ」
「ふむ、年上が好みだったか」
それは失敗したなと嘯く王様だ。
「責任能力の無ぇガキは対象外だ」
「未婚の貴族令嬢にそんなものを求められても困るなぁ……」
「ったく、盛りのついたガキ共からは睨まれるし、散々だぜ」
「そちが相手では無理もなかろうよ。むしろ俺としては、そちが相手では仕方ない、と諦念の心境に達さぬ方を褒めてやりたいがな」
嬉しそうに笑う王に対して、リドウも微笑ましげに唇を歪める。
自分が一番でなくてはいけない――そういう人間なら、敵わない、と素直に諦める事ができなければ、どうにかして相手を貶めてやろう、と往々にして考える。しかし今の彼らは、自分だって並び立ってやる、と燃え上がっていた。リドウはそれを見抜いていたし、とても好ましく感じてもいた。王にとってもそれは同様だったのだ。
彼らとて、別にリドウと戦闘力で並ぼうと思っているわけではない。そんなのは物理的にも論理的にも殆ど不可能だ。彼らがリドウに勝ちたいのは『男としての魅力』であって、カタログスペックだけの話ですらなかったのである。
リドウはテラスから、自分に群がっていた娘さんたちをダンスに誘おうと上品に口説いている貴族の少年たちを見て、ゆっくりと瞳を閉じる。
「ガキはそのくらい挑戦的でちょうどいい」
リドウは月を見上げながらふぅっと大きく煙を吐き出す。とても気持ちよさそうな顔だった。
「彼らの未来は……我々が守ってやらねばならんな」
「……ああ」
王の言葉に、リドウは一瞬答えを躊躇ってしまった。
彼が力を得て、今なお更なる力を求めているのは、顔も知らない赤の他人を守って“やる”ためではない。ただ、破壊神の一件に関しては結果的にそうなる可能性が高いというだけだ。
そもそも、自分が勝手にやるだけなので、“してやる”――みたいな恩着せがましい言い方をするのには少し抵抗感があったのだ。
流石の賢明な王もそこまでは見抜けなかったようで、少し不審そうな顔をしていたが、取り敢えず見て見ぬ振りをしてくれたらしく、しれっとした顔で話題を切り替える。
「ところで、娘がそちとのダンスを所望しているのだが、踊れるか?」
「ああ」
今度はすぐに返答があったことで、王は笑みを浮かべる。
冒険者のリドウにダンススキルがあるのか、そこを心配そうに訊ねる王様であったが、ある意味当然と言うか、リドウはサリスからダンスも徹底的に仕込まれていたので、無用な心配であった。
気楽に応じたリドウは、会場の中に入ると真っ直ぐに王女様の前まで歩み、自ら跪き、彼女の手を取って、ダンスの相手を申し込む。言うまでもないかもしれないが、これは別にリドウが自分を彼女の下に置いたのではなく、ただの社交上の礼儀だ。
煌めく笑顔でその申し出を受ける王女様。
その後、一紳士として見事なリードで王女様と華麗な舞を披露するリドウに、更に多くの女性ファンが量産されたのは当然の帰結だったのかもしれない。




