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第七十二話 修行パート:千鶴編

 リドウと恵子がデッドリー・マンションで何やらタダならぬ雰囲気になっている頃、まさかそんなことになっているなどと露とも知らない千鶴は、ザイケンを相手にして修行に明け暮れていた。


 偃月刀を振り回し、果敢に攻める千鶴。


 しかし、こちらも偃月刀を持って攻撃を受けるザイケンは微かな揺るぎすらみせず、平然と受けきってしまう。


 ザイケンが持つ偃月刀は、千鶴の指導のために彼自身が片手間に造った物だ。熱を入れて鍛え上げたわけではない、言ってしまえばナマクラである。気功士にとって武器の性能は戦力にあまり響かないため、己が普段愛用する武器でもなければナマクラで十分だった。


 ルスティニアに偃月刀その物は存在しないらしかった。しかしザイケンは、桁どころか次元が違う圧倒的な技量でもって、本職である千鶴よりも計算し尽くされた華麗な動きを披露している。


 千鶴は気づいていた――ザイケンが顕在化させている闘気の量が、自分が使用している分よりも遥かに少ないことに。筋力の違いが多少の差を埋めてしまっているのもあるだろうが、それ以上に技量の差が大きすぎた。


 ――闘気を多く用いているはずの自分の方が押されている。


 実は普段リドウと稽古する時も同様の現象は起こっているのだが、それは単純に両者の技量の差があるからと納得できる。だが、今は……両者が使うのは同じ武器、しかも年季は千鶴の方が長いのだ。相手が相手だしそれで当然だと考えながらも、しかし容易には納得し難いものがあった。


 とか思っていると、ザイケンは唐突に偃月刀を肩に担いで、これ以上戦う意思は無いと暗に言う。


「攻撃が単調になってきてる。今日はこれまでだ」

「まだいけますわ!」

「ふん」


 ザイケンはつまらなそうに鼻を鳴らすと、いきなり千鶴に襲い掛かる。


 慌てて迎え撃とうと偃月刀を構える千鶴。


 偃月刀を上段に振りかぶるザイケンが、思い切り腕を振り下ろした。


 ――千鶴には当たるはずもない数歩離れた位置へ。


「――――!?」


 まさかザイケンほどの使い手がこんな凡ミス……なわけがない。


 彼は偃月刀の刃先を地面に突き刺しながら跳躍すると、地面に突き立てた偃月刀を支点にし、体ごと回転させながらの蹴りを、驚愕に目を見開く千鶴の頭に容赦の欠片もなくぶち込んだ。


 相変わらず顕在闘気量は千鶴の防御を大きく上回るものではなかったおかげで、一撃で意識を飛ばされることはなかったが、彼女の体自体は勢いよく吹っ飛んでいってしまう。


 揺らされた脳は意識を自ら手放そうとしていたが、そこは根性で繋ぎ止める。


「――――ッ!?」


 しかし二十メートルも吹き飛ばされた辺りで、背後に気配がする。


 慌てて身を捻ろうとするが、それも間に合わず。


「かはっ」


 ザイケンが千鶴の背中を力の限りに蹴り上げた。


 今度は上空に向かって真っ直ぐ吹っ飛ぶ。


 更に千鶴に遅れて跳び上がったザイケンが悠々と追い付いてしまい――


 偃月刀で彼女の腹部をおもっくそカウンターに斬り付けた。


「――――ッァ」


 実はザイケンが持つ偃月刀は刃引きされているため、切り裂かれてしまうことはなかった。


 しかし、実質的なダメージは殆ど変わらない。出血が無いのだけが唯一の救いだった。


 千鶴の肉体は地面に轟音を立てて激突し、周囲にクレーターを穿つ。


 砂煙が晴れたそこで、しかし未だ辛うじて意識を繋ぎ止めている千鶴は、己の肉体を叱咤して立ち上がろうと全身に力を込めるも……


 ざくっと己の顔の横に突き刺さった偃月刀に、流石の一条千鶴も戦意を完全に失ってしまった。


「終わりだ。分かったな?」

「は……い……」


 けほっけほっと咳き込みながら、途切れ途切れに返事をしながら、霞む視界でぼんやりとザイケンを見上げる。


(強い。技量もそうだけれど、攻撃パターンが豊富すぎる。これがベアトリクス殿下の強調していた『圧倒的な経験値の差』……)


 内心で呻く千鶴を冷徹な目で見下ろしていたザイケン。しかしすぐに、弟分を思わせるニヒルな笑みを浮かべて、


「今リリィの所まで連れてってやっからな」


 と、千鶴のお尻を片手で支え、彼女の上半身が自分の肩にもたれ掛かるような感じで抱き上げた。まるで子供にするような抱き方で、比較的長身の彼女がぐったりと倒れこむようになってしまっているため、その豊満な胸がぎゅむっとザイケンの肩に押し付けられて形を変えている。

 こんな場合はいわゆる『お姫様抱っこ』でもしそうなものだが、彼女の柔っこい肉体を味わいたいというセクハラ染みた思惑からザイケンがそうしているのではなく、単純にもう片方では未だに偃月刀というお荷物を持っているためである。腹部に強烈なダメージを負っている彼女の負担にならないように、肩で担ぐのをザイケンが遠慮した末の選択でもあった。


 ついでに、最初に頭を蹴り飛ばされた際に彼女が手放してしまった偃月刀の方まで歩むと、爪先で引っ掛けながら、あたかもサッカーボールを足でリフティングするように自分の手元まで蹴り上げ、自分の偃月刀も既に持っている方の手、その指の何本かだけで器用に纏めて掴んでしまう。


「今の防御は中々よかったぜ、褒めてやる」

「ありが……けほっ」

「無理して喋んな」


 ぽんぽんと、手だけを動かして、頭や背中の代わりに彼女のお尻を叩くザイケン。もっとも、幼い頃はロリペドな連中から、中学校に上がった頃には既にその大人びた外見から大学生からまで欲望の目を向けられて長い彼女は、そこにイヤらしい思惑が全く含まれていないことを半ば本能的に感じ取っていた。

 なるほど、こういう割り切りがいとも容易くできてしまう部分など、本当にリドウに似ていると思わされる。正しく言えば『リドウ“が”似ている』のであろうが。


「気功士同士の戦闘は基本、敵の攻撃を避けてナンボだ。が、こうしてくらっちまった時に最後に物を言うのは闘気を瞬間的にピンポイントでどれだけ防御に回せるか。更に、普通は一発くらっちまうと、こうして連続で叩き込まれっちまうからな、攻撃をくらいながら冷静さをどこまで保ってられっか、つまり精神力、根性が最終的には試される」


 と言いながら、また千鶴のお尻をぽんぽんと叩く。


「よく意識を保ったもんだ。初日の千鶴嬢ちゃんじゃ二発目の蹴りの時点で完全に意識がぶっ飛んでたろ。んで最後の一撃でお陀仏だ。ま、まだ動ける元気がありそうだったから三発目まで要ったんだがな」

「リドウ……もっ……こうやって、けほっ……」

「おうよ。本格的に体が出来上がってきた十五、六の頃からは毎日のようにぶちのめしてたもんだ。この前、女狐があいつをぶっ潰してたが、あんなのはまだまだ生っちょろいもんだったな」


 かっかっかと豪快に笑いながら言うが、何て物騒な話の内容だと千鶴は思ってしまい、そりゃあの最強勇者が感服するほど『打たれ強く』もなるはずだと力なく乾いた笑いを零している。


「大した根性だ、世辞じゃなく感心するぜ。お前さんは強くなる」


 ザイケンは本心から褒めていた。


 だが千鶴は……


(強く“なれる”……それでは駄目なのよ……)


 未だに力が全く入らない身体。その中で一点だけ、下唇を歯がきゅっと噛み締めていた。


(でも、アレさえ完成すれば……)










 千鶴には『秘策』があった。他力本願みたいな方法ではあったが、今よりも格段に早く成長できる公算の『秘策』が……。


 その『秘策』の完成を知ったのは、ちょうど恵子のゾンビハウス完成と同じこの日、治療のためにザイケンに担がれてリリステラの元を訪れた時であった。


「千鶴さん。例の物ですが、完成致しました」


 傷が癒え、元気になった千鶴に、しかしリリステラの顔に浮かぶのはいつもの聖母のような笑みではなく、厳しい色を湛えている。


 本当かと目を見開いている千鶴に、リリステラは厳しい表情を崩すことなく続ける。


「何度も申し上げましたが、非常に危険です。今からでもお止めになる気はございませんか?」

「お気遣いありがとうございます。ですが、私はやらなければならないのです」

「左様でございますか……」


 リリステラは相槌を打ちながら瞳を閉じてしまう。


 その目が再び開かれた時、彼女は軽くため息しながらおもむろに出入り口の方へ歩き出した。


「ご案内しましょう」

「はい」


 千鶴が返事をしてリリステラの後を追う。


「おいおい、一体何の話だ?」


 が、置いてきぼりなザイケンの声が掛かり、二人はいったん歩みを止める。


 代表して答えるのはリリステラだった。


「『思考加速制御結界』です」

「思考加速?」

「説明は歩きながらしましょう。師としてザイケンも知っておいた方がよろしいでしょうし、あなたの協力があった方が助かりますから」

「師匠ってほど大げさな関係じゃねぇがなぁ……まあ、じゃあ」


 三人で揃って部屋を出ると、廊下で先頭を歩きながらリリステラが口を開く。


「思考加速制御……読んで字の如く、思考を加速するための術式です。使用者の思考……意識を加速させ、使用者の肉体が任意に設定された速度で動いているように錯覚させることが可能となります」

「おいおい、そりゃ……」


 ザイケンは難しい顔で眉間に皺を寄せている。


「まさかそれで無理やり自分の処理能力以上の高速に慣れようってのか?」

「はい」


 ザイケンが千鶴の方を向いて推測を確認すると、彼女は平然と肯いた。それを見て鬼さんは疲れたように首を横に振る。


「どう考えても危険だ。俺は魔法の過剰行使で頭ん中がぶっ飛んで植物状態になっちまった使い手を見たことがある。『使っちまったら最期』な魔法とは違って、どんなとんでもねぇ速度だろと流石に一瞬でそうなっちまうことはねぇだろうが……日常的に続けるとなると寿命を縮めるぜ」

「構いません」


 躊躇なく言い切る千鶴に、ザイケンは「困った嬢ちゃんだ」と嘆息している。しかし無理やり止める気は無いらしい。先ほど、ぶちのめすという荒っぽすぎる方法で修行の継続を望む千鶴を彼が無理やり止めたのは、あのままだらだら続けていても無駄にしかならないと判断したからでしかなかった。

 それがリドウを含めた“この人たち”の価値観、一種の『習性』だからだと……千鶴は気付いていて、無茶を押し通していた。


 それからしばらく歩くと思考加速制御結界とやらが設置された部屋に辿り着いた。


 中に入ると、一辺が二十メートルくらいの正方形の部屋。その床のほぼ全てを丸く囲まれた中に複雑な文字や文様が所狭しと描かれている。いかにも『魔方陣』という感じだなと千鶴は思った。


 その魔方陣の中央には椅子が一脚置かれている。魔方陣の厳かな雰囲気に対して酷く場違いな気がするそれに、千鶴は一瞬、子供の頃に何かのテレビ番組で目にした経験がある、外国で死刑が執行される際に使われる電気椅子を彷彿としてしまい、ぶるっと身を震わせた。


「千鶴さん。初めにお断りしておきますが、速度の設定はわたくし自ら行います。それもザイケンに問い、現在の千鶴さんが可能とする動きを一割増した速度に設定致します」

「それが俺に協力してほしいことか?」

「はい」

「たった一割……」


 千鶴が不服そうな顔で繰り返している姿を、リリステラは『冷たく』なったりはしなかったが、表情は更に厳しさを増して見ている。


「数字の上では極々僅かに思えましょうが、既に音の速さに近い動きをとれる千鶴さんにとって、そのたった一割の増加が現実にどれだけ大きな数値になるか……ご理解なされない千鶴さんではございませんでしょう?」

「……はい」

「設定速度に現実の速度が反映されたとザイケンが判断した場合にのみ、再び設定をわたくし自ら行います。また一度の連続使用時間は最大で日に一時間となっております。一時間が経過したら自動的に機能が停止します。これは『一日に一時間』ではなく、正確には『使用後一日が経過したら再度一時間の使用が可能』という意味です。理由は説明せずともご理解頂けるかと存じます」

「…………」

「よろしいですね?」

「……分かりました。それと、ありがとうございます」


 千鶴はやはり不服そうな顔になってしまったが、そのくらいの条件は飲むべきかと考え、丁寧に頭を下げて感謝の言葉と共に了解した。


「悠久を生きるわたくしにとって時は無限です。生きるために何かを為さねばならぬことも在らぬわたくしにとって、全ての行いは人の感覚において趣味か暇潰しと同種のものでしかございません。お気になさらずに」

「あなたにとってはそうでも、最低限の礼儀というのは重要だと私は思います。礼の一つも言えない無礼者にお力をお貸しになろうというご気分になられるお方でもございませんでしょう?」

「正論でございますね。気に食わぬ者に対してわたくしが何かを供するなどありえぬことです」


 千鶴が笑顔で言うと、リリステラもようやく普段の聖母様な笑顔で応えた。










 千鶴はリリステラの指示に従って魔方陣の中央に置かれた椅子に座る。


「では、目をお瞑り下さい」

「はい」


 素直に従ってゆっくりと瞳を閉じる。


 すると千鶴の視界に、どこまでも続く真っ白い空間が広がる。


 反射的に歩き出そうとするのであったが、


「まだ動いてはなりません」


 リリステラの声が掛かり、『歩こうと考える』のを止める。


「一度目をお開け下さい」


 千鶴はこれにも素直に従い、ゆっくりと目を開けると、女神の如き美しい御姿が目の前にある。


「かように、目の開閉によって切り替わります。無理だとお思いになったならば、すぐに目をお開けなさい。よろしいですね?」

「はい」


 応えて、再び目を閉じようとする千鶴であったが、


「そう焦るものではございません」


 と言われてしまい、じっとリリステラを見つめる。


「この思考加速制御結界は『無理やり思考を加速』させます。手足を用いて行う動作においては、どのような些細なものであっても、問答無用で設定速度まで加速されてしまいます。その点、十分にお気をつけなさい」

「分かりました」


 ようやく使用許可を得たと解釈した千鶴は、今度こそ目を閉じる。


 再び視界に真っ白な空間が広がる。天井も真っ白で……そもそも天井があるのかさえハッキリしない。全てが白一色で塗り潰されてしまっているために地平線も確認できない。


 この異様な空間を完全に認識した瞬間、千鶴はくらっと頭がよろめくのを感じる。自分の体は見えるので暗闇というわけではなかったが……それ以外には『何も見えない』という点に関しては殆ど暗闇と変わらない。こんな空間に長く居るだけでも精神に変調をきたしそうだった。


 しかし、持ち前の負けん気の強さを発揮し、慎重に足を一歩踏み出そう……


 として、


「きゃっ」


 小さく悲鳴を上げながら転んでしまった。


 意識の中では『歩こう』としたのだが、足自体は無理やり加速されてしまったために、自分自身の意識との齟齬が生じてしまい、体がついていかなかったのだ。


 慌てて立ち上がろうとするのだが……


 手足が勝手に加速するため、つるっ、つるっ、と床を滑るだけだった。


「立ち上がれなくなったのでしたら、一度目をお開けなさい」


 千鶴が加速空間の中でどんな状態なのか的確に察した……あるいは最初からこうなると予想していたのか、リリステラがアドバイスをする。


 が、千鶴は、


「大丈夫です」


 と言って目を開けることはなかった。


 加速空間の中の千鶴は、一度全ての動作を止めて、地面に四肢を投じたまま、ふぅっと大きく深呼吸をする。


(無理やり加速されてしまうなら、全ての動作をその速度であるよう意識を合わせて動くだけ……)


 千鶴はそう考えた直後、全ての意識を――『立ち上がる』、ただその一点に集中させる。


 腕に力を込めて上半身を持ち上げると同時に、足に力を込めて反動を押さえつける。


 ずざざぁっと床を滑りながらも、何とか立ち止まることができた。


「はぁっ、はぁっ……」


 現実空間の千鶴は椅子に座ったままで前のめりになって荒く息を吐く。ザイケンとの実戦修行の後で体力が残り少ないというのもあるだろうが、この僅かの間だけでも更にかなりの体力を消費してしまったようだった。


「どうですか?」

「問題ありません」


 目を閉じたままで応える千鶴には見えていなかったが、リリステラは疲れたように首を横に振っている。ここで止める気になってくれないかと期待していたようだ。


「武器は持てませんか?」

「……想像すれば手に現れます」


 返答までに僅かな間があったのに千鶴は気付いていたが、気にせず言われた通りにしてみると、偃月刀が手元に出現した。


「その空間にいらっしゃる限り、常にあなたは戦闘速度で動き続けなければなりません。無理だとお思いになったら、決して無理をなさらぬよう。よろしいですね?」


 リリステラは重い声で告げる――『自分が想定する無理』と『千鶴が想定する無理』との間には決定的な齟齬があるのであろうと理解しながら。


「はい」


 それに真摯な声で千鶴は応えるが……彼女に見えない現実のリリステラは、やはりため息しながら首を横に振っていた。


「では、わたくしはお暇致します。この手の業はわたくしの最も得意とする分野ですので、まず誤作動は無いと自負しておりますが、万一何か不都合を覚えられるようなことがあれば遠慮なくお申しつけ下さい」


 その言葉に、千鶴は一度目を開いて、更に椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。


「何から何までありがとうございます」

「先ほども申し上げましたが、礼には及びません。敢えて申すならば――千鶴さんの運がよろしかった、それだけの話でございましょう」

「運……ですか?」


 千鶴は首を傾げながら問う。


「まだこの世界に不慣れな時分にリドウの庇護を得られたこと。リドウがわたくしの息子であったこと。わたくしに千鶴さんの望みを叶えるだけの業があったこと。わたくしが悠久を生きる魔性であったこと……これら偶然のようでいて必然の結果をもたらしたのは、あくまでも千鶴さんご自身のご意思と、そして運です」


 千鶴は眉根を寄せて黙考する。


(偶然でありながら必然? 私の意思と運……)


 一瞬で考えを巡らせた彼女は、頭にぱっと一つの単語が思い浮かぶ。


「運命ということですか?」


 リリステラは両手を揃えて、いかにもお嬢様、もしくはお姫様といった立ち姿でにっこりと笑む。


「『運命』には大きく二つの意味がございます」


 と指を二本立てたが、おもむろに中指を折って一本だけにする。


「一つは『既に定まった命数』。例を挙げるならばこのルスティニアの星としての寿命がこれに相当します。これは人々にとって避けようもなく、必ず未来に訪れる既定の事象です。星の寿命についてはよろしいですか?」

「はい」


 リリステラは満足そうな笑みで一つ頷く。


「そしてもう一つが『人々が意思を持って紡ぎ出した必然』です」

「必然……?」

「この世に『予め定まった運命』などという“戯けた代物”は在り得ません。『運命』とはあくまでも『結果論』。この世に生きる数多の生命が、己が意志を持って『生きた結果』、それが人々の呼ぶところの『運命』です。まるで未来に訪れるそれを知るが如き予知の類は、何らかの手法により『物の理と意識の集合を観測及び計測した末の予測』でしかなく、未来とはあくまでも未定であり、人々の意思が紡ぎ出す必然です」

「…………」


 堂々として、そして迷いの無い声。


 千鶴は眉間に皺を寄せながらリリステラの言葉を咀嚼する。


(物のコトワリは物理現象ということでしょうけれど……『意識の集合』? 仏教で言う阿頼耶識あらやしきかしら? それらを観測及び計測……ラプラスの魔の定義に近い? 物理現象だけに留まらず、この世の全ての事象を観測し、計算しきれるなら、より近い未来を予測できる。けれども……そうね、それを為した人物の『意識』はその時点では計算外であり、その人物の意図次第では当然別の未来が在る……と言ったところかしら……)


 流石に千鶴も一瞬で解答を導き出せるものではなかったようで、少々長い沈黙になってしまった。


 それを見て、リリステラは噛み砕いて説明することにしたようだ。


「我が親愛なる友、破壊神ヴェインの復活。わたくしの力を持ってすれば、今ならば阻むのは至極容易い所業です」


 笑みを消して瞑目しながら。


「ですがわたくしはその道を“選ばなかった”。もし彼の者が近い未来において復活したのであらば、それはわたくしが“復活を阻まなかった”故であるとも申せましょう。それは偶然ですか?」


 リリステラは千鶴の答えを待つことなく、自ら首を横に振る。


「いいえ、必然です。わたくしがそのように考えた末に行動したが故の必然的結果です。リドウが我が最愛の息子であるのもそう。人々が各々の思惑を以って行った勇者召喚の結果、わたくしは愛する息子を得ることと相成りました。この『因果』こそが『運命』であると、わたくしは自論しております」


 最愛の息子を想って胸に優しく置いていた手を、リリステラはゆっくりと前に掲げる。


「わたくしの場合は他者と比して大きな力を持つが故に――」


 その手の上に、おそらくルスティニアと思われる青い惑星の幻像が浮かび上がり……


「――行為が与える影響の規模が違ってきてしまいます」


 彼女はそれを、手の中で握り潰してしまった。


「それは力なき人々にとってはあたかも『抗い得ぬ運命』にも見えましょう。ですがそれはただ単に規模が大きいだけであり、わたくしと同様のことは力なき人々にとっても申せるのです。小心から己より明らかに弱き者を嬲ることで戯けた自尊心を満たそうとする稚拙にして残虐非道極まりない外道の前へと放り出されてしまった咎無き赤子に、どうして抗うことができましょうか」


 自分で言っていて心が痛むらしく、リリステラの目を閉じたままの表情はどこか悲痛だった。


「それを『運命』と呼ぶのであらば、それはその非道を行った者が『そのように意思を持ち行動した末の必然』です。その赤子は『運が悪かった』のです」


 目を見開いたリリステラは、無表情で聴き入っている千鶴をじっと見つめる。


「同じだけ強き意思を持ち、同じだけ多くの努力を重ねた結果が、何者にも等しく同じ成果へと結びつくわけでは決してございません。そこには才能の違いがあるでしょうし、あるいは環境の違いがあるでしょう。より優れた才、より優れた環境――それらを得ることができたのは“運が良かった”……わたくしはそう申しております」

「…………」

「あなたには類希な才能がございます。万人を置き去りにする圧倒的な才です。そしてあなたは今、ご自身の才を育むために相応しき環境を得ました。あとはあなた次第ですよ、一条千鶴さん」


 聖母の笑みで千鶴の名を呼んでから、リリステラは答えを待つことなく踵を返す。黙って事の成り行きを眺めていたザイケンもそれに続く。


 リリステラは部屋を出る直前、ザイケンを先に通してからふいっと振り返る。


「ですが、くれぐれもご無理はなされませんよう。あなたならばその判断を理性的にできると、まことに身勝手ながらわたくしは信じております」


 そして、これも答えを待たずにリリステラはドアを閉じてしまった。


 残された千鶴はしばらくの間、全く身動きしなかった。


 それが突然、疲れたような息を吐くと、力なく椅子に座って天井を仰ぐ。


「分かっていたとは言え……」


 ぽつりとそう呟いてから、


(たとえ相手にされていない一方通行なライバル意識でしかなくても、あの方に対して競争心を抱くのは止めた方が賢明のようよ、一条千鶴……)


 自分に言い聞かせるように、心の中で続きを呟いた。










 思考加速制御結界の部屋から出ると、ザイケンがさっそくリリステラに話しかける。


「なあ。あんな危ねぇ代物じゃなくっても、お前さんなら『時間加速結界』くらい作れたんじゃねぇのか?」


 リリステラは足を止めることなく、ちらっと斜め後ろを歩くザイケンを見て、しかし応えることなく歩き続ける。


「なあ、おい」

「あなたも少しはリドウを見習って魔導を学んでから申して下さい」

「できねぇのか?」

「可能か不可能かを問うならば可能です」

「なら」

「が、それは一つの世界を創造するに等しい業です。と申すよりも、新たに世界を一つ創造するのと全くの同義です」

「おおぅ」


 自分が言った内容が如何に無茶な話であったかを知り、ザイケンは盛大に呻く。


「ただ体感する時を加速するだけならば思考加速とさして難易度は変わりませんが、それは思考加速とは比にならぬ非常に大きな負担を使用者の肉体と精神に強いてしまいます。そんな物を日常的に使用させるわけには参りません。使用者に負担の無いよう時の流れ自体が全く別の空間を作り出すのは世界の創造その物です。いくらわたくしと謂えども、片手間にできることではありません」

「気合入れて時間かけりゃできるってことかよ」

「死者の蘇生に比べればまだ容易いこと」

「そう言や、お前さんでも死者の蘇生は無理だったな」

「『健全な魂』が召される前に確保できれば、あとは肉体を修復、乃至は新たに用意するなり方法はありますが……それ以上は“この世の理に反します”」

「……やっぱお前さんは神だよ」


 その言葉に、リリステラは澄ました顔で何も応えようとはしなかった。










「はっ!?」


 千鶴は勢いよく瞼を持ち上げる。慌てて周囲を見渡すと、足元に巨大な魔方陣が確認できる。


 そこに至ってようやく、自分は加速空間の中で気絶してしまったのかと気づく。


 あることを確認しようと恐る恐る目を閉じてみれば、そこには真っ白な空間が広がっていた。


 ため息しながら目を開け、


「つぅ――ッ」


 何かに刺されるような鋭い、それでいて何か重い物が圧し掛かるような鈍くもある痛みに襲われた頭を手で押さえながら呻いてしまう。


 それからのろのろと両膝に両肘を置き、組んだ手の上に額を置いて、


「……たった一時間も耐えられなかったっ」


 己の不甲斐なさを吐き捨てる。


 一時間で自動停止するはずの加速空間が未だ稼働中ということは、つまりは一時間の使用限界に達する前に気絶してしまったという事実を表していた。加速空間に居た間の時間感覚は酷く曖昧だったので、正確に何分耐えられたか定かではなかったが……。


 元々千鶴は全力で一時間以上を動き回ったことはない。正確にはできたことがなかった。より正確に言えば“己の感覚はできると訴えていなかった”。


 だがリドウは、そしてアレクサンドル・ラヴァリエーレは……死闘の最中、互いの攻防の流れが途切れることのなかった一時期……あれも時間感覚は曖昧だが、おそらく一時間から二時間は全速力で一瞬も休まず動き続けていた。

 それも今の千鶴では到底追いつけない圧倒的速度。今の自分の何倍の速度で動いているかすら定かではないほど圧倒的速度で。

 しかも極限の集中力を要される殺し合いで、一瞬たりとも集中力を途切れさせることなく、だ。ただひたすらに動き回っているだけの自分とは訳が違う。


「遠……すぎる……」 


 椅子にもたれ掛かり、天井を見上げながら力なく呟く。


 思わず泣きそうになってしまった。最近はちょっと涙腺が脆い気がするなと自嘲気味に唇を歪める。


 が、すぐに頭を横に振って『馬鹿な考え』を頭から追い出す。


「リドウは生まれてからずっと。ラヴァリエーレさんも、二十歳の時には既に戦場に立っていて、この世界に招かれてからの二十数年間、ずっと絶え間なく鍛え続けてきた。多少齧っているとは言っても所詮はお遊戯の範疇に過ぎなかった私が及ばないのは当然。たった一年そこそこ“普通に鍛えている”だけで彼らに追いつこうだなんて虫が良すぎるし、何よりも彼らに対して失礼な話なのよ……一条千鶴」


 先ほどのように己に言い聞かせながら、握った手を叩き付けるように額に当てる。


 そこで気を取り直して『残り時間』も全て使い切ってやろうと目を閉じようとするが、その直前に先ほどのリリステラの去り際の言葉が頭をよぎり、無表情に数瞬考えて、結局椅子から立ち上がった。


 途端にくらっと立ち眩みがする。


 そう言えば、自分は一体どれだけの間、気を失っていたのだろうか?


 時計……は大魔王様がこれまた手慰みに作ったものがあるにしても、この部屋には設置されていないし、窓もないので外の景色から確認することもできない。


 まあ深く気にしても意味はないかと思い立って、外へ向かって歩き出す。


 が、だるい体は上手く言うことを聞いてくれず、仕方なく闘気を使って肉体の疲労感だけでも誤魔化す。それでも頭の方は今もじんじんと痛みを訴えていたが、そこは根性だ。


 部屋を出て廊下を歩く。ただ歩くという行為にすら神経を使わなければ今にもぶっ倒れそうな体に無理やり言い聞かせて歩いていると、廊下の角の向こうから何者かの気配がする。


「あ、リドウ」

「ああ、千鶴……」


 ちょうど角で鉢合わせる形になり、千鶴は“久しぶりに”想い人の顔が見れて、クールビューティーがちょっと崩れた嬉しそうな声を上げる。

 だが相手の方は、彼女を見た瞬間こそ唇を緩ませていたが、今は訝しげに眉をひそめている。


「やけに大量の闘気が感じられると思ったら、お前さん、疲労を誤魔化してやがんな?」

「ええ……ちょっと激しい鍛錬を、ね」

「……あんま無茶すんじゃねぇぞ。あんまそれに頼ってっと反動がヤベェからな」

「お兄様方から毎日のように潰されていたあなたに言われたくはないわね」

「そりゃそうだ」


 リドウは苦笑しながら肩をすくめた。


「ねえ、腕組んでいいかしら?」


 唐突な、男からしてみれば嬉しすぎる申し出だった。この世ならざる美貌が綺麗に笑ってこんな提案をしているのだ、ここは受けなきゃ男じゃない。が、リドウは不思議そうな顔をする。


「部屋に戻るんじゃねぇのか? 俺はこれから飯だ」

「私もご飯にすることに今決めたわ」

「ま、ならちょうどいい。俺もお前さんに話があったからな」


 と、リドウが肘を折り曲げて差し出すと、千鶴は嫣然と優雅な仕草で己の腕を絡め、更にしゃなりと彼の肩に頭を預ける。


「やっぱり、好いた男との触れ合いが疲労回復には一番よね」


 こういう台詞をしれっと言えてしまうのが一条千鶴クォリティ。


「そう言や、かれこれ十日ぶりくらいか?」


 しかしリドウはさらっとスルーしてしまい、千鶴は一瞬むくれるが、追及はしなかった。


「そうね。鍛錬して、寝て、模擬戦で気絶して、起きたらまた鍛錬して――の繰り返しで、生活サイクルが滅茶苦茶で被らないもの。いつの間にかあなたのコートと刀も戻っているようですし……」


 千鶴は前を向いたまま目を細める。


「もう……行くのかしら?」

「いや……もうちょいでサキの姐御に本来の姿を取らせられそうでな。本当は急いだ方がいいんだろうが、もうちょいとなると、俺もちっとばかし意地が出てきた」

「それは……凄いわね」


 この男の力は最強の魔王の一角とガチれるレベルなのかと知り、千鶴は内心で思い切り呻ってしまう。


「今ならお兄様にも、ひょっとすれば勝てるのではなくって?」

「無理だろ。サキの姐御はあと一本とは言え、このレベルになるとその僅かな違いが膨大すぎる。壁は高ぇよ。完全に殺す気でいかな、万に一つくらいの勝機しか見込めねぇ。それに……」

「それに?」

「おそらくサキの姐御より兄貴の方が大分上だ。俺じゃやっぱ、兄貴相手じゃ完全に殺す気でいって万に一つくらいの勝機だな。この差はデカいぜ」

「一度も決着がついてないと仰っていたわよ?」


 千鶴が疑問を呈すると、リドウは楽しそうに笑う。


「兄貴も男だからねぇ、てめぇの女を万一にも殺しにはいけなかったんだろ、別れた後にしろな。サキの姐御自身、それは理解してるくさいぜ」


 あれはあれで仲がいいんだろと嘯くリドウに、千鶴は本当にそうだろうかと疑問に思う。

 両者共に、言うほど憎み合っているように感じなかったのは確かだが、かと言って相手に対して未練があるようには全く見えなかった。まあどちら様もとっても長生きなので、自分如きじゃ見極められなかっただけかもしれないがと、千鶴は深く考えるのを諦めた。


「それで、話って何かしら?」

「二つある。ローラインに置いてきた連中と小杉って小僧の方、どっちから聞きてぇ?」

「……じゃあローラインの子たちから」

「今日、ちょうど行って、今帰ってきたところだ。三人とも俺が推薦した商会で元気に働いてたぜ」

「こちらには来なかったのね?」

「ああ。つか、帰る気無さそうだったぜ。割といい立場を貰ってるらしい。どうせ帰っても『就職難』だからっつってたな。しかも一人なんざもう嫁さん貰ってやがったぞ」

「はあ?」


 リドウがくくっと小さく笑いながら驚愕の事実を告げると、千鶴は呆れた顔で彼の顔を見上げた。


「それは……まあ……おめでとうと言って差し上げるべきなのかしらね」


 あのふざけた男たちが心を入れ替えて真面目に働いているだけでなく、既に家庭を持っているとは信じられないという顔の千鶴だったが、不意に微笑を浮かべる。


「いずれにしても、幸せに暮らしているなら問題は無いわ」


 リドウの言った通り、根っから悪い連中ではなかったのかと思い、目元を緩ませる。

 そして、あの時リドウが止めてくれたおかげで『見捨ててしまったという前例』を作らずに済んだことを、千鶴は心の底からほっとする。あそこで彼らを完全に切り捨てていたら、きっと自分はその後も『気に入らない連中』はあっさりと見捨てていたことだろう。そう――間違いなく『境界線が一気に下がっていた』と自分でも思う。

 そんな冷血に成らずに済んだことが自分の惚れた男のおかげがと思うと、今更ながらに惚れ直す気分で、心持ちぎゅっと抱き付く腕の力が増す。


 リドウの方はそれに気付いているのかいないのか、素知らぬ顔で続けている。


「小僧の方は、三日前にサリスから聞いた話だが、サティーが改めて接触したそうだ。上手くパーティーに入り込めたみてぇだな」

「そう。ラスティアラさんには苦労をお掛けするわね」

「ただな……」


 リドウは言いづらそうに言葉を濁してしまう。


 らしくないその様子に、千鶴も難しい顔で彼を見上げてしまう。


 しかしリドウもいつまでも黙っているわけにもいかず、ゆっくりと口を開いた。


 その口から語られた話に、千鶴は全身に吹き荒れる闇のオーラを纏い、凍てつく冷気の如き殺気を放ちながら、とてつもなく物騒な色に目を光らせた。


「おい」


 リドウは落ち着けと声を掛けるが、千鶴は一向に止まる様子がない。


 だが……


 リドウはちらっと廊下の角の向こうを眺めると、一瞬小さく舌打ちを鳴らしてから、


「こら」


 千鶴の頭を軽く叩いて意識を自分に向けさせる。


「怒りに任せて注意力が散漫になるようじゃまだまだだぜ」

「え?」


 リドウは千鶴の頭を叩いた手を握り、親指で廊下の角を指し示す。


 そこでは桂木明人が身を竦ませて立っていた。


「あ……」


 千鶴は小さく驚きの声を上げながら殺気を霧散させる。


「その……ごめんなさい。気付かなくて」

「あ、うん。いや、まあ……」


 気まずそうに謝罪する千鶴に、明人は何と応えたものか判断がつかないと言った様子で言葉を濁している。


「じゃあ……僕は行くから」


 明人はそそくさとこの場を立ち去ろうと、二人の脇を通り過ぎる。


「待ってちょうだい」


 しかし、その背に千鶴の声が掛かり足を止めた。その肩がびくっと怯えたように小さく跳ね上がったのは……千鶴の自業自得だろう。


 千鶴はリドウの腕から離れると、明人の正面に立って深く腰を折って謝罪の意を表す。


「あの時はごめんなさい」

「あ、あの時……?」


 たった今、己に『死』を意識させるほどの恐怖を与えてくれた相手からこうされて、明人は盛大に戸惑ってしまう。


「初日、あなたに八つ当たりしてしまったことよ」

「あ? ああ……」


 顔を上げて理由を述べる千鶴に、明人は納得の表情……かは髪で顔が隠れてしまっているために判断がつかないが、心なしか落ち着いた様子で相槌を打った。


「あれは僕も悪かったよ。僕だってさ、別にあいつらのことを何とも思ってないわけじゃないんだ。それなのに全部僕のせいみたいに言われて、ついカッとなっちゃってね」

「それでも、私は一方的に暴力を振るってしまったわ。それは決して許されていいことではないのよ」

「別にこれと言ってダメージがあったわけでもない。ってか、これって堂々巡りパターンだろ。ここでお互い様ってことにして終わらせよう」

「分かったわ」


 千鶴は嫌味の欠片も見当たらない美しい微笑を浮かべる。


「…………」


 しかし明人の返答はなく、じっと自分を見つめているらしい雰囲気に、千鶴は訝しげに眉をひそめる。


「どうかしたかしら?」

「……そういう顔、他の男相手に無闇にしない方がいいよ。絶対勘違いするから」

「私も相手は選んでいるわ。ロリコンのあなたには何の価値も無いでしょう?」

「ロリコンて……」


 髪に隠れていない頬の部分が微かに歪むのは、きっと顔をしかめているのだろう。


「性癖は普通だよ、僕。リアル女相手に恋愛なんてする気は今のところさらさら無いけど、仮にそういう対象にするなら同年代以上じゃなきゃ無理。ただ素直に可愛いと思うし、可愛いモノが好きなだけ」

「彼女たちは私たちよりずっと年上よ?」

「見た目の問題だろ、こういうのは。あの子たち相手に欲情しろっても無理。絶対に気の毒さが先行して“起たない”」

「あなたも中々、取り繕わずに言い切ってしまうのね」

「恋愛対象外相手に気取る必要性を感じないね」


 明人はへっと鼻で笑いながら言うと、黙って一連の会話を眺めていたリドウへ視線をやる。


「若様さ、ちゃんとこの女捕まえておいて下さいね」

「あ?」

「この女がフリーだと、まだ自分にも目があるかもって期待する男たちが量産されて……そのせいでうちの学校のカップル成立率はやけに低いって言われてたくらいなんだから。高嶺の花と諦めるには、この女はちょっと突き抜けて規格外すぎるんですよ」

「お前さんもか?」


 リドウが悪戯っぽい笑みで訊くと、明人は「ないない」と手を振った。


「自分の分くらい弁えてますよ」

「そうか? お前さんも素顔は相当お綺麗なもんじゃねぇか」

「僕如きに扱いきれるわけがないって意味です」

「そりゃ俺を買い被りすぎだ。生憎とこんなじゃじゃ馬、俺にだってとてもじゃねぇが乗りこなせやしねぇよ」

「女の子に乗っかるのはとてもお上手だって聞いてますけど?」

「誰から聞いた、んなこと」

「ラスティアラさんが」

「あの女……」


 目頭を押さえて呻くリドウの横では、赤裸々に猥談をしている男二人から扱き下ろされてしまった千鶴が目元をぴくぴく震わせている。


「ま、若様相手に張り合おうって気になる男なんて、よっぽどの身の程知らずくらいしかいないでしょ。その女の犠牲者を増やさないためにも、しっかりお願いしますね、若様」

「非常に返答に困る依頼だが、一応任された」


 ひらひらと手を振るという、誠意が篭っているようには到底思えない態度だったが、明人としても別に確約の返事がほしいわけではなかったらしく、それを最後に踵を返して去って行った。


 一瞬遅れて二人も揃って目当ての方を向き直ると、千鶴は当然の権利とばかりに断りも無く、リドウの腕を絡め取る。


「任されてくれるの?」


 歩きながら、リドウの耳元に口を寄せて、ふぅっと吐息を吹き掛けるように甘く妖しく囁く。


 が、リドウが動揺することはなく……


「小杉って小僧の『処理』は俺に任せておけ」


 はぐらかすと共に、すっと目を細めながらドスの利いた声で告げる。


 千鶴も一瞬目を険しくしたが、足は止めずに、リドウの腕に寄り掛かるようにして目を瞑る。


「お願いしてもよろしいかしら? きっと私では……問答無用で殺してしまうわ」

「ああ。最終的にどうなるにしろ、お前さんは止めておけ。悪党と見たら問答無用で斬り捨てるようになったお前さんなんざ、俺は一生拝みたかねぇ」


 千鶴の返答は無く、そのまましばらく、二人は黙って歩き続ける。


 が、そろそろダイニングルームに辿り着くと思われた直前、千鶴はおもむろに口を開く。


「ねえ、リドウ」

「ん?」


 リドウが相槌を打った瞬間、彼は自分の頬に柔らかい感触を得て、軽く目を見張ってすぐ横に視線をやる。そこでは千鶴が少し首を伸ばして、悪戯っぽい笑みを浮かべながら彼を見上げていた。


「好きよ」

「そりゃ光栄だ」

「今度はあなたから、唇にしてちょうだいね」

「その内な」

「あ、そう……え?」


 どうせはぐらかす類の言葉が返ってくると想定して相槌を打った千鶴であったが、もしかして自分の耳がおかしくなってしまったのかと疑うような顔で、隣の男をまーるい目で見上げる。


「今、何て?」

「さあな」

「…………」


 結局白々しくはぐらかすリドウの腕を、千鶴は澄ました顔でちょっと強めに抓ってやる。


 疲労を誤魔化すために今も闘気で全身を強化している彼女の力は、今は全く闘気を纏わないとあって、彼にとっても流石に少々痛かったようで、声を上げこそしなかったものの、思い切り顔を引き攣らせていた。

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