第八十三話 ラクセス
リドウは悠然と手を掲げる。見つめる先には誰も居ない。
その手から生み出された巨大な氷塊が凄まじい勢いで発射され、数十メートル先の地面に轟音を立てて減り込んだ。
おおっ――と感嘆の声があちこちから響き渡る。
だが、その中で一人だけ……ラクセスだけは難し気な顔で沈黙していた。
(あの男の親和属性はおそらく火系のはず……なのにああも無造作に、あそこまでの水系まで操るとはな……。誰もあの男の真の親和属性が火系とは思っておるまい)
恐れと……そして僅かな畏怖を抱きながら、ラクセスはラーカイム王国の宮廷戦略旅団員たちに囲まれて、ケルベロス戦での活躍を仄めかされているリドウを眺めている。
(よくメモリー不足にならんものだ。こればかりは生まれ持った才能ではなく、熟練度が物を言うからな……ごく幼少の時分からキチガイ染みた鍛錬を積んできたということなのだろう……)
これを最初から見せられていれば、突っ掛かろうなどとは思いもしなかっただろうと、過去の自分の愚かさを嘆くラクセスだったが、いや、見抜けなかった自分が間抜けなだけかと皮肉に笑う。
魔道士とは大雑把に二通りにタイプが分かれる。親和属性を徹底的に磨き上げた『決戦型』か、何でも器用にこなす『万能型』か、だ。
別にどちらが優れているという話ではない。
決戦型は徹底的に熟練した一撃必殺の技で相手を確実に仕留めるが、そこまで自力で持って行けるかに不安が残る。いくら熟練しても大技は大技だ、無詠唱無動作で使えるとはいえ、それなりの準備時間、予備動作は要求される。下位の魔法使いにとっては有って無いような予備動作でも、上位の使い手からしてみれば十分な隙になる。しかも、その技が完封されると決め手が無くなってしまうのだ。
万能型の欠点は単純で、『これ』という決め技が無いせいで、同格以上との戦闘となると、決定力の乏しさが浮き彫りになってしまう。決戦型は『決まれば勝てる』という必殺技を持っているから、格上の使い手が相手でも戦い方次第では勝利できるケースがあるが、万能型にはそれが無い。ラクセスが知るはずもないが、リドウの『天破煉翔』はまさしくこの必殺技だろう。
もっとも、決戦型は格下相手でも必殺技を完封されると一気に戦力的価値が落ちるため、万能型のような安定感は無い。
その両者の欠点を補い、万能決戦型とも言うべき魔道士たるに必要なのは、至極単純に鍛錬の量だけが物を言う。極論すれば、百の鍛錬をしてどちらかのタイプを極められるなら、二百の鍛錬をして万能決戦型になればいい。ただし、大前提としてそこまで達せるだけの才能も要求されるわけだが。
それを指して、ルスティニアでは『メモリー』と呼ばれる。
ラクセスが唯一その目にしたリドウの魔法――『鳳凰昇天』。あんな戦略級の魔法を殆ど無造作に行使できるくせに、それ以外の属性まで器用に扱う……僅か二十歳過ぎの若造がだ。
幼少時に才能を見出されて徹底的な英才教育を受けてきたと考えれば有り得なくはない。そういう勇者もたまにいる。が、その手の教えを授けてくれる先駆者は大概が自分本位で、自分が強くなることしか頭に無いから、滅多に有り得ない。試しにと育ててみても、大概はすぐに「こいつは才能だけだな」となってしまうのだから、無理もないのだろうが。
(魔神の息子か……凄まじきはあの練度……。愚直に鍛錬を繰り返すのではなく、最高率の鍛錬を積んできたのだろう。勇者としての才能、世界最高の使い手が用意する環境、そして本人の戦闘者としての資質――それら全ての要素が最高のスパイスとなり、あの男が出来上がったというわけだ)
ぬぅっと低く唸る。
(存在自体が奇跡だな……)
メンバーの相手を終えて自分の方に歩いてくるリドウを見ながら、ラクセスは更に思う。
(贔屓目はあるかもしれない。だが、ユーキは決して鍛錬を怠ったりはしなかった。いずれは最高の勇者として国の象徴と成れるだけの逸材だったはずだ。あるいはラウンドナイツという誉も決して夢物語ではなかった。だがそれでも……無謀も極まりない愚行だった。最初から知っていれば、とは言っても仕方ないのだろうな……)
後悔か、それとも自責なのか、伏せがちな目で嘆息するラクセスに、リドウが声を掛ける。
「何かお悩みですか?」
「他人が聞いていない時くらい、その寒々しい敬語は止めてくれ」
「聞き耳を立てられていては事ですから。どうやらあなたは大分人気なようですし」
と、二人が気になるようで、こちらをチラチラと窺っているのは団長さんだけではなく、他にも数名居る。ラーカイム王国の宮廷戦略旅団員は美土里貴月と臨時要員のラクセスを除くと男性が五名に女性が三名という構成だったが、ラクセスは、流石にその美貌と才能を国が買ったというだけはあるのか、この中では一際光り輝いている。
もっとも、同じことはリドウにも言えて、女性メンバーもリドウの行動が気になって仕方ないようであったが。
しかし、流石に強化や風魔法を行使してまで聞き耳を立てている悪趣味な人間は居ないようだった。
「より取り見取りではありませんか」
リドウのからかいの言葉に、しかしラクセスは憤慨するのではなく、呆れ顔になってしまう。
「それを貴殿に言われたくはない。大体、あの男は妻子持ちだぞ」
「そうなのですか?」
「三十代で宮廷戦略旅団の団長に嫁の一人も居ないという方が不自然だろう」
「彼の収入なら愛人の一人くらい養う甲斐性はあるでしょう。あまりえり好みしていると嫁き遅れるのではありませんか? もういい年齢でしょうに」
「私はまだ二十四だ!」
流石に聞き捨てならなかったのか、怒鳴り散らすラクセスである。
「一般社会ならともかく、晩婚の冒険者としてはまだ若手だ……ッ」
「冒険者として生きていくおつもりで?」
「……………」
途端に黙り込んでしまうラクセスに、リドウは怪訝な顔つきになる。
「私は……戦いしか能が無いからな……」
顔を背けてぽつりと零すラクセス。
その手が急に引っ張られて、思わず驚いてしまう。
「何を」
「なら、常に体調を万全に整えておくのも冒険者としての義務だろ」
リドウは唐突に素に戻って、若干ドスの利かせた声で言った。
昼食は各人適当にやってくれということらしく、特にラーカイム王国が面倒を見てくれるわけでもないらしい。もっとも、昼食の面倒を見てくれないことをケチと思うほど報酬をケチっているわけでもないので、文句を言う人間など居ないだろう。好きな物を食べてくれと言われているのだと思えば、むしろ気前の良さを感じるべき部分だ。
手を引っ張られて強引に付き合わされてしまったラクセスであったが、過去の因縁のせいか、リドウに対して何となく後ろめたい気分が少なからず否めない彼女は逆らう気も起きず、自分で歩くから手を放せと言ってからは大人しく彼に付き従って、レストランまでやって来た。
席に着くと、リドウはラクセスに、
「好き嫌いは?」
「……特に無い」
問答はそれだけで、他には何を食べたいか問いもせず、店員に注文する。
その量に呆れ返るラクセスであったが、リドウの体格なら小食ということもないかと納得していた。
――というのに、とても二人分とは思えない皿の数々がテーブルの上に載せられた途端に、
「食え」
リドウは命令調で端的に一言。
意味が分からず、目を瞬かせるラクセスに、リドウはもう一度、
「食え」
ラクセスはそういう心算かと納得する。面倒見のいいことだ、と半分以上は皮肉に思いつつ、憮然と箸を手に取る。
が、サラダを三回も口に放り込んだところで、その手は急に止まってしまい、テーブルの上を見つめながら身動きしなくなってしまう。
リドウも食べながらラクセスの反応を窺っていたが、やはりなと納得する思いがあった。そのまま肉料理を一切れ摘み、口元に運ぶ途中、直接視線を合わすことはなく言う。
「せめてこの半分は消化しろ。時間は掛かってもいい。俺らの一番の仕事は『前金を頂いただけで逃げ出さねぇこと』だ。後は最低限の連携の確認以外、基本的には自由らしいからな。問題は無ぇ」
と言って、肉を口に放り込んで、素知らぬ顔で食事を続けるリドウを、ラクセスは何も言わずにじっと見つめていたが、根負けしたのか、一つ溜息してからゆっくりと食事を再開する。
一口一口を慎重に、しかも一々口に入れる直前に微かに躊躇う様子を見せている。呑み込んだ後は顔を顰める有り様だ。
しかしリドウは、それ以上に何かを言及することは無く、黙々と自分の食事を続けるだけだった。
やがてテーブルに載せられていた料理を“七割”ほど食べ終えたリドウは食事の手を止め、煙管を吹かし出す。半分よりは少なくしたから、残りはちゃんと食べろよという無言の意思表示だった。命を粗末にすることを嫌う彼にとって、他人が勝手に用意したならばともかく、自ら注文した料理を残すなど死刑に等しい重罪なのである。
まだ一皿分の量しか食べ終えていないラクセスはそれに気づいて思い切り苦い顔をしたが、文句はつけずに、苦りきった顔ながらも、淡々と食事を続ける。
が、ある時……
「う……」
小さく呻いて口元を手で押さえる。その顔は真っ青で、
「ちっ」
リドウは舌打ちを鳴らしながら立ち上がると、ラクセスの手を引っ張り上げてトイレに連れて行く。
ラクセスはもう片方の手で口を押さえたまま、黙って為すがままにされる。
その後、トイレまでやって来ると、ラクセスはリドウを外へと押しやってしまった。過去の因縁があり、互いに気を許しているとは決しては言えない間柄だが、仮にも異性に自分の無様な姿を見られたくないのだ。気を許していないからこそ尚更なのかもしれないが。
言われずともそこら辺の事情は察し、外で大人しく待つリドウであったが、やがて戻って来たラクセスの未だ治まらない顔色の悪さを見て、できるだけ責めるような口調にならないように心掛けながら話し掛ける。
「どれだけ食ってねぇんだ?」
「…………」
ラクセスはむっつりと唇を結んでいたが、どうせ完全にバレているのだしと観念し、ゆっくりと口を動かす。
「……栄養価の高い果実を一食に一つは胃に入れるように気をつけていた」
「それすらかなり無理して食ってるってことかよ」
「…………」
ラクセスからの返事は無く、リドウから顔を背けてしまっている。
「そうなった原因は……やっぱ俺なんだろうな」
「…………」
「謝罪はしねぇ。謝らなきゃならねぇマネをした覚えは、俺には無ぇからな」
どこまでも傲岸不遜な男だった。しかし、悪いとも思っていないのに謝罪するなんて、そちらの方が失礼だろうとリドウは考えているだけだ。
「が、少なくとも今のあんたは敵じゃねぇ……」
リドウが何を言いたいのか理解できず、ラクセスは怪訝な顔で彼を見上げる。
「あんたが食えなくなっちまったのは明らかに心因的なもんだろ。あの後に何があったか、そこに突っ込む気はねぇが……俺にできることであんたの憂さが張らせるなら、一発くらいは殴られてやらんでもねぇぞ」
「私を侮るなよ、月紅……ッ」
ラクセスは途端に怒気を押し殺した声を発してリドウの胸ぐらを掴み寄せる。
「私とて騎士の端くれとして、力及ばず敗れた己の不甲斐なさを棚に上げ、あくまでも正面から正々堂々と相対したと言うのに、敵が圧倒的な強者だったからと言って、その強さを指して反則を謳うほど落ちぶれたつもりはない。故に貴様の行動、それ自体の是非を問うつもりはない。ましてやムカついたから殴るなど、どこのチンピラだそれは? 私はそこまで人としての格を失った覚えも断じてないっ」
リドウを乱暴に突き放すが、殴ることは終ぞしなかった。
そのままラクセスは元の席に戻ると、勢い良く食事をかき込み始めた。とは言え、それなりに上流の教育は施されているからか、乱暴な勢いの割には綺麗な食べ姿だったが。
「食えばいいのだろう、食えば。私が精神失調だなどとはとんだ勘違いだと証明してやる」
遅れて戻ってきたリドウを睨みつけながらラクセスは宣言した。
(……ま、何にしても食欲を取り戻せたなら御の字だな)
女性の食事姿をまじまじと見つめるなんて礼儀に反すると教えられているリドウは、そっぽを向きながら静かに煙管を吹かすだけだった。
……他人が食べている傍らで喫煙している時点で礼儀もくそも無い気がするが。
それから一皿分を食べ終えたラクセスは、最後の一皿を残すだけとなり、精神が安定してきたのか、ペースを落としてゆっくりと味わいながら食べている。ゆっくりと言っても、先ほどまでの苦痛を伴ったような渋々感は無く、マイペースに消化している様子だ。
しかしある時、口の中の物を飲み込んでから、リドウとは視線を合わせずに、ぽつりと呟くように話し掛ける。
「……どうして……私に構うんだ?」
「これから共闘せにゃならんっつうのに、ふらふらでいられるのが迷惑だっただけだ」
「そうか……」
リドウは顔色一つ変えずに言い切るが、ラクセスはふっと柔らかく唇を緩めた。
「素直じゃない、とよく言われないか?」
ようやく視線をリドウに向けたラクセスであったが、その目は完全にからかいの色を宿している。
「…………」
リドウはちらっと目を合わせたが、何食わぬ顔で元の位置に視線を戻すだけで、肯定も否定もしない。いや、言われた覚えはめっちゃ有るので、虚言を弄してまで否定をしなければならない場面でも無いのに、無駄に嘘をつくのを嫌ったのが真相なのだろう。
ラクセスは新たに一口食べてから、今までよりも険が薄れた様子でリドウに話し掛ける。
「私は少し、貴殿を誤解していたらしい」
「はん?」
「もっと己の力を鼻にかけたいけ好かない男だと思っていた」
「俺は俺の力に絶対の自負を持ってるぜ。その印象は間違っちゃいねぇだろ」
「無駄に己の力をひけらかし、弱者を見下す下郎……という意味だ」
なぜか伏せ目がちな自嘲の籠った顔で言うラクセスを、リドウは微かに眼差しを鋭くして横目に眺める。
「そりゃ過去のあんたのことか?」
「否定はしない」
目の前のお皿に目を落としながら限りなく無表情で言った。食事の手も止めて、テーブルの上で手を組み、そこを見つめながら静かな声で喋る。
「少し……私の話を聞いてくれるか……?」
「ご自由に」
リドウの素っ気ない返事だったが、ラクセスは一つ頷くだけで話し始める。
「私の生家は普通の農村だった。いや、かなり貧しい村だった」
いきなり自分の生い立ちを語り出したラクセスだったが、リドウは宣言通り、静かに聞き手に回る。
「私は後天的に目覚めた口でな。ちょうど十歳の時だ、山菜の群生地を教わるために入った山で両親とはぐれて遭難した。元々、魔物は殆ど住まわない山だったし、別に魔物に襲われたわけではない。が、雨が降ってな。崖、というほどではないが、滑って地面を踏み外して、大した怪我は無かったが、気を失って延々と雨曝しだ。意識を取り戻した時には完全に死にかけていた」
この話を聞いてリドウがどういう反応を示すか興味が湧いたラクセスが心持ち視線を上げて彼を確認するが、しかし彼は何の感情も顔に浮かべずに煙管を吹かしている。
「……闘気に覚醒したのはその時だ。覚醒していなければ死んでいただろう。失った体力を本能的に闘気で補えたのだと今ならば理解できるが、その時の私には、自分が闘気に目覚めている自覚すら無かった」
今ならばこんなにも自在に使えるのにと暗に言っているのか、前に掲げた手に闘気を集中させている。
「両親に発見された時、“彼ら”は喜んでくれた」
この時、ラクセスの独白が始まってから先、初めてリドウがぴくりと反応し、彼女へ静かに視線を置く。
「私はその時、私の無事を喜んでいくれているのだと無垢に思っていた……いや、その意味も確かにあったのだろうが、彼らは私が闘気に目覚めた事実の方をより喜んでいたのだ」
様々な感情が籠った笑みを浮かべながら、ひらっと手を振る。
「後はお察しというやつでな。彼らは私を嬉々として売り払った」
浮かべる笑みは複雑なまま、ゆっくりと首を横に振る。
「それが彼らの優しさだったと知らないわけではない。自分で言うのもなんだが、私は村で評判の美人というやつだった。数年後には誰が私の心を射止めているか、近場の村でまで噂されていたし、私自身も少しそれを鼻にかけていた生意気な小娘だった。だがそれ故に、まともな結婚は無理だとも、彼らは危惧していたようだ」
貴族の愛人としてな、と吐き捨てるように言った。
「善良な貴族なら、愛人になるのも、村娘如きならばむしろ幸運と言える。が、平民などゴミ同然にしか考えていないクズになど見初められたが最後、飽きられたら膨らんだ腹ごと寒空の下に捨てられるのがオチだ。私の村の周辺を治める領主はまあ……“お世辞に言って”クズだったな。それよりは宮廷で勇者の従者として育てられた方が余程の幸福だと考えたのだろう。だが……」
目を瞑って、眉間に皺を寄せる。
「当時の私にはそれが分からなかった。売られたという事実だけがショックだった。それに今でも……彼らの事情が理解できるようになった今でも、彼らを心から許すことはできないでいる……」
閉じられた瞼にぎゅっと力が入る。
「宮廷からの使者が積み上げた私の身代金を目にした彼らの顔が……どしても忘れられないのだ」
ラクセスはそれきり、沈黙してしまう。
リドウは結局何も言おうとはしなかったが、無理もないだろうと心の中で思う。
ラクセスの両親が本当に彼女の未来だけを思っていたのならば、彼女に武芸を身に付けさせ、冒険者としてひっそり送り出すという手段もあったはずだ。彼女の闘気覚醒を隠し通すためには村の住人たちの協力が必要不可欠だが、それさえあれば、引退した冒険者なり職業兵士なりの一人くらいはどんな村にも必ず居るものだし、決して不可能ではなかったはずだ。
しかし、何とか自分の生みの両親の行動を好意的に解釈しようと努力している彼女自身の意思を無視して、自分が彼らを悪し様に言ってしまうのは、リドウ的価値観においては“決定的に違った”。
「……何も言わないのだな」
そうして黙ったままのリドウに、ラクセスが静かに問い掛ける。
「俺に何を言って欲しかったんだ? あんたの話も所詮はあんたの主観だろう。あんたの両親が何を考えていたのかなんざ、そいつらに直接会ったこともねぇ俺に推測できるもんじゃねぇ。あんたがどう思いてぇのか、決めるのはあんた自身だろうが」
「ユーキは怒っていた……とても。貴殿はそれを、私の歓心を買いたいがために何も考えずに発した嘘だと思うか? それとも純粋に優しさだったと思うか?」
何でそんなことを自分に訊ねるのかとリドウは盛大に疑問を抱き、訝しげにラクセスを眺める。
しかしラクセスはじっと見つめてくるだけで、リドウは短い沈黙の後に自ら口を開く。
「……推測で良ければ」
「言って欲しい」
「優しさではあったと思うぜ」
ラクセスは大きく目を見開いた。ユーキを肯定する言葉をリドウが口にするとは思っていなかったらしい。
「あの野郎に決定的に欠けてたのは『想像力』だ。目の前の物事をてめぇの価値観に当て嵌めて即座に判断を決定づけちまうと、それ以上の真実は奴の中に存在しなくなる――そういう野郎だった。その点からして、あんたの事情に怒ったのも奴にとっては真実だったろうし、その想いの出所は紛れもねぇ優しさではあったろう……と俺は思う」
一条千鶴が聞いていれば「好意的解釈がすぎるわね」と呆れながら言っていただろう。麻木恵子ならばそこで「本人の居ない場所で他人の悪口を言ったりするなんてこいつらしくないよ」とフォローしているところか。
「どうやら、貴殿はユーキを認めているわけでは断じてないらしいし、好きなわけでもないようだ」
ラクセスは瞼を落としながら唇を歪めている。
「しかし、美点は美点として公平に認めることができるらしいな」
「野郎は人間としちゃ善良な部類だったと思うぜ。ただ、身の丈にそぐわねぇ力を得ちまってたのが問題だった」
声のトーンを若干落として。
「この世界――少なくともリリス教圏で強大な力を持つ人間に求められるのは、その力を使っての善行でもなけりゃ、ましてや強大な力による支配でもねぇ――『強い意志で力を制御する』こと、唯一つ、それだけだ。これは単純に闘気や魔力の制御力を指してるんじゃねぇ。力を行使した末に何が起こり、結果として何が付随してくるかを考える力と、それに対する責任をてめぇで支払う覚悟――てめぇの力にてめぇ自身が振り回されるな――って意味だ」
「…………」
今度はラクセスが黙ってしまう番だった。
「野郎の世界じゃ力を得た人間は無償で赤の他人に奉仕するのが常識で、力を持つ人間が語る正義のためなら万人を犠牲にしても許される世界だったのかもしれねぇ。うちのお姫様たちの世界じゃそうでもねぇらしいが、地球出身とは言え、全く同じ地球だったって保証はねぇからな。奴の考え方、それ自体を否定するつもりはねぇ――それが善行に繋がり易い思考であるのは間違いねぇんだからな。だがこの世界にはこの世界の常識がある。郷に入りては郷に従え、だ」
厳しい表情で言うリドウを、ラクセスは瞳に特別な感情は何も浮かべずに見つめている。
「俺は必ずしも法を遵守することが何にも増して正しいとは思ってねぇからな、結局はあの野郎と俺は同じ穴の狢なんだろう。だが少なくとも『俺の流儀』と『奴の正義』は相容れるもんじゃなかった。向こうが放っておいてくれねぇってなら、どっちかが倒れるしかなかったんだ」
だから自分は悪いことをしたとは欠片も思っていないし、それに関して謝罪する気は一切無いと改めて語るリドウに、ラクセスは顔を背けてしまう。
「一つ……聞かせて欲しい」
「何だ?」
「なぜ、ユーキを……」
ラクセスは質問を言いかけて、不意に途中で黙ってしまうと、リドウが軽く首を傾げると同時に、苦笑しながら首を横に振った。
「いや、止めておこう。それより、私の話にはまだ続きがあってな。どうせだ、聞いてくれるか?」
「ああ。あんたが話したいのなら」
女の話を聞くのは男の義務だからなと心の中で呟きながら、リドウは消えていた煙管に火をともし、話を聞く姿勢を示す。
「私が宮廷に招かれた経緯はさっき話した通りだ。全てを失った私にとって、勇者の従者だけが生きる目的になった。それを誇りに思うあまり、少々気負いすぎていたらしい。ヴィレッタにも何度か注意されてはいたのだがな……」
これで自分の話は終わりだという意思表示なのか、残っていた料理に手をつける。
が、口に入れた瞬間、盛大に顔を顰めてしまう。先ほどまでの半拒食症が蘇ってきたのではなく、完全に冷め切ってしまった料理が美味しくないらしい。
ラクセスは給仕の店員を呼んで、もう一度温め直してもらうように頼む。幸いなことに、二度温めても美味しく頂ける種類の料理だったようで、店員も二つ返事で引き受けてくれた。
視界の端に彼女の姿を映しながら黙って彼女の行動を眺めていたリドウであったが、ややあって不意に口を開く。
「あんた、ライトニング・インパクトには会ったか?」
「ああ、もちろん」
「どう思った?」
「どう、とは?」
リドウは漠然とした意味で訊いたつもりだったので、具体的な内容を問い返してくるラクセスに少し考える。
「……例えば、あんたの持つ勇者像に相応しいと思ったか?」
「……失礼ながら、思わなかったな」
むっつり顔で言うラクセス。
「この手の自慢になる話を自分でしたくはないのだが、大概の男は私に色目を向けてくるから、ミドリ殿もそうだったからと言って人格その物まで否定しようとは思わない。だが少なくともユーキは、私の期待に応えようと努力する姿勢は怠らなかった。しかしミドリ殿は……」
眉間に皺を寄せて。
「断言するつもりはさらさらないが、権利は欲しても義務は嫌っているように思う。クズ貴族と同列に並べ立てるのは流石に失礼も極りないだろうが……ミドリ殿に『力』を与えてしまえば、いずれは連中と同じ領分に陥りかねないのではないかと……何となく思ったのは事実だ。その点に関しては、私はユーキにその手の危惧を抱いたことは一切無かった」
「そうか……」
二重の意味での「そうか」だった。
自分よりは貴月と接しているはずのラクセスの感想もそうだったが、彼女が己の勇者を心の底から嫌いになったわけではなければ、ましてや憎くなったわけでもないようだと……リドウは何となく察してはいたのだが、今ようやく確信した。
彼女とあの男の間に何があったのか、別に知りたいともリドウは思わなかったが……何とか食べられるようになったとは言え、以前にブランカ帝国で見た時よりも儚げで、今にも散ってしまいそうな雰囲気は未だ已まず、彼女の心の傷が完全に癒えたとは思えずに、どうしたものかとひっそりと考える。
温め直された料理が戻ってきたことで、とっとと食事を済ませてしまおうと専念するラクセスは気づいていなかったが。




