第七十五話 修行パート:リドウ編 前
リドウは布地を纏わぬ上半身を起き上がらせた格好で、ベッドの上で下半身は横たえて座りながら煙管を吹かす。
鋭い目つきで遠くを見つめるように、どうやら何かを考えているようだが、その内容が余人に知れることはない。
ちょうど火種が切れてしまい、側の置き台の灰皿にぽんっと煙管を叩きつける。
「ん……」
それを合図に、リドウの隣を彩っていた鮮やかな銀糸が蠢いて、のろのろと頭を起き上がらせた。
「起こしちまったか?」
「いえ……」
起伏に富んだ艶めく肢体を慎み深くシーツで隠しながら起き上がったのは、まだ少し眠そうで、日頃のいかにも『仕事ができる有能な女』といった方向性のきりっとした雰囲気が感じ取れないせいと、何と言ってもいつもは頭の上で結わえている髪の毛が解けてしまっているせいでぱっと見では判り辛いが、この城の雑事一切を取り仕切る侍女長のサリスだった。
目に掛かってくる髪の毛を色っぽい手付きでかき上げながら、ごく自然な仕草でリドウの顔に自らの顔を寄せて口付けを交わす。
軽く触れ合っただけの、いわゆる『おはようのキス』を済ますと、サリスはリドウの逞しい胸へ妖しげに手を這わせながら、頬を寄せてそっと瞳を閉じる。
「もう……止めた方が良いのでしょうか?」
「何でだ?」
本当に不思議そうに訊き返してしまうリドウに、サリスは答えを躊躇ったのか、数瞬の間を置いてからようやく口を開く。
「……恵子様や千鶴様にお悪いのかな、と。近頃そう思うようになってきました」
そこら辺の感性は、やはり自分にはよく理解できないと、サリスは感情を窺わせない様子で小声に言う。
「感情の流れる過程、その論理、それ自体でしたら私は理解できます。でも根っ子の部分ではやはり理解が及ばないのです」
「そこら辺はなぁ……実際、俺もよく判らん」
「あのお二人が他の男性に抱かれるところを想像なさってみてはどうでしょう?」
リドウの胸から顔を上げて、悪戯っぽく笑いながら言うサリス。それを受けた彼の方は半面をしかめさせて、何とも言い難い顔になってしまう。
「それはもうやってみた」
「あら」
「でだ……」
リドウは新しく煙管に火をつけて、無表情に吹かしながら、しかし煙を吐き出す際には少し目を細めて続きを口にする。
「正直、全く気にならんかった」
「それはそれは」
サリスは目を瞑ってくすくすと笑う。育ての親の一人であり、同時に姉の一人であり、更には恋人の一人でもある彼女の感覚は、リドウの言葉が強がりではない本当の本音だなと訴えていた。
「人間の女性ならば『愛情が足りない』と思われるのでしょうか? それとも『心が広い』と思われるのでしょうか?」
「さてねぇ。実際に俺のモンにしてみりゃ、もしかしたらその辺の独占欲も湧いてくんのか……」
そういう『人間らしい感性』があまりよく理解できない事実がもどかしいのか、煙管を灰皿に置いて、その手でがしがしと自分の頭をかき回す。
と、サリスは不意にリドウの頬にちゅっと口付ける。
ちょっとした驚きの目で自分を見てくるリドウに向かって、サリスは優しく笑ってみせた。
「どうやら妙な“不安”をお持ちのようですが、それは杞憂というものです」
「あん?」
「確かに世の中の男性の大半はそうした独占欲をお持ちですけれども、中には坊ちゃまのように全く気にならないという方も、極めて少数派ながら普通にいらっしゃいます」
「ふーん? そっか。まあ多分だが……最終的に俺の手元から離れて行きさえしなきゃ、どうでもいい気がするんだがな」
「なるほど……」
サリスは相槌を打ちながらも、内心では「独占欲は無くても、所有欲は一応有るようですね」と声に出さずに呟く。
「どの道、あいつらが他の男に走ったとしても、そりゃ俺に魅力が足りなかったってだけの話だろ。そもそも、これまであいつらの気を惹こうと意図的に振舞った覚えもねぇ俺じゃ、どっちにしろ文句をつけられる筋合いもあるまい」
そこら辺は平然と言い切ってしまわないで、もう少し執着心を見せてほしいなと、『母としてのサリス』と『姉としてのサリス』は思う。では『恋人してのサリス』はどうかと言えば、「彼女たちと関係が成立してしまっても、サリスのことも可愛がってくれたらいいのですが……」とちょっと心配に思うだけで、リドウが他に恋人を作ること自体は何とも思わないらしい。本当に妙な感性をしている人だった。
「大体、お嬢には恋人いるしな。無理やり吹っ切らせるのも……ちと俺の趣味とは違う」
「そこは強引に物にして差し上げるのも一つの優しさというものかと思いますけど」
「甘いと言われたことはあっても、優しいって評価をされた覚えはとんと無ぇな」
鼻で笑い飛ばしたリドウは、サリスの体を優しくよけて、ベッドから降りて立ち上がる。
「ほら」
と、具体的なことは口にせずにサリスへ促すと、彼女はベッドから魅惑の足を露にしてベッドを降りる。
その最中に髪の毛がぶわっと不自然に踊った。たったの一瞬でシャワーとドライヤーを魔法によって済ませてしまったのだ。ベッドや床を濡らすこともなく、もちろん本人が火傷を負うこともない繊細な魔法行使。
魔道士と名乗れるレベルならば必ずしも同じことが不可能というわけではないが、それは極限に集中して時間を掛ければ同じことも可能という意味であり、こんな一瞬で完了させるとなると完全に神業だ。理解できる人間ならば、これだけでも彼女が超級の魔道士であると目を見張ること請け合いだった。
ベッドから降りきると、側に乱雑に投げ捨てるように置かれていた衣服を手に取ってささっと着用し、あっという間にメイドさん状態になる。服の中に隠れてしまっていた髪の毛を、後ろ首に両手を回して、手の甲で掬い上げるように外へ出す仕草がまたやけに色っぽい。
その時には既に、元々ズボンを履いていたリドウはとっくに着替え終わって、鏡台の前の椅子の背もたれに片手を置きながら準備万端で待ち構えている。
サリスのように寝姿が下着一枚だけでなかったのは、襲われた時に下着一枚姿で戦うのは流石に御免だったからだ。魔王城に居る限りは万に一つの心配も無いはずだが、幼い頃からそう“躾けられて”きたせいで最早習慣を通り越して一種の習性と化しており、この戦闘脳っぷりに矯正の余地はどこにも無さそうだ。
さて、鏡台の前に座ったサリスであるが、気持ち良さそうにうっとりとした顔で、リドウに髪を櫛で梳かれている。
「あのお嬢様方にはもうこうして差し上げましたか?」
「いんや。寝てねぇ以上、寝起きの油断してる状態で顔を合わせたこともねぇんだ。愛奈は微妙だが、お嬢も千鶴も女としてのプライドは雲上をぶっちぎってるからな、自室以外でそんな無様をそうそう晒すわきゃねぇよ。愛奈もあいつらにそこら辺はかなり教育されてるっぽいしな」
リドウが喋り終えても、サリスは何も言わなかった。表情を見る限りでは優越感に浸っている風でもないし、坊ちゃまの不甲斐無さを責めている風でもない。その内心で何を思うかはリドウにも読みきれなかった。
「だが旅の途中で一晩付き合った女たちにやってやった時は大層な喜びようだったぜ。他の男からしてもらった経験は無いっつってたな。そんなに特殊なことだったのか?」
「それはもう。私は人の世の習いについては熟知していますし、この通り姿形が女性なので、女としての意識は人間と殆ど変わりありませんから、よく理解できます」
リドウは「ふーん」と気の無い相槌を打ちながらサリスの髪を梳かし続けている。
「髪にもしっかりと神経があるのです。正確には、触れられると、どんなに長い髪でも少なからず頭皮に刺激があるからなのですが、それよりも心の神経に触れられるという心因的要素の方が強いかもしれません」
「心の神経ね。そりゃまたディープな話だ」
「上手に触ってもらえなければ酷く不快ですし、逆に上手に触ってもらえればとても気持ちの良いものです。なんにしろ体の一部ですから、基本的に好意のある男性以外に触れられたくはありませんね」
「へえ」
「それだけでなく、男性の中には触れ方が本当にダメダメな下手クソがいるのです」
ちょっとふくれっ面になるサリスに、リドウは珍しい物を見たと瞬きしている。
「私をただの女中風情と侮った迷い人の男性から馴れ馴れしく髪を触られた時に背筋へ走った怖気はとても言葉にして表現しきれるものではありませんでした。反射的に城ごと消し飛ぶ砲撃を放ちそうになって、直前で思い留まれた忍耐力を、サリスはメイドとして自賛して良いと思っています」
「…………」
本気で言っているらしいサリスに、リドウはコメントに困ってしまい、結局何も言わないという選択肢を取ったようだ。
「と言うわけで、女性の髪の扱い方の訓練の一環だったのですけど、それ以上に、この手のサービスがさり気なくできるのは非常にポイント高いのですよ。口説くためのテクニックというよりも、その後に離れさせられなくするためのモノですけれども」
「あー……そいや何か、昔そんなことも聞いた覚えが有ったような無かったような……」
「私の教育がしっかり根付いているようで、サリスはとても満足です」
「生きるだけなら必要性皆無な技能だったんだよな。気づいた頃にはとっくに習慣と化してやがった」
「確かにそうですが、サリスの自慢の坊ちゃまですから……」
「だから何だってんだ?」
「いえ、己が自慢に想う男性が女性に不人気というのはかなり嬉しくないので。当然、坊ちゃまが女性に人気が高いのはとてもいい気分です」
「ああ……そう……」
ツッコミを入れる気も失せたようで、リドウは力の入らない声で適当に相槌を打った。
その間も彼の手は止まることなく、器用に彼女の髪を結い上げていく。
「ほれ。いっちょ出来上がり」
ぽんっとサリスの両肩に手を置いて。
彼女は顔を左右に逸らして出来栄えを確認し、にっこりと笑う。
「いつも変わらず見事なお手前です」
「そりゃ良かった」
お礼の意味も込めてサリスからもう一度軽く口付けを交わすと、二人は一緒になって部屋を出て行った。
「ん? お前さんは……」
仕事に向かったサリスと別れ、一人で廊下を歩いていたリドウの視界に、あまり見ない姿が映り込んだ。
「あ、若様?」
「山中、だったな」
「うっす」
一ヶ月半くらい前に一度会ったきりだった山中果歩であった。担当する仕事場の都合なのか今までリドウは全く見なかったのだが、本人曰く、一昨日からここに移ってきたらしい。
「そうか。お疲れさん」
と軽く労いの言葉を掛けて、果歩の隣を通り過ぎようとする。
が、その前に、
「ちょっと待って下さいな。折り入って聞いてほしーことがあるんすけど」
と果歩の声が掛かって振り返る。
「俺に何か?」
「…………」
リドウか率先して聞こうとするが、果歩はじーっと彼の顔を見つめるばかりで何も話そうとはしない。
「何だ?」
再度問い掛ける。
と、ようやく果歩が口を開いてくれた。
「いや、こうして間近で見ると、つくづくイケメンだなー、っと」
「そりゃありがとよ」
アホらしいと嘆息しながら踵を返す。
「ちょっ、ちょっ、冗談だって!」
ちょっとボケてみただけで、話があるのは真実だったようだ。もっとも、半分以上は本音……と言うよりも、正直な感想でもあったようだが。
コートを掴まれてしまい、仕方ないといった様子で振り返るリドウ。
「結局何なんだ?」
「けっこー長話になると思うんすけど、ちょいと時間いいっすか?」
「ああ」
どうやら込み入った話のようだと気付いたリドウは、城の何ヶ所かに設置されているサロン、その一番近くの部屋を選んで果歩を連れ込む。もちろんのことながら、別にイヤラシイ思惑があってのことでは全くなく、単純に灰皿が欲しかっただけだ。
案の定、リドウはさっそく煙管を吹かし出した。
「で?」
「…………」
しかし、果歩は中々話を切り出そうとはせず、さっきの再現のようにじーっとリドウを見つめている。
「おい」
二度目ともなると流石に許容範囲を越えたのか、リドウは少し気分を害した様子で、声も若干低めて問い質す。
が、果歩は意外なことに、怯えるような反応は一切見せず、ゆっくりと口を開く、
「あー、うん。なんか納得したわ」
「あん?」
「いやね。シャイリーって下手なアイドルよりメッチャ可愛い野郎がいるじゃないっすか」
「ああ」
「あの子、なんかやけに桂木の野郎と気が合うみたいで、衣装のこととか? まあそれでね、今んとこ城に居る日本人って、若様の連れて来た連中以外はあたしと先生と桂木だけだからさ、学校じゃ話したこともないような関係だったけど、身を寄せ合うっつーか、暇な時は何となく自然と一緒に居るようになるわけですよ」
「お前さんの言う通り、自然な感覚じゃねぇか?」
「で、必然的にシャイリーくんとも結構話す機会があって……」
「結局何が言いてぇんだ?」
不機嫌な様子は消えていたが、リドウは怪訝そうに問い質す。
が、果歩はあくまでもマイペースに続けている。
「そのシャイリーくんから、若様が麻木と旅に出てから先、あの一条まで加えて、あの二人に押し負けることなくリーダーシップ取ってたって聞いて、ちょっと信じられなくって」
「そうか?」
「いやいや、そりゃあんた……じゃねえ、若様からして見りゃ可愛いもんかもしれないっすけどね」
ツッコミ半分だったせいでフランクに呼びそうになって慌てながら丁寧に言い直したが、元々敬語もギリギリなのであまり意味はない気がする。
「普通に話して構わんぞ」
「あ、いや、そこはケジメってことで」
「ならいいが」
「とにかく、学校の連中がこれ聞いても誰も信じねーですって。二人とも我が強いって意味じゃ大して差はねぇっすもん」
「そら確かに」
「はは。やっぱりっすか」
自分の言葉に深々と同意を示すリドウに、果歩は明るく笑いながら確認した。
「麻木もそーっすけど、特に一条はマジヤバっすから。ありゃ存在自体が一種の反則みたいなもんっすよ」
「それだけか?」
何だか実りの無い話だなと判断して、煙管の灰を落として、ならもう行くぞと暗に告げる。
果歩は的確にそれを察したようで、待て待てとばかりに手を差し出した。
「本題はこっからっす」
「ふん?」
改めて煙管を銜えることで、聞こうじゃないかと態度で示すリドウに、果歩は幾分真面目な顔つきになる。
「小杉についてっちまった女たちのことなんすけど」
リドウの目がすぅっと狭まる。
(まさか知って……いや、ねぇか)
“その事実”を自分以外にこの城の中で知っているのは、自分にそれを伝えてくれたサリスと、自分が直接教えた千鶴だけのはずだった。サリスには口止めしたし、千鶴が自分から口にするはずがないなとすぐに思い直す。あるいは、サリスに対して自分よりも上位の命令権を持つ義母も知っているかもしれないとは思うが、やはり好き好んで口にはしないだろう。
なぜ恵子と愛奈に伝えなかったのかと言えば、あの二人には少々“刺激が強すぎる”と判断したからで、千鶴にだけ伝えたのは、もし知らずにいきなり小杉と遭遇し、図らずも真実を知ってしまった場合、衝動的に殺しかねないという不安が働いたからだった。
「その二人がどうかしたか?」
「いや、あの……」
リドウが眼差しを鋭くしたことで、今までは何とか対等に渡り合えていた果歩も流石に威圧感を覚えたのか、思わず言いよどんでしまう。
「素直に言ってみろ。言うだけなら只だ、別に何もしやしねぇよ」
「あ、うん。じゃあ……その……若様の力で無理やり連れ戻してやっちゃくれませんかね」
「何でだ? てめぇの意思で出てったんだろ?」
「小杉に丸め込まれた――ってのも多分違うんでしょうね」
何やら妙な物言いに、リドウは訝しげな顔で首を傾げて果歩を見る。
「でもね、若様、あたしはあいつらの気持ちが分からんでもないっすよ」
リドウはいよいよ意味が分からんという顔になってしまう。
「だってねぇ……このお城に居ると、自分と比べて惨めになっちゃうんすよ」
「あ?」
「あの姫様だけじゃねぇ。侍女長さんだってマジでっっっパじゃねぇし、あたしらより上くらいに見える人たちはみんな居なくて会ったこと無いっすけど、十五、六くらいの外見の子たちは残ってんじゃないっすか。そいつらもマジでアイドル顔負けっすよ? あたしと先生をここに案内してくれた人だって普通に女優――世界観的に考えて『どこの貴族だ!?』と思ったし。女として比べられたかないっしょ、ふつーに!」
両手を大きく広げて主張する。
「あんな顔面チートな連中の巣窟で延々と暮らしてても平気でいられるのなんて、素でタメっちまう一条とか、他人の顔面偏差値にはガチで無頓着な麻木くらいのもんっすよ。そもそも麻木だって大半の人たちとは張り合えるくらいには美人だからこそ、そんな主義でいられるって部分は絶対にあるはずなんだ。もーちょっと普通に可愛い程度だったら平然としてられるもんじゃねーっすよ、間違いなく」
「む……んー……」
そう言った劣等感とは無縁に今まで生きてきたリドウにとっては少々難解だった……と言うか、その気持ちを想像するのに頭を使っているためなのか、眉間を摘まんで難しげに唸っている。
「あー……やっぱ分かんないっすか。若様も顔面チートな上に、総合力じゃ一条の上行くスーパーチートらしいっすもんね」
「…………」
何となく馬鹿にしたような雰囲気を纏っての果歩の発言だったが、リドウは憤慨したりはしなかった。最後の一線で弱者の気持ちが理解しきれない自分自身を知っているリドウにしてみれば、そう言われてしまっても仕方ないという思いが少なからずあるのだろう。
「しかしな、それなら尚更、俺がどう説得しようが無意味じゃねぇか?」
「今はあたしが居るじゃないっすか。赤信号、みんなで渡れば怖くない――っついますし」
なんかちょっと違う。
「何でお前さんは平気なんだ?」
「あたしには先生いますからね。惚れちゃったあたしがゆーのもなんだけど、あれを好きになる物好きはそーそー居ねぇっすよ。時間かけりゃぜってー落とせます。つか落とす」
「くくっ」
「へへっ」
大真面目に言い切ってしまう果歩に、リドウは思わず大爆笑してしまう。合わせて彼女まで大笑いするものだから……誰か止めたれ。
「しかしな、その二人は小杉ってのに誑し込まれてんだろ?」
それじゃやっぱり無理なのは変わらないだろうと言うリドウであったが、果歩は明るく笑い飛ばす。
「そりゃないっすよ」
「何でだ? 小杉ってのも相当お綺麗な顔してるって聞くぜ」
「そりゃね、うちの学年じゃ一条と麻木、それに麻木の彼氏の神崎ってのがとにかく突き抜けてたんであんま目立たなかったっすけど、普通の学校ならじゅーぶんにアイドル扱いされてたんじゃないっすか? 桂木が素顔さらしてりゃ、もっと影薄くなってたかもしれないっすけど」
果歩はあっけらかんとした顔で手をひらひらとさせる。彼ら彼女らの美顔に対してのコンプレックスは特に無いらしい。
「でもね、小杉を本命彼氏にって考えてた女はうちの学校内には誰もいねぇっすよ、少なくともあたしの知る限りじゃ」
「ふむ」
早くも何となく理解しつつあるリドウであったが、ちゃんと最後まで聞いておこうと考え、適当に相槌を打つ。
「見てくれは上等でしたよ。隣に立たせてりゃ十分自慢になるくらいにね。女ってのも現金っすから、連れてる彼氏を他の女に自慢して、羨ましがらせて、優越感に浸りたい……そういう連中限定のモテでしたね」
「しかし、その程度の入れ込み具合で貢ごうとまで思えるもんか?」
「あ、それ知ってんすか」
「お嬢が言ってたな」
「おじょー?」
「麻木恵子だ」
「何でそんなあだ名?」
「特に意味はねぇが」
「そっすか」
果歩は取り合えず納得したようで、特に疑問はないらしい。
「貢いでたのはもっとずーっと年上のおばさんたちっすよ」
「老け専……ってわけでもねぇか、同年代にも手は出してたようだし」
「おばさんっつても、女子高生のうちらから見たらの話で、一番上で多分二十五、六くらいだったと思いますけど」
「それでおばさんかよ。むしろこれからが美味しいトコじゃねぇか」
「若様も相当っすねー」
けらけらと楽しげに笑い飛ばしてしまうこの子もある種のツワモノなのだろう。
「女子高生ってそれだけで一種のブランド的な価値があって、それより上はみーんなおばさん、って本気で言い切るのも少なくねー世界でしたからねぇ」
「判断基準が厳しすぎだろ。どんだけ偉ぇんだ、その女子高生って階級は」
「いやまあ、そこは深く突っ込んじゃーいけませんわ」
リドウは苦笑代わりに煙をふっと強く吐き出した。
「しかし、詳しいな」
「別に自慢するわけじゃねぇっすけど、交友関係の広さなら麻木よりダンチだったと思いますよ、あたし」
いわゆる姐御肌と言うのか、さばさばしていて陰湿な雰囲気が無く、可愛すぎず、しかし決して不細工でもない――と言った感じが山中果歩という少女だった。同性にとって付き合い易いのだろう。何となくリドウにも理解できる。
要するにこの娘は情報通なのだ。それにこの娘がいれば、確かに保護した娘たちの精神的緩和剤になることができるかもしれないとリドウは思った。こんな娘が比較的最初の方に確保できたのは案外と大きな行幸だったかもしれないな、とも彼は頭の片隅で更に思う。
「ちょっと金持ってて、気前も良くって、年下の男の子と火遊びしたいけど、本気になられると困る。要約すると逆エンコーっつーか、そーゆー人たちにとっては絶好の相手だったんすよ、小杉って」
「なるほど」
「あとはまあ、高二にもなると、処女が恥ずかしくてとっとと経験したいってのにも割とモテてましたけどね……何しろ食いまくってるだけあって、ソッチも相当お上手って噂でしたから」
皮肉っぽく鼻を鳴らす。
「でもそれだけっすよ。あれと本気で付き合いたいって考えた女なんて、入学してから半年もして本性が知れ渡った頃には、少なくとも学内じゃ絶滅してましたね。それでも女に不自由してなかったから、本人は平気のへーざでしたけど。麻木や一条みたいに攻略がクソ面倒な女は、一度声かけて無理って判断したらその後はノー眼中って主義で、基本的にはチヤホヤされてる自分を愛するナルシストって感じの野郎でしたし」
リドウはいつの間にか種火が切れていた煙管を灰皿に置いて、腕を組んで片手で顎を摘まみながら、黙って二度三度と頷く。
「で、結論なんすけど――」
果歩は顔に真剣な色を宿し、声も若干落とす。
「女二人は元々ここに居るのが苦痛だったところに、一人で出てくのは流石に怖い小杉が誘えば、二人も一応……キャスティング? でしたっけ? そこそこの魔法が使える程度の才能はあったらしいっすし、幸か不幸かこの世界的には絶大な才能に恵まれちまった小杉が一緒なら取り合えずは安心かと思ってついてっちまっても無理はねぇと思うんすよ」
「ああ。お前さんの話を聞いてる限りじゃおかしかねぇと思うぜ」
リドウも真剣な顔で頷く。
「でもね、賭けてもいいっすよ――あの二人が足手纏いになったら、小杉なら迷わずソッコー捨てます。一条や麻木、あと今の高坂レベルに突き抜けて美少女ならあいつも迷うでしょうけどね、本人には悪いけど、あの二人じゃそれはありえねぇ。高坂みたいに痩せたら美人だった、って特殊例が通用する体型じゃなかったっすからね」
リドウは眉を険しく歪める――“それでは賭けが成立しない”なと内心で呟きながら。
「小杉がおっ死ぬのは自業自得っすけど、あの二人が死んじまってたら流石に寝覚めが悪いんすよ。一応、クラスメイトだったんでね」
リドウは即座に答えは返さず、煙管に火を点して一吸いしてから口を開く。
「小杉って小僧はまず間違いなく勇者候補だ。それはこの世界じゃ最強になることも不可能じゃねぇだけの素質を持ってるって証明でもある。ならこの世界を満喫してるだろうとは思わなかったのか?」
「一ヶ月半くらい前の、見ちゃったんすよね」
果歩は力の入らない愛想笑いを浮かべながら言う。
「俺とサキの姐御のか?」
「あんな城中が大地震みたいに震えてりゃ、そりゃ気にするなって方が無理っしょ。あれ以来無いなと思ってシャイリーくんに聞いたら、今はもっと離れたトコでやってるらしいっすけど……あんなの一度でも見せられたら嫌でも理解しますよ」
疲れたように首を横に振る。
「一応ね、もしかしたら才能ありゃ無条件にあんくらい戦えるようになるのかとも一瞬思いはしましたけど、桂木が速攻で否定してくれましたから。ついでに、ここに滞在中の小杉の戦闘力がどんなもんだったかって具体的に聞いたら、こりゃあかん――って」
お手上げ、と両手を天井に向けて目一杯に伸ばす。
「若様たちには相当ヤバイ話が待ち構えてるってのは知ってますわ――シャイリーくんに相談したら、具体的には教えてくれなかったっすけど、構ってられる余裕は無いかもって聞きましたから」
両手を合わせて、その手の下に頭がくるまでお辞儀する。
「見知らぬガキのたった三人を最優先してられる状況じゃねぇってのは理解できますし、そもそも若様にそんな責任なんてどこにも無ぇってことくらい理解してます。ただ、もしそれっぽい連中の情報が引っ掛かったりしたら、勝手に出てったんだろ――なんて思わねーで、もう一度説得してみちゃくれませんか?」
心持頭を上げて、ちらっと覗き見るようにリドウの顔を窺う。
「それなら俺より千鶴に言ってやった方が早かったと思うぜ。あいつは同級生を助けるのが使命みてぇに思ってるトコがあるからな」
「先生もそんなこと言ってましたけどね、この世界に来る前の一条を知ってる身からすりゃ、あいつにそんな人間らしい感情が有るって信じろって方が無理なんすよ」
吐き捨てるように言う。
「せめて自分の出来の良さを鼻に掛けてくれりゃまーだ可愛げがあるってのに、あれだけのチートスペックなのに他人を見下さねぇって言や聞こえもいいっすけどね、あたしにゃ判ってた――ありゃ無関係の他人を見下すって思考がそもそも頭ん中にありゃしねぇんだ。ハナっから相手にしてねーんですよ。見下すよりも遥かにタチが悪ぃ」
これは千鶴の自業自得だなと、リドウは黙って煙を吐き出すだけだった。
今でも一条千鶴にはそういう面が少なからずある。恵子も愛奈も口を揃えて『以前より大分人当たりが柔らかくなった』と評価しているが、つまり以前は尚更だったという意味だ。そう言われてしまうのは無理もないなとリドウは考える。
ただ、何となく不愉快な気分でもあったのは嘘じゃないようで、しかし“公平に考えて”果歩の発言は的を射ているので、リドウに屁理屈で反論できるものではなく、表面上は淡々と流した。
「了解した。覚えておこう」
「あざっす!」
びしっと勢いよく頭を下げる果歩を目にしてリドウはふと思う――
(しかし、本当に外見と口調のちぐはぐ感が半端じゃねぇな、こいつ)
――非常に今更ながらの感想だったが。




