第八十話 会議 後
部屋を移ったリドウはさっそく煙管を吹かし始める。ちょっと微妙な疲れを感じているらしく、そういう時こそ余計に美味しく感じてしまうのか、酷く感慨深げな様子だった。
リュリュは居ない。会議室でシスターお手製のお菓子が振舞われるという話で、そちらの方に気を惹かれたらしい。
「一度訊いてみたかったのだが……」
リドウについて来たベアトリクス。椅子に座る彼のすぐ横で、お姫様のくせにはしたなくテーブルに腰掛け、挑発的に足を組み、片手を彼の前について、殆ど覆い被さるようになっている。
「ん?」
「それは美味いのか?」
「人によるんじゃねぇか? 酒と同じだ。俺は美味いと思うが」
ベアトリクスに吹き掛けないよう、ふぅっと明後日の方に向けて煙を吐き出すと、
「何ならやってみるか?」
「うん。お願いする」
それが何を意味するのか理解していながら、嬉しそうに応じる。そもそもが思惑通りなのだろう。表情筋の活動が乏しい彼女にしては珍しく満面の笑みが浮かんでいた。
煙管を差し出してくるリドウの手に顔を俯けて近づける。
不自然さは感じない仕草で煙管を唇に銜え、
「初心者は軽くにしておいた方がいいぜ」
というアドバイスに、上目遣いで了解の意思だけ伝えて、軽く吸ってみる。
「で、口の中に溜めたら、更にそれを吸い込むんだ」
と言われた通りにしてみると、
「んんっ!? けほっ、けほっ」
ベアトリクスは大いにむせ込んでしまった。
「かっかっか」
リドウの方はその反応を見て大笑い。
口元を覆い隠しながら、意地が悪いぞと、ちょっと涙の浮かんだ目でリドウを睨みつけるベアトリクスだが、それが通用しているようには見えない。
リドウは間接キスのことなんて気にしていない……と言うか、その程度でキス扱いになるとは思ってもないのだろう、平然と煙管を吹かしている。
「しかし今更だが、今時煙管は珍しいな。女性の愛煙家でも大概は葉巻だろうに」
「兄貴がこれだったんで、自然とな。俺の周りには案外多いぜ」
とは言え、それもザイケンとサキの二人だけだが。しかし、周囲の喫煙者の煙管率が百パーセントであるのも事実ではある。
「その兄君殿とは戦鬼、万象、狂嵐のどなただ?」
唐突にしてずばりな質問だったが、リドウの表情は全く動かない。
「その中に天武が入らねぇのは何でだい?」
「天武公は魔王には珍しく外見の年齢が相当お歳を召されていると聞くからな。兄と呼ぶことはあるまい」
「まあな。俺は爺さんと呼んでる」
「――――ッ」
予想していたからこその質問であったはずが、それが正鵠を射ていたからと言っても、流石に驚かずにはいられなかったようだ。
「兄貴は戦鬼だ」
「やはり、そうか。これで刀術と流化闘法が揃ったな。あとは魔法だが、候補は」
「回りくどく言わんでいいぜ。ご想像通り……」
灰皿に灰を移しながら言葉を溜めるリドウに、ベアトリクスはごくりと喉を鳴らす。
「魔神だ」
ベアトリクスは思わず額に手を当てて天井を仰いだ。
が、その唇は楽しげに緩んでいる。
「そうか。やはり滅びてはいらっしゃらなかったのだな」
「アレを滅ぼせる化けモンが本人以外にこの世に存在するとは到底想像もできねぇよ」
「そこまでなのか?」
「根本的に存在している次元が違ぇ」
重苦しい声で告げるリドウ。
「本人曰く一万歳くらいってことらしいが、どう計算しても年齢以上の力を持ってやがる。一万歳って話が適当なのか、元来の才能が傑出してたのか……」
自分にも理解できないと嘯くリドウに、ベアトリクスは先ほどよりも大きな音を立てて喉を鳴らした。
「ロンダイクの神の話も聞いてきた」
「それは……!?」
「事実だったぜ。しかも本気で神の名が相応しい存在だそうだ」
破壊神ヴェイン――それは人の存在が力を与える。神とは元々、人間が作り出した概念だ。これ以上に神の名が相応しい存在もあるまい。
「何だその反則具合は!?」
「復活させちまったら最悪世界が滅びる。リリィでも止めきれるか判らん」
「りりー?」
「あ? ああ……魔神の愛称だ」
「それは私が口にするのは許されんな。しかし、魔神に愛称を許されているのか、あなたは」
「一応、アレが俺の育ての母なんでね」
「もう何も言わん」
それがこの男の強さの最大の秘密かと内心で唸りながら。才能に恵まれたのは確かだろうが、それよりも育った環境の方が大きな要因だろうと納得する。
「言うまでもねぇとは思うが……」
「分かっている。こんな話、いくら私の口から言ったところで頭が可笑しくなったのかと思われるだけだ」
ただ、と悪戯っぽく頬を緩めてリドウを見つめる。
「いつかでいい。一目だけで構わないから、お会いさせてくれないか?」
「レディ個人になら」
「無論だ。魔性の姫君を相手に人間の王族などというつまらん立場を持ち出す気は無い」
「あともう一つ言っておく」
深く遠くに煙を吐き出しながら、
「リリィは『人の営みの内』の間に表に顔を出す気はねぇ」
「そうか……」
ロンダイクの神が復活すればいざ知らず、それ以前に手を貸す気は無いという意味。それを的確に捉えたベアトリクスは、実はちょっと期待していたようで、気落ちした様子で相槌を打った。
が、すぐに真面目な顔つきに戻ると、
「まあ……当然の話なのだろうな」
と納得の言葉を発した。
「これはいよいよ、子供を作っていられる余裕は無くなってきたな……」
深々とため息しながら、ベアトリクス。
「諦めてくれたのかい?」
「まさか」
はっ、と強く息を吐きながら肩をすくめる。その顔に浮かぶ表情は満面の笑みを湛えており……
千鶴もたまにこういう顔をするが、その時は大抵が禄でもないことを考えているのが通例だ。似たような気質をしたこの王女様のことである、当然のことながら、
「煩い小姑も居ないことだし、今宵辺りどうかな?」
この手の誘惑台詞に決まっていた。
もちろん、『煩い小姑』というのは千鶴を指しており、一部に恵子も含まれていた。
ベアトリクスは色っぽい仕草でリドウの頬に手を添えながら。
「一度抱かれたくらいで責任を取れとは言わないよ」
リドウは何の反応も見せずにじっと彼女に視線を置くだけだ。
「貴族の女には貞淑を望まれるが、それも基本は結婚している間だけだ。もちろん、男と見たら見境ないふしだらな女は嫌悪されるが、特に高貴な男の寵を受けていたとなれば、むしろ女としてのステータスになるケースすらある。相手があなたならば、私が貴族社会で恥じ入ることはあるまい」
「今の俺にそこまでの知名度は無かったはずだぜ」
「本気で仰っているのか?」
呆れた顔で。
「今は確かにまだそうであろうが、どうせすぐに、誰もあなたの意向を無視できなくなる。あなたの力は、少なくとも人類社会においては桁が違いすぎるよ」
「俺にレディと結婚することはできねぇぞ」
「理解している。あなたの真実を知った今では、それに関してはもう完全に諦めた。だが……」
悲しげに目を伏せる。
「私に民を見捨てることはできない」
「それは賞賛に値する信念だと思うぜ」
「そう仰ってくれるのは嬉しいが、これがあなたと付き合う上で唯一にして最大の足枷になっていると思うと、素直に喜べないよ」
笑みを浮かべるが、悲しそうな色は今もまだ解けていない。
「私はいずれ、他の男を婿に迎えるだろう。だからせめて……」
リドウの頬に添える手を追加し、殆ど唇が触れる寸前にまで顔を近づけて、潤んだ瞳で、どこまでも澄み渡る彼の瞳を覗き込み。吹きかかる甘い吐息。
「私の初めての男はあなたがいい」
切ない声音で、しかしハッキリと言った。
が、リドウの返答は無く、ベアトリクスの手を優しく払って、煙管を吹かす。
「駄目だろうか?」
「あんたにそこまで言わせる俺って存在に若干の驚愕を覚えるぜ」
「あまり茶化さないでくれ。でないと……」
「怒るかい?」
目を細めて言葉を濁すベアトリクスに、それこそ茶化すような言い回しのリドウ。彼からしてみれば別に彼女から怒られても何の痛痒も感じないのだから意味が無かった。
しかしそんなことはベアトリクスだって百も承知だ。
「いや――この場で一糸纏わぬ全裸になって、私の全てを用いてあなたの男を刺激してみようかな、と」
「やめろ」
にんまりと唇を歪めるベアトリクスに、リドウは額を指先で押さえながら、もう片方の手で、今にも脱ぎ出そうと服に手をかける彼女の肩を押さえる。
「なら、理由くらいは教えてくれ」
でないと納得いかないと、静かながらも強固に主張する。
対してリドウは何かを気に入らないのか、軽く舌打ちを鳴らしながら顔を逸らす。
「どうされた?」
「ん、いや……てめぇで言葉にするのが激しく気が進まねぇんだが……」
「一条たちがネックか?」
「そっちは関係ねぇんだが……」
じゃあ何が原因なのかと追求する目から、リドウは視線を逸らしてぽつりと。
「俺はあんたに対して責任は取れん」
「それはもう諦めたと言った」
「だから、な……」
「ん?」
早く言ってくれと目だけで伝えてくるベアトリクスに、リドウも観念したようで。
「俺みたいなのを初めての男にするのは……止めておいた方がいいと思うんだが……」
ベアトリクスは目を瞬かせる。
その意味が理解できた途端に、今度は手の甲で口元を隠しながら、心底可笑しそうにくすくすと声を零して笑う。
「自意識過剰と言い切れないところが凄いな」
真実は初めての女からそんな感じの忠告をされているのだが、リドウもそこまで口にしたくはなかったらしい。
「確かに、あなたほど強烈な男でバージンブレイクを迎えては、生涯忘れられないだろうな。でもあなたが相手では何度目の男だったとしてもあまり変わらない気がするよ」
笑い声は止まらない。
そのせいだけでもないだろうが、リドウは思い切り顔を顰めてしまう。
「別にあなたと将来の夫を比べようとは思わないよ。そのくらいの分別は持ち合わせているつもりだ」
それとも、と言葉を溜めながら挑発的に目を細める。
「本当のあなたは女にここまで譲歩させても指一つ触れられないほどチキンだったりするのかな?」
「男を追い詰めるのが巧いな、レディ」
「褒め言葉と受け取っ」
「だが、止めておこうぜ」
リドウはベアトリクスの台詞を遮って、しかも拒否してしまう。
むっと黙り込むベアトリクス。捨て身の誘惑を切り捨てられてしまい、プライドを傷つけられて憤慨しているようでもあった。
「あんたにそういう男女付き合いは向かねぇよ」
顔を背け、明後日の方に煙を吐き出しながら言う。
「遊びのつもりで男と寝れるような神経はしちゃいねぇだろ」
そう言われてしまうと、ベアトリクスとしても「いや、遊ばれるだけでも大いに結構」とも言えない。リドウを捨て身で誘惑したのとて、内心では、できればこれを切っ掛けに自分の虜にしてしまえれば、という思いも少なからずあったし……自分の想いに関しては割り切るつもりが微塵も無かったのも確かだった。
それを見抜いているリドウに、知らない振りしてベアトリクスを抱いてしまうことはできなかった。
ふぅっと大きく息を吐いたベアトリクスは、傍の椅子に座ると、つまらなそうな顔で机に肘をついて、リドウとは反対側を向いてしまう。
リドウも片目を瞑って頬をかき、困った様子を一瞬見せたが、これ以上フォローする気は無いようだ。
「さて。ちと真面目な話がしたいんだが」
「ああ」
憮然とした声が返ってくるのに、リドウは軽く嘆息して続ける。
「頼みがある」
「言ってくれ」
ベアトリクスはようやくリドウの方を向くが、常以上に憮然とした無表情だ。まだご機嫌斜めなのは変わらないらしい。
「魔法使い系で装備を一式揃えてくれ」
「それは……」
リドウの言葉の意味を理解したベアトリクスは目を見張る。ご機嫌の方も、仕事モードに入って取り敢えず棚上げしたようだ。
「いいのか?」
「どの道こうして公に出てくる羽目になっちまった上に、敵も相当なのが揃い踏みだ、この先いつまでも隠しておけるもんじゃねぇだろ。この際だ、ラーカイムには魔道士として行く。それならまずバレねぇだろ」
「そうだな……」
顎を指で摘みながら、ベアトリクスは何か考えているようだ。
「うむ。前衛に出されざるを得ん気功士よりも、後方に置かれる魔道士の方が好都合か」
「ああ。前衛に置かれてたら反射的に殺っちまうかもしれん。ケルベロス程度までなら戦闘自体は余裕を持ってられっけどな、気絶させる程度に手を抜くどころか、ましてや足手纏い抱えてそいつにいい目見させてやろうなんて悠長なことは言ってられねぇよ、流石に」
リドウは煙管を銜え、明後日の方に煙を吐き出しながら、微かに目を狭めてベアトリクスを流し見る。
「それと、一つハッキリさせておきてぇんだが」
「何かな?」
ベアトリクスも緊張感を纏いながら応じる。
「上手く立ち回ってライトニング・インパクトとやらにケルベロスを始末させた方がいいのか、それともしくじらせる方が肝要なのか……だ」
「それか……」
半握りにした右手の人差し指を唇に軽く押し当てながら唸るベアトリクス。
答えを躊躇っているということは、本心では『悪い方』にして欲しいのだろう。つまり、ラーカイム王国に討伐を失敗させる方だ。
「……あなたの良心が許す範囲内でお願いする」
結局、回答はかなり曖昧だったが、それが“彼女に許される”精一杯の善意なのだろうとリドウは判断した。
「承知した。好きにやらせてもらう」
「ああ。あなたに一任する」
「それともう一つ」
「何かな?」
注文が多いことだとちょっと呆れ顔な笑みで応じるベアトリクス。
「サティー……ラスティアラにはここに来るよう指示を出してある」
「それは助かる」
ベアトリクスの知るラスティアラは伝説級に単独で対処できるようなレベルではないが、伝説級下位なら同レベルを数人――最悪は自分と組めばまず勝てるだろうと考えていたようで、本当に言葉通りに感じている顔だった。
「ただ、あいつには今、ちっとばかし面倒な役割をやらせていてな。取り合えずお互い知らねぇ振りで対応してくれ」
「なぜだ?」
「訳は訊くな。サティーからはそう接してくるはずだから合わせてやってくれ。それと、俺が帰ってくるまで“そいつら全員”、適当に理由をつけて待たせておけ」
「…………」
リドウの物言いに、明らかに何かあるようだと察したベアトリクスだったが、首を傾げはしたものの、深く追求はしなかった。
「了解した。“全員”なのだな?」
「そうだ。頼んだぜ」
「うむ」
その言葉を合図に灰を始末し、二人は並んで部屋を出て行く。
すぐ隣の会議室に入ると、ベアトリクスはすぐに司祭の一人に用件を伝える。
この司祭は女性だったが、魔法使い用の衣服一式に、ハイクラス程度までなら一般的なタリスマンの指輪を用意しろと言われ、困惑している様子だった。
「それをどうされるおつもりだ?」
司祭の女性では荷が重いと、カラッド大司教が物申してくる。
「リドウ殿がお使いになる」
なぜだと反論される前に、ベアトリクスは更に畳み掛ける。
「一応、あまり大声で触れ回らないで欲しいのだが――この男はアレクサンドル・ラヴァリエーレと同じ殲滅師だ」
刹那、室内は一斉に静まり返った。
「せ、殲滅師……?」
「それも、どちらか一つだけですら至天級の実力だと私は見ている。私の見る限りでは、贔屓目はあるかもしれないが、殆どの面においてアレクサンドル・ラヴァリエーレを完全に上回っていたと思う。あの勝利は決して偶然の産物ではないのだ」
「そんな使い手がなぜこれまで在野に埋もれておったのだ……」
カラッド大司教は大きな疲労を感じたのか、側の椅子に力なく腰を落として言う。口調を気遣っている余裕もないのか、幾分丁寧な調子が崩れている。
「いや……この言い方は正しくないな――」
と、縋るようにリドウを見上げる。
「なぜ在野に埋もれていられたのだ?」
「詮索屋は嫌われるぜ」
「そうか……」
目を閉じて首を横に振ってから、再び目を開けた時には、既に気を落ち着かせることができたようで、しっかりした動作で立ち上がり、リドウを真っ直ぐに見つめる。
「あなたが話したくないと仰るなら仕方ない。ただ、教皇庁には報告させて頂きたい。少なくとも大司教以上の人間には知れてしまうと思うが。どうだろう?」
「大バレしねぇ内は大司教までにしておいてくれ。もう知れ渡るのは覚悟したが、少なくとも今回の仕事が片付くまでは無しだ。そのための扮装だからな。くれぐれも『ここだけの話だが……』は無しだぜ」
「徹底させよう」
首を縦に振ると、そのままぐるっと周囲を見渡す。
「そういうわけだ。皆もそのように心得てくれ。もしこの話が不用意に漏れた事実が発覚した場合、私は全力で原因を追究せねばならん」
そんなマネを自分にさせないでくれと暗に言うと、この場に居る聖職者たちは例外なく神妙な顔で了解の意を伝えた。
「若様」
そんな中、我関せずでスイートパイをぱくぱくと口に放り込み続けていたリュリュが静かに声を発した。
それに反応してリドウが視線をやると、彼女はこくりと一つだけ無言で頷いた。
ライトニング・インパクトならぬキズキ・ミドリとやらが本当に恵子たちの同級生なのか、その正否をサリス経由で確認させていたのだが、早くもその回答があったようだ。そしてその答えはリュリュが頷いたことからも明らかであった。
リドウは内心で「そうか」と低く呟きながら、表面上は何食わぬ顔だった。
「あの、お召し上がりになりますか?」
休憩中の給仕に来ているらしい若いシスターが照れた顔でおずおずとスイートパイが盛られた皿を差し出してくるが、リドウは愛想のいい笑みを浮かべながらも、
「ありがとよ。だが甘いのは苦手でな」
気持ちだけ貰っておくと言うリドウに、どうやらスイートパイを作った本人であるらしいシスターは、食べてもらえずに残念そうな顔で退散して行った。
……結構可愛らしい娘さんだったのに、なぜこの男は無理してでも食べてやらないのか。やっぱり男としてどこかが間違っている野郎であった。
翌日のリドウは――
「ふわー! こーして近くで見ると、ホントにおっきいですね!」
「かったーい。男の人ってこんなになっちゃうんですね……」
まさか今時この程度の引っ掛けで妙な想像をされた方はいらっしゃらないと思われるが、もちろん、お約束的な謎台詞だ。彼女たちが興味深そうにぺたぺたと触っているのはリドウの“胸板や背中”なので、そこら辺よろしくお願いする。
今リドウはシスターさんたちの群れに囲まれていた。前日に依頼した魔法使い用の衣装の着付けのためだ。一人で着られると言ったのだが、どうしてもやらせろと強固に主張してくるシスターたちに、盛大なため息と共に折れたリドウであった。
きゃっきゃと姦しくリドウに纏わり付いているこの年若い娘さんたち。
リリス教も聖職者の婚姻……有り体に言えば姦淫は認めていない。色々とそれらしい理由は付けられているが、結局のところ、それを公に許してしまうと、立場のある人間の悪徳聖職者化が容易に懸念されるためだろう。
しかし、還俗は認められている。また、伴侶の居る内に復帰は認められないが、離婚も認められているし、乃至は何らかの理由により伴侶を失ってしまったら、元の出自に拘わらず、出家も認められている。
なので、流石にシスターたちもあからさまに色目を使ってくる程ではないにしろ、滅多にお目に掛かれないレベルの美男子と接する機会とあって、普段よりも幾分姦しく乙女になってしまうらしい。こうして会話しながら目の保養ができるだけでも十分なのだ。
要するにアイドルの追っ掛けをする女子中高生みたいなノリなのだ……実際の年齢的にも同じくらいだし、現在のリリス教会にとってのリドウの立場も似たような物だしで。
部屋の中央に立って、もう何もかもを諦めた顔で着せ替え人形になっているリドウを、向こう側では壁に寄り掛かって腕を組み、微笑を浮かべながら眺めているベアトリクスと、その横で物静かに立っているリュリュの姿もある。
そのリュリュが、黙ってリドウを見ていたかと思うと、ちらっとベアトリクスを横目に見やり、しかしすぐに視線を前に戻した。
その気配を察したベアトリクスが訝しげにリュリュの頭に視線を落とすと、同時に彼女が口を開いた。
「ベアトリクス=ファン・クラウンディ。お前、若様が好きなのか?」
ベアトリクスは微かに目を見開く。その反応の理由はもちろん驚愕であったが、その内容は、リドウが自分から話すとは思えないのに、自分の気持ちをリュリュが独自に察しているという事実に対するのもそうだが、それよりも、彼女が遮音結界をハイドキャストで起動させているのに気づいたせいだった。
(魔法の起点を私にも感じさせず、こうも無造作に……なるほど、技術は完全にハイエンドだ。魔力キャパシティも申し分なし。小国なら滅びるな、これは)
若干の警戒心を伴って思う。ベアトリクスにリュリュと敵対するつもりは一切無いが、いつぞやのマフィアたちがリドウを見て思ったのと同様に、この人間が敵に回ったら自分ならどう戦うかと思考し、そのために相手の戦力を冷静に分析してしまうのは、この手の人間たちにとっては持病みたいなものだった。
「おい、聞こえているか?」
いつまでも返事が無いことに焦れたリュリュが、不機嫌そうな声と共に視線を送りつける。
「ああ、すまない。だが答える必要があるとは思えないよ」
「事実なんてどうでもいい」
リュリュは正面に視線を戻しながら、何かを押し殺した重い声で喋る。
「我々はお前たちを下に見たりはしない。だが――我々が若様をお前たちにくれてやることは断じて有り得ない」
「…………」
「若様はいずれ我々の主として君臨すべきお方。お前が若様に侍ると言うならともかく、その逆は断じて許容できない。文字通りに住まう次元が違うのだと……努々弁えておけ」
「……了解した。あなたの忠告はしっかり胸に刻んでおこう」
王族相手にあまりにも傲岸不遜なリュリュの物言いだったが、ベアトリクスは機嫌を損ねた様子は見せず、真摯な態度で受け入れた。
「……なら、いい」
その言葉と共に重苦しい空気を解いて、
「あとは好きにしろ。若様との関係がお前自身に何をもたらすか……選ぶのはお前自身の自由だ」
「ご家族の許可を頂戴したと解釈させて頂こう」
「……そう思って構わない」
表面上は何食わぬ顔で口を動かしていただけなので、遮音結界のおかげもあって二人が話していたという事実に気づいた者は誰もおらず、当然誰にも聞かれたりはしていない。
そうしていると、魔法使いなリドウが出来上がっていた。
ルスティニアにおける一般的な男の魔法使い系の装いと言えば、動き易さを重視した上着とズボンに、最低限の防御力を確保するための魔物製のマント――といった感じなのだが、リドウもそれに習った格好になっている。
普段着用している上着やズボンは実のところ古代竜製という、見る者が見れば「何でそんな超激レア物を!?」となってしまうため、全て新しい普通の布で構成された物になっている。
古代竜製品などまず出回っていないため、今までがそうであったように、そうそう見分けらてしまう事態は有り得ないとも思われるのだが、万一にもそこから本当の実力が割れたりするのも馬鹿らしい話だ。その時はその時で、実家が金持ちとか適当に言い訳すればいい話でもあるのだが、それはそれでもう面倒なだけだろう。
ちなみにマントの色は青色だ。もちろん、徹底的に『月紅のイメージ』から遠ざけるべくの選択肢だ。
ベアトリクスは着替えが終わったリドウの前に立つ。
「うむ。佳い男はどんな格好をさせても見栄えするな」
今更だが、昨日の見事にフラれてしまった一件はもう引き摺っていないようだ。
「そう言われんのは満更じゃねぇが……」
側に立て掛けられている等身大の鏡に自分を映しながら苦い顔をする。
「ひでぇ違和感だぜ、正直。この色は俺のカラーじゃねぇよ」
「同感」
とリュリュ。無条件にリドウを褒め称えそうな彼女らしくない発言だったが、
「……やっぱり若様に一番似合うのは総てを焼き尽くす炎のエレメントカラー」
「俺がほざくのもなんだが、全く同感だ。衆目の前で無駄に技を晒すのも気が向かねぇし、この格好でいる間は、このカラーに合わせて水系だけでいくか」
「水系まで扱えるのか、あなたは」
感心するのを通り越して呆れてしまった顔のベアトリクス。
「メモリー不足で対抗手段が尽きたら事だろ。一通りは扱える」
「それはそれで、よくメモリー不足にならんな、その若さで」
「それだけの鍛錬は積んできたつもりだぜ」
事も無げに言ってのけるリドウに、ベアトリクスは曖昧に唇を緩めるだけで、それ以上は何も言わなかった。
「世話かけたな」
そう言ってさっそく部屋を出ようとするリドウに、シスターたちは、自分たちこそ楽しかったという意味の言葉をそれぞれに投げ掛けている。
早くも片付けを始めているシスターたちとは別に、ベアトリクスとリュリュはリドウと並んで一緒に部屋を辞する。
「もう行くのか?」
「早い方がいいだろ」
廊下を歩きながら会話する。
「うむ、そうだな。討伐隊の編成が終わったら、一応こちらに魔法で連絡が入る予定だが……そう遠い話ではあるまいしな」
と言う割には、あまり気が進まない様子だ。
訝しく思って眉を跳ね上げるリドウであったが、ベアトリクスはその前に立ち止まって、周囲を見渡す。
釣られて自分たちも足を止めるリドウとリュリュであったが、ベアトリクスは何か問いたげな視線で、
「気配も無い……よな?」
「ああ。俺ら以外は特に」
リドウは特に疑問の声を挟んだりはせずに応えるが……
「――――ッ!?」
いきなり自分へ伸びてきた手に瞠目し、反射的に応戦してしまう。
が、先手を取っていたベアトリクスはそれを予想していたらしく、巧みにリドウの手を捌いて……
しかし、流石に無手での戦闘技術力に差がありすぎた。
「いきなり何をしやがる」
ベアトリクスの腕を、彼女の背中に回して拘束しながら、空いている己の左腕で彼女の首の後ろを押して、彼女を壁に押し付けているリドウである。
「……一応、私は女の内だったと思うのだが、この扱いを泣いてもいいかな?」
リドウも反射的に応戦してしまっただけで、彼女には殺意どころか戦意も無いのは見抜けていたので、特にこだわりを見せずに拘束を解く。
自由の身になったベアトリクスは乱れた髪を整えながら盛大に嘆息する。
「キスくらいさせてくれてもいいじゃないか、減るものじゃなし」
「ならせめてもちっと色っぽく迫ってこい」
「色っぽく迫ればさせてくれるのか?」
ならそうしようと言って、艶めかしい仕草でリドウの肩に腕を載せながら両手を絡め、婀娜っぽく緩んだ唇を近づけていく。
が――
「あくっ」
げしっと自分の脛を蹴る感触に、痛みのあまり涙目になってその場にうずくまる。
「リュリュ殿、何をする!?」
「若様とイチャつくなとは言わないけど、お姉ちゃんたる私の目の前で堂々とイチャつくな。お前は淫乱か、ベアトリクス=ファン・クラウンディ」
「だからって蹴ることはないだろう!? 気功士でもないくせに、無駄に気配の欠片も感じさせずに。本気で痛かったぞ! それと淫乱とは何だ、人聞きの悪い!」
「……ムシャクシャしたからやった。後悔はしていない」
紛れもなく自分を巡っての争いだが、しかし何かが違うような感じがすると共に疲労感も覚えて、着せ替え人形にされていたせいで若干ストレスが溜まっているのもあり、早く煙管が欲しいと、リドウは嘆息しながら二人を放って先に歩き出してしまう。
自己主張という名の喧嘩よりはリドウの方が大切な二人はそれに気づいて追いかけようとするが、その前にきっちり互いを睨み合うのは忘れない。
どんな理由から発せられる行動であろうと、一人の男を取り合っている時点で……女同士で仲良くするのはやっぱりちょっと難しいのだという、これも一つの証明なのかもしれない。




