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第七十六話 修行パート:リドウ編 後

 リドウの白刃が煌き、サキの鉄扇が閃く。両者共に一歩も譲らぬ攻防の中、リドウは攻めきるには足りないが、大技を撃つには足りる、ほんの僅かな隙を得る。


 それを逃さず、超高速をもって刀を鞘に納めながら上半身を微かに巻き込むように身を捻る。


(これは――ッ!)


 サキが内心で唸る。ちょうど一ヶ月ほど前、この型から始まる技であわや一本取られそうになったのは記憶に鮮烈だった。ようやく二十歳をすぎたばかりの、自分から見れば赤子にも等しいはずの青年が、千年を遥かに上回る年月を生きた自分に対して、一ヶ月半近くに及ぶ連日の稽古の中で最も危険を感じさせた瞬間でもあった。


(じゃが、あれは初見殺しとして最大の威力を発揮する性質の技。一ヶ月前とはいえ忘れると思うのかえ?)


 まだまだ青いなとほくそ笑むサキ。


 ――しかし、今までリドウに対して『その感想』を抱いた者は、たった二度だけとは言え、例外なくその直後に驚愕する羽目になったわけだが……やはり二度あることは三度あるのだ。


 サキの身を超々高速の刃が襲う。


 抜刀術の威力は、それほど質量がある方の武器ではない刀の技であっても、デコピンの要領で絶大な威力を発揮する。これは長剣等の直剣系では不可能な技で、曲剣の性質を持ちながら、しかし“丸すぎず、質量にもそこそこ富む”刀だからこそ、刀ならではの必殺技だ。

 撃ち出すのに大きな予備動作が必要なために連発できるものではないが、しかし如何な世界最強の一角でもまともに受けきれるものではなかった。


(これを避け――)


 サキはかつての剣姫ルミナリアのように上体をスウェーさせて避け切った。


 そこから姿勢を無理やり戻そうとするのではなく、背後に向かって勢いよく飛び跳ねてしまい、空中で宙返り――


 している最中に、刀を振り切った体勢のリドウが“その場に立ったまま”で、左手を自分に向けているのに気付く。


「のわっ!?」


 大きく目を見開くサキの視線の先で、リドウがニヤリと唇を吊り上げた。


(ま、まずっ。あの顕在魔力量だとトリプルか!? 衝天掌のワンアクション分も魔法に注ぎ込まれた――ッ)


 内心で涙目なサキ。今から防御用に魔法を構築してもシングルキャストが精々、空間転移は“最低でもダブルキャスト”だ、当然ながら間に合わない。フルキャストの威力は生きた年月の分だけリドウよりも僅かながら高いが、シングルの障壁ではトリプルなど流石に捌き切れない。


(地面に着地する前に撃たれるっ。こうなったら――)


 サキの身からも魔力が高まる。


 その直後、リドウの手のひらから魔力の光線が放たれる。


 同時に、もうすぐ地面に降り立とうとしていたサキは、辛うじて練り上げた魔力によって空気の床を足元に構築し、そこを足場に高々と跳躍する。


(これでどう――にゃにぃっ!?)


 一瞬で二十メートルほどを飛び上がったサキ。眼下ではちょうどリドウの魔力砲が、それまで自分の居た場所を撃ち抜いている。


 ――トリプルキャストとは到底思えない小さな光線が。


 リドウは更に唇を吊り上げ、もはや邪悪という形容が相応しい笑みを浮かべながら、上空のサキへ己の手のひらを向けていた。


「ずっこいぞえぇ――ッ!」


 ダブルキャストの白光が終にサキをまともに捉えた。


「ぬおぉああっ」


 美麗な容貌には不似合いなほどに猛々しい雄たけびを上げながら、眼前で両手に持つ鉄扇を交差させて顔面だけは守る。


 最大まで闘気で強化した肉体は、己の身を貫こうとする魔力砲と拮抗していた。


 普通にハイエンドな程度の気功士であれば問答無用で撃ち落されていたであろうが、しかし気功士としてはリドウをも完全に上回るサキならば、このくらはできる。


 それでも――


 魔力砲の威力によって空中で背後に向かって押し流される中、とうとうサキの両腕が光線に力負けして押し開かれてしまい、全身が白光の中に消え去った。


 そこから斜めに対角線で四十メートル下ほどの場所にリドウの姿がある。サキは魔力砲によってかなりの距離を吹き飛ばされていたのに、彼は魔力砲の行く末を黙って眺めているのではなく、撃ち出すと同時に地面を駆けていたのだ。


 そして高らかと跳躍する。


「っらぁっ」

「こなくそっ」


 サキはまだ倒れてなどいなかった。そしてリドウもあれで倒しきれるなどとは思ってもいなかった。


 ぷすぷすと全身から白煙を上げながらも、サキはリドウの攻撃に応戦する。


「回復の暇は与えねぇっ」

「ええいっ、小癪なマネをしよってからに! 煉舞陣とやらではなかったのかえ!?」

「間違いなく煉舞陣だったが?」

「嘘こけい!」

「『煉舞陣』はそもそも、超接近状態の納刀から抜刀術を繰り出し、敵の性質に合わせて途中から幾つかのパターンに変形する連続技の総称だ。前に使った『きわみ』の型に対して、今の『ひらめき』はハナっから『極』を印象付けた相手に対して用いるための型、違って当然だろ」


 喋りながらも攻め手を止めないリドウに、サキは大きく舌打ちを鳴らす。


「わらわとしたことが完全にはめられたわっ。しかも、わらわが“無傷で”練成可能な魔力で何をするか予想し、わざわざ魔力を分散させて内燃詠唱しておるとは、まっこと抜かったわ。あのならばディレイにするまでもないしのっ」

「相手が普通の気功士ならトリプル分をありったけ叩きつけて一発で終わらせられたんだがな。だがせっかく掴み取ったこの四十日余りで最大の好機、ここで決めるっ。嫌ならさっさと九本目を出しやがれ!」


 そう、この期に及んで、サキはまだ尻尾を八本までしか出していなかった。


 これが『殺し合い』でなくともせめて『試合』ならば、リドウは問答無用でサキをぶちのめす。余裕ぶって全力を出し惜しみする方が悪いのだ。もっとも、彼は今でも全力で攻めているのだから、彼女を相手にそれが可能か不可能かは終わってみての結果次第だが。


 しかし今はあくまでも稽古だ。全力でない相手に勝利しても、そこで勝ち逃げするならともかく、リドウにとっては何の価値も無かった。


「冗談っ、ではっ、ないわ! 只人相手に本来の力なんぞ――ッ」

「なら容赦はしねぇっ」


 地表に対して“逆様になりながら”攻撃の応酬を繰り広げる中、サキは心の中で唸る。 


(こやつ、これで本当に二十一歳か!? いや、魔王でない以上、どんなに童顔と仮定しても二十代なのに間違いはなかろうし、サバ読まれとってもわらわからして見りゃ大して変わりゃせぬがっ)


 技の多様さ。


 得意な技に頼り切ってしまわない精神力。


 己の得意技を更に敵の意表を突くための餌としてしまう戦闘思考力。


 どれ一つ取っても二十歳そこそことは到底思えないが、今のサキが何よりも思うのは……


(何でどうして、“ここまで”空中戦に対応できるのじゃ!?)


 というそれだった。


 気功士ならば当然として、魔道士も基本的には戦闘中に空を飛ぶことなど滅多にない。たとえハイエンドでもだ。そこにシングルキャスト分が最低でも必要とされてしまうので、常時クワッドキャストを用いれるような魔王にしても有り得ないくらいのキャパシティの持ち主でもないと、感知、防御、牽制の内の一つを犠牲にしなければならないのだ。相手が気功士でも同格以上の使い手ならばリスクが多すぎる。


 故に、空中戦が必要とされる状況自体が滅多に無く、必然的に専門的な訓練をする使い手も居ないため、空中戦が得意だと自ら言い切ってしまえるような使い手はまず存在しない。


 だが殲滅師の場合は少々話が違ってくる。


 絶大な防御力と超回復魔法を有するが故のタフさが殲滅師の最大の強みだと思われがちだが、サキの意見は違う。


 ――殲滅師の真価は空中戦にこそある――


 麗覇サキは確信を持ってそう思う。


 風を纏っての魔道士の高機動力に、気功士の空中疾走による瞬発力を併せ持つことが可能で、更にシングルキャスト分の弊害くらいなら気功士としての力が十分に補ってくれる。

 空中から一方的に敵を攻撃し、焦れた敵が空に飛び上がってきたら――決着。それが“本気のサキ”が最も好む戦法だった。


 本来の力を発揮していないとは言え、サキはリドウとの戦いに手を抜いた覚えはない。常にガチだ。故にこそ、リーチェン直伝の技をまともに入れられたら問答無用で“貫かれる”のもあり、戦い全体の半分以上は空中戦で行っている。


 ――そして、人間が地に足をつけて生きている以上、このように天地逆様の状態で延々とミス無く戦っていられるものではない……


 ……はずなのだ。余程の訓練をした使い手でない限りは。


(じゃがこやつは――ッ)


 つい一年ちょっと前にようやく二十歳を超えたばかりだなどと、サキにとっても到底信じられる技量では有り得なかった。


(これならどうじゃっ)


 サキは左手の鉄扇を明後日の方へ振るう。正面のリドウに対し、むしろ真上を通り過ぎるくらいの位置だ。


 しかしその瞬間、サキの姿がリドウの視界から消えてしまう。


 高位の気功士が可能とする空中疾走は『大気の壁を捉える』のが本義。ハイエンドの気功士の身体能力を持ってすれば、それを手で行うことも理論上は不可能ではない。もっとも考えるまでもなく、足でやるよりも遥かに難易度が高くなってしまうが。だが空中を本来の戦場とするサキならば、できてもある意味当然だ。


 太陽に向かって足から落ちるように、そしてリドウの足元に潜り込んだサキは、更に風の足場も用いて、一気にリドウへ肉薄する。


 ――が、リドウはひらりと宙返りして、再びサキを己の正面に捉える。


(これじゃっ……)


 サキは心の中で幾度目かの唸り声を上げる。


(空間認識能力がずば抜けておるのじゃっ、こやつは! 普通今のを避けるか!? 鬼とて辛うじて防御したくらいじゃぞえっ。あやつではそもそも滅多なことで飛ばさせてはくれんが……いやいや)


 思考が元彼のことに流れそうになって、サキは慌てて目の前の難敵に集中する。


(リリィのことよ、空中戦もしっかり叩き込んでおりはするじゃろうが……それにしても、どう考えても先天的な勘にメッチャ恵まれておろう。まさに殲滅師として闘争を生きるために生まれてきたような男じゃな、こやつめっ!)


 内心で臍を噛み締めながら、しかしその表情に浮かぶのは歓喜の笑みだった。


 ……所詮はバトルジャンキー、こんなものだ。


「面白ぇことやりやがったな?」


 リドウはニィっと笑いながら、当然攻撃の手を休めることなく話し掛ける。


「それをやり易くするための鉄扇かよ」

「何の。男共がわらわのないすばで~に見惚れて戦いを忘れたりせぬよう、親切心の表れじゃよ」

「普通に鉄扇で体の線を敵から隠すためって言えよ。回りくどいを通り越して、それで理解できる奴の方が少ねぇぞ、絶対」

「むしろ真意を理解されてビックリじゃ」


 サキはふざけ半分で対応するが、この間も戦闘思考は片時も休まずに回転している。


(さて。足場程度の微々たる魔法ならばともかく、回復するほどの余裕は本気で与えてくれん。強がってみてはおるが、流石に無視できるダメージではないのが実情。このままではジリ貧じゃ。はてさて、どうしたものかのう……)


 一方でリドウも、決めきれない現状に内心で苛立ちがあった。


(焦るんじゃねぇよ、俺。まだ八本の今、顕在闘気量は俺よりちっと上程度。このまま“外さなきゃ”確実に勝てる……ッ)


 とリドウが自分に言い聞かせている中、


(――とか思われておっては癪じゃのう……ッ)


 リドウの思考を読み取ったサキがぎらっと瞳を光らせる。


(何か――きやがるっ!)


 サキの『やる気』を感じ取ったリドウは、攻防の応酬の手を止めることなく、更に心の中で身構える。


 リドウの上段からの振り下ろしを、サキは左手に持つ鉄扇で受け流しながら体を“右に”回転させ、互いの得物のリーチ差で生じる間合いを大きく詰めてしまいながら、裏拳ばりに逆の鉄扇でもってリドウの側頭部を狙う。


 反射的に頭を下げてそれを避けたリドウは、無理に姿勢を戻すのではなく、頭を下げる勢いのままに前転して、踵でサキの顔面を狙い打つ。女性相手でも本気で容赦無い攻撃だ。


 ――が。


 踵落としを見舞おうと目論むリドウの視界に、和服……っぽい衣装から大胆に零れ出る生足が映り込み、驚愕に目を見開いた。


 胴回し踵落としとも言うべき技と回し蹴りの勝負は、先に回転を始めていたサキの蹴りの方が断然早かった。


 まともにくらってしまったリドウは、


「がはっ」


 “その場”で腹からくの字に折れ曲がる。蹴り足が生み出す衝撃の全てが綺麗に体内へ置き去りにされた証拠だ。


 更にサキの逆の足が舞い踊り――


がんっ


 思い切り打ち下ろし気味にリドウの頭へ炸裂した。


 リドウは悲鳴の声も無く地上へ墜落し、完全に無防備で地面に激突し、巨大な破砕音を立てながら大きくクレーターを穿つ。


「くっ……うっ……」


 しかしまだ“無事”ではあったようで、苦痛の呻き声を零し、くらつく頭を手で押さえながら立ち上がろうとするも――


 空間転移で現れたサキが、しゃがみ込んだ体勢でニコニコと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、自分の喉仏あたりに鉄扇を突き付けているのを見て、全身の力を抜いて大の字に地面へ倒れ込んだ。


「はぁ……結構いい線いったと思ったんだがな」

「間違ってはおらんぞえ。これまでの中では間違いなく一番追い詰められたわ」


 サキは子供にするように「よしよし」とリドウの頭を撫でながら言う。


 更に彼の頭を両手で抱き上げると、己の豊満な胸にリドウの半面をむにゅっと押し付けるように抱き締める。


「わらわが回復して進ぜよう。大さ~びすじゃぞえ」


 視線で「何してんだ?」と問い掛けてくるリドウの頭を、自分の胸に押し付けている手で撫でるのも未だ止めず、回復魔法を行使する。


「いいよ。勝手にやる」

「いいから、やらせい。でないと拗ねるぞえ」

「どんな脅しだよ」


 リドウは呆れたように笑いながら、起動直前だった術式を解除した。


「トリプルで行使しても、やはりお前様相手では時間が掛かるのう。リリィのようには中々いかん。凡そ四半時といったところか。それまではわらわの胸をとくと堪能するがよい。何なら上は脱いで、素肌でやろか?」

「嬉しい提案だが、ここは敢えて『もうちょい恥じらいを持ったらどうだ』と言わせてもらおうか。そんな格好で蹴りくれやがって。丸見えだったぜ、おい」

「見惚れてもうたかえ?」

「するか。戦闘中だぞ。だが……」


 たはぁっと深くため息する。


「……完全にしてやられた。あんたに足技は無ぇと、俺も思い込まされてたな」

「見せる価値もない相手になんぞ、絶対に見せてやらんがのう」

「そりゃどっちの話だ?」

「無論、両方じゃ」


 二人が言っているのは、足技と着物の中身の話である、念のため。


「しかし――お前様はほんに佳い男じゃのう」

「何だ? 藪から棒に」

「こう、何じゃ……見とると芯からじわっと濡れてくる」

「だからどうして……」


 そうも一々物言いが下品なんだと文句をつけようとして、どうせ言っても無駄だと気付いて、言葉の代わりにため息を吐く。


「この際じゃ、鬼と本物の兄弟になっておくかえ?」

「そりゃもしかしなくても……」

「穴兄弟」

「一々言わんでいい」


 言葉にするのが嫌すぎて濁したというのに、あっさりと口にしてくれるのだから、リドウとしてもため息しか出てこない。この女と付き合っていると、リドウもこんなのばかりだった。


 そんなリドウを、サキはくつくつと笑いながら更に抱き締める力を強くして、髪を撫でるように顎を動かして愛でる。


「お前様はほんに愛いのう」

「……そんな感想は十歳を数えて以降じゃ初めて言われたな」


 リドウは拒絶するのも面倒で為すがままにされていたが、あまりにも自分には不似合いな形容をされて目を点にしている。


「リリィや鬼共の気持ちがわらわには何となーく理解できる」

「あん?」

「あやつらにとってお前様がいつまでも可愛くて仕方ない理由じゃよ。お前様は……何と言うか……」


 サキは頬ずりを止めずに、ちょっと悩んでいる様子で言葉を濁していたが、


「そう――」


 リドウが黙って続きを待っていると、やおら確信めいた声を発した。


「お前様はとてつもなく――魔王受けする」

「はあ? 何だそりゃ」

「とても接し易い……一言で表すならそういうことじゃ」

「そうか?」

「うむ。恵子ちゃんや千鶴という小娘もいい線いっとるが、やはりお前様は別格じゃ」


 サキは頬ずりを止め、しかしリドウの頭から頬は外さず、じっと抱き締めながら瞳を閉じる。


「我ら悠久を生きる魔王が長き生の中で培った感性はどうしても人の物とは相容れ難い。じゃがお前様は世俗とは隔離された世界で魔王と、リリィの眷属というこれまた限りの無い存在に囲まれて育ったが故に、価値観がこの上なく我らの物に近い」


 そこまで言うと、きゅっと抱き締める力を少しだけ強くして、再び頬ずりを開始する。


「加えてとても只人とは思えぬほど純粋に強い」


 その表情は子供のように無邪気に笑っていて、妖艶な美女としか形容しようがない容貌なのに、少女のような可愛らしさとしか今この時だけは言い表せられない。

 残念ながら見ている男が、彼女の顔の下で頭を固定されてしまっているリドウを含めて誰も居なかったが、世の男たちが今のサキを目にしてしまえば、きっと大半はイチコロだったこと間違いない。いわゆる一つのギャップ萌え。


「言うてはなんじゃが、魔王に覚醒してより二、三百年もする頃には、只人と闘って『もしかしたら負けるかも』と一瞬でも思わされることは無くなっておった。まあ昔はハイエンドの絶対数も今より遥かに少なかった故、今は少々事情も違うがのう」

「そうなのか?」

「うむ。特に外で『天の位』という称号を冠する者共はかなりの物じゃ。どんな物かと何人か覗き見してみたが、あれが二、三人組んで挑まれたら、流石にわらわも本気の本気でいかねば滅されかねんな」

「だろうな」


 リドウは烈震のガルフを思い浮かべながら言った。


「何やら妙に確信めいておるのう」

「一人直接知ってる。あの旦那相手じゃ、俺も絶対に勝てるとは言えねぇな」

「じゃが、それでも滅多なことで負けるとは思わぬじゃろう?」

「まあな」


 リドウはそこも確信を持って肯定してみせた。


「しかしお前様はたった一人で、わらわが本気の本気でやっても、もしかしたら負けるかもと思わされる物がある。その差は極めて大きい。狂嵐や先刻覚醒したという剣姫とやらのようにまだ若造の内ならばともかく、齢千年を越えし古き魔王に対してそう思わせる只人――それは最早、感動的ですらある奇跡じゃ」

「まあ……褒められたと思っとくぜ」

「何じゃ。照れたのかえ?」


 リドウはサキから完全に向こう側を向いてしまう。


 その反応に女狐さんはニンマリと意地悪く笑っている。


「ちっ。これだから魔王は」

「何じゃ、ご挨拶じゃのう」


 ふて腐れた様子のリドウの頬をつんつんと突っつくサキ。その手を煩わしそうに振り払うリドウであったが、無理やり離れようとは終ぞしなかった。


 ――そうそう主導権を握らせてもらえねぇから参るんだよな――


 今さっきの舌打ちの後、心の中だけで続けられた台詞だった。


 しばらく楽しそうにリドウをからかっていたサキであったが、ようやく頬を突っつく手を止めたかと思うと、同時に何も声を発さなくなってしまい、また纏う雰囲気自体が何やら静謐に変化したのを察し、彼は訝しげに顔を振り返らせる。


「どうした?」

「うむ……」


 サキは曖昧な様子で相槌を打ちながら、


「のう、お前様よ……」

「ん?」

「闘うのは楽しいかえ?」

「楽しいね」

「そうか」


 迷い無く答えるリドウに、サキは目つきを優しく狭めた。


「例の破壊神のことに関してリリィの話を聞いて、わらわは一つ思ったことがあるのじゃが……」

「ふん?」

「お前様が純粋に楽しむ心だけを持って闘うことさえできれば、破壊神とも闘えるのではないかのう?」

「…………」


 リドウは答えない。


「魔王とは成ろうと思って覚醒できるものではない。それよりもお前様は……」


 サキは優しい手付きでリドウの頬を一撫でする。


「余計なことは何も考えず――己が生を精一杯に楽しむがよかろう」

「おう……」


 嫌味の無い笑みを浮かべながら自分を見つめてくるサキに、リドウは気持ち良さそうに薄っすらと唇を歪めながらゆっくりと目を瞑って、生まれて初めて家族以外の手によって与えられる癒しの魔力の温もりを、今はじっくりと楽しませてもらうことにした。










 サキとの限りなく実戦に近い稽古が終わり、リドウが城に戻って廊下を歩いていると、リュリュとばったり遭遇した。


 相変わらずの能面で無表情のお人形さんチックな子だが、長年の付き合いから、ほんの微かな表情の動きや全体的な雰囲気から、リドウはリュリュが今はどんな気分でいるのか、何となく把握できる。


 もっとも、リドウと一緒に居れば基本的には上機嫌な自称お姉ちゃんなので、今も彼にとってはいつもと変わりないご機嫌な様子だったが。


 リドウが見つかると同時にぱたぱたと駆けてきたリュリュは、無言で両手を差し出して彼を見上げる。抱っこして? という意味であった。


「シュリは一緒じゃねぇのか?」

「シュリは明人のとこ」


 リドウは特に嫌がる様子も見せずにリュリュを片腕に座らせるように抱き上げる。姉と弟と言うよりも、むしろ兄が歳の離れた妹にするような光景だが、彼女はこれでも、自分が姉であるという説を覆すつもりはなかった。


「……たまには弟を独占するのも姉に与えられた当然の権利」


 と言った具合に。


「はいよ」


 そしてリドウも、自分がリュリュの弟であるのを否定する気は無いようであった。


 外見年齢が数歳程度の差にまで近づいた今でもリリステラを母であると変わることなく認識しているように、リュリュに対しても、どれだけ自分の方が『年上』になろうとも、彼女が自分の姉であるのは永遠に変わらないのだ。ここら辺の奇妙な感性が“人間離れ”しているとサキに思わせる一因であった。


 元々口数が少ないリュリュでは、寡黙というわけでは決してないが、あまり饒舌な方でもないリドウと一緒だと、殆ど会話は成立しない。それでも、彼女は愛する弟と一緒に居られるだけで十分に満足だったようで、弟の腕に抱っこされて移動する中、むふっと満足そうに唇がほんのちょっとだけ緩んでいる。


「そういや、どこに行きゃいいんだ?」

「……別に」


 一緒ならどこでもいいと言葉少なく告げるリュリュに、リドウは少し考えてから提案する。完全に恋人同士の会話だったが、これでもこの二人自身は本当に姉弟のつもりだった。


「愛奈の方はいいのか?」

「さっき潰したばっかり。半日は起きない」

「そうか」


 物騒な発言をする方も受ける方も、明らかに何とも思ってない会話だった。


「じゃあ一緒に寝るか? 今日は長く持ったせいで少し疲れてな。もう寝るつもりだったんだよ」


 何でもない風にあっさりと告げるリドウであったが、リュリュにとっては嬉しすぎるビッグニュースだったようで、軽く目を見張っている。


「……侍女長はいいのか?」

「毎日腰振ってなきゃならんほど盛っちゃいねぇよ」


 リドウの一種卑猥な返答を受けたリュリュだったが、重要なのは発言内容ではなく、自分の言葉を肯定してくれたという事実のみのようで、無言でこくこくと何度も首を縦に振る。


 その後、リドウの自室に辿り着くと、彼自身はリュリュをベッドに下ろしてからシャワーを浴びに備え付けのバスルームへ行き、彼女の方はベッドの上でぺたんと座り込んで、バスルームの方をじっと眺めながら静かに待つ。


 シャワーを終えてバスタオルで頭を拭きながら、上半身は裸で現れたリドウを見ても、リュリュは顔色一つ変えない。


「……魔法で済ませちゃえばいいのに」

「それじゃ風情がねぇだろ」


 少しでも長く一緒に居たいという理由からのリュリュの発言。


 リドウはその言葉に含まれる真意を理解しながらも、自分の行動の正当性を主張する。


 せっかくの弟分補給タイムを、余計な言い争いで無駄にするのを嫌ったのか、リュリュはそれ以上は何も言わず、素早く動いて先に布団の中に潜り込んだ。


 が、頭を枕に置こうとはせず、何やら期待に塗れた眼差しでリドウを見上げている。


 その瞳が何を要求しているのかなどお見通しな弟は、澄ました顔で自分も小さな姉の隣に潜り込むと、彼女の頭の下へ自分の腕を差し込んだ。つまり……腕枕であった。


 どっからどう見ても、見た目の差をのぞけば恋人同士の行いだが、これがこの二人にとっては『普通の姉弟関係』だった。


 しかし、それでも――この二人に肉体関係は本当に無かった。


 リュリュは自分がリドウの『姉』であることに尋常ではない拘りを持っている。“サリスとは違い”外界に出たことは一度も無かったが、少しくらいは人間の世界についても知識としては持っている。姉と弟、もしくは妹と兄のような関係での肉体関係がタブーであることも当然知っている。自分が『姉』であることに拘るからこそ、そんな爛れた関係は絶対に『無し』だった。


 ……あるいは、真実は逆だったのかもしれない。


 リドウがいずれは自分の年齢を超えていくのをリュリュは最初から理解していたし、覚悟もしていた。そして、幼い頃から既に年齢平均よりも体格の良さを示していた彼が大人に成った時、欲望の猛りを自分の未成熟な肉体で受け止めきることはできない、とも。


 卵が先か鶏が先かのように、リュリュ自身、自分でもよく理解できないのだが、だからこそ――何かしらリドウとの間に特別な関係を構築し、維持していたいがために、無意識の内に姉と弟という関係に拘っている面が……きっと少なからずあるのだろう。


「ねえ、若様」

「ん?」

「次、出てく時は、私も一緒」

「ん……そうだな」

「……ホントに?」


 正直ダメ元だったのにと軽く目を見張りながら確認するリュリュに、リドウは彼女の頭の下で枕にしている手を動かして彼女の頭を撫でる。


「リューも闘いてぇだろ?」

「うん」


 そうなのである。この子は大魔王様の眷属であると同時に、本物の闘士でもあったのだ。


「リューなら……まあ実際にどんくらいのもんかは知らねぇが、ラウンドナイツ以外なら遅れはとらんだろ」

「露払い? 私もラウンドナイツってゆーのと闘ってみたい」

「その分、数で我慢しろよ。タイマンは譲ってくれ」

「ぶぅ」


 頬を膨らませるが、他に表情が一切動いていないので妙な感じだ。いやまあ、可愛らしいことは可愛らしいが。


「……それも桂木に教わったのか?」

「うん」


 己の知る小さな姉はこんな仕草など知らなかったはずだと記憶しているリドウが呆れ顔で質問すると、リュリュは当然のように頷く。


「他にも――べ、別に若様のために露払いをしてあげるわけじゃないんだからね――とか」

「何が何だかよく分からんが、これだけはハッキリしてる――それは絶対、そんな棒読みで言う台詞じゃねぇ」


 ダウンテンポなツンデレというのは確かに珍しいだろう。あるいは新境地かもしれないが。


 本当に余計なことばかり吹き込んでくれたらしいなと、リドウは心の中で桂木明人に文句を吐きながら、疲れた様子でため息する。


「もう、寝るぞ」

「おやすみなさい、若様」

「ああ。おやすみ、リュー」


 リュリュの頭をさらっと一撫でして就寝の挨拶を返すリドウに、彼女も心持ち目を優しげに狭めなることで応えた。


 その後の会話は無く、いつしか二人の穏やかな寝息が静かに繰り返されるようになっていた。










 こうして、荒行という表現が相応しい修行ではあれど、厄介事という意味では基本的に無縁の穏やかな日々を過ごしている一同であったが、それはある日、唐突に終焉を迎える。


 その知らせは侍女長のサリスからもたらされた。


 ――ラスティアラを通じて、ベアトリクス=ファン・クラウンディより、可能なら至急力を貸して欲しいとの知らせが届いたことにより。

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