第八十二話 ライトニング・インパクト
酔い潰れてしまったラクセスが目を覚ましたのは日付が変わって間も無くの頃、暗闇が支配する真夜中のことだった。
酔い潰れたのはまだ夜の帳が落ちる前だったので、普通に一晩寝るのと変わりない時間を眠っていたのだし、そろそろ目を覚ましてもおかしくはないだろう。
ベッドの上で起き上がると、寝ぼけ眼でぼーっと前を見つめる。幸い、二日酔いにはなっていないようで、頭痛や吐き気はしない。
実のところラクセスは二日酔いとは無縁だった。長時間寝てもアルコールが体内に残留するほどの量を飲む前に潰れてしまうからだ。
徐々に意識を取り戻していく最中、自分が薄着になっているのに気づく。下着姿ではなかったが、どうしてこんな格好で? と疑問に思った瞬間、ベッドを背もたれにして床に座って眠っている男の頭が視界をよぎり、全てを思い出す。
慌てて自分の全身をくまなく触って念入りに確認……
している最中に、
「酔って前後不覚になった女をヤっちまう趣味は無ぇよ」
安心しろと、自分を見もせずに言う声に、ラクセスは本能的にシーツを引き上げて全身を隠しながら固まってしまう。
「お、起きてたのか……?」
「んなバタバタしてたら嫌でも起きるだろ」
「脱がせたのは貴様か?」
「ああ」
事も無げに肯定するリドウだった。
「記憶はあるか?」
「極めて残念なことにな……」
潰れて寝入ってしまう直前の自分の醜態を思い出しているらしく、恥ずかしそうに頬を染めながら膝を抱えて顔を俯かせる。明かりが無いおかげで相手に顔色が見えないのは不幸中の幸いなのだろうか。もっとも、リドウはラクセスの方を向いてすらいないわけだが。
「随分と溜まってたみてぇだな」
「そうかもしれない……」
ラクセスは膝に顔を埋めたまま、今にも消え入りそうな小声で返答する。
「言葉にしてしまえば……そう多くはないかもしれない……」
涙が溢れてきているのか、湿った声になっているのにリドウは気づく。
「いや、何でもない、忘れてくれ」
そう言って話を打ち切ったラクセスの方向から、ごそごそと衣擦れの音がする。衣服を脱ぎ捨てる音ではなく、首を横に振った際に、髪や額がズボンに擦れた音のようだった。
と思えば、ぎしっとベッドが軋んで、リドウの横ににゅっと足が這い出てくる。視線だけ動かして確認すると、ラクセスはベッドから下りながら上着を手に取って袖を通している最中だった。
「酔い潰れた女を手篭めにしてしまわない、存外紳士的な貴様に、一応礼は言っておく」
「報復が怖かっただけのヘタレさな」
「それはもしかして、ジョークのつもりか?」
ベッドの下に纏めて置かれていた肩当やガントレットを素早く身に着けていたラクセスだったが、その手を止めると、何とも言い難い微妙な顔で床に座っているリドウを見下ろす。
「笑えなかったかい?」
「ジョークのセンスは無いようだ」
ラクセス冷え切った声で応えながら、しかしようやく微かに笑ってみせた。
「貴様……いや、貴殿が積極的にラーカイム王国に仇を為そうとするのでもなければ、私も貴殿の邪魔はしないと、私の剣と誇りに懸けて誓おう」
「久しぶりに聞いたな。実に俺好みだぜ。言っちゃ悪ぃが、まさかあんたの口からそんな言葉が聞けるとは思えなかった」
目を伏せながら微笑しているリドウを、ラクセスは怪訝な顔つきで見下ろす。が、何となく彼の言葉が何を意味しているか理解できたようで、表情を自嘲めいたものに変え、ドアの方に向かいながら応じる。
「以前の私なら名誉と言っていたかもな。だが今の私にそんな物は無い」
リドウからは僅かに横顔が覗ける程度だったが、笑みを形作る唇が自嘲から微笑に変化するのが彼には見えた。
「しかし、やはり酒は向かん……が、世話になった」
部屋を出て行く直前、ドアの取っ手に手を掛けながら、リドウに背を向けたままで残りを、少し躊躇いの篭った小声ながら、ハッキリと言い切る。
が、その言葉に対する返事はラクセスにとってあまりにも想定外だった。
「ちゃんと食ってるのか?」
「え?」
思わず振り向いて、その目を丸くしながらリドウを見つめてしまう。
「千鶴よりは小柄だが、お嬢よりはタッパあるな。その身長で戦士系のくせに、抱き上げた時の感触がお嬢とさして変わらねぇ……いや、明らかにお嬢より軽かったぞ」
「…………」
ラクセスは戸惑いを隠しきれずに視線を彷徨わせること数秒、これ以上この男に弱味を見せたくないとでも考えたのか、勢い良くドアの方を向き直った。
「紳士的と言ったのは撤回しよう。女に向かって体重を問うなど下衆の極みだ」
憎まれ口を残して部屋を出て行ってしまったラクセス。
リドウは追い駆けてまで追求しようとは思わなかったが……
今にも壊れてしまいそうな脆くも危うい様子のラクセスに、どうしたものかと嘆息してしまう。本人は平然を装っていたつもりだろうが、リドウからしてみれば全く誤魔化しきれていない。
自分が気に掛けてやる義理など無いはずだとも考えるリドウであったが……捨て置いてしまうにはこの男の本質も少々優しすぎたし、傷つき、今にも倒れてしまいそうな女を黙って放置しておくなんて、そんな無粋な教育も受けていない。
ただ、彼女をそこまで追い詰める最大の原因となったのは考えるまでもなく自分自身なのだろうし、なのに今更優しくするような行為が、リドウにはそれこそ下衆の極みに感じられてしまっていて、容易に首を突っ込む気にさせてくれない。
二律背反。この男にしては久方ぶりに本気で迷ってしまっていて、迂闊に行動に移せなかった。
「……ライトニング・インパクトの事……聞きそびれっちまったな」
折角の好機を逸してしまった後悔も少しだけあった。
ラクセスが帰った後、取り敢えず気持ちを切り替えて眠ったリドウ。ここですんなりと睡眠に入ってしまえるのがこの男の神経が図太い所をよく表している。
結局は戦闘脳なだけとも言えるが。眠るべき時に寝て、食べるべき時に食べる、それが兵法家にとって必要な資質の一つであった。
朝を向かえ、適当な店に入って朝食を取った後、昨日のマイス団長の指示に従い王城に上がる。
勝手に行ってくれと言う衛兵に、監視の一人くらいも付けなくていいのかと、お節介ながら宮廷の危機管理に若干の不安と疑問を抱いたリドウが素直に訊ねたら、こういう事態のために宮廷戦略旅団の詰め所までは、許可のある者は基本フリーで、それが可能なように城の構造自体が元々出来ているそうな。どこの国でも大概は同じらしい。
もちろん、それ以外の道に逸れると途端に話がややこしくなってしまうため、決して余計な行動は取らないようにと警告された。国関係の仕事をこなした経験が有る冒険者にとっては常識らしいので、場馴れした風格があるリドウが初心者だとは思われず、説明しなかった自分たちが悪かったと、衛兵は軽く謝罪していた。
リドウの目に“異様な光景”が飛び込んできたのは、昨日の詰め所まで向かおうと足を進める途中の出来事だった。
廊下の柱の陰に隠れ、こそこそと前後を窺う人物が居た。
気配がダダ漏れで、あれで本当に隠れているつもりなのか、リドウからしてみれば疑いたくなる。
が、それ以上に、
(あの内在キャパは……)
全く隠せていない闘気の存在感が気配云々以前に、その人物の行動の全てを台無しにしていた。
柱からちらりと見える髪の色は真っ黒である。もう間違いないだろうとリドウは確信する。
向こうさんもリドウに気づいたようで、慌てて柱の陰に全身を押し隠した。完全に不審者である。
リドウは正直、相手が何を考えているのか知らないが、“今の段階”で特に関わりたいとも思わなかったので、ここは気づかない振りをして通り過ぎてやるのが親切なのかと、黙って横を通り過ぎようとする。
が、リドウの視界に入らないようにと更に壁へ体を押しつけたらしきその人物、その腰に差さっている剣が壁にぶつかってしまったようで、がちゃりと大きな音を立てた。
静かな廊下にそれはよく響き渡り……これで気づかない方が不自然な状況に陥ってしまったリドウは、仕方なしに振り返る。
そこには、今更ながらに、焦燥露わに剣を腰から外して胸で抱きかかえるようにしながら、涙目で蹲っている青年と少年の中間くらいの男が居た。
リドウの視線を受けて、少年は怯えたようにびくっと身を竦ませる。
「ひっ……」
「あー……」
これにはリドウの方が困ってしまった。何でこんなに怯えられているのだろうか、まさか自分はそこまで威圧的な人間に見えているのだろうか、と疑問に思ってしまう。
よくよく観察してみると、いかにも『普通の』という形容が似合いそうな少年だった。
殊更に美形とか男前とか言われるような顔立ちではないが、かと言って特別に不細工ということもないだろう。
国の方から用意されているのか、身に着けている衣装はかなり値が張りそうだ。剣の鞘拵えも立派なものである。
だが今は、この世の全てに恐怖を抱いているかのような、情けないとしか言いようがない彼自身の態度が、プラス要素の何もかもを台無しにしていた。
「お、お願いだ! 俺のことは見なかったことにしてくれ!」
「いや、あの」
「あんた、この城の人間じゃないだろ!? あんたみたいなの、一度見たら二度と忘れない」
と言った所で、彼は何かに気づいた様子で目を見開いた。
「その格好、もしかしてケルベロス退治に雇われたのか!? なら悪いことは言わないから、さっさと違約金を払ってでも逃げた方がいい! ライトニング・インパクトが居れば簡単に倒せるなんて噂を当てにしてるなら」
「落ち着け!」
少し大き目の声で一喝すると、少年は全身を硬直させて黙り込んでしまった。
「失礼、怒鳴ってしまって申し訳ございません。ですが、私はあなたに何かを含む所はありません。落ち着いて下さい」
できるだけ柔らかい態度を心掛けて話しかける。
それが功を奏したらしく、少年も態度を軟化させて、落ち着きを取り戻した様子でリドウに謝罪する。
「わ、悪い」
「いえ。よろしければ事情をお聞かせ願えませんか? 何かお力になれることもあるかもしれません」
「き、聞いてくれるか!?」
少年は嬉々とした顔で、一抹の救いが見つかったとばかりにリドウへ詰め寄る。よほど鬱積していたようで、話したくて仕方ないという内心が透けて見えた。
ここでは話をし難いということで、どこかの部屋に入って話をしようと言う少年。と言うか、本音を言えば身を隠したいのだろう。
が、彼はあまりここら辺の部屋事情に詳しいわけではないようで、どこに入ればいいのか迷っている。
リドウは仕方なく、自分たちの居る場所から二部屋分が離れた場所の扉を指差す。
「あそこがよろしいのでは?」
「え? 何でだ?」
「他の部屋からは気配がしますが、あそこは取り敢えず誰も居ないようです」
「気配って……」
本当かよと疑う顔だったが、リドウの言葉が本当なら、いつまでもこの場に留まっていたら他の部屋から出てきた人間に見つかってしまうと思ったようで、少年は急ぎ足でそちらに向かう。リドウは黙ってそれに付いて行った。
部屋に入ると、少年はほっと息をして、緊張感に強張っていた体の力を抜いた。
「で……えっと……」
「ライドウです、ライトニング・インパクト殿」
「そのライトニング・インパクトっての、止めてくれないか?」
「お嫌いなので?」
リドウは意外そうな顔で問う。ルスティニアではまず有り得ない二つ名からして、失礼ながら自分から望んで名乗っているお調子者だと思っていたので、本当に意外だったのだ。
対する少年は憮然とするばかり。
「ラーカイム王国に雇われた時に、二つ名を名乗るならどんなのがいいかって訊かれて、咄嗟に思いつかなくて、俺の故郷に有りがちなセンスで適当に考えたんだけど、まさかこんな大々的に使われるとは思ってなかったんだ」
調子に乗っていたのも少なからずあるのだろう。その頃の自分の言動を恥じているのか、微かに顔を赤くしながら、もっとよく考えるべきだったと後悔していると言う。
「美土里貴月って言うんだ。美土里が苗字で貴月が名前な」
「では美土里殿で」
「貴月でいいよ」
「雇われ冒険者の私にそれは許されないでしょう」
「この世界の人たちって本当にお堅いよなー。ファンタジーの名に偽りありだぜ、ホント」
貴月は呆れ半分、そしてもう半分になぜか自嘲が籠った風に薄っすらと笑う。
「何つーか、明らかにファンタジーな世界なのに、全然『幻想』って感じじゃねーっつかさ……」
「…………」
貴月は近場の椅子に座り、背もたれにふんぞり返って天井を仰ぎ見る。
「何つーの? 主人公にさせてくれねーって感じ」
座り直してリドウに視線をやる。
「あんたは知ってるか知らないけど、何かロンダイク聖教ってとこがやった召喚魔法が事故っちゃったって原因が最近判明してね、それで呼び出された勇者って奴らしいのよ、俺」
「…………」
リドウは応えない。
「普通さ、魔力があれば呪文唱えて強力な魔法を使い放題、技もスキルを手に入れればお手軽に発動、それがファンタジーでしょ! 何なの? どっちも自力で熟練しなきゃなんねーとか! そんなの普通の学生には無理っしょっ!?」
両手を広げて力説する。リドウに同意を求めているらしいが、何の反応も無いのを見て、しかし機嫌を損ねるわけでもなく、勝手に続けている。
「王様も貴族も、普通に王様で貴族なんだよな。やたらと気さくで俺を持ち上げてくれるわけでもなければ、特別に悪人全開の傲慢な支配者ってわけでもねーの。キャラ立ってないっつーかさ、上に居る人間があんな普通じゃ、物語にならねぇってのよ」
「あなたは物語の主人公に成りたかったのですか?」
「そりゃね」
肩の力を抜いて笑う。
「考えない方が変でしょ。でも、この時点で気づいておくべきだったと、今は思うよ。あの頃は俺も調子に乗ってたから気づけなかったけど。宮廷戦略旅団に招かれた時に――俺の時代キター! って何も考えずに喜んでた過去の自分を殴ってやりてぇ」
頭を抱えて俯いてしまう。
「最初は商人の護衛とかで小金を稼いでたんだけどさ、必然的にってか、盗賊に襲われたんだよね。でもさ、楽勝だったのよ。最初は俺もびびってたけど、いざ戦闘になったらさ、相手に能力者なんて居なかったし、あいつらの攻撃じゃ俺の防御力は超えられないから、オレツエー全開」
「その盗賊共は……?」
「…………皆殺し」
少し長めの沈黙の後、その言葉が出た瞬間、リドウは瞑目したが、俯いている貴月は気づかない。
「俺も反射的に剣を振ってるだけだったけど、それだけであいつら簡単に死んでくのよ。それがいけなかったんだろうな。あれのせいで『この世界は楽勝』ってイメージが俺の中に出来上がっちゃったんだと、今は思うよ」
俯いたまま、はぁっと深く息を吐いている。
「それからは盗賊相手に無双する日々を暫く続けてた。それが楽しくって楽しくって仕方なかったね。幸い、盗賊退治は政府に法律で認められた仕事で、どこからも文句を言われないどころか、やればやるほど褒められて……」
貴月は言葉をため込んで頭を抱えてしまう。
「最初に人殺しをした時、俺は自分でも不思議なくらいに何とも思わなかった。その理由も今なら理解できる――俺はこの世界が現実だと認識できていなかったんだ。彼らを人間だと思っていなかったんだ」
「盗賊の末路はまず死刑、そんな事は連中も知っている。連中が死んだのは少なからず自業自得だろう」
リドウのフォローの言葉に、俯いていた貴月は意外そうな顔で視線を上げる。
「それがあんたの本当の口調?」
「あんたとは本音で話す必要がありそうだと判断した」
「ああ……それでお願いするわ」
リドウは続きを聴くという意思表示なのか、貴月から少し離れた場所の椅子に座り、携帯灰皿を取り出して煙管を銜えた。
「失礼するぜ」
「好きにしてくれ」
リドウは喫煙の断りを入れてから一服し、
「……で?」
「あんた、ケルベロスって見たことある?」
恐怖に震える声だった。
「いや、無ぇな」
リドウは、まだ自分の正体を完全に明かす段階ではないと考えたようで、そこは嘘で誤魔化してしまう。唯一、彼が何の気負いもなく口にしてしまえる種類の嘘だった。
それにリドウだってエーテライスに現存する全ての種と戦ってきたわけではない。一度遺跡を完全攻略しているのでケルベロスとの戦闘経験があるのは事実であるにしても、実はリアルケルベロスとの戦闘経験自体は無かったりするので、全くの嘘というわけでもなかった。
「ケルベロスが出現したのって、実はここ、王都のすぐ側だったんだよ」
「ほう……? そりゃ初耳だ。だが別に大した被害は無かったろ?」
「ま、ここの現状を見れば判るか」
「いんや」
リドウが首を横に振るのを、貴月は怪訝な顔つきで見やる。
「人間からしてみりゃ魔物は『魔物』ってカテゴリーで一括りなんだろうが、ケルベロス自身からしてみりゃ人間も他の魔物も『魔物』ってカテゴリーで一括りだ。超大型種の魔物にとっちゃ人間なんざ数が多いだけで食いでの無ぇ虫ころだ。特にケルベロスみてぇな伝説級上位の一種ともなれば、人間も大概の魔物も脅威は殆ど感じねぇって意味で大して変りゃしねぇだろうよ」
「そうらしいな。伝説級上位なんて殆ど歴史上の存在、文字通りの伝説で、うちの団長も流石に詳しくはなかったけど、ケルベロスがここを無視してライトヴィヒ山に行っちゃったのを不審に思ってたら、魔物の性質に詳しい学者先生が同じ推測をしてた」
魔物は人間だけを襲わなくてはならない。
魔物はみんな仲良く団結し、積極的に人間の町を襲わなければならない。
――なんてご都合主義などこのルスティニアには存在しない。地球の動物と同じように、魔物同士で生存競争だって普通にする。
「あんたさ、魔物に詳しいみたいだけど、ケルベロスはライトヴィヒ山の魔物を食い尽くしたら、次は他の場所に行ってくれると思うか?」
「ケルベロスが『人間以上に食欲を示す魔物の群生地』が近場にあるならな。無けりゃ、次はここだろう。俺はライトヴィヒ山にどれだけの魔物が棲んでるかは知らねぇが、ここを無視してそっちに行ったって部分から逆説的に考えて、おそらく数年は持つとは考えられる。長けりゃ十年単位で持つだろう」
「学者先生も同じ結論を出してた。で、ライトヴィヒ山で普段活動してる冒険者たちが生む利益を考えると、とっとと倒すべきって結論だよ」
苦い物を噛み潰したような顔で言う。
「ケルベロスが出現して、当然俺は迎撃に出た……きっと勝てると思ってね」
へっと笑い飛ばす。
「見た瞬間、とんだ勘違いだと思い知らされたね。あんな化け物聞いてないっての。なのに他のメンバーは、ケルベロスに恐怖心を抱いてるのは俺と変わらなくても、ケルベロスの強さ自体に関しては『当然だろ?』って顔してるし」
そして、再び沈痛な面持ちで俯いてしまう。
「その瞬間、俺は我に返ったよ――ここは現実なんだ――ってさ」
貴月は頭を抱えて唸る。
「現実なら殺されたら死ぬんだ。今までは敵が弱すぎて、俺は無敵だと思い込まされてたんだ」
この瞬間、リドウはすぅっと目を狭めた。今の貴月の発言の中にとてつもなく気に入らないものを感じたらしい。
「今の俺がケルベロスと戦うなんて、レベル10くらいでラストダンジョンに挑むようなもんだ。絶対に死ぬ。どんな幸運補正があっても百パーセント死ぬ」
貴月は膝の上に置いた両手にぐっと力を込めて、
「そんなの冗談じゃない……ッ。集団自殺に俺を巻き込むなっ」
絞り出すように言った。
リドウは大きく煙を吐き出しながら、険しい目で貴月を睨む。
「逃げてぇのか?」
「逃げたいさ! 誰だって死にたくなんてねーだろ!?」
「なら何で逃げねぇんだ?」
「逃げても無駄なんだよ! 何度かやろうとしたけど、ここって警備緩いように見えて、実際は外の警戒が厳重なんてもんじゃないんだ」
あの程度でか? とリドウは本気で疑ってしまう。半ば本能にまで叩き込まれた教育のせいで、そこら辺は無意識で確認してしまっているのだが、彼自身の感覚で言えば正直な感想は「楽勝」の一言だ。たとえ空間転移を初めとする魔法を封じ、闘気も一切無しでも……侵入するならともかく、警備の“意識”が外から内へと向いている通常時なら、脱出は大して苦労はしないだろうと思う。
まあ、自分にできることが他人にもできて当然と思うな、とも教育されているので、そんなものかと納得するしかなかったが。
「ま、それはそれで勝手すぎだと思うがな。これまではその才能におんぶに抱っこで、平民の税を啜ってきたんだろ?」
貴月はぐっと言葉を詰まらせてしまう。
「だ、だけど! あいつらがちゃんと説明しなかったからっ――この世界のことを!」
「この世界にゃ魔物も人間も化けモンがわんさと存在してる。その程度のこと、この世界じゃ常識だ。一々懇切丁寧に説明してくるお節介はいねぇだろうよ。普通に考えりゃ、その行為は『世間知らずを馬鹿にする』以外に受け取れやしねぇだろうからな」
黙りこくる貴月へ、リドウは煙管を突きつける。
「あんた、てめぇは世間知らずです、って顔を一度でもしたか?」
貴月が答える前に、リドウは自ら回答を紡ぎだす。
「してねぇよな? 馬鹿にされるようなマネをてめぇから望んでするタイプじゃねぇだろうよ」
「そ、それのなにがいけないって言うんだ!? 馬鹿にされたいなんて思うわけねーだろ!」
「あんた、この世界の一般的な平民に比べると、大分高等な知能を持ってんだろ? そういう『まともな教育を受けて洗練された人間です』って雰囲気が全身から滲み出てる人間がそんな世間知らずだなんて、何も言われずに察しろって方が無理だろ」
リドウは突きつけていた煙管を口元に持ってきて、口端で銜えながらドスの利いた声で言う――
「無駄なプライドに拘って、てめぇの無知を曝け出さなかったあんたの、少なからず自業自得だ」
貴月は反論の言葉が思い浮かばず、歯を噛み締めながら打ち震えている。
リドウは数瞬の間、黙って貴月を眺めていたが、ややもして煙管の灰を落とし、その音に反応して顔を上げた彼に、内心の舌打ちを押し隠して自ら話しかける。
「まあいい。それより、死にたくねぇんだな?」
「……どういう意味だ?」
「もう一度だけ訊く。死にたくねぇか?」
「ああ……死にたくなんてない」
「代償として、今の立場を捨てることになっても構わねぇか?」
「何が……言いたいんだ……?」
貴月は思わぬ展開に期待するようでもあり、しかし何かの罠ではないかと疑う気持ちもあるようであり、慎重に問い返す。
「助けてやらんでもねぇ」
「あんたに何ができる……?」
明確に言葉にされたことで、表情の色は期待の方に偏ってきつつあった。
「麻木恵子と一条千鶴を知ってるか?」
思ってもみなかった名前を告げられて、途端に愕然とする貴月。
「俺が保護した」
「なっ……んだって!?」
「ついでに言っておく。リントブルム殺しの月紅ってのは俺のことだ」
「――――!?」
知ってるかと問いかけてくるリドウの眼差しに、貴月は大声を辛うじて呑み込んだ。
「順に説明してやるから、黙って聞け。質問があるなら最後に纏めてにしろ」
そう言って、ここに至るまでの経緯を大雑把に話す。
「――ってわけで、俺はケルベロスの始末をフォローするために送り込まれた」
できればラーカイム王国を疲弊させるという部分だけは伏せていたが、それ以外は殆ど正直に話した。無論、魔王関連も口にしたりはしなかったが。まだその段階ではなかった。
「なら、あんたが本気を出せばケルベロスは倒せるんだな!?」
疑う気持ちは無いらしい。憧れの美少女として有名だった恵子と千鶴の名前を出されたことで、インパクトのあまりに疑心を持つという考え自体が思い浮かばないのだ。何だかんだとルスティニアに飛ばされてからは孤独を味わってきた彼からしてれみれば、知り合いの知り合いは知り合いという感情の動きもあるのだろう。追い詰められている高校生程度の子供にそれ以上を期待する方が間違っている。
「倒せる。が、今回はケルベロスを利用させてもらう」
「どういうことだ?」
「あんた、死にな」
「なっ……」
「文字通りの意味じゃねぇ。フォローはしてやるから、ケルベロス戦で死んだことにしろ。多少は痛い思いもするだろうが、そのくらいは、今まであんがた受けてきた恩恵に対する正当な対価だと思え」
リドウの感覚では到底『正当』とは言い難いが――無論、恩恵に対して仕事量が足りないという意味で――これ以上はリドウ的にもキャパを超過する。揉め事にせずに貴月をラーカイム王国から引き離す手っ取り早い方法はこれくらいしか無かった。
「ぐっ……」
「俺があんたを攫っちまったのがラーカイム側にバレるわけにはいかねぇ。悪ぃが、ラーカイム側にリリス教に対して公明正大に付け入る隙を与える訳にはいかねぇんでな」
「……結局あんたが倒してくれるんだろ……?」
「舐めてんのか?」
これまでで最高にドスの利いた声を発するリドウだった。
結局、最終的にリドウが倒してくれるなら、適当にピンチになるから、その後は任せる。その後の自分の事は放っておいてくれても“いいぞ”? ケルベロスさえ居なくなれば今の立場は悪い物じゃないし――という内心の欲望が、身の安全が目の前にちらついた途端に鎌首をもたげてきた貴月である。
その思惑をあっさりと看破したリドウ。それ故の「舐めてんのか?」であり、こんな彼に対して逆らえるような度胸が、この少年如きにあるわけがなかった。
「ご、ごめん! 言ってみただけだから、見捨てないでくれ!」
リドウは舌打ち一つ、日本人ってのはどいつもこいつも甘さが目立つなと内心で愚痴る。例外は一条千鶴くらいで、麻木恵子も高坂愛奈も、程度の差こそあれ、こういう部分が最初は多少見受けられたのも厳然たる事実だ。
ちなみにこの『甘さ』とは、皆がリドウに対して言う『弱者に対する甘さ』ではなく、『己に対する甘さ』であるのは間違ってはいけない部分だろう。
「わかった。あんたの言う通りにする」
「それでいい」
一先ず、自分にも今の『任務』があるし、今はこれで話を終わりにしようとリドウは言う。
「あんたは国の言う通り動いてろ。心を入れ替えた風を装って、真面目に訓練してな」
「わかった」
貴月が頷いたのを見て、リドウは立ち上がって外へと向かおうとする。
が、その途中で足を止め、貴月に問い掛ける。
「一つ質問だ」
「何だ?」
「ケルベロスはあんたらを警戒して離れてった風だったか?」
「いや……」
貴月は少し考えてから口を開く。
「……相手にする価値も無い、って感じだったな」
「そうか……」
やはり、エーテライス出身の魔物ではないようだと、リドウは確信する。
伝説級のみが跳梁跋扈する大結界エーテライスであるが、あそこにおいて『人型種族』はヒエラルキーの最上位に君臨する存在だ。
魔王陣を筆頭に、リドウ、そしてサリスやリュリュたち侍女陣もそう。基本的には如何なる魔物よりも強力な存在として君臨している。
よって、エーテライスに生きる魔物たちにとって――人型種族とは最大の警戒心を持つべき敵なのだ。
しかし、リントブルムもそうだったが、どうやらケルベロスもエーテライス出身ではないようだ。
ロンダイク聖教が一体どこからそんなに大量の超越種族を持ち出してきたのかは謎だが……
(リリィが黒幕って可能性は取り敢えず杞憂だったか……)
実はちょっとだけ……本当にちょっとだけだが、疑っていた愛息子であったが、人知れずほっと安堵の吐息を零していた。
彼女を敵に回して本気で闘う――それ自体は別に構わないのだが、憎しみを伴って闘うような話は断じて御免であった。




