第七十三話 修行パート:愛奈編
廊下を音も無く、それどころか足を動かすことすらなく、すーっと幽霊よろしく移動する姿がある。
「あーっ、寝坊しちゃいましたーっ!」
その正体は高坂愛奈。どうやら急いでいるらしい。彼女の場合、今となっては走るより宙を飛んだ方がずっと速く、普段の移動まで飛んでいるわけではないのだが、危急を要する場合に躊躇う理由も感じないらしい。
「うぅっ、お二人とも、絶対もう待ってますよね……」
ひーんと涙目で。
別にあのロリっ子たちが遅刻を理由に愛奈へ何らかのペナルティを科すわけではない。
そもそも、彼女も千鶴と同様、限界に達するまで訓練をして、ぐっすりとお休みして、また訓練して――というサイクルを繰り返している口で、明確に『何時から何時までが訓練時間』と決まっているわけではない。
ただ、もう訓練を始めて一ヶ月以上が過ぎた今日この頃、愛奈が一度に何時間くらいの睡眠を必要とするのか大凡に見当がつき始めたロリっ子たちは、最近では訓練時間になると呼びに行くまでもなく予定の場所で待っていてくれるのだ。
と言うのも、あの二人……特にリュリュが、なぜだか未だに愛奈も理由は知らないのだが、やたらとやる気に満ち溢れているのだ。まあ感情表現に乏しいリュリュの場合、外見からはよく判らないのだが……。
模擬戦時には色々とネタに走って愛奈をからかう――と言うよりも、自分自身が楽しんでいるだけで、からかうという意図は全く無いようなのだが――まあ愛奈もたまにちょっとイラっとくる困った子たちではある。でも、『カワイイは正義』を掲げる彼女であるからには、あの可愛さだけで全てが許せてしまうのであった。
ただでさえ奥床しさには定評のある愛奈なのだから、自分の不始末で待たせるなんて耐えられるわけがなかった。
しかもこのお城、なぜか窓の類が殆ど存在せず、基本的に閉め切られてしまっており、テラスへ続く場所以外には屋上と一階のドアからしか外へ出られない。それで仕方なく廊下を飛行中であった。
(次の十字路を右……)
現在の愛奈は時速にして百キロ弱で飛行している。やろうと思えば直角に曲がることもできるが、それはちょっと肉体に負担が多いので、曲がる際には適切な『コーナリング』が求められる。
それを意識し、廊下の左側に体を寄せてから曲がる。
そのコーナリング自体は綺麗に決まったのだが――
「へ? あっ、あわわわ!」
進行方向の視界一杯に広がる人影に気付き、両手をばたばたと暴れさせて大慌てしてしまう。
幸い、その人物は綺麗に避けてくれたのだが、集中力が乱れてしまった愛奈は床に顔面から激突しそうになってしまった。
が――
愛奈は自分の足を捉まれたと理解した瞬間、更に自分の首筋を足が触れたように感じる。
「ひへ?」
と思ったら、ふわっと全身が浮き上がる感じがして、一気に空中で視界が回転した。
もう魔法は切れてしまっているはずなのに、重力に逆らって宙を浮き、しかも頭は地面へ対して垂直に。その瞬間、ちょうど相手と逆さに顔を合わせることとなり、
(リドウさん?)
その直後、リドウの手が自分の額を軽く押すように触れたかと思うと、視界が更に半回転し、都合一回転半近くをぐるっと回って、最後は自分の両脇を下から支える手の感触を得て、とんっと小さな足音と共に地面に真っ直ぐ降り立っていた。
何が起こったのか判らず、ぽけーっと放心した様子で立つ愛奈。その内心で、何か色々と恐ろしい物の片鱗を味わった気がしました――とか、ロリっ子たちの影響かちょっとネタに走りながら、背後で自分を支え持ってくれている人物を、首を後ろに逸らして見上げる。
「えと……お久しぶりです?」
「おう。何やら疑問調なのがこっちこそ疑問な気がするが、確かにお前さんも久しぶりだな」
まるで何事も無かったかのような顔で、リドウが愛奈を見下ろしていた。
正気を取り戻して慌てながら離れた愛奈は、リドウの正面に立って何度も頭を下げる。
「すいませんすいませんすいませんっ。急いでて。もう移動に魔法は使わないよーにします!」
「いや、別に使うのは構わんよ。ただし、周囲に対する注意を怠るな。俺も特に気配を殺してたわけじゃねぇ、そのくらい感じろ」
と言われて、愛奈は困ってしまう。
「リドウさんたちみたいに気配を感じたりなんて、私には無理ですよぅ……」
「そりゃお前さんがハナっから無理だと決め付けてたら、できるもんもできやしねぇよ」
ますます困ってしまう愛奈に、リドウは「急いでんだろ?」と言って、彼女と一緒に歩きながら話を続ける。
「実際、カタリナって女の気殺は見事なもんだったぜ」
「確か、ラヴァリエーレさんって方の従者でしたっけ?」
「ああ。魔法使いとしてはリューじゃ分が悪い使い手だろう。立ち姿は綺麗なもんだったが、ありゃ体術を身に付けてるわけじゃなさそうだったな。だが、俺もかなり側に接近されるまで気付けなかったぞ」
「私にもできるようになるでしょうか……?」
「魔法と同じだ。できねぇと思ってたらいつまでもできやしねぇ。そういうこったな」
「確かに、魔法はそうですよね」
うんうんと納得顔の愛奈。これからは気配とかも気を付けてみようと意気込んでいる姿を見て、リドウはふっと微笑している。
と、唐突に愛奈は目を輝かせて、横を歩くリドウを見上げる。
「でも、さっきのは凄かったですね!」
「あん?」
「こー……ふわっ、くるっ、とんっ――って感じの、さっきのですよ」
手を突き出したり、ぐるぐると動かしたりしながら語る。一々たゆんたゆんと揺れる胸部が強烈なインパクトを放っているが、全体的には非常に無邪気で愛らしい。
「私、ちょっと本気で感動しちゃいました。ホントに――力の流れを制御した――って感じでしたね!」
「まあな」
リドウは別に謙遜するでもなく、平然と相槌を打った。
「リドウさんがラブコメ体質じゃなくって本当に助かりました」
でなければ今頃自分はとんでもないセクハラ被害であられもない羽目になっていただろうなと考え、ぶるっと身を震わせる。自分に非があっても、不可抗力だったとしても、断じて願い下げだった。
「らぶこめ?」
「あれ? 通じないんですか?」
不思議そうな顔をするリドウに、愛奈は自分こそ不思議そうな顔になってしまう。
「完全に和製の単語なんですけど……」
「どうやら、俺の知る言語の中で的確に表現できる意味の言葉じゃなきゃ、流石に訳されねぇようだぜ。その意味を会話中で俺が理解できるよう説明するのに、会話の流れをぶった切る長い説明が必要だと、会話自体がおかしくなるからだろうな」
「それは……不便なような、逆に勝手にそんな判断をしてくれるのは凄いとも思うよーな……何とも妙なご都合主義ですねぇ」
リドウの推測を聞いて、愛奈は曖昧な笑みを浮かべている。
「ラブコメ体質ってのはですね――さっきみたいな場面で縺れ合って転んじゃった挙句、胸を揉んじゃったり、胸とかめくれたスカートの中に顔を埋めちゃったり」
「ぶつかる前に避けるなり受け止めるなりしろよ」
「他にも、ノックしないで部屋に入ったら女の子が着替え中で全裸だったとか」
「最低限の礼儀だろ。どんな教育受けてやがんだ? そいつは」
「本来は誰も居ないはずの部屋で、女の子も油断して着替えてたらばったりってパターンも」
「気配で気付く。俺自身の部屋ならともかく、中に人が居りゃ取り合えず確認するだろ」
「と言った感じの出来事があっても、最終的には『不可抗力』ってことで何となく許されてしまうお得体質ですね」
「どんなふざけた体質だ、そりゃ」
正論だったり、超人くらいしかできなそうな内容だったりもしたが、愛奈はうんうんと納得顔で頷いている。彼女を見下ろす彼の顔は完全に呆れていたが。
「そう考えると、リドウさんってホント、ラッキースケベには無縁の、男の人としては損な性分してますよねぇ。女としてはとっても安心です」
「俺くらいの戦闘能力持ちで、最低限の礼儀を教育されてりゃ、それはありえねぇだろ」
「私の知る限りでは、常に物語の中心で敵をやっつける主人公でも、ラッキースケベのラブコメ体質の方が比較的多数ですよ」
「試合専業ならともかく、闘争の世界に身を置いてながらいつまでもその程度の認識でいるようじゃいずれ死ぬだろ。格下でも、クリスみてぇなのに狙われたら確実に死ぬぞ。じゃなきゃその『ラッキースケベのラブコメ』を装ってるとしか思えん。タチ悪ぃな」
「そ、そこまで真面目にコメントされても困るんですが……」
ははっと愛想笑いで締め括る愛奈であった。
一階の渡り廊下の途中、ちょうどロリっ子たちが待っているはずの場所に続く所で、愛奈は再度、先ほどの無礼を謝罪してから小走りに去って行く。
その背を眺めるリドウは、すぅっと目を鋭くする。
「才能はダントツだと思っちゃいたが……」
呟く声は最後まで言い切らずに、その後は心の中で声にする――何て成長率だ、と。リドウの眼には、以前の愛奈とは魔力の洗練具合が段違いに映っていたのだ。
元々リドウをして目を見張る才能を持っていた愛奈だが、しばらくぶりに会ってみれば本当に同一人物かと疑ってしまいたくなるレベルの差だった。意識の高さの違いがこれ程までに成長率へ影響を及ぼすとは、彼も生まれて初めて実感する思いだった。
(二年……いや、一年もあればマジで使いもんになるかもしれねぇな。しかし……)
見事なまでの上から目線発言だったが、リドウは難しい顔で、
(本当にそんな余裕が俺らに残されてるのか……?)
彼の勘は、ごく早い内に何かが起こると告げていた。
「はーい、次、右に雷撃、左に風撃ね」
「はい!」
相変わらずのドピンク魔法少女なシュリが、小さな岩に腰掛けて、頬杖つきながら愛奈に指示を出す。
威勢よく応えた愛奈は両手を左右に突き出し、そこから荒れ狂う稲妻と暴風が、彼女を中心に周囲を薙ぎ払う。
「次、障壁張って、前方三十メートル地点に雷撃ダイレクトキャスト」
「はい!」
即座に魔力障壁を展開し、三十メートル前方に直接稲妻を出現させる。アグリアがメインに行使していた氷柱の魔法や、初日にリュリュが鳳凰昇天の真似っこでやっていた技術なのだが、これも『ダイレクトキャスト』と呼ばれる高等技術だった。
「次、同位置に雷撃ダブル、フルキャスト」
「はい!」
愛奈の手のひらから生み出された特大の稲妻が、轟音を鳴り響かせながら前方の地面を抉り取った。
「はーい、ちょっと休憩ねー」
しかし、この台詞に応える声は無く、愛奈は途端に地面に手を付いて、滴り落ちる汗で土を湿らせながら、乱れた呼吸を整えている。
「どー思う?」
指示を出していたシュリが、隣で黙って座るリュリュに問い掛ける。
「……まあまあ」
「辛口だねー。この短期間であそこまで成長すれば大したもんだと思うけどな。うちじゃもう、油断したら殺られかねないよ。人間の成長は早いって聞いてたけど、若様が例外じゃなかったんだねー」
「高坂愛奈じゃ若様には遠く及ばない」
普段通りの淡々とした口調だったが、微かに語気が強く感じられる。どうやらシュリの発言が気に入らなかったらしい。
「そお? 魔道士としてだけなら、子供の頃の若様よりもずっと成長早いと思うけど」
「それは子供だったから。それに若様は殲滅師。魔道士としての実力だけで戦闘力は決まらない」
「リューはホント、若様が大好きだね」
「若様は私の誇りだ」
リュリュはぴくりとも表情を動かさずに臆面もなく言い切りながら立ち上がり、愛奈の目の前まで歩む。
愛奈は二人の会話は耳に届いていたが、唐突に視界に影が差したことに気付き、ゆっくりと上を見上げる。
リュリュの能面……なのに、同じ能面タイプのラスティアラに比べると確かな人間らしさを感じられるという不思議な感覚に陥りながら、愛奈は冷淡な目付きで自分を見下ろすリュリュの瞳から逃げずに見つめ合う。
「私は姫様や侍女長ほど寛容じゃない。能力者じゃない麻木恵子は百歩譲って見逃すにしても、若様の傍らに“お前たち”如きが侍っているなんて私には耐え難い苦痛だ。才能があるのは認める。だからせめて、私程度はさっさと倒せ」
(私、やっぱり嫌われてます……? でも抱っこはさせてくれるんですよね。何だかこの子、ホントに掴みきれません……)
愛奈がそんな感じにぼーっと考えていると、リュリュの眼差しが微かに狭まった気がする。
「返事は?」
「は、はい」
反射的に返事をするが、リュリュは満足してはいない様子だった。
「声が小さい」
「はいっ」
「もっとお腹の底から声を出せ」
「はいっ!」
「よろしい」
どことなく満足そうなリュリュの声に、何やらまたネタに走ったようだなと今更ながらに気付いた愛奈。しかし、若様云々の下りはネタではなくガチだなと、虐められっ子だった頃に培った危険感知センサーが感じ取り、この子の前で若様を貶す類の発言は絶対にできないなと心に言い聞かせる。
どの道、自分が貶せるほど酷い欠点は……いや、けっこーあるかなと思い出し、くれぐれも注意しようと、改めて強く己に言い聞かせた。
「じゃあ、ここからは基礎訓練も私が引き継ぐ」
「え?」
愛奈は意表を突かれてしまい、疑問の声を上げてしまう。リュリュは今までシュリに任せっきりで、初日の模擬戦以降、一切手も口も出そうとしなかったのだ。そのくせ、やる気だけはシュリよりもあるらしく、割と適当な彼女を引っ張っている印象を受けるのだが。どんな風の吹き回しだろうかと思わず疑ってしまう。
「シュリはラスティアラと同じサードグレード。クワッドどころかまだトリプルも覚束ない。ここからは対ハイエンドを想定した訓練に移行するから、私が教える」
シュリが向こうで「頑張ってねー、愛奈さーん」と気楽に手を振っている。侮辱とも取れるリュリュの発言も特に気にしてはいないらしい。
一瞬戸惑いを浮かべる愛奈であったが、決然とした顔付きですくっと立ち上がり、リュリュと向かい合う。
「ハイエンドの魔道士の最低条件はトリプルキャストの使用。これはハイエンドの気功士を相手にした時、トリプルキャストが使えなきゃ“話にならない”から」
突然、愛奈はリュリュが何かしらの魔法を行使したのを感じ取る。
「理解できるか?」
「はい」
「今、私を中心に半径五百メートルの大気が半球状に私の感知範囲内に置かれている。幸いお前は風系が得意だから、これ自体はそんなに苦労せずに済むだろう。この『感知結界』を行使しながら――」
今度は魔力障壁が展開された。
「防御して――」
掲げられた手に光が収束していき、
「攻撃する」
光線が一直線に放たれ、数百メートル離れた位置に転がっていた人一人分くらいの大きさの岩を直撃し、爆音を立てて粉々に打ち砕いた。
あまりにも無造作に行われた一連の技術に、愛奈は唖然と魅入ってしまっている。
「でも、ハイエンドを相手にシングルキャストじゃ基本的に通じない」
リュリュは何事も無かったかのような顔で愛奈に向き直る。
「フルキャストにはどうしても限界があって、どんなに膨大な魔力の持ち主でも、ある一定まで『魔力ライン』が発達してしまうと、そこからの成長は極端に遅くなる。だから一ヶ所のラインからのフルキャストの威力を上げるのに拘るんじゃなく、ダブルやトリプルに増幅して攻撃しなければならない。一応、この魔力ラインは理論上はほぼ無限とされていて、腕が上がればキャパシティの許す限りの魔法行使が可能となる」
「でも、感知、防御、攻撃のトリプルをしながらだと……最低でもクワッドですよね? そんなのずっと使ってたら、すぐに魔力がからっぽに」
「お前は馬鹿か?」
愛奈の質問を遮ったリュリュ。その瞳に宿る色は口にした言葉通り、明らかに馬鹿にしていた。
もっとも、愛奈は機嫌を損ねたりはしなかった。きっとこれまでにヒントがあったんだと思い、むしろ自分から積極的に深く考え出していた。ここら辺は彼女のお人好しな性分と素直さ、それと臆病さのおかげもあるだろうが、変に反発したりしない分、それだけ余分な時間を取られずに訓練を集中して行えていた。これも彼女の高成長率の一因であった。
「多重詠唱は一つ加わるだけで、ディレイやダイレクトみたいな特殊詠唱に比べて難易度が桁違いに跳ね上がる。お前の才能は凄い、それは認めてやる。それでもクワッドなんて十年早い」
「じゃあどうすれば……?」
「スイッチ」
「スイッチ?」
首を傾げる。
「今までシュリがお前にやらせてたやつ……あれはお前のダブルキャストをフルキャストで行えるようにするための訓練であると同時に、魔法のスイッチを速くするための訓練でもあった」
リュリュは言いながら、再び大気を感知結界に置き、障壁を展開し、光魔法で適当な場所を撃つ。
しかし今度は一発だけで終わらず、五連射した後、感知結界と魔力障壁を解除し、まるで天を捉えようとするかの如く真っ直ぐに手を伸ばし、トリプルキャストの魔力砲を放った。
極大の白光は空に浮かぶ雲を穿ち、雲の中の一部がぽっかりと穴を開けてしまう。
雲の様子と同期して、愛奈はぽっかーんと口を開けっ広げている。
リュリュの動作の開始から完了までに要した時間は僅か二秒そこそこ。三秒には足りない程度のまさに一瞬の出来事。今の愛奈では命懸けでも決して成し得ない圧倒的な技量だった。
愛奈の方を向き直ったリュリュは、別に得意げにするのでもなく、むしろ「このくらいはできて当然」と言わんばかりの顔だ……ただ単に表情筋が活動していないだけという説もあるが。
「感知結界を敷き、魔力障壁を展開し、無視できない程度には威力のある魔法で牽制する。隙を見つけたら即座に感知結界と魔力障壁のどちらか、もしくは両方を解除して攻撃魔法をマルチキャスト。この『キャストスイッチ』がどれだけ淀み無くできるかが魔道士の実力を決定付ける。たまに現れる迷い人の魔道士は生まれ持った膨大な魔力でどれだけ高威力のフルキャストが行使できるかに拘っているのばかりだったけど、そんなのは雑魚の証だ」
今の己とはあまりにも桁違いの技量に瞠目して言葉も無い愛奈だったが、リュリュは返事が無いことは気にせずに続けている。
「それと『光の属性』を覚えろ。雷系は主元素系の中では最も攻撃性に優れるけど、単純な攻撃性に関しては雷系の速度を持ちながら貫通力が高い光が最強の属性だ。扱いは難しいけど、姫様や若様の『エンジェリック・フェザー』のように応用するんでもなく真っ直ぐに撃つだけならそこまで難易度は高くない。光の直線砲撃を通称『魔力砲』と呼んで、ハイエンド同士の戦闘においては割と必須な技だ。これをトリプルで使えるようになってようやく一人前」
「雷撃のトリプルじゃいけないんですか?」
愛奈が疑問に思って素直に訊ねるが、今度のリュリュは馬鹿にした顔にはならなかった。当然の疑問だと思ったのだろう。
「親和属性は重要だけど、トリプル以上で行使する際は単純に威力を求めるんじゃなく、他の付加要素を重んじる。例えば若様の『天破煉翔』。あれは相手の『通常防御』は関係なく問答無用で対象を滅する。使わせてしまったら、避けるなりして効果から逃れる以外に対抗するには同じ『概念系』でないとならない。実は若様にとってもまだ未完成の究極奥義だけど……」
天破煉翔を直接目にしたことのない愛奈にとっては今一理解し辛かったようで、訝しげな顔は解けない。
「あれが完成した場合、周囲に一切の影響を与えることなく、対象だけを滅することが可能になる」
「マジパネェ……」
この世界の魔法は本当に『魔法』って感じだなと、愛奈は呆然と呟く。
「でも別に炎だけしか同じ効果を生めないわけじゃない。氷で魂ごと凍らせる、地系なら魂ごと石化させる――その属性に因んだ方法が色々ある。この手の技は親和属性以外で行使しようとしてもまず無理。親和属性にしてもダブル以上の魔法を実戦で行使するにはある程度の定型を構築した上での修練が必要で、その場その場で自由自在に組み上げるのなんて相当な熟練者でもないとまず無理だから、メモリー不足にならない程度に、今からお前も考えておけ」
「メモリー不足?」
「技の種類だけ沢山考えた挙句、練度不足で強敵相手には全く使えないこと。逆に一つの技を熟練したはいいけど、便利すぎる技に頼り切りになった挙句、その技を完封できる相手に手札不足で手足が出なくなること。総じて、特定の戦闘方法に拘りすぎて処理能力が一杯一杯になって他のことができなくなること。できれば対抗されても更に対抗可能な応用力に富んだ技が理想的だけど、要するに肝心なのはバランス。メモリーのご利用は大切に」
「なるほど……」
自分のこめかみを指でとんとんと突きながら言うリュリュに、愛奈は深々と頷いている。
「一応、親和属性の雷系でも余計な付与効果の無い最大威力のトリプルを一つはキープしておけ。やっぱり最後の最後で術式展開速度において親和属性に勝るものはない。ただし、トリプル以上のフルキャストなんてそう連発できるものじゃないから、若様の『竜華葬送』みたいなダブルでの定型呪文も用途に合わせて何個か持っていた方がいい」
「でも結局、通常時でも感知、防御、牽制のトリプルじゃないですか?」
「全部が常に全力じゃない。特に感知結界は、キャスターレベルから見れば莫大だろうが、ハイエンドからして見れば微々たるもの。それに防御しながらのダブルキャストしか選択肢が無い、みたいな場面もある。そのくらい言われなくても分かれ」
また馬鹿にした目で見られてしまった愛奈は「うっ」と言葉を詰まらせている。
もっとも、リュリュはやはり、愛奈の事情など知ったこっちゃないとばかりに気にせず続けているが。
「お前の場合、親和属性の雷系と、これからは光系と空間系――この三つを重点的に訓練していく。あとお前は好きみたいだし、使い勝手もいいから、風系もな。割合は三対三対三対一くらいで」
「空間系?」
「主元素系が基本魔法だとすれば、高等魔法の『素粒子系魔法』。光系もこれに分類される。ハイエンド同士の闘いで空間系基礎の空間転移は魔力砲以上に必須だから、絶対に覚えろ」
「この前、いきなりテラスに現れたやつですね?」
「そうだ」
「分かりました」
真面目な顔で頷きながら、それが使えれば今日みたいな時にも飛ぶより早いなと打算的なことを考えている愛奈であったが、話の最中に疑問に思ったことを、会話が途切れたこの時を好機と考え、素直に口にする。
「でもスイッチができれば、必ずしもトリプルキャストが必要ってこともないんじゃないですか?」
「ハイエンドの気功士なら、こっちが牽制を僅かでもミスった瞬間、その一瞬で彼我の距離を詰めてしまう。その時に障壁を予め張ってれば高確率で致命傷は避けられる。致命傷さえ避ければ回復は可能」
「なるほど……分かりました!」
よし頑張るぞと意気込んで両手を胸の前で握る。
が、リュリュはさくっと水を差す。
「若様は十二歳で私を下し、十五歳で私に魔法戦のみで勝利してみせた。お前はもう十八歳。魔法使い暦で考えれば当時の若様に劣るのは致し方ないとは言え、若様と共に戦おうと言うなら甘えは許さない。常に実戦の心構え、常に真剣な心算でやれ。私の教育方針はスパルタだ、油断すれば死ぬ――覚悟しろ」
「は……はいっ!」
きらりと輝くリュリュの瞳に射竦められてしまった愛奈であったが、それもほんの一瞬のことで、すぐに頭を振りながら怯えを振り払って、力強く返事をした。
「ふん……精々私を失望させるな」
微かにリュリュの唇が笑みを形作ったのはきっと気のせいじゃない。愛奈はそう思うと共に、きっとこの子が満面の笑みを浮かべたら凄く可愛いはずだとちょっと妄想し、いつかそれを見せてもらえるように頑張ろうと、また一つやる気が増したそうな。
「とは思ったものの……」
それから約三十分後、ぜぇっ、ぜぇっ、と荒く息を吐きながら、廊下の壁に手をついてのろのろと歩く愛奈の姿があった。
訓練の最後はいつも模擬戦で締め括られるのだが、シュリからリュリュに相手が移り変わった本日は、リュリュが手加減を知らない……わけではなさそうだではあるものの、本気で『無防備にくらったらマジで死ぬ』レベルの攻撃を平然と繰り出してくるせいで、最後は生まれて初めてダメージが理由で戦闘の続行が不可能になってしまった。
更に回復しようにも魔力が殆ど尽きてしまっていたため、結局――「お前を全回復させるのは私じゃ難しい」――ということで、歩ける程度にまで回復してもらって、あとは自分の魔力が戻ったら自力でやれと言われてしまい、現在はこうなっていた。
シュリは気遣って「運んでいってあげよーか?」と提案してくれたのだが、「甘やかすな」とリュリュに却下されてしまったというエピソードもあった。
「きつい……痛い……痛い、痛い、きつい……」
ぽろぽろと涙を流してしまっている愛奈であったが、それでも「もう辞めたい」という言葉だけは決して口から発せられることは無かった。
しかし、気力だけで持たせるのにも限界があった。
「あうっ」
角を曲がろうとしたした時、壁についた手がつるっと滑ってしまい、あわや転んでしまいそうになる。姿勢を立て直せるほどの体力は生憎と残っていなかった。
が、床に激突しそうになった瞬間、ふんわりと風が優しく自分の全身を包み込む感触を得て、空中で停止した。
「え?」
と疑問に思って周囲を見渡してみれば、自分の進行方向とは逆の方から、この魔王城の主が優雅に歩いてくるのに気付く。
彼女はいつもの聖母のような微笑を浮かべながら、愛奈の身体を自分の方にゆっくりと引き寄せ、
「頑張っていらっしゃるようですね」
と言って、一瞬で全回復させてくれた。
痛みから解放されて真っ直ぐ地面に降り立った愛奈は、リリステラにぽーっと見惚れてしまっている。
(こうして間近で見ると、本当に千鶴さん並に、ちょっと尋常じゃないくらいに綺麗な人ですねー……)
益体も無く思っていたが、はっと我に返って勢いよく頭を下げる。
「あ、ありがとーございました!」
「わたくしにとっては人が呼吸をするのとさして変わりはせぬ所業。礼には及びません」
「でも、ありがとーございました!」
再度のお礼のお辞儀であったが、リリステラの返答はなく、しかしその手は優しく愛奈の頭を撫でている。
愛奈は頭がぽわーっと浮かれたような、それでいて安らかな気分になりながら、頭一つ分くらい自分より背丈のあるリリステラを見上げる。
(何かこの人って……全身からアルファ波でも放出してるんじゃないでしょーか?)
思うことはやっぱり益体も無いことだったが。
「お部屋へお戻りになる途中でしたか?」
「は、はい!」
「では途中までになりますが、共に参りましょう」
「は、はい!」
緊張感で上ずった声での返答になってしまう愛奈であったが、大魔王様はにっこり笑顔を深めるだけで何も言わず、自ら率先して歩き出した。
慌てて一歩遅れながら付き従うように歩く愛奈であったが、
「ご遠慮なさらず、お隣に」
「は、はい!」
と言われて、やはり慌てた様子でリリステラの隣に立って、この世の全ての美を凝縮したかのような横顔をおずおずと覗くように見つめる。
するとリリステラが前を向いたままで口を開く。
「リュリュは厳しいですか?」
「へ?」
愛奈はいきなりの明後日な方向の質問に一瞬呆けてしまうが、言葉の内容を理解すると、思ったままに答えていいのかどうか迷ってしまい、結果何も言葉を返せなかった。
しかしリリステラはくすくすと笑っている。
「わたくしの眷属たち、特にサリスを筆頭とした第一世代の者たちはリドウへの想い入れが非常に強いのですが、その中でもあの子の抱くリドウへの想いは少しばかり並々ならぬものがあるのです」
何かを思い出すように目を瞑りながら、その唇は優しげに微笑を形作る。
「恵子さんと共に外界へリドウが出てしまった時など、あの子はちょうど城外に発生した狂える魔物の討滅に出ていて知ることができず、帰還してそれを知った時などは反射的に追い掛けに飛び出そうとしたくらいでした」
「……もしかして……あの子もリドウさんの恋人の一人なんですか?」
かなり犯罪臭いなぁと顔をしかめる愛奈。でも実年齢はリュリュの方が上で、もしかしたら外見年齢が同い年くらいの頃なら……まあ必ずしも『気持ち悪い』ってこともないかなと、首を捻りながらできるだけ好意的に考える。
「リドウとわたくしの眷属の関係は恋人と申すよりも、人の世で申すならば愛人という制度が最も近い表現でしょうが……しかしリュリュは違います」
「あ、そーですか」
ちょっと安心した様子でほっと息を吐く。
「言ってみれば『姉』のつもりなのでしょう」
「お、弟ですか……リドウさんが……」
外見上はかなり無理があるなと思いながら、曖昧な笑いで相槌を打つ。
「ええ。リュリュの外見年齢の基準は十二歳で、これはわたくしの眷属の中では最年少です。肉体が精神に与える影響も無視はできませんが、その外見のせいで、わたくしを含め、眷属の皆も、あの子やシュリには『子供であるよう』無意識の内に求めます。それらの要因から精神が比較的子供なのです。実際、あの子たちをご覧になって、長い時を生きたお年寄りに見えますか?」
「全然見えません」
愛奈は迷う素振りも無く、間髪入れずに否定した。
「シュリちゃんなんか本当に子供にしか見えませんし、リュリュちゃんはちょっとクールすぎとは思いますけど……リュリュちゃんには失礼かもしれませんが、ちょっと悪戯好きなところとかも、ちょっと感情表現が苦手なだけの年齢相応の子供にしか見えません」
「左様にございましょう? そんなリュリュにとって、自我を得てより凡そ五百年の歳月において殆ど初めて接する『年下』がリドウだったのです。今では外見年齢に留まらず精神年齢もリドウの方が年上になりましたが、あの子にとってのリドウは今でも、無邪気に懐いてきた幼き頃と変わらぬのでしょう」
似たようなことは自分やサリスにも言えるのだがと、リリステラは苦笑気味に付け足す。
愛奈はなるほどと納得する思いがあった。
「つまり、兄弟がみんな年上ばかりで、ようやくできた弟だから、余計に張り切っちゃうお姉ちゃんなんですね」
「左様です。親にとって我が子がどれだけ大人になろうといつまでも子供なのと変わらぬように、リュリュにとってリドウはいつまでも可愛い弟なのです。可愛い可愛い弟に近づく輩は男女に限らず己が認めた者でなくてはならない……そう考えているようですね」
リュリュのそんな部分が創造主としては可愛いようで、リリステラは困ったような、嬉しいような、微妙な顔で笑っている。
「それに恐怖心もあるようです」
「え?」
クール系だからと言うか、常に冷然としたリュリュにはあまりにも不似合いな言葉だと愛奈は思ったようで、驚いた様子でリリステラを見ている。
「リドウは一見あの通り苛烈な気性をしているように見えるでしょうが、実際はかなり甘い部分があります」
もっとも、自分がそう育てたのだがと、軽く目を閉じて苦笑気味に言う。
「弱き者と必要以上に馴れ合っていて、人質にされるなどの手段を取られてしまえばと。無論、その際の『効果的な対処法』は教え込んでおりますが、最後の最後、これ以上は押し込めぬ一線となった時、リドウは己を犠牲にしてしまうのではないか……と」
「…………」
自分がアグリアに捕まってしまった時のシャイリーと同じだと、愛奈は鎮痛な面持ちになってしまう。
「ですので、せめて己の身は十分に守れる、もしくは“自ら決する覚悟”を持つ者でなければ近付けさせたくないようです。リドウが外界へ出た時も、わたくしに対して喧々囂々とそのように抗議しておりました」
凄まじいブラコンだなと、愛奈は冷や汗まじりに頬をひくつかせてしまう。続けて、これは今後も容赦無く叩き潰されそうだなと思い、頬の痙攣が顔面全体に行き渡ってしまった。
こうなったら回復魔法を最優先で鍛えなければならないなと思い至り……その時、隣には今、回復魔法の大先輩が居るではないかと気付く。
「あの、回復魔法のコツってありますか? あったら教えてほしーんですけど……」
「申し訳ございませんが、そのご質問にはお答えできません。失礼ながら、単純に技量の差であるとしか」
「そうですか……」
肩を落とした愛奈であったが、いい機会だと思い、ついでに気になったことを訊ねてみることに決める。
「あの、不躾な質問なんですが……」
「はい。ご遠慮なくどうぞ」
「何でリリステラさんは引き篭もっているんでしょうか?」
「リドウたちから聞いておりませんか?」
「何でもかんでもリリステラさんが解決してくれる……そう思い込まれるわけにはいかないってゆーのは分かるんですけど、リリステラさんの力があれば、怪我や病気で苦しむ人たちは助かると思うんです。統治には関わりませんよって宣言して、お医者さんみたいな役割だけ引き受けるってわけにはいかないんでしょうか?」
「愛奈さんはやはり、とてもお優しい心根をお持ちの方ですね」
リリステラは常時より幾分優しさと温かさが増した笑顔で愛奈を見つめた。
そんな風に見られた上に褒められたのもあって、愛奈は思わず照れてしまう。
「ではお答えする前に、わたくしからもご質問をよろしいですか?」
「え? あ、はい」
戸惑いを浮かべながら応じる。
「今日を凌ぐのも必死にならざるを得ず、明日にも飢えから命を落としそうな貧しき人々に、富める者が無償で施しを授けるのは善き行いであると思われますか?」
「えっと……」
顔に浮かぶ戸惑いが更に深まる。何か深い意味でもあって、本当は『いいこと』じゃないのかという疑念すら湧き上がってきてしまうが、しかし結局他の回答は思い浮かばず、自信無さげに、
「善いこと……だと思います」
「わたくしも左様に存じ上げます」
リリステラが肯定してくれたことで愛奈はほっとする。
「では、彼らに対して生涯遊んで暮らせるだけの金銭を無条件に恵んでしまうのはどうでしょう?」
「え!?」
愛奈は思わず足を止めて、驚愕に目をまん丸にしながらリリステラの顔を凝視してしまう。
「果たして善き行いであると思われますか?」
「それは……」
合わせて足を止め、あくまでも優しい笑顔で見つめてくるリリステラに、しかし愛奈は返答に窮してしまう。
でも、やっぱり、どう考えても……
「違います……よね……」
「左様、断じて違います。何事にも限度というものがございますが、しかしわたくしが人々のために力を振るうという意味は総じてそのような意義を持ってしまうのです」
ここに来てリリステラは笑みを消す。
「仮にわたくしが『ここまでは治せますが、これ以上は治せません』と人々に申告したとしても、人々はまず信じません。魔神ならば治せるはずであると強固に主張するでしょう。そして実際にわたくしは『死亡者』以外であればどのような難病奇病を患っていようと、たとえ手足を失っていようと完全治療が可能です。かような虚言を弄してまで不平等に接するくらいならば、一切の施しをせぬ方がまだ正しき姿勢であるとわたくしは存じております」
ごくりと息を呑む愛奈に、リリステラは厳かな雰囲気で続ける。
「人の欲望には際限がございません。自慢するわけではございませんが、しかしわたくしの力を持ってすれば大概の事柄は叶えられてしまいます。これ以上は具体的に申すまでもなくご理解頂けるかと存じます」
リリステラはそこまで言って踵を返して歩き出すと、愛奈は気後れするものを感じながらも黙ってついて行く。
と、到底何かを喋る気にはなれない愛奈に、聖母様モードに戻った優しげな声が掛かる。
「わたくしも病で無為に命を落とす人々を本音では忍びなく思います。ですので、『魔の力』に頼らぬ医療技術を独自に研究しており、いずれ迷い人の中からこれと相応しき者が現れたら教授して差し上げたいと考えておりますよ」
「それなら問題無いんですか?」
「あくまでも切っ掛け、キャスティングと同じです。技術という物は最初の一歩の発見がとても難しい。わたくしのように悠久を生き、只人が生涯を賭して得る物とは桁違いの情報量を永き生の内に得た上で処理しきれる魔性でもなければ、それを見出すのは世紀の大天才だけです。ですがその一歩を得ると、天才には及ばぬまでも、秀才たちの手によってみるみる発展を遂げていきます」
リリステラはちょっと悪戯っぽい笑みで、横を歩く愛奈を見つめる。
「その最初の一歩をお手伝い差し上げるくらいならば、ちょっとだけ不文律を破ってしまってもいいかな? とわたくしは思いたいですわね」
「はい! 全然いいと思います!」
大魔王様のお茶目な物言いが楽しくて、その慈悲深い言葉が嬉しくて、愛奈は顔一杯に笑みを浮かべながら全力で肯定した。
すると唐突にリリステラは足を止めてしまう。
釣られて反射的に愛奈も足を止めた。
リリステラは愛奈と向き合う。顔に浮かぶ表情はいつもの笑みだったが、その目が微かに細く狭まっている。
「愛奈さん。あなたはその優しき心をお忘れになっては決してなりません」
「え?」
目を見開くが、その時には既に、リリステラは再び前を向いて歩み始めていた。
「深くは申しません。ですが、常に忘れないで下さいませ。あなたの優しさは――とても貴重です」
「は、はぁ……」
以前にシャイリーからもそんな感じのことを言われたけど、自分はそんなに優しい人間だろうか? 普通だと思うんだけどな――と首を傾げてしまう。
そんな愛奈をちらっと目線だけ動かして確認した大魔王様は、本日一番の太陽のような微笑を浮かべていた――それを当然と思える心が貴重なのですよ――と、愛奈の心の中の疑問を的確に見抜いて……。




