第八十四話 リドウの苛立ち
定められた仕事の一環として今日も宮廷に出仕したリドウ。本日は特に訓練も予定されてはおらず、それだけでお役御免となり、さっさとお暇させて頂こうと外へ向かっている時だった。
「なあ」
と呼びかけられて振り向くリドウと、一緒に居たラクセスも振り向く。
貴月だった。どうやら今ようやくラクセスの存在に気づいたらしく、彼女の存在に一瞬驚いた様子を見せ、
「あ、えっと……ライドウ……さんに話が……」
更に、思い切り動揺した様子をみせる。
あの昼食会以来、ラクセスはよくリドウと一緒に居るようになった。色々と因縁が有るとは言え、わだかまり自体は殆ど解けた今……いや、過去に揉めて一応の手打ちは済ませた今だからこそ、実質的には独りの彼女が彼と一緒に居る時間が長くなるのは自然の摂理だろう。
その二人の目に、周囲を憚るようにきょろきょろと窺いながら立つ美土里貴月の姿があった。
リドウは嘆息したくなる気持ちを何とか堪えながら、“満面の作り笑顔”を浮かべて貴月に近づいて行く。
「美土里殿。何か?」
「ああ……その、相談なんだけど……」
と、ラクセスをちらちらと見る。
「私は先に行っていよう」
ラクセスは一瞬、不審な顔つきになったが、今自分が追及しても面倒になると思い、踵を返した。
振り向く直前にリドウが目礼する姿を見て、ラクセスは憮然とした顔で「後で説明してもらうからな」と目で語りながら歩き去った。
ラクセスが廊下の陰に消えたのを機に貴月の方を振り向いたリドウは、呆れ顔を隠さずに言う。
「美土里殿、我々が話をすること自体は何の問題も無いのです。そのように不審な挙動をしていては何か後ろめたいことがあると自ら白状しているようなものです、謹んで下さい」
「あ、ああ……わ、分かった」
リドウの言を受けて胸を張るが、どうしても周囲が気になってしまって仕方ないらしく、挙動不審は治らない。
さっさと話を終わらせて別れるしかないなと判断したリドウは率先して訊ねる。
「それで、私に何か?」
「ああ……ってかさ、あんたらって仲いいの?」
「あなたに何の関係が?」
笑顔だし、丁寧な態度も崩さない。しかし、意図して威圧感を発するリドウに物申せるような度胸が貴月にあるはずもなかった。
「い、いや、何でもないっ。それで、その……例の件だけどさ……作戦の相談とか……」
「あなたがケルベロスを前にしてどれだけ私の指示通りに動けるというのです? しかもその場で直接指示を出せるわけでもない。作戦など考えても無駄ですよ」
「そっ…………」
リドウは笑顔だけをそのままに、しかし目は冷め切っている視線を投げかけると、受けた貴月は言葉を詰まらせる。
「あなたはあなたの使命を全うすればよろしい」
「え?」
疑問で一杯の顔でリドウを見る貴月。
リドウは貴月に一歩近寄り向かい合わせで彼の左肩に自分の左手を置きながら、その耳元に己の口を寄せて、小声で囁く。
「それでケルベロスが倒せりゃ御の字。それであんたは英雄だ。倒せなかったら俺が始末する。あんたは今の立場を失いはするし、痛い思いもするだろうが、命だけは俺が保証してやる。あんたにゃ何も損は無ぇ……そうだろ?」
リドウが顔を離して正面から貴月を見ると、その顔は驚きで満ちており……そこに一抹の期待が込められているのもリドウには見て取れた。
それを理解したリドウの内心はどんどん寒々しくなってきてしまうが、貴月が気づいている様子は無かった。
「わ、分かった!」
先ほどまでの挙動不審が嘘のように表情を輝かせて走り去っていく貴月の後ろ姿を、リドウは険しい目で眺めていたが、一度瞑目し、改めて目を開いた時には感情を映さない顔で踵を返した。
(……これでいい。あとは成り行きに任せる)
本心の苛立ちを必死で押し殺すために、自分自身に言い聞かせながら。
――リドウは迷っていた。
今後の自分の利益を考えれば、最上の方法はベアトリクスたちの望み通り、宮廷戦略旅団が半壊するまで適当に傍観することだ。
それ以上の方法として、ラーカイム王国を己の力で平伏させてしまうという手段もあったが、完全に趣味じゃない。
だが、己の利益のために、いくら『戦って死ぬ』ことが仕事とは言え、罪も無い宮廷戦略旅団員を望んで犠牲にする……それもリドウの趣味からはかけ離れていたのだ。これがかつてのノイケン盗賊団の時のように、どうしても他に手段が考えられず、しかしどうしても必要なことなら話は変わってくるが、今回は他にも手段は考えられるのだから。
……いや、あの時とて他に手段はあったのだが、どれも時間が掛かりすぎるために、自分たちの事情を考慮して断念せざるを得なかったのが正しいが。
そこでリドウは賭けに出ることにした。
はっきり言ってしまえば――リドウは貴月が嫌いだ。大嫌いだ。できることなら永遠に関わらずにいたい。なぜならば、もう明白だったから――あの少年は己が何の責務も果たすことなく、ただただ己の利益だけを求めている子供だと。
罪も無い弱者から搾取することに疑問を抱かないレベルにまで堕ちてしまってはいないが……既に彼は一線を越えてしまっている。それも一人や二人ではなく――今更一人くらい増えても変わらない――という次元にまで。もう何かの切っ掛けを得た時点で容易く最後の境界線を越えてしまうだろう。まだ子供の内だから、などと悠長なことを言っていられる段階ではない。
大体、貴月だってそろそろ十九歳を迎えるはずだし、ルスティニアに来訪してから既に一年半以上が過ぎているのだ。日本の『未成年』は通常二十歳未満を指すが、恵子と出会ってから先にリドウが知らされた基準は『十八歳』だけだったので、彼はもう彼ら彼女らを法的な子供だと認識してはいないし、それ以前にいつまでも日本の常識、日本人の感覚を持ち出されても困るというものだ。
だが見捨てることはできない。それでは『彼女たち』の望みを無下にしてしまう。彼女たちの与り知らぬ場所での出来事とは言え、知らんぷりで見捨ててしまうなんて、リドウの馬鹿高いプライドが許さない。
だから彼は今回、美土里貴月の子供が子供たる部分を利用させてもらうことにした。
貴月の願望は理解した。しかし今回は流石に相手が悪すぎる。ケルベロスを前にして彼が敢然と立ち向かえるとは思えない。
だが……もし彼の恐怖心を取り除いてやれたならば……?
もしかしたら、リドウの手を煩わせることなく、犠牲も少なくケルベロスを始末できてしまうかもしれない。無論、月紅のリドウとしてでなく、“ラーカイム王国に雇われたライドウとして”の仕事はきっちり果たす。
果たして貴月が、『死ぬことは無い』という保証だけでケルベロスを相手に勇気を振り絞れるかという疑問もあるが……。
(それでケルベロスを倒せたなら、その後のラーカイム関連の面倒は諦めよう。殆どはレディに押しつけることになっちまうが……その分は一つ二つ、俺から譲歩してやりゃいい。倒せなかったら……それも諦めよう、民のために戦って死ぬのも連中の仕事の内だ……)
どちらを選んでも一長一短で、リドウにとっては後悔が付き纏う。一番手っ取り早いのは、ラーカイム王国を従わせる以外にも、ケルベロスを“暗殺”してしまうことなのだが、それは流石にその後の面倒が極まりなくなってしまうので、絶対に選べなかった。
ならば……成り行きに任せる。それ以外にリドウが取れる選択肢は無かった。
だがそこに思考が至った瞬間、リドウの苛立ちは最高潮に達する――己に対する不満が原因で。
自分に力があれば――何者にも有無を言わせず、全てを独力で解決してしまえる圧倒的にして絶対的な力があれば、こうしてリリス教の戦力を期待して顔色を窺ったりする必要もなく、独りでロンダイク聖教と喧嘩しに行っているのに……。
(俺は強い。誰に訊いてもそう言うだろうな。だが……)
――弱い――と、リドウは強く心の中で言葉にし、人知れず歯噛みしてしまう。
万人に訊けば一人残らずリドウを弱いとは言わないだろう。だが彼本人にとってはまだまだ話にならなかった。
まだ二十一歳だ。それで当然だという気持ちはリドウの中にだってある。だがそれでも、彼にとって己が弱いという思いはそれだけで罪だった。
他者と比べての強弱ではない。己が己を強いと胸を張って言えるだけの力――それこそがリドウの求めている力なのだから。その領域こそが、彼にとっての『最強の象徴』、育ての母にして魔性の女神たるリリステラの存在する次元なのだから。
(いやいや、止めだ)
首を横に振って愚かな考えを振り払う。無い物ねだりしても仕方ない、と。今は、今の自分にできる事をするだけだ。
そう考えて、頭の中を新たな思考に移す。
(しかし、な……)
皮肉を込めて、少し強めにふんっと鼻を鳴らすリドウ。内心で美土里貴月が“判り易い人間”で助かったなと思う。
貴月はどうやら、ラクセスに気があるらしい。好意を持つ女の前で偉ぶりたいから、最初は一瞬だけ「ライドウ」と呼び捨てにしようとしたが、結局リドウの機嫌を損ねたくないという思いから「さん」と慌てて付け加えた。本人の底の浅さと小心っぷりが良く表れた言動だ。
誰かが聞いているかもしれないと考えて、自身とライドウの立場を考慮した、なんてこともありえない。ならば最初から、あんな核心的な話を振ってくるはずがないのだから。
その後の自分の提案を不審に思うこともなく、あっさりと受け入れた部分からして論外だとリドウは思う――いくら“それが貴月自身の最も望んでいた展開”だったとは言え、だ。
いや、貴月にとっての最上は『リドウがケルベロスを倒し、その手柄を自分にくれること』なのだろうが……衆人環視の中でそれが難しいことくらいは彼も理解しているのだろう。
そもそも、『ライドウは月紅のリドウである』という相手の証言を疑いなく受け入れているとか、もうこの時点で、リドウが受けてきた教育ならば考えられない。
相手の実力を見抜けるならば、そんな超ハイエンドがそこら辺に転がっているわけがないと判断材料にできる。自分だってそう判断するだろうが……あるいは、恵子や千鶴の名はそこまで貴月にとって重かったのかとも思えなくはないが……。しかしそれならそれで、まずラーカイム王国を混乱させにきたロンダイク聖教の手の者を疑おうぜ、とリドウは考えながら嘆息する。
大体、今の立場を無事に維持できたとして、その後には戦争が待っているのを貴月は理解しているのだろうか……?
もう何だかツッコミ所が多すぎて、考えるのも馬鹿らしくなってきたリドウである。
(うちのお姫様たちやローラインの野郎共を見てる限り、日本人ってのはまあまあ賢くて善良な方だと思い込んでたな。どうやらあの勇者さんだけが例外ってわけじゃなかったらしい。それともこれが――自制心の弱い人間が力を得た時の普通の反応なのか……?)
もし麻木恵子が力を得ていたら、もし高坂愛奈が早い内に自分と出会っておらず、己の才能を開花させていたら、彼女たちも“彼ら”と同じようになっていたのだろうか?
そう思うと、そうならなくて本当に良かったと、リドウは心の底から安堵の吐息を零した。そんな彼女たちなんて一生見たくない。
……その中に一条千鶴が含まれていないことは、流石はスーパーレディと言うべきなのだろう。情け容赦に関してはかなり乏しい彼女だが、こと自制心という面に関しては、リドウは絶対の信頼を彼女に置いている。
貴月だって早い内にリドウと出会っていればこうはならなかったのかもしれない。だがそんなIFを幾ら語っても意味はない……リドウはそれを「運が悪かったな」の一言で片づけてしまうのだから。
今からでもリドウが全力で貴月の性格矯正に心を砕けば取り返しがつくかもしれない。しかしリドウは、他にやらなければならない事柄が目白押しな現在に、自分にとっての『特別』でない人間に対してそんな余分な労力を掛けられるほど、目先の善意にかまけられる“考え無しのお人好し”ではなかったし、大体にしてそんな義務などリドウには一切ないのだから……。
そうやって自分自身に言い聞かせていないと、リドウも『楽な方』に流されてしまいそうなのだ――ケルベロスを殺し、貴月を浚い、ラーカイム王国を己の武力で脅して従わせるという、最も楽な手段に。
(くそっ。面倒くせぇ、面倒くせぇ、面倒くせぇ、面倒くせぇ……)
ラクセスが待っているはずの、ここ最近は行きつけになっているレストランに向かう道中、リドウはイライラが再び最高潮を示していた。自然と発せられる威圧感のせいで、いつもより大きく周囲にぽっかりと空間が出来ている事にリドウは気づいているが、抑える気は無いらしい。
やがて辿り着いたレストランで、先に席に着いてコップを傾けているラクセスがリドウの視界に映る。飲んでいるのはノンアルコールの飲み物だろう。
特に高級店というわけでもないせいか、早くもナンパされている彼女だが、本人はナンパ男を空気か何かとでも思っているのか、澄ました顔で無視している。
そこに現れたリドウ(ブチ切れ三歩くらい手前)である。
相手の男は出で立ちからして冒険者だろう。見たところ能力者ではない。商人の護衛か何かで、たまたまこの街に立ち寄ったという感じだろうか。
リドウは男の背後から彼の肩に無言で手を置いた。
振り返る男が目にしたのは、意思の弱い人間ならば目が合っただけで失神しそうなくらいに殺気立ったリドウである。
「失せろ。俺は今……」
相手の肩を掴む手にぐっと力を込める。
「“誰でも構わねぇ気分”なんだ」
男は固まった表情で機械的に首を縦に振って、何度か転びそうになりながら、這う這うの体で店から逃げ去った。
途端に店内に歓声が満ちる。男の態度が悪くて迷惑していたらしいお客たちが、ここ数日で常連に成りつつあるリドウの活躍に気分がスッキリしたらしい。
賞賛の言葉の嵐に毒気を抜かれてしまったリドウは、目を上向けながら一つ深く息をして全身の力も抜き去ると、観客たちにひらっと手を振って応えながら椅子に座った。
しかし、黙って一連の成り行きを眺めていたラクセスであったが、なぜか複雑そうな顔をしているのにリドウは気づく。
「どうかしたかい?」
「いや……そういう解決手段もあるのかと思ってな」
「あん?」
「ユーキなら……」
テーブルの上に目を落としながら小声で言う。
「ユーキなら、穏やかにお引き取り願おうと説得している間に相手がキレて、いつも力ずくで黙らせる羽目になっていた。貴殿の対応は決して穏やかとは言えないが、結果だけを見れば店の迷惑にもならず、誰も傷つかないで済んでいる。一体どちらが正しいのかと……そう思った」
「別にどっちが正しいもクソもねぇだろ。あんたは何でもかんでもキッチリ分けたがりすぎだ。あれで引かなきゃ俺だって野郎をぶちのめしてた。特に今の俺は最高に気分が悪い、八つ当たりできる口実がありゃ誰でもいい気分だったのは嘘偽りの無ぇ本心だ」
実際、リドウだってこの手の話は日常茶飯事だったし、互いに無傷で済むのと喧嘩になるのは半々くらいだった……例外なく痛い思いをするのは相手だけだったが。
店員が注文を取りにきたので、ラクセスもまだ飲み物以外は注文していなかったことを聞き、纏めて適当に注文する。
すぐに飲み物だけ先に来た。言う必要も無いかもしれないが、彼の方はアルコールだった。
それを呷って一息ついているリドウだったが、その間もラクセスはずっと彼をつぶさに観察していた。
彼女が何を問いたいのかは彼の方も理解しているが、進んで答えたくはなかったので、知らない振りを貫き通す。
「……その不機嫌の原因はミドリ殿か?」
が、結局彼女の方が耐えられずに、自ら口を開いた。口に出されては彼としても答えないわけにもいかず、舌打ちを鳴らしながら渋々と応じる。
「まあな」
「一体何を企んでいる」
「そう断定してくれるなよ。まあ、企んでるのは事実だが、流石に聞かれたらまずい。今夜教えてやるから今は我慢してくれ」
初日のように宿で教えてやると言うリドウに、ラクセスは己を抱き締めるように胸元で両腕を交差させながら、しかしその表情は完全に悪戯っ気を醸し出している。
「不機嫌の発散に使えると思っているなら、生憎と私はそんな安い女ではないぞ」
「それが目的なら適当に遊んでくれそうな女を口説く」
「……真顔で言うか?」
「あんたこそ、冗談が言えるんだな。知らなかったぜ」
冗談が言えるほど元気になったんだな、という本音を砕いて、微笑と共に言うリドウ。
「べ、別に貴様のおかげなわけじゃないからな!」
愛奈辺りなら「ツンデレ乙ですねー」とでも言っていたであろう。あるいはリュリュも。
しかし、
「そうかい」
柔らかく笑うリドウが相手では意味がない。
ツンデレとは相手も相応に子供か、さもなければ短気でないと成立しないらしい。はいはいと呆れ顔をするのも、大人の対応の内でありながら、逆にツンデレキャラを煽ってしてしまうだろうが……残念ながらリドウは明らかに、そのどれにも該当しなかった。
自分の対応が子供っぽかった事を自覚してしまい、赤面して身悶えしているラクセスと、平和なやり取りに少しだけ心が癒されたリドウが居た。
――ケルベロス討伐決行の二日前の出来事だった。
あの後、リドウは美土里貴月に関する話をラクセスに正直に明かしてしまった。
その際、『汚い話』に激昂するラクセスが居た。
しかし、ケルベロス討伐に関しては『貴月の恐怖心を取り去ること』はプラスに働きこそすれマイナスになるわけもなく、貴月の去就に関しても、その後の混乱を考えればこれしか方法は無いというリドウの意見に反論できる材料をラクセスは見出せなかった。
宮廷戦略旅団は別に『自主退役は死刑』なんて法はどこの国にも無いが、基本的には終身雇用だ。ましてや『緊急時の逃亡』に関してはどこの国でも厳罰が下される。安全な時だけ馬鹿高い給料を貰っておいて、危険になったから退役します――なんて話が許されるわけがない。
この『緊急時』とは、例えば今回のケルベロス襲撃事件や、間近に戦争が確実に控えている時などが主に該当する。要するに、現在は見事なまでにその『緊急時』なわけである。ケルベロス討伐を無事に終えても、まだまだ貴月に自由は許されない。
円満に退職しようと思えば相応の理由を宮廷に提示しなければならないわけだが、貴月の個人的な事情だけでどうなるものではなく、彼の去就にリドウ(リリス教)が関わっているなんて間違っても匂わせるわけにはいかない。結論として、貴月には一度死んでもらうしか、平和的に抜け出す方法は無いのだ。
リドウとしては言いたくなかったが、あんな根性の持ち主がいつまでも宮廷戦略旅団に所属している方が国にとってはマイナスだと口にすることで、ラクセスもようやく納得した。
そのせいで、
「なんたる惰弱っ!」
ラクセスは貴月のワガママを指して嫌悪感と憤怒で一杯の表情でそう吐き捨てたが、これに関してはリドウも沈黙するだけだった。全くの同感だったのだから。
だが同時に、出会ったばかりの頃の麻木恵子が今の美土里貴月と同じ立場だったら、かなりの確率で似たような感じだったかもしれないと思うと、やはり貴月を悪し様に言ってしまうのには微かな抵抗があった。
ラクセスに気があるらしい貴月であるが、もう目は無いだろうなと思うと、済まないことをしたかなとも思わないでもないリドウであったが、あんなタイミングで後先考えずに話を持ち出してきた貴月の自業自得かと、すぐに考えを改めて忘れることにした。
――そして今は、ケルベロス討伐にライトヴィヒ山の中を、ラーカイム宮廷戦略旅団とラクセスと共に行っている最中であった。
……これがまた、リドウを盛大にイラつかせるのである。
「おい……大丈夫か……?」
最後尾で立ち尽くすリドウに、ラクセスが心配そうに声を掛けてきた。
「…………」
しかし、リドウは感情の一切を失ったかのような表情で沈黙するばかりで、何も答えようとはしない。
ラクセスは思わず頬に冷や汗しながら、十メートルほど前方で、魔物を解体している宮廷戦略旅団のメンバーたちと、彼らが魔物から取得した部位を受け取っている荷物持ち役の騎士たちを眺める。
言うまでもないだろうが、彼らは道中で襲ってきた魔物から金になる部位を回収しているのだ。
ラーカイム王国としては当然の判断だろう。微々たる物であろうと、できるだけ資金を稼ぎたいというのは。
が、それがリドウの趣味であるはずがなく……
リドウとて、どうしても殺さなければならずに殺してしまったならば、その命に感謝の念を持って、人の役に立つ部分を使わせてもらおうと考える。千鶴と出会ってから先に自らが手にかけた魔物はリントブルムだけなので、結局そうなった例は一度も無いのだが。リントブルムの時に遺骸を燃やし尽くしたのは、『殺さなければならなかった』からではなく『自ら殺しに行った』からだ。そこも彼にとっては大きな『境界線』だった。
だが今は……“あのように”嬉々として殺し、素材を剥いでいる人間たちを見て……
分かっている。リドウだって理解している――アレが人の世界では極々一般的な光景なのだと。常識なのだと。正義なのだと。
(くそっ。どうしてあいつらは笑ってられるんだ!? 殺しがそんなに楽しいのか――ッ!?)
分かっている。リドウだって理解している――彼らは殺しを楽しんでいるのではなく、笑顔の由来はその副産物である金の問題であると。
それに、自分にとっても色々と心理的な境界線が存在するように、彼らにとって人殺しと魔物狩りには明確な線引きがあるだけなのだと。
それでもリドウは目の前の光景を見ているとしみじみ思う――
(やっぱ俺は……連中と相容れることは永遠に有り得ねぇな……)
――と。
(今回だけだ。今回だけ……レディとの約束が最優先だ。二度と他の人間と組むような話は受けねぇ……)
我慢に我慢を重ねた結果、無意識の内に歯をぎりっと鳴らしながら強烈に手を握り締めてしまう。
――その手に人肌の優しい温もりを感じてはっとする。
リドウも頭に血が上ったまま思考に没頭していたせいで、身の回りに対する注意力が散漫になっていたらしいと気づき、手を取られた瞬間こそ、反射的に投げ飛ばしそうになって、微かにぴくりと手を動かしたが、その相手がラクセスで、心配そうに自分を見上げていることに気づいて、何度か瞬きをするに留まった。
すると、ラクセスも目を見開いた。反射的にリドウから身を離すと、まるで今の自分の行為が自分でも信じられないという顔をしている。
幸い、今の二人のやり取りは誰にも見られていなかったようだ。見られていたら、ラクセスに気があるらしい男性陣やリドウに気があるらしい女性陣の何名かが騒ぎ出していただろう。
「……心配してくれたのか?」
「か、勘違いするなよっ。べべべ別に貴様が心配だったのではなく、貴様が暴れ出さないかが心配だっただけだ!」
……どうやらラクセス、順調にツンデレ女騎士の称号を獲得しつつあるらしい。
でも御年二十四歳でツンデレは……まあ美人なので全然無問題だろうが、可愛いというよりは明らかに綺麗系なので、ちょっと痛々しい気がしなくもない。
口元に軽く握った拳を当てて、くくっと笑うリドウである。無論のこと、ラクセスが黙って笑われているわけもなく、
「ほほほ本当だからな!?」
真っ赤な顔で必死に言い募るラクセスだが、リドウはとうとう、声こそ押し殺しながらも、上半身を折り曲げて笑い出してしまった。
「ええいっ、笑うなぁっ!」
リドウの襟首を掴み上げ、自分の目の前にまで彼の顔を無理やり近づけて、唾が飛び掛かりそうな勢いで文句を吐きつけているラクセス。
その右頬に柔らかく手が添えられたと彼女が認識した瞬間、逆の左頬でちゅっと小さな音が鳴る。
「へ……?」
呆然とするラクセスの目に、心穏やかに嫌味なく笑うリドウの顔が映り込む。
「ありがとよ。気が紛れた」
今自分が何をされたのか、ようやく脳裏に浸透してきたラクセスの顔が爆発する。
「な、ななななな――」
リドウにとっては特別な意味があったわけではなく、彼にしてみれば『年上の女性』に対する基本的な対応だったりするのだが、いくら男を知っているとは言え、お堅く育ってきたラクセスにとっては、「あら、ご丁寧にどうも」と大人の女性の対応で容易にあしらえるわけもなく。
「――そ、そこになおれぇっ! 不埒な行いが二度とできぬよう、ここで貴様の性根を叩き直してくれる!」
「おいおい、魔道士相手に本気で攻撃すんなよ。殺す気か?」
「大人しく殴られろっ。一発なら殴られてもいいんだろう!」
「あの時と今じゃ事情が違ぇよ」
「ぬけぬけとっ」
ラクセスは力一杯に拳を握り締めてリドウに殴り掛かるが、彼はひょいひょいっと軽やかに躱してしまう。
闘気を使用していないし、剣を抜こうとする気も見せない辺り、ラクセスもまだ分別は残しているようだったが、一応ライドウは『多少は近接戦もできる』という設定ではあるものの、闘気を使用する気功士を相手に素手で勝てるレベルではない“はず”なので、彼女の理性がすっ飛ぶようなからかい方は控えようと心に決めていた。
(いやまあ、別にからかったつもりは無ぇんだがな。案外、男慣れしてなかったんだな、こいつ)
今後は『お嬢』と同じくらいの男慣れ度と認識して接した方がいいかと人知れず思うリドウ。顔を真っ赤にして拳を振るうラクセスは、まさか自分が今この時に『お子様認定』されてしまったなんて気づいているはずもなく、知ったら知ったで余計に暴れていたことだろう。
その光景に、流石に気づかざるを得なかった何人かが、じゃれ合っているようにしか見えない二人に面白くなさそうな顔をしていたが、その中でも一番むすっとしているのが貴月であったことに――
――リドウは目敏く気づいていた。




