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第八十一話 思わぬ再会

 ラーカイム王国までの道程は、今更言うまでもないだろうが、リドウは空を飛んで行った。所要時間は二時間弱と、また距離にすれば相当な物だったが、彼の方は特に疲労を感じてはいないようだった。


 ラーカイム王国の首都、王都ベクサレム。


 リドウは到着するとさっそく冒険者斡旋所に向かう。


 その途中、特に注意深く見ていたわけでもないが、街の様子を観察していると、思うことがあった。


(どうも……王都って割にはあんま活気がねぇな)


 商店は開かれているし、ここで暮らしている住人たちがそこで買い物をする姿も目にできる。


 しかし行商人や、彼らの護衛を専業にしている下位の冒険者たちの姿はちらほらとしか見られない。もっと具体的に言えば、居るのは明らかにここの住人と思しき“暮らし慣れた”雰囲気のある者たちばかりで、“空気が馴染んでいない”外国人の類が殆ど見受けられないのだ。


 リントブルムの被害が出ている真っ最中だったブランカ帝国ですらここまで寂れてはいなかった。あるいは、これが“落ち目”だという証拠の一つなのかもしれないなとリドウは思う。

 もっとも、ブランカ帝国の場合、“寂れた”という印象は巨峰ホールディックの麓町くらいしかあまり見受けられなかったのも事実だったが。あれで経済被害が深刻だったと言うのだから、普段は余程栄えている国なのだろう。

 そもそも、これまで自分たちが通ってきた国々が、リリス教国家でも比較的繁栄している国ばかりだったので、あまりそこら辺を基準にするのも間違っているのかもしれないなと、リドウは自分自身に言い聞かせる。大した事柄ではないのも事実だが、こうした思い込みからくる誤解を日常的に続けていると碌な目に遭わないから注意しろと、これも教育されている。


 何食わぬ顔で分析を続けているリドウが居る一方で、通りすがりに住人たちが、魔法使いっぽい格好をしている割には体格のいい彼に注目し、それが女性だと彼に見惚れていたりもするが、特に奇異な物を見る目だったりはしない。魔法使いと言っても様々で、彼くらいの体格をしている者も……まあ珍しいことは珍しいが、しかし珍しくないとも言えるくらいには存在するのだから。烈震のガルフほどになると流石に仰天されるだろうが。


(しかしあれだな……一年半近くも魔力を隠して生活してたからかね。隠すにしても逆になるとかなり勝手が違うな。妙に低くなったり元に戻ったりしてたら不自然すぎるから常に一定を保ってなきゃならんときてやがるし、こりゃ存外に神経を磨り減らすぜ)


 内心で盛大にぼやきながら、気を紛らわせようと煙管を銜え、更に心中でぼやく――


 こんなことなら、俺の実力を見抜けるような使い手が居てくれねぇかな……。


 ――と。


 少なくともケルベロスに梃子摺るレベルの相手に見抜かれるヘマをするつもりはない。逆に自分の実力を見抜けるなら、自分が居ようが居まいが変わりはしないのだし、さっさと引き上げさせてもらおうと。

 ……まあ、リュリュのように、実力者でも他人の実力を見抜く眼は今一な使い手も存在するように、逆に慧眼にだけ長けた使い手というのも居るかもしれないが。

 ラーカイム王国の戦力を適度に壊滅させたいというベアトリクスたちにとっての最高の結果からは完全に外れてしまうが、どの道自分は『努めて失敗させようとする気』は無いのだし、自分が居ても居なくても変わらないのなら、本当に何も変わりはしないのだから。


 ああ……でも……


(そんなのが居たらっちまいたくなるな……)


 とかバトルジャンキー思考をして、そんな自分に呆れ返ってくすりと唇を綻ばせるリドウである。


 その時、ちょうど視線の先に、おそらく友人連れと思われる年若い娘さんたちが三名ほどいらっしゃり、しかもリドウに注目していたところだったせいで、きゃっと頬を朱色に染めている。


 何となく悪戯心が芽生えて、指を二本ぴっと立てて軽く振ってみると、「きゃーっ!」と黄色い悲鳴が上がる。


(ん……やっておいて何だが、俺のキャラじゃねぇな。やってる俺の姿を想像すると、ぶっちゃけキメェ)


 もっとも、大喜びな娘さんたちとは違い、やった本人は即座に酷い後悔を感じているようだが。


 何だろう、とリドウは訝しげに思う。


 随分と調子が狂っている気がする。キャラに合わないこの格好のせいだけでなく、何か他にも理由があるような気がする。恵子や千鶴が居ないせいなのだろうか……?


(んー……)


 心の中で軽く首を捻るリドウであった。










 やがて冒険者斡旋所に辿り着く。ケルベロス討伐関連は王城が直接行っているが、一般の冒険者が参加するならまず斡旋所経由だろうと考えての行動だ。常識的にそう考えるべき話だったので、特に道中でナンパ紛いの情報収集を行ったわけではないのは一応述べておく。


 予想通り、依頼の受け付けは斡旋所で行っていた。


 が……


「依頼ですか?」

「ああ。アレに参加したい」


 と、リドウが受け付け嬢に話し掛けながら背後の一際大きなポスターを親指で指し示すと、斡旋所の職員たちが一斉にざわめいた。

 元々リドウ以外の冒険者が見当たらず、静かだったせいもあり、余計に強調されてしまっている。


「あ、あ……そ、そーですか……」


 受け付け嬢は動揺を隠しきれない様子で応じている。


「珍しいのかい?」

「あなたで二人目だと言えばお分かり頂けます……?」

「ふーん」


 全く顔色を変えないリドウ。


「その……私は末席ですけど一応この国の貴族ですので、まさかお止めになった方がいいだなんて口が裂けても言えませんし……」

「いや、言っちまってるだろ」

「本音を言わせて頂けば貴族としても国民の一人としても、とっても助かるんですけど……」


 自分の発言を無かったこととして素知らぬ顔で続けている受け付け嬢に、リドウは「心が善い人間だな」と柔らかく笑みを零す。


「気遣いはありがたく頂戴しておくぜ」


 止める気は無いと暗に告げるリドウに、受け付け嬢は一瞬だけ逡巡を見せたが、


「よろしくお願いします」


 意を決すると、丁寧に頭を下げた。


「では、こちらをお持ち下さい」

「ありがとよ」


 許可証らしき羊皮紙を受け取りながら、気負いの欠片も見せずに踵を返してしまうその颯爽とした姿に、ぽーっと見惚れてしまう受け付け嬢である。


 いつでもどこでも女心を一撃必殺、それがリドウクォリティ。










 それから特にハプニングも無く王城に辿り着く。


 城門で兵士に依頼書を見せると、


「二つ名は持っているか?」

「いや、無ぇな」

「ふむ……」


 兵士は少し考えているようだったが、世の中、自ら二つ名を名乗る雑魚が多いように、逆に二つ名が無くても強い冒険者も居るのは常識なので、特に胡散臭そうな顔はしない。むしろ自分が知らない二つ名を名乗ったり、明らかに他の人物の二つ名を騙ったりするわけでもないリドウの様子を逆に信用したらしい。


「ロスト・スペリングは使えるか? 使えるならどの程度いける?」


 せめてその程度はできないと話にならないと。


 果たしてリドウの答えは、


「ダブルなら」


 というもので、兵士は十分だと満足そうに応じた。


 その後、その兵士に案内されて辿り着いた場所はこのラーカイム王国の宮廷戦略旅団の詰め所だった。

 詰め所と言っても、仮にも王国の戦力の中枢を担う宮廷戦略旅団である、広くて立派なものだ。


 兵士に伴われて中に入ると一斉に注目を浴びる。


「新しい冒険者をお連れしました!」


 威勢よく気をつけの姿勢で宣言する兵士に、三十代前半と思しき男が、


「ご苦労」


 と声を掛けた――その時――中をぐるっと見渡したリドウが、ある一点に視線を向けた瞬間に瞠目する。


「げ、げっこ」


 部屋の隅っこでベンチに座っていた女が絶叫しそうになったが、最後まで言い切ることはできなかった。


 先日リュリュにしたように、ハイドキャストの風魔法で彼女の口を塞いだのだ。


 リドウは愛想のいい笑みを浮かべ、両手を広げながらその女に近づいていく。


「やあ、ラクセスさん。お久しぶりですね」


 リドウは親しい知人同士が旧交を温めるように、硬直している彼女を軽く抱擁する。


 そう、女は黒髪に黒目だが肌の色は白人系の騎士然とした美人――かつて勇者ユーキの従者として敵対したラクセスだった。


 リドウは表情を消しながらラクセスの耳元に口を寄せて小さく囁く。


「今の俺はただのライドウだ。事情の説明もなく納得しろとは言わん。後で説明してやるから、今は理解しろ」


 ラクセスはその言葉に一瞬険しい目をしたが、塞がれている口の代わりに態度で示すことにして、すぐに表情を笑みに変えると、リドウと再会の抱擁を交し合う。


 同時に口の拘束も解けて、


「久しいな、ライドウ殿」


 演技を開始する。


「ラクセス嬢の知り合いだったか」


 先ほど、兵士に労いの言葉を掛けていた男が話しかけてくる。


「俺は団長のマイス。ライドウと言ったな。ラクセス嬢の知り合いなら、それなりに使えるのだろうな?」

「ええ、強いですね……」


 ラクセスは応えながら、内心では――この男が本気になれば今この場に居る人間が一瞬で皆殺しになっている程になと、現実の顔に微かな冷や汗を流して。


「どの程度いける?」

「ダブルキャストで、遺跡四十階レベルなら一撃で倒せます」


 リドウの敬語。


 ラクセスは思う――長い付き合いがあったわけじゃないが、あまりにも似合わなすぎる。寒々しくてぞくっと背筋が震えたくらいだ。


「十分に宮廷戦略旅団が勤まるな。まあ実際に後で確認させてもらいはするが」

「はい。それはそれとして、本日はこの後、特にご予定が無いようでしたら、ラクセスさんをお借りしたいのですが」

「ふむ。本来なら我らが誇るライトニング・インパクトとも顔を合わせておいてもらうのだが、今は所用で外していて、いつになるか判らんからな。いいぞ。明日、午前十時にはここに出頭してくれ」

「かしこまりました」


 やはりここにライトニング・インパクトは居ないかと、リドウは心の中で呟く。そこまで膨大な闘気を保有している人間は見当たらなかったのだ。一番が目の前の団長で、千鶴の数分の一程度。キャパシティだけが戦力を決定づけるものではないが、今の千鶴が戦えば一方的に勝利できるだろう。


「ちなみに、肝心のケルベロスは現在どうしているので?」

「ライトヴィヒ山に居るようだな。あそこはホールディック山と並ぶこの大陸の危険地帯だから、食糧に不足はせんだろう」

「なるほど……」


 “そういう事情”かとリドウは納得する。


「かしこまりました。ではまた明日」

「ああ、よろしく頼む」


 リドウは退室の挨拶をして、緊張感を隠せないラクセスを伴い、部屋の外へと向かう。


(……雑魚、って程でもねぇが、大したことはねぇな。ライトニング・インパクトを除いたら、これでこの国最強の使い手なのか?)


 リドウは内心で苦々しい顔をしながら、ラクセスを伴って部屋を辞する。


 マイスという男。表面上は威厳を見せつつも物分りのいい上司を演じていたつもりだろうが、リドウを見る目が――二つ名も“名乗れない”程度か――と馬鹿にしていたのに、彼は目敏く気づいていた。


 更には、ラクセスに気でもあるのか、彼女と親しげにするリドウに対して敵意が見え隠れしていたことにも。










 このルスティニアは『最低限の才能』さえ有れば、強い意思を持って鍛えると、基本的には強くなれる。成人してから覚醒した気功士が、最初は大したキャパシティの持ち主でもなかったのに、二十年後にはハイエンドとして名が売れていたという例もある。


 だがそれは『他人よりいい暮らしがしたい』という思いに代表される、相対的な視点での『強さへの渇望』では意味がないのだ。


 あくまでも絶対的な意思。他人と比べて自分を優れていると確認していられるような『余裕』など持たずに、ただひたすらに強くなりたいという強靭な意志力だけが意味を持つ。

 例えるなら、勉学に励みながらも成績の順位なんて見向きもせずに、とにかく勉強だけをし続けるようなものだろうか。他人より上に来たからと安心している――安心できてしまう程度の脆い意思ではダメなのだ。

 『誰かのため』や『目的を果たすため』でもいい。あるいは『俺より強い奴に会いに行く』みたいなのでも。とにかく絶対性が肝心なのだ。


 そうでなければ、『本人の限界』にぶち当たる前に、『才能の限界』にぶち当たった時点で頭打ちになる。鍛えていれば技は多少熟練するだろうが、キャパシティは全く成長しなくなる。キャパシティだけが戦力を決定づけるわけでは断じてないが、ならば豊富なキャパシティが必要ないかと言えばそれは全く別の話だ。


 三十代でハイクラスの上位……悪くはないだろう。が、ハイエンド級とはお世辞にも言えない……


(ま、大戦から長いこと遠ざかってる今の比較的平和な時代に宮廷戦略旅団って時点でそんなもんかね……)


 自分やアレクサンドル・ラヴァリエーレなら、あの程度の使い手、百人束になって挑まれようが勝てるだろう。

 つまり、もしあのレベルが各国の宮廷戦略旅団の団員の平均的な実力なのだとしたら――


 ラウンドナイツが出張ってきた時点で皆殺しにされる。


 ――そのような計算が成り立つ。


 まあ一国だけを見て決めつけるのもなんだろう。


 しかし、ケルベロスを相手に、何を悠長に利益最優先で振る舞っていられるのか……いくら無能揃いとベアトリクスが言ったとはいえ、この国の上層部の思惑がリドウには信じられない思いがあったのだが、そういう事情かと納得する。

 ケルベロスにとって、この王都を初めとして――人里を襲う意義が無いのだろう。リントブルムの時と同様に放置しておくわけにはいかないが、危険性という意味では今のところあまり考えなくてもいいのだ。

 ブランカ帝国と同じ悩みを抱えているのも事実だろうが、『利益』という一点において、大戦関連で得られる物の方が高くついたのだろう。その点が、何をおいても即座に解決したかったブランカ帝国と決定的に違ってきた。緊急性は無論あるにしろ、それ以上の利が自国のみでのケルベロス討伐にはあると、ラーカイム王国上層部は判断したのだ。


 ラーカイム王国にとっては幸いなことに、ケルベロスを倒せる成算はある。はっきり言って希望的観測でしかないとリドウは思うが、しかし絶対に倒せないかと問われるならば、彼だって不可能ではないと答えてしまうくらいには確実にある。


(独力での討伐をしくじったら、その時はリリス教会に頼ればいい……って思惑もあるのかもしれねぇな。だが……本当にリリス教会がそんな甘い組織だと思ってんのか?)


 リドウは苦い顔で内心毒づく。


 リリス教は、リドウがそうであるように、弱者に対しては極めて甘い組織であるが、ワガママは嫌う組織だ。一度は自ら差し出した手を、“国という強者”が自ら一度は払い除けたのだ。そう簡単にはいかないだろう。

 何だかんだ、最終的にはラーカイム王国に助力するだろうが、確実に他の国を優先し、ラーカイム王国は最後の最後に回されるだろう。


 リリス教六大国の一つにこの戦時下に落ちられるわけにはいかないと教会側が考えた末に、いざとなったら優先して助けてくれる、とラーカイム王国が高を括っているのならば甘すぎる。少なくとも、『ラーカイム王国に回す戦力を他の国に割り振って得られる利』を遥かに上回る利をラーカイム王国側が示せなければ教会は決して動かないだろう。


(……これだから国同士の話ってのは面倒なんだ)


 個人主義の自分とは考え方が違うから、付き合うのに苦労する。普段なら関わらないよう、避けていればいいだけの話だが、そうもいかなくなってしまった。


 ああ面倒くさい、面倒くさい。


 そう考えて強く舌打ちを鳴らすと、斜め後ろで辛うじて視界に収まっているラクセスがびくっと身を竦ませている。


 ずっとリドウを警戒していたのか、剣を抜きこそしなかったものの、僅かに膝を曲げて臨戦態勢を整えるラクセスに、そこまで怯えられるようなことをしたかな? いや、したかなと、不思議に思った直後に思い直す。リントブルムを一瞬で細切れにし、彼女本人を盛大にぶっ飛ばし、仕える勇者をボロクズにしたのだから。


 しかし、何だってこの女がここに居るのかと思う。マイス団長がユーキやヴィレッタの名を出さなかったし、もしかして離別したのかと薄々勘づきながら。


 道中で酒とツマミ用の干し肉をごっそり買い込むと、適当な宿屋を選んで入る。女性陣に気遣う必要が無いので、あんまりボロ宿すぎなければ構いはしないと、本当に適当な選択だった。

 別にラクセスをベッドに引き擦り込もうというわけではなく、他人に聞かれるわけにはいかないので、酒場で話すのは避けただけだ。そこら辺の事情は言わずとも彼女も察しているのか、特に何も言わずに大人しく従っている。


 宿屋の店員は余計な気を利かせて二人部屋にしようかと提案してきたが、宿泊は一人だと主張すると、店員は特に疑問は挟まず鍵を渡してきた。


 部屋に入るとさっそくラクセスが口を開いた。


「それで、その妙な変装は何なんだ? 髪も綺麗に撫でつけてるし、殆ど別人だぞ。変装と言うよりも仮装だな。私を笑わせたいのか?」


 皮肉全開な口調にもリドウは特に反応は見せず、淡々と酒の準備をしながら応じる。


「その割には一発で見抜いてなかったか?」

「ふん」


 その眼だけは忘れようにも忘れられるか――とラクセスは心の中で呟くが、口に出すのは癪だったらしく、代わりに鼻を鳴らした。


「それで、事情を説明してもらおうか。もし良からぬことを企んでいるなら、私はたとえ貴様に殺されるとしても、良心に懸けて全力で事を公にさせてもらう」

「考えても口にしねぇ方がいいぜ、そういうのは。俺がその気だったらこの時点で死んでるぞ、あんた」

「貴様がするか、そんなこと」


 また鼻を鳴らしながら言う。


「信用してんのか? 俺を」

「邪魔者を問答無用で消すような輩が、あの時、ユーキや私を生かしておく理由など無かろう。信用とは……多分、違う」


 部屋の中には簡素なベッドが一つ置かれているだけで、テーブルや椅子は無かった。


 リドウは所在なさそうに立っているラクセスに、座ろうぜと声をかけて自分はベッドの淵に背中を預けながら床に座る。


 早くも酒を呷り始めているリドウを数瞬黙って眺めていたラクセスであったが、彼とは逆側の壁に寄り掛かって座った。

 何気にドアのすぐ側で、しかもリドウからは大分離れた場所だ。彼女自身が言ったように、どうやら彼を信用したわけではないらしい。


「あんたも飲むかい?」

「酒はやらん」


 頑ななラクセスの様子に、リドウは肩をすくめてご自由にと無言で告げる。


「それで、その妙な仮装と気持ち悪い敬語の真相を早く話せ」

「仮装に気持ち悪い、ね。好かれるようなマネをした覚えが無ぇのも事実だが、それにしてもまた随分な言われようだな」

「鳥肌を我慢するので精一杯だった私の気を知れ」

「話しはするぜ。が……」


 すぅっと目を細めるリドウ、その威圧感にラクセスは完全に気圧されてしまい、全身から緊張感を発する。


「分かってるな?」

「……それは聞いてから決める、そう言った」


 暗に脅すリドウにラクセスは即座に口を開くことはできなかったが、何とか全身に力を込めて反論した。


 そして語られる教会側の本音。


 それがリドウの口から全部知らされたラクセスは――


「ふざけるなっ!」


 怒号を発した。


 リドウは顔色一つ変えなかったが、それが尚更ラクセスの気に障ったらしく、憤怒に任せて彼の側まで歩み寄り、上半身を屈めながら、床に座っている彼の胸倉を掴み上げた。


「貴様が本気になればケルベロス如き、容易く片づけられるだろうが! なぜさっさとそうしない! 貴様が魔物を無為に殺すのを好まんのは百歩譲って許容するにしても、最終的に殺すと決めていながら何を遊んでいる!?」

「八十九階のリントブルムとはたった八階層の差だが、このレベルのこの階層差がどれだけ膨大なもんか知ってて言ってんのか?」

「貴様なら容易いはずだ――」


 一拍の間を置いて大きく深呼吸し、押し殺した怒鳴り声で。


「貴様はあのランスロット卿を倒したのだろうっ!」

「知ってたのか?」

「既にランスロット卿が貴様に敗北したという報はリリス教関係各国に知れ渡っている。大々的に報じられてはおらんが、宮廷戦略旅団クラスの人間なら誰でも知っている。私が知ったのはここに来てからだ。到底信じられなかったが……どうやら事実のようだな」

「同じ国の人間だったな、あんた」

「ご本人に直接お会いしたことはない。私が国に引き取られた頃には既にラウンドナイツとして教皇庁に召抱えられていたからな。だが当代ランスロット卿の化け物ぶりはあまりにも有名だった。ランスロット卿……いや、ラヴァリエーレ殿と出身国を同じくし、末端とは言えリリス教で言えば宮廷戦略旅団扱いだった私が知らぬはずがなかろう」

「そうか……」


 リドウは相槌を打つが、その声には凄まじい険が篭っており……


 まるでかつて敵対した時を思わせるその声色に、ラクセスは反射的に飛び離れ、無駄とは思いながらも剣に手を掛け、腰を落とし、戦闘体勢を取る。


 今の自分の言葉の中にこの男の逆鱗に触れる要因が何かあったかと思考を巡らせるが、別にそこが原因ではなかった。


「一つ言っておく――俺はロンダイク聖教を明確に敵として認識した」

「なっ」

「俺とラヴァリエーレの件を知ってるなら、大戦が起きるのも当然知ってるな? いざって時に足を引っ張りかねん味方なんざ敵よりもタチが悪い。その点において教会側と俺の思惑は一致した」

「そのためならば無為の犠牲が出てもいいとでも……貴様は正気か!?」

「以前にも言ったはずだぜ。俺の存在なんざ無かったもんだと思えば……?」

「――――ッ」


 リドウが何を言いたいのか理解したラクセスは悔しそうに歯噛みする。


「……最悪、全滅するよりはマシだと言いたいのかっ」


 腹の奥底から搾り出すように言う。


「順序を間違えるんじゃねぇぞ。先にこっちが差し出した手を払ったのはラーカイム王国の方だ」

「それはっ……」


 ラクセスは必死の様子で反論を試みる。


「だがっ、それなら貴様が単独で秘密裏に」

「俺が片づけたと表沙汰になった時点でラーカイムとリリス教会の関係が最悪になるな。しかもラーカイム側に理を与える形だ。内政干渉と言われたら反論の余地は無い。リスクが高すぎる。こっちの思惑通りに事が運んだ場合、最悪、ラーカイムがロンダイク側に寝返る可能性も考えられるが、教会側はその方がむしろ話が簡単になるとすら考えてる節がある」


 あくまでも自分の見立てであり、教会がそのように発言をしたわけではないがとリドウは付け加えるも、ラクセスに聞いている様子は無く、くっと苦しげに呻くが、反論の言葉は思い浮かばないらしい。彼女は実のところ、政治からは敢えて遠ざけられながら育った。この手の話を一息の内にされて、理路整然と反論できるものではない。


「それとも、力を持つ人間なら、誰からどんな悪感情を持たれようが、万人の利益のために無償で身命を賭すのが人間として当たり前の行動だとでもほざくつもりか? こっちの力を利用することばかり考えて、ハナっから何も報いる心算の無ぇ相手に? 馬鹿らしい」


 ラクセスが何も言えないでいる内に、リドウは冷え切った声で更に畳み掛けた。


「そんな英雄気取りはあんたの勇者に任せておくんだな」


 その台詞がラクセスにもたらした動揺は筆舌に尽くし難かった。


 元々リドウの言葉に追い詰められ気味だったのかもしれないが、突然うるっと瞳に涙が溜まったかと思うと、一気に防波堤が決壊したかの如く、ぽろぽろと泣き始めてしまった。


 リドウもこれには思わずぎょっと目を見開いてしまう。


「ユーキは……壊れてしまった……」


 ぺたりと床に座り込んでしまうラクセス。その悲壮な姿に、流石にリドウも現時点で敵対しているわけでもない女にまで辛く当たる気は無いらしく、身に染み付いてしまっている女タラシな性分が、半ば無意識の内にベッドを背にして楽に座れるように彼女を誘導し、自分は一歩離れた場所に腰を下ろし直す。幸い、彼女は拒絶しようとはしなかった。


「……俺がそうなるよう追い詰めた。だがその件に関しちゃ謝罪はしねぇぞ」

「あの件に関して……貴様を責めはしない……」


 ラクセスはぽつりぽつりと言葉を発する。


「人間を視点とするのではなく、何者の命も等しく考る貴様やあの小娘の言葉……正直、今でもそれが正しいとは思えない。だが、間違っていると言えるだけの根拠を……私は持ち合わせていない」


 リドウはこれ以上、特に何かを語ることはなく、黙ってコップを差し出す。


 反射的に受け取ったラクセスは、


「温かいな」

「魔法で温めた」

「木製のカップを焦がすことはなく、中身の酒だけをか。凄まじい制御力だな。制御に関してはヴィレッタも一家言を持っていたが、流石にこんな離れ業を拝んだ経験はない」


 こんな使い手に喧嘩を売った自分を省みて苦笑している。


「だが、酒はやらんと言った」

「温かい飲みもんは心も温めてくれる。他に何かありゃ良かったんだが、生憎とこの場には酒しかねぇんだよな」

「気障な台詞だ」


 少しは落ち着いたのか、唇を柔らかく緩めながらコップに口を付けて、一口だけ飲む。


「あんたの考えは正しい」


 ラクセスは驚いた様子でリドウを見る。まさかこの男が自分の言葉を肯定するとは思えなかったらしい。


「結局のところ、生物ってのは種族を保存するために思考の全てを働かせる。人間を中心として看做すのは生物として当然の本能だろう」


 だからリリス教でも、自分たちの生活向上のためだけに魔物を殺害するのを『悪い事』だとは言っていないのだからと、心の中で付け足す。


「だがな、それが『確かな善』であるかどうかも、所詮は見る人間による主観だ。少なくとも俺は、俺の行動が悪事だと思って遂行したことは無ぇ。殺しに限らず、力を振るって他者を傷つける行為なんぞ、間違っても善行だとも正義だとも思っちゃいねぇがな」

「あの娘のように、肉を食むために家畜を飼育するなんて行為は悪事だとでも言いたいのか?」

「極端すぎるぜ、あんたは」


 むっとした様子で反論してくるラクセスに、リドウは呆れ顔になってしまう。


「それは生物として当然の義務だろ。世の中には菜食主義者も居るように、“どこに境界線を置くか”は人それぞれの自由だ。菜食主義に絶対的正義感を覚える人間からしてみりゃ、大多数の人間は悪になる。そういう人間も必ず居るはずだ」


 実際に目にしたことは今のところ無いがな、と静かに言うリドウに、ラクセスはじっと聴き入っている。


「だが一般的に肉食を悪行と言われはしねぇ。それに『命を刈って生を紡ぐ』のが悪行だってなら、野菜はハナっから生きてねぇってのか?」


 凄まじい屁理屈だなと嘲笑する。


「所詮、善悪なんてのは多数派が決定権を持つ相対的価値観だ。人間誰しも千差万別、てめぇの考えとソリが合わねぇってなら、それが他人の迷惑になってるんでもなきゃ、無視してりゃいい話じゃねぇか?」


 言いながら、目を瞑って唇を歪める。


「ま、これも一つのお仕着せかもしれねぇがな」


 酒を一口呷ると、煙管に火をつけて吹かし出した。


 ラクセスは何を思っているのか、あるいは何も思っていないのか、ぼーっとした顔でリドウを見つめている。

 その表情が唐突に悲しげで、まるで自分を嘲笑うような、それでいて痛々しげなものに変わる。


「貴様は……強いな……」

「まあな」


 ここで平然と肯定できてしまうのがリドウという男だった。


 普通は謙遜する場面だろうと、思わず呆れた顔で見てしまうラクセスであったが、一瞬だけ微笑を零し……やがて表情を沈んだものに戻してしまう。


「ユーキは……弱かったのかな……」

「弱さの定義にもよるだろうがな」


 暗に肯定するリドウに、そうかと短く呟くラクセス。


「野郎はこの世界……いや、闘争の世界を現実として受け入れることができなかった。てめぇの知る虚構の世界と無意識に同一視させることで何とか耐えてたんだろうが――それを責める気は無い」


 ふぅっと遠くに向けて煙を吐き出すリドウを、ラクセスは意外な目で見る。 


「だが、その認識の歪さが他人の人生を無駄にぶち壊しかねんとなれば放ってはおけなかった」

「きっと……貴様の言う通りなのだろう。結局、ユーキの正義は見せかけに過ぎなかったのだろうな。もしユーキの正義が本物だったら、あの後も強く意志を持って生きていけたはずだ……」


 ラクセスは一気にコップの中身を飲み干すと、もう一杯とリドウに向けて空のコップを差し出す。お酌をしろというわけではなく、魔法で温めろということらしい。


「あの時、貴様に打ちのめされたユーキを見て、全く失望を感じなかったと言えば嘘だった。だが、仕方ないと思えた……そう思える程に貴様の力はあまりにも圧倒的だった」


 手渡される温められた酒も、ごくごくと音を立てて一気に喉の奥へ流し込んでしまい、また無言でコップを差し出す。


「おい、もう止めてお」

「注げ。温めろ」

「目が据わってるぞ……」


 たった二杯でこれとは何て弱さだと、リドウは目元を引き攣らせる。こんなことなら飲ませるのではなかったと後悔しても既に遅い。

 こうなったらとっとと酔い潰れてもらうかと開き直り、それ以上は何も言わずに温めた酒を手渡す。


「見限ろうとは思わなかった。本当りゃぞ!」


 言い訳じゃないからなと、コップを床に叩きつけながらリドウに迫る。


 もう呂律も回ってないじゃないかと思い、酔っ払いが「酔っ払ってない!」という言葉以外に本音を隠した発言をできるわけないだろうと内心で突っ込みながら、深々と嘆息する。


「にゃのに……」


 ラクセスはぐすっと涙ぐんだと思うと、三度コップの中身を一気に呷ってしまう。


「私はどーすればいいにょか判んなくなっちゃんら! あいつこそわらしの勇者らと思ったのに!」

「そりゃ大変だったな」

「私の処女を奪ったしぇきにん取れぇ――ッ!」

「俺に言ってどうする」

「きしゃまのせーりゃろ!」


 完全に酔っ払ったラクセスがリドウの肩を掴んでがくがくと揺さぶる。


 と、肩に置かれていた手がつるっと滑って、全身がリドウにもたれ掛かるようになってしまう。


 リドウ自身は危なげなく受け止めてみせたが、直後に自分の肩に顎を乗せながら小さく寝息を立てているラクセスに気づく。


「……もう潰れやがったのか」


 今更ながらにヴィレッタが、ラクセスが酒に弱いと言っていたのを思い出したが、正直言って洒落だと思っていたリドウである。まさかここまで弱いとは本当に思いもしなかった。


「しかも酒癖の悪さは極めつけだぜ、こりゃ」


 ぼやきながらラクセスを抱き上げる。


「うん……?」


 その時、リドウはとある事実に気づいて、腕の中のラクセスに怪訝な視線を落とし、しばらくそのまま眺めてしまう。


 “そのせいもあり”、何となく慎重になりながら彼女をベッドの上に寝かせる。それから間接部分を守っている各種軽装をぱぱっと取っ払うと、上着も脱がせて楽な姿を取らせてやった。愛奈辺りが見ていれば――こういう気遣いを下心も羞恥心も一切無しでやれちゃう部分が女タラシなんですよね……とか呆れながら思っていたことだろう。


 割とあられもない姿になっている美人さんが目の前に居るというのに、リドウはそれ以上に構う様子は見せず、自分は最初のようにベッドの淵に背を預けて独り宴会を続ける。

 まさか吐いたりしないだろうなと心配になって顔だけ振り向くと、零れる吐息は穏やかだったが、仰向けの顔からぽろっと耳元を伝い落ちる涙を目にできてしまう。


 眉間に皺を寄せながら前を向いたリドウは思う――


(弱った女が流す嘘のねぇ涙は苦手だ……)


 ――何でこんな役回りが自分に回ってくるかなと、運命に罵倒を浴びせながら舌打ちを鳴らして、「しかし」と思いながら苦い顔で笑う。


(ピンポイントで痛いトコを抉られたな……)


 ラクセスの言った通り、最終的に殺すと決めていながら自分の利益のために『命』を利用しようとしている今の自分自身が――


(酒がまずいぜ……)


 ――リドウを何よりも複雑な気分にさせていた。

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