第七十一話 修行パート:恵子編
いかにも値段が張りそうな木材で作られた大きな扉が目の前で荘厳に鎮座している。
どこか躊躇う様子を見せながらドアノブを握った『彼女』は、んっと軽く声を上げながら力を入れて扉を開けた。
高級そうなくせに建て付けが悪いのか、ぎぎぎぃっと決して小さくない音を立てて軋む。
自然と息を呑んでしまいながら中に入ると、中央に二階へ続く大きな階段がまず目に付き、ぐるっと見渡してみればホールの左右対称に、それぞれ廊下へ続くであろうドアもあった。
頭上にはシャンデリアが煌々と輝きを放っており、お屋敷という言葉に相応しい大きく豪奢なエントランス・ホールであった。
しかしその広さが今はとにかく不気味だった。
物音は一切無く、しかし自分が立てる足音だけは広い室内に反響して耳朶を嘗め回す。気にしないように己に言い聞かせても、どうしても気になってしまうのだから仕方ない。
その不気味さを堪えながら、一方のドアの方へと足を進める。
慎重に、慎重に……『相棒』を片手に。
このエントランス・ホールを抜けた先はきっと――地獄だ。自然と足取りが重くなってしまう。
ドアの前に立って、取っ手に手を掛けながら……しかし動けない。
この先は地獄なのだ。絶対に地獄なのだ。極めつけの地獄なのだ。
でも入らなきゃと分かってはいるのに、強張った手は容易に動いてはくれない。
しかし躊躇っていても何も始まらないので、大きく深呼吸してから意を決してドアを開く。
その瞬間――
がぁああああああああああ
「ひっ……」
瞳孔が開いているどころか濁りきって色彩などどこにも見当たらぬ白い目。牙かと思わされる尖った歯が立ち並ぶ口を大きく開けており、涎がぶっとい糸を引いて口内を橋架けている。極めつけは所々で肌が削げ落ち肉が露出し、顔を構成するあらゆる要素が「俺ってば腐っちゃってるんだよね!」と強烈に自己主張していた。
「いやぁあ――――――――――ッ!!」
それがまるで鎌首をもたげるような体勢で、待ってましたとばかりにいきなり襲ってきたものだから、反射的に全力で悲鳴を上げながら慌ててドアを叩きつけるように閉めてしまった。
「……何初っ端からいきなり逃げ出してんだよ、お嬢」
「だだだだって!」
涙目で抱きついてきた恵子をリドウが呆れ顔で見下ろしている。普段の彼女なら絶対にしなさそうな行為だったが、今は現在進行形の恋人を思いやったり恥ずかしがったりしていられる精神的余裕はないらしい。
恵子は完全に泣きが入った顔で、相棒のベレッタ片手にひしっと抱き付いたままリドウを見上げる。
「何なのよこれぇ……もうおうち帰ろうよぅ……」
「まあ気持ちは分からんでもねぇが……」
まるで幼児に退行でもしてしまったかのように、涙ながらに弱音を零す恵子の頭をリドウが苦笑まじりに撫でている。いつもなら即座に拒否っているだろうに、やっぱりそんな余裕は無いらしかった。
洋館と腐り果てた動く死体――要はゾンビの組み合わせ。この非常に既視感溢れる状況は一体何なのか?
二人が既に旅を再会していて、何かの依頼でも受けたのだろうか?
――と思いきや、これは水素爆弾同様、大魔王様が悪乗りした結果であった……。
恵子はリリステラからベレッタF92を授けられてからというもの、射撃訓練に余念が無かった。
拳銃という、当たり所が悪ければ即座に命に関わる武器。地球であれば拳銃とは銃口を向けられただけで大抵の人間が身動きを取ることすら不可能になる脅威の武器である。
が、その脅威を知らないルスティニア人では、銃口を向けたくらいではまず止まらないだろう。
しかも相手が能力者であれば、普通に真正面から撃ったくらいでは無効化されてしまう。
少しでも効果的に使い、かつ命も奪わないようにするためには、少しでも命中率を上げるのがまず第一。今や戦闘能力の乏しさに反して一介の能力者よりもずっと強い意志を持つに至った恵子だ、努力を惜しむわけがなかった。
当初、恵子が銃を持つことに好ましい顔をしない千鶴がいた。彼女は恵子や愛奈に人の命を奪うようなマネどころか、他人を傷つけることすらして欲しくなかったのだ。しかしそれも、恵子の意思が固いと知ると、不承不承ながら認めたようであった。
その後の恵子はリリステラが用意してくれた射撃訓練場で、寝食以外の時間の殆どを訓練に費やしていた。
最初は一発撃っただけで反動に驚いて悲鳴を上げ、繰り返すこと十分もすれば腕が上がらなくなっていたものであったが……すぐにコツを掴んで、一時間くらいならぶっ続けで撃っていられるようになった。
どうやら麻木恵子という少女は、偶然にも幸いにも射撃の才能があったらしく、一ヶ月もする頃には二十メートル先の的を狙って、殆どの銃弾が的中するようになっていた。
その原因は『考えた』こと。
以前に恵子がシャイリーから説明を受けた『勁』。その後も、例えば重い物を持ち上げようとした時など、「こうやって意識すると効率がいい」と説明された通りに身体を動かしてみると、それまで持ち上がる感じがしなかった物が割とあっさり持ち上がってしまった経験もあった。
射撃の訓練を始めてからすぐに、彼女はただ闇雲に撃つのではなく、そういった『効率のいい姿勢』が射撃にもあるのではないかと考え、腕を伸ばしきった状態から少しずつ曲げていったりという感じに、自分の力で考えた。
映画で役者が銃を構えている光景を思い浮かべたり、時にはリドウやシャイリーに意見を聞いたりして、常に諦めず、根気よく自分で考えた。
その訓練の間に多少の筋力の増強はあったのかもしれないが、少なくとも外見上の見た目は殆ど変わっていない。考えて考えて考えた末に、『構えて撃つ』、その動作に対する『効率的身体操作方法』を彼女は自力で会得した。
加えてやはり、特筆すべきは集中力だろう。強靭な意志を持って『撃つ』と意識を傾けていれば、自然と集中できていたのだ。本人に自覚が無かったのは言うまでもないが、女子高生やってた頃の彼女にはありえない高度な集中力を体が勝手に会得していたのだ。
長時間撃っていられるようになったら、あとは反復練習だ。その時に撃つのも、ただ闇雲に撃ちまくるのではなく、一発一発に意識を入れて撃っていれば……この結果は決しておかしなものではなかったのだ。
しかし、大体狙った所に当たるようになったとは言え、動かない的を相手に延々と訓練していても意味が無いことくらい、特に考えるまでもなく恵子だって理解できる。
そこで彼女は遺跡に潜ることにした。
一階層の魔物くらいなら今の恵子でも動きに対応できた。それはこの魔王城に来る際に通ったスワージの遺跡で確認している。遺跡の魔物なら……見た目に本物と寸分違わず、罪悪感が全く無いこともなかったのだが、生物ではないと割り切って撃てたから。
しかし、ここで少し問題があった。
恵子が今後……できるだけ使用するような事態には陥りたくないが……撃つことになる主な相手は人間である。魔物相手にバンバン撃ちまくっていても一応腕前は上がるが、できれば人間の『手足』をピンポイントで狙い撃てるようになりたい。自分自身の意外な才能にちょっと自信を持ったのもあったが、“何となくできそうな気がした”のもあって、自然とそう思うようになっていった。
その時、遺跡もリリステラが建造した物であるという話を思い出し、遺跡の魔物を具現化させているシステムを応用して人間を具現化させられないかと頼んでみたのだ。相手が無生物でも人間では余計に抵抗感がありそうな気もしたが、本物を無為に撃ち殺してしまう羽目になるくらいなら、多少の罪悪感には目を瞑って頑張った方がいいと。
結果は「容易いことです」という、どこの七つボールを集めて現れる龍神かとツッコミを入れたくなる回答が即座に返ってきた。
……麻木恵子の不幸は、この時ちょうど『新作』を持ってリリステラの元を訪れていた桂木明人が居たことであった。
もうお分かり頂けた方もいらっしゃるだろう。つまりこの洋館は――監督:桂木明人、制作:魔神リリステラ――のスプラッタホラーゲームをリアルで体験できるスペシャルアトラクションなのである!
実を言えば『その手の話』が苦手中の苦手な恵子は当然即座に拒否した。
が……
「なら尚更度胸がついていいじゃん。どんな敵に襲われても冷静に銃を構えられるようになるだろ」
という言葉にリリステラが丸め込まれてしまい、“恵子のために”強行されてしまった。
「……せっかく得物がベレッタなんだしね」
と、小声ながら何やらウキウキした楽しげな調子で呟く明人へ反射的に銃口を向けてしまいそうになった自分は決して悪くないはずだと、恵子は強く思った。
その無駄技術の粋の結晶の本邦初公開が本日であった。
恵子の射撃訓練用に特別に設えられたこの洋館は、出現するゾンビたちの攻撃力は微々たるもので、噛みつかれても『握手をする程度のダメージ』しかないらしい。つまりダメージは実質皆無と言っても過言ではない。もちろん、ゾンビ化ウィルスに感染して自分もゾンビになってしまうなんてこともない。
が、怪談話という本来何も害は無いはずの物にも恐怖心を抱く人間がいるように、お化け屋敷で一歩も自力で歩けなくなってしまう者が確かに存在するように、“そういう問題”では全くもってなかった。
そして彼女は、ホラームービーを視聴の際に“出てきそうな場面”になると全力で耳を塞いで目を瞑り、しかし片目だけ薄く開けてシーンを確認した挙句、結局“出て”きた時は目を瞑るのも全力でという、観る意義が全くあるようには思えないくせに本人曰く「それでもなぜか観ちゃうのよね」というありがちなタイプであった。
……要するに、怖いの全くダメな子なのである。
一応、誤作動があって恵子が命を落とすようなことがあってはそれこそ事なので、初日の今日はリドウが付き添いで一緒だったが、次回から彼女は一人で来なければならない。
(そそそそそんなのぜ、絶対無理ぃ――ッ)
しかし、リリステラがせっかく造ってくれたというのに今更やっぱり要りませんなどと口にするなんて、恵子には死んでもできなかった。大魔王様が恐ろしいのではなく、あの心優しい女神様が本当に大好きなのだ、麻木恵子は。
進むことも退くことも選択できず、結果色々と限界に達してしまい、床にぺたりと座り込んでふえーんと子供泣きしている恵子を、リドウは困った様子で見下ろしている。
死んだ人間が動き回るなど考えたこともなかったが、あんな腐った醜悪な外見は女子供には辛かろうと彼も思うようで、情けないと蔑視の眼差しを向けたりはしないようだ。
ルスティニアに『死霊術』の類は存在しないため、リドウも初めてゾンビなどという生き物……ではないわけで、死体なのか魔物なのか判断に困るモノを拝んだが、何て趣味の悪さだというのが正直な感想だった。
死者を操るなどという悪趣味な概念を考えついてしまう地球人の感性がリドウにはちょっと信じ難いものがあったが……いや、実際は自分にそういう『思考回路』が無いだけで、人間とはそういうものなのかもしれないなと思い直す。自分が知らないだけで外界では『怪談』というのも存在するのかもしれないし。
まあ仮に『アンデッド』が実在したとしても己がどうにかされてしまうような相手ではないので、彼自身は恐怖心も特に無かったようだが。『天破煉翔』がある以上、井戸から這い出てテレビを伝って現れる御大だって、彼を前にすれば涙目で逃げ出すことであろう。
困り果ててしまったリドウであったが、しかし延々とこのままで居るわけにもいかなかった。自分だって修行の真っ最中で、何日もこんなことに付き合ってはいられない。今日中に洋館全体のシステムの成否を確認しなければならないのだから。本日は久々の完全休養日なのだが、この後にも片付けなければならない用事が他にもあるので、できるだけ急ぎたい事情もあった。
しかし――とリドウは未だ泣き続ける恵子を見下ろしながら、心の中で思う。
この洋館の発想自体は非常に優れている。遺跡の魔物は角からおもむろに現れるくらいが精々で、それ以上に奇襲と言えるような事態に遭遇することはまずありえないが、この洋館ではゾンビの待ち伏せや、他にも窓を突き破ってきたり、物陰からいきなり襲い掛かってきたりと、様々な奇襲を仕掛けてくるらしいと聞いている。
……そのために、遺跡の応用だけなら一両日で済んだはずが、計十六日という製作期間が要されたのだから。完璧主義と言うか凝り性と言うか、リリステラの性分にも困ったものだと思う息子である。
更に『設定』を変えれば広間のエントランス・ホールに多数のゾンビを配置して集団戦の訓練も可能な上にゾンビの『難易度』も変更でき、最高難易度だと雑魚気功士くらいの動きはするらしい。
……本当に相手がゾンビでさえなければ、非常に優れた実戦訓練施設なんだがなと、リドウは感心半分、呆れ半分のため息を煙と共に吐き出す。
ちょうど火種が切れてしまったようで、煙管を裏返そう……とした時、ここが一応は家屋の中だったことを思い出し、こんな場合に常備している携帯灰皿に灰を落とす。灰は土に返ってしまうし、完全に燃え散らせておけば火事の心配もないので、普段の旅道中で使用することは滅多になく、屋内だと灰皿の無い場所では基本吸わないので、久しぶりに使用したが。
修復が完了したコートの裏地に煙管を仕舞うと、さてどうしたものかとリドウは泣き止む様子のない恵子を見下ろし、深々とため息を吐きながらしゃがみ込む。
「なあ、いつまでもメソメソ泣いてたって仕方ねぇだろ。さっさと『攻略』ってやつをしちまおうぜ」
「そ、そんな言い方……しなくたっていーじゃない!」
きっと強い目でリドウを睨み付ける。
「そんな言い方って……別に責めた心算はねぇんだがな……」
微かな困惑を浮かべながら頬をかく。
「あんたはいいわよ! 別に毎日来る必要ないんだから! でもあたしは違うんだからね!?」
「まあ正論っちゃ正論ではあるな」
「あんたってホント、女タラシなくせにデリカシーに欠けるトコあるわよね! もーちょっと優しい言い方できないわけ!?」
「悪かったな」
「女タラシなら女タラシらしくっ、女の子が泣いてたら慰めてあげるくらいの甲斐性ないの!?」
「ふむ……」
八つ当たりだと、口にしている方も受ける方も、どちらも理解している。それでも恵子の口撃は、自分でも止めなくっちゃと内心思っていながらも止まってくれず、リドウは好きなように言わせてやろうと大人の対応――
――だった、今この時までは。
ドンッ
「え……?」
恵子はその時、何が起きているのか全く理解できなかった。
一瞬遅れて、自分がリドウを見上げていることに気付く……床に寝転がりながら。
いわゆる壁ドンならぬ床ドン――別名では単に押し倒しとも言うべき状況にさらされていることに、恵子はしかし、まだこの時でも理解が追い付いていなかった。
それもようやく、リドウの中指が自分の頬をつつぅっと妖しげになぞったことで状況を把握し……
ぼっと耳まで赤面させて全身を硬直させてしまう。
「構わねぇのかい? 慰めちまっても」
「――――ッ!?」
唇の角を片方だけ吊り上げながら、普段よりも幾分甘く囁くような声。これはこれで、ある意味『大人の対応』とも言えなくはないような気もする。
「俺は他に女の慰め方なんて知らねぇんでな」
「だ、だめっ……」
予定調和の拒絶。
しかし、その声は弱々しく、顔を背けながらリドウの胸を両手で押し返すだけだった。
リドウは恵子の“想定外の反応”に目を細める。顔を背けていた彼女は気付かなかった。
「ち、千鶴に悪いし……大体あたしには芳樹がいるんだから……」
リドウはいよいよ難しい顔になってしまいながら、
「そうかい」
そう淡々と言って、自分も顔を背けながら立ち上がる。
恵子は焦りを浮かべて髪を手櫛で梳く仕草をしながら立ち上がる。その後も微かに俯いて視線は決してリドウを捉えず、己の髪を撫で付け続けていた。何かをして気を紛らわせていないと落ち着かないのだろう。
リドウは恵子の様子を片目だけに映しながら、思い切り顔をしかめた。
最初の狙いでは、「何すんのよっ!」ぱーんっと頬でも一発引っ叩かれることで、憤慨によって恵子の消沈してしまった意気を塗り潰し……そうすれば直情径行の彼女のことだ、ゾンビに対する恐怖心も忘れて突っ走って行くだろうと思っていた。
だというのに……
(こりゃあ……参ったね。しかも最初に口から出てくる理由が千鶴の方かよ……)
恵子に背を向けながら、改めて煙管を取り出して、思い切り煙を吸い込む。
(ちっ、こんな手を軽々しく使うんじゃなかったぜ。迂闊すぎるだろ、俺ってやつぁ……)
はぁ……と頭を落として煙を吐き出すと、恵子に視線を戻す。
何だか妙に空気が気まずい。それが彼女にも分かっているようで、視線があっちに行ってはリドウをちらっと見て、こっちに行っては再び彼をチラ見しと、大いに戸惑いを露にしている。
「ね、ねぇっ」
何かを言わなければという強迫観念に駆られたようにしか聞こえない、かなり無理やり感が溢れる声だった。
「ん?」
リドウが応じると、恵子は反射的に顔を俯け気味にして背けてしまう。
「とにかくさ……」
「ああ」
「……行こっか」
「お前さんがやる気になってくれたんなら、何にしても幸いだ」
「うん。頑張るから、あたし。さっきは八つ当たりしちゃってごめんね」
「気にすんな。俺も悪ふざけがすぎた」
「ううん。そっちも気にしないで」
――できれば忘れて……。
唇を動かしただけで殆ど音になっていない吐息のような声で呟かれた言葉。
しかし、自分たち以外に物音を立てる存在がないこの場では、闘気を用いずとも鋭敏な彼の五感は、耳聡くしっかりと聞き取っていた。
気付かない振りをして、しかし望みどおり無かったこととして振舞ってやるのだけが今の自分にできる最善かと考えつつも……
(あーっ、クソッ。どうもこういう……あれだ、苦手だな、俺は。口説いてベッドに連れ込むのとは勝手が違いすぎるぞ)
思うことはちょっと下衆い内容だった。
その後の恵子は順調に攻略を進めて行くことができた。
ゾンビに対する恐怖心を克服できたと言うよりも、さっきの事態を再び招いてしまった時への恐怖心の方が遥かに勝ったが故に、その強迫観念が彼女にとってはイイ感じに集中力へ繋がったらしい。無理やり集中してしまうことでさっきの出来事を頭から追い出しているというのもあった。
怪我の功名と言うべきでしかなかったが、奇しくもリドウの思惑は上手くいってくれていた。
新たな扉を開けて廊下へ出ると、そこには二体のゾンビがうろついていた。
恵子は慌てず騒がず、
「ぐふぁあ」
パンッ
「ごはぁあぁぁ」
パンッ
ゾンビたちをたった二発、つまり一体ずつ一撃で倒してしまう。
落ち着いた様子で二対のゾンビたちが消え失せるのを確認した恵子は、ふぅっと息を吐きながらベレッタからマガジンを抜き取って弾を込めなおす。まだ残弾はあったようだが、このベレッタF92自体は現実である以上、ゲームのように勝手にリロードされるわけがないので、余裕のある時に弾を込め直しておく必要があった。
その仕草は既に手馴れたもので、全く淀みがない。
リドウはちょっと離れた場所の壁に背を預けながら、腕を組んでその光景を眺めていた。
(……まだまだ実戦に対する心構えは出来ちゃいねぇか。まあ当然っちゃ当然だが)
と彼が意味深に見つめる先は、弾込め作業を行っている恵子のすぐ側、他の部屋へ続くドアであった。
突然、
バァン
と勢いよく音を立てて、そのドアが開く。
「――――ッ!?」
声にならない悲鳴を上げた恵子が、弾込め作業が終わっていた銃を慌てて構えるが、その時には既にゾンビが襲い掛かってきていた。
仮想現実とは言え、ちゃんと実体を持っているゾンビにはしっかり気配がある。部屋の中のゾンビが一直線にドアの方へ近寄ってきているのがリドウには判っていたために、これはあらかじめ聞いていた『ドアを蹴破って現れるパターン』かと薄々思っていたら案の定だ。
「いやぁ――――――――ッ!!」
直近一メートル以内の間近では、他のどんな感情も恐怖心が置き去りにするらしい。
絶叫しながらバンッ、バンッ、バンッとゾンビに向けて銃を連射する。
殆ど狙いもつけていないそれは、ゾンビの胸、顔、果ては頭も撃ち抜く。
が、ゾンビは止まってくれず、とうとう恵子に抱き付いた。
「ひっっ」
最早悲鳴の声もない恵子の首を、ゾンビは“かぷかぷと甘噛み”している。
十秒ほどもその光景が続いたと思うと、
――ゲームオーバー。一度玄関に戻ってスタートボタンを押して下さい――
というアナウンスが流れ、それと共にゾンビの姿が消え去った。
ダメージらしきダメージは無かったが、一応この『ダメージ判定』が一定値に達すると、スタートボタンを押すまでゲームの進行は止まることになっていた。
本当に怖がっていた恵子のために、中に入って戻って来れなくなっては一大事なので、リリステラがそのように造ったのだ。
それに攻撃を受けて何のペナルティも無しでは緊張感に欠けるというのもあった。防御力が殆ど無く、また戦闘に関してはど素人の恵子に対して「命懸けで学びなさい」とまで言うほど、大魔王様は冷血非情なお方ではなかったというわけで、こういう選択になったのであった。
茫然自失の体でぺたんと床に座っている恵子。泣く気力さえ無いのか、真っ青を通り越して真っ白な顔は感情の一切が失せている。肉体的ダメージは無かったが、精神的ダメージは深刻なようだ。
ゲームオーバーのアナウンスが流れてから、おもむろにリドウが恵子の方へ歩んで、立ったまま彼女を見下ろすと、彼女は呆然とした顔のままゆっくりと彼を見上げ――
するとさっきの出来事を思い出したようで、一瞬顔を火照らせる。それで意識を取り戻せたのは幸いだったのか、本人にも分からない。
「さ、さーって、玄関に戻ろっか」
「ああ」
何となくぱんぱんとズボンを叩きながら立ち上がった恵子は、率先して歩き出す。
その横を歩くリドウが喋り掛ける。
「一々弾を込めなきゃなんねぇんだから、その作業をしてる間は奇襲を受ける可能性ができるだけ低い場所を選んでするべきだったな」
「あんた、分かってて黙ってたわね?」
半歩後ろを歩くリドウへ、顔を動かしてジトーっとした眼差しを送る。
「一度身をもって知った方が理解が早ぇからな、こういうのは。そう言う意味でも桂木のこの提案は案外よかったかもしれねぇな。二度と同じ目に遭わねぇよう、嫌でも今後意識すっだろ。板につきゃ、外に出ても自然とそう意識するようになってる」
「文句言ってるわけじゃないわよ。あたしだってその通りだと思うから。ただし、あんたが女相手でも容赦ない男だって改めて確認できたけどねっ」
「お前さんが弱いままで構わんと考え直すなら、一度した約束だ、そうしてやらんでもねぇが?」
「あんたのそういう男女平等主義的なトコ、実は案外嫌いじゃないわよ、あたし」
「そりゃ光栄」
恵子の言葉は本心だった。察しのいいリドウである、そこに嫌味が含まれていないことは当然感じ取っており、自分もふっと微笑を零している。
(そうだ。こうなったら少しでも強くなってもらわなな……)
しかし、すぐに難しげな顔つきで、心の中で唸るように呟く。
以前は中途半端に力を身につけられると困ると思っていたが、今は事情が違う。
が、別にそれはここから先が危険になるからではない。
昔の麻木恵子であれば、誰がどんな非道い目に遭ってたとしても、自分の無力を言い訳にして助けに行ったりはしなかっただろう。
だが今は違う。今の彼女はたとえ自分が確実に死んでしまうと理解できていようが、『自分が助けたいと思う相手』であれば己が身を犠牲にすることを躊躇わないだろう。普通なら強者にしか持てないようなプライドを、彼女は今、弱いままで得てしまっているのだ。
……それは非常に危険なことだ。
もういっそ、少しでも強くなってもらうべきだ。実のところリドウは少し前からそう思っていたのだが、今回恵子が自ら進んでそう望んだので、いい機会だからもう甘やかすのは止めようと心に決めていた。
「しかし、上手いもんだな」
改めて始めた攻略中、三体のゾンビを一瞬で倒してみせた恵子の腕前に、リドウが感嘆の声を発した。
「あたしも自分でビックリしてるわ。案外簡単なのね、射撃って」
手の中のベレッタを見つめながらそう言うが……そんなわけがない。今のゾンビの『レベル』は最低段階で、常人が小走りするくらいが最大速度だったが、それでも拳銃を握って一ヶ月程度のほぼ初心者がピンポイントで『急所』をきっちり狙って撃ち抜くなどありえない。
尋常ではない集中力。それを伴っての半端ではない訓練時間がそれだけの腕前を得る成果に結びついているのだが、本人には『頑張っている自覚が無い』のだ――だって他のみんなはもっと頑張ってるから。
「試しにやらせてくれよ」
「やってみたいの?」
リドウが手を差し出すと、子供が玩具をねだるようなその発言に、恵子が悪戯っぽい笑みで「はい」とベレッタを手渡す。
次の部屋に入って、リドウはさっそくベレッタを構える。
入った途端にこちらへ向かってくるゾンビに向けて――撃つ。
「…………」
「…………」
元気よく……動く死体なのに元気よくとはこれ如何にな感じだが、とにかく止まる様子の無いゾンビたち。ちなみに銃弾はゾンビたちの足から三十センチほど離れた場所に着弾していた。
「へー?」
にやにやと笑っている恵子をちらっと見たリドウは、
「……結構難しいな」
新たに一発撃ってみるが、やっぱり当たってはくれなかった。
「ちょっ、ちょっ、早く返しなさいよ!」
これ以上近寄られたら『死んじゃう!』と気付いて返却を要求するが、とっくにゾンビはすぐ側まで来ていて……
リドウの足が舞う。
二体のゾンビは大きく吹き飛ばされて壁に張り付き、床に倒れこんだ。
――がしかし、先ほど恵子が倒した時のようにゾンビたちが消え去ることはなく、平然と起き上がってこちらへ再び向かってくる。
リドウは慌てることなく、新しく兄に用意してもらった刀を抜き放つ。
(結局ぶった切るの? まあ流石にゾンビもこいつが本気で斬ったら耐え切れないだろーけど……ならさっさとあたしにやらせればいいのに)
しかしリドウは側にあった机に向けて刀を振るった。
何をしているんだと恵子が思っていると、斬った際に跳ね上がってきた机の足部分を、リドウは更に何度も斬り付ける。と言っても、あまりにも速すぎて彼女には全く見えなかったが。
リドウが刀を収めると……空中に浮かぶ木製の錐が数本。彼はそれをぱしっと手で掴み取って――
ぶんっと腕を横薙ぎに振る。
恵子の目には留まらぬほどの速さで飛翔した木の錐は、ゾンビたちの『両足』を正確に貫いた。
一瞬の間を置いて魔力の粒子へと還るゾンビたちを呆然と見る恵子に、リドウはふふんと得意げなドヤ顔で振り返る。
「どうだ?」
「この負けず嫌い。でもぶっちゃけスゲェ……」
「ほんの余芸だがな。手元を離れたら闘気の守護を失っちまうから、相手が能力者じゃ大して使えやしねぇ」
ベレッタを返しながら肩をすくめるリドウであった。
――かように、ゾンビの『急所』は『足』であった。恵子が望むのは殺人ではなくあくまでも『相手を止めること』である。そのための訓練施設なのだから、ゾンビの急所も『両手足』に設定されていて、他の位置を撃っても銃弾程度のダメージで活動を停止するようにはなっていないのだ。ちなみに遺跡の『魔石変換システム』も組み込まれてはいないので、直接魔力の粒子となって地に還るようになっている。
だからリドウが軽く闘気込みで蹴り飛ばしたのにも耐えたし、先ほど恵子が錯乱して滅茶苦茶に撃った時も止まらなかったのである。
「さて、もう時間が押してる。こっからはお前さんの訓練よりも攻略を優先するが、いいな?」
「うん」
その後はリドウの協力も得て一通り施設の確認が終わり、洋館から『脱出』を遂げた恵子は、とりあえず本日の『地獄』からは開放されたなと、晴れ晴れしい顔で伸びをする。
が、すぐに明日からは一人で来なきゃいけないのかと思い出し、顔に影が差してしまっている。
でも……
「頑張ろう」
確かな決意が篭った顔で呟く。
別に誰かに聞かせようという言葉の響きではなかった。ただ自分に言い聞かせるためのその言葉。
そう思った瞬間、まだまだ頑張れるんじゃないかという思いが湧き上がってくる。
「……やっぱりあたし、もーちょっとやってく。できれば今日中に『レベル2』まで行っておくわ」
「そうか。俺は予定が詰まってっからもう付き合えねぇが、あんま無茶すんなよ」
「うん」
頷くと、さっそく洋館の中に消える恵子の背中を眺めながら、リドウは煙管を取り出す。
ふぅと一息してから、
「さて。俺もさっさと片付けるか」
と呟きながら向かう先は城ではなく、洋館から庭園を挟んで向こう側に見える遺跡の方だった。




