第六十六話 昔、昔。
愛奈は襲いくる強烈なプレッシャーに冷や汗をする。今にもテーブルに手をつき、ともすれば突っ伏してしまいそうになる己の体を必死で叱咤して。
不動の構えを見せるリドウや魔王様たち、そして自分も冷や汗しながら愛奈をじっと見つめている千鶴と、おろおろとあちこちに視線を彷徨わせている恵子。
そんな中で、愛奈に特別な好意を抱いている男の娘はといえば、余裕の微笑さえ浮かべながら彼女を見ていた。
シャイリーの様子が目についた恵子が、何であんたがそんな余裕でいられるのよと、半ば非難するような目つきで睨んでしまうも、彼は愛奈を見つめるばかり。
そのまましばしの時が過ぎ去る。
恵子はすっかり血の気が失せてしまった顔の愛奈を見て、このままじゃ倒れてしまうのではないかと心配し、意を決してリリステラに物申そうとする。
がその瞬間、愛奈を見るリリステラの顔がふっと緩むのが目に入り、「え?」と疑問を感じながら口を閉じてしまう。もっとも、それはほんの一瞬のことで、リリステラはすぐに厳しい顔つきに戻ってしまうし、未だプレッシャーはそのままだったが。
「単純にお言葉通りの意味ではなさそうですね。そのお心は如何なものでしょう?」
「そ、その……だって……」
言いよどんでしまう愛奈であったが、突如首を横に振ったと思うと、きりっと顔全体に力が篭る。
「だって、本当にピンチになってる時にまで反射的に使わないなんて、たぶんできません。それに、事故に遭いそうになってる人とか、魔法を使えば助けられるようだったら、私絶対に使っちゃいます」
特に後半で、愛奈は力一杯に断言した。
両者はしばし見詰め合う――片方は無表情に、そしてもう片方は挑むような眼差しのまま。
そして……
「なるほど……」
リリステラの唇がふっと微笑を形作る。今度はすぐに戻ったりせず、張り詰めていたプレッシャーも暖かく緩んだように感じる愛奈である。
「極めてわたくし好みのお答えを頂戴できたことを、わたくしはとても嬉しく思います」
「じゃあ!?」
愛奈の確認の声に、リリステラは常のにっこり笑顔で頷く。
そうしていると本当に女神か聖母のような優しさだけしか感じられない。愛奈はぽわーっと頭が暖かくなる気がする。恵子が慕うのも分かるなーと上の空で思う。
「よろしいでしょう。これより我が城は愛奈さんを全面的にお支えすることを、わたくしの名においてお約束致しましょう」
「ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げる。
「いいえ。わたくしの方こそ感謝の意を示すべき……いえ、むしろ謝罪すべきでございましょう」
「え?」
「あなたがとても善良な人間であることなど最初から分かり切ったことでしたのに、わたくしは脅しをかける愚を犯してしまいました」
「そ、そんな……!」
ご理解下さいと頭を下げてくるリリステラに、愛奈は恐縮しきりに慌てながら両手を目一杯に振っている。
落ち着けという意味なのか、すっと平手を前に差し出すリリステラに、愛奈は取り合えず大人しくなった。
「では、愛奈さんはお休み下さい」
「あ、いえ……その……」
愛奈は途切れ途切れの声で、顔を上げたり下げたりしながら、ちらちらとリリステラを窺う。
「……目、覚めちゃいましたので……」
「左様にございましたか」
にっこり笑顔で、しかしそれ以上の言葉は無かった。
愛奈が席に座りなおしたのを見届けたリリステラは、おもむろにリドウへ視線をやる。
「それでは――リドウ」
リリステラの言葉に反応して、リドウは閉じていた目をゆっくりと開く。
「あなたにもわたくしから知りたいことがあるようですが、その前にまず、あなたがこの旅で何を得たか――聴きましょう」
「ああ」
リドウは静かに語る。
早々に千鶴と出会い、リリステラの説が大凡正しかったと証明されたことから始まり、更に愛奈との出会い。
次に新たな魔王、剣姫ルミナリア・ファルミとの激闘の談になって、魔王様方が一斉に目を輝かせた。
「へえ。あの女、魔王に覚醒しやがったか」
「これは一度、わらわの方から直々に挨拶に出向かねばならぬかのう」
にんまりと唇を歪めているザイケンにサキである。この二人、どうもあまり仲が良好とは言い難いらしいが……もしかしたら、千鶴とベアトリクスのように、似た者同士故の同属嫌悪というやつなのかもしれない。
リドウは特に何も言うことはなく続ける。
ルミナリアとの出会いからしばらくして、今度は日本出身の勇者と遭遇したことを話す。
「そういや、兄貴に伝言を預かってるんだった」
「ルミナリアじゃなくてか?」
「ヴィレッタって緑髪の女だ。覚えてるか?」
「この前迷い込んできた嬢ちゃんだろ? シュライゼルまで送ってやったっけな」
「……十年以上前の出来事を『この前』で済ますなよ」
呆れ顔のリドウの台詞だ。
少女たちは一様に全くだと頷いているが、ザイケンは笑いながら手をひらひらさせている。
「この年齢になると、細かく年月を数えるのが億劫でなぁ」
「都合のいい時だけ年寄りを主張すんじゃねぇよ。まあいい。とにかく、そのヴィレッタからあんたへの伝言だ――今でもあんたを愛してるってよ」
うわー、と恵子や愛奈が顔を赤くして、千鶴の興味深そうに目を細めながら、ふーんと普通に相槌を打っているザイケンを見る。彼女たちの脳裏にはヴィレッタの姿が浮かんでいた。
しかし、当時は十代半ばだったであろうに、お相手のザイケンは見た目に三十代後半から四十代前半。魔王に実年齢を言っても仕方ないのだろうが……恵子の『おじ様』は本当にただの呼び名にしても、完全に犯罪臭のする組み合わせだ。
もっとも、ヴィレッタが惚れてしまうのも無理はないかなとも同時に思う少女たちである。ザイケンは見事に外見の年齢に見合った渋いおじ様である。弟分のリドウのハードボイルドっぷりにダンディさまで加わったその姿は年上好きにはたまらないだろうし、絶対的自負心が醸し出す圧倒的な覇気は異性の心を掴んで離さないだろう。こんな男と比べてしまっては普通の男など目にも入るまい。それこそリドウくらいしか、並び立てる男など彼女たちは知らない。愛奈を除いた恵子や千鶴であれば、他にもアレクサンドル・ラヴァリエーレやガルフ、次点でハインツや、今は亡き至高の聖職者らの心当たりもあったが。ちなみにシャイリーに関しては、少女たちは例外なく『別枠換算』していた。
「ふんっ。手が早いのは相変わらずのようじゃのう。この女の敵めが、やはり一度くらいは仕置きが必要なようじゃな!」
「てめぇに言われたかねぇ! てめぇなんぞ男でも女でも見境なしだろうが!」
「落ち着けよ」
リドウが言うも、二人揃ってギンっと睨まれてしまい、流石の彼もこの二人のそれにはちょっと気圧され気味だ。
「大体、何であんたら、そんなに険悪なんだ?」
と質問するが、肝心の二人は互いに一度睨み合うと、ふんっと顔を背けてしまったっきり話そうとはしない。
代わりに答えてくれたのは、楽しげに声を上げて笑っているリーチェンであった。
「ほっほっほ。その二人はの」
「あ、てめっ、黙れリーチェン」
「昔、付き合っておったのよ」
リーチェンはザイケンの静止の声などナチュラルに聞き流した。その口からもたらされた驚愕の事実に、リドウは大きく目を見開いて二人を交互に眺めている。
その二人と言えば、両者ともに面白くなさそうに、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「ちっ、若気の至りだ」
「それはこっちの台詞じゃ。貴様の浮気性にはどれほど泣かされたことか」
「てめぇが大人しく泣き寝入りするようなタマか!? 無人の孤島とはいえ、あん時の喧嘩で島一つ沈んじまったの、忘れたたぁ言わせねぇぞ! 結局リリィに二人揃って仲良くぶっ潰されて、俺こそ泣きたかったわ! そもそも、てめぇもさんざ他に男も女も作りまくってただろうが!」
「泣いたのは真実じゃ! 貴様がわらわの可愛い子猫ちゃんを寝取ったのを忘れたとは言わせぬぞえ! あの時ばかりは本気で泣いたわ!」
「知らなかったんだって何度言ったら分かるんだ、このクソ女狐!」
がるるると牙を剥いて睨み合う元恋人同士であった。
なんか、聞いていると「どっちもどっち」としか思えないしょーもない理由だ。それで島一つをぶち壊したとは、流石は魔王としか言いようが無いが……見事なまでに人類にとって傍迷惑極まりない。それでは邪悪な魔王扱いされても文句は言えないなと、少女たちは頬に汗を流しながら引き攣った顔で考える。
「兄貴にもそんな頃があったのか……」
憧れの対象の一人である兄に、そんなに異性にがっついていた時代があったとはと、リドウが遠い目で呟いている。
「ザイケンさんって、ホントにあんたのお兄さんなのね」
「いや、俺はそこまで酷くねぇだろ」
「五十歩百歩とか、目糞鼻糞を笑うって、ちゃんと通じる?」
「…………」
リドウは思い切り顔を引き攣らせて黙ってしまった。珍しく完全勝利を飾れた恵子といえば、これ以上ない得意げな顔をしている。その表情は、これに懲りたら女タラシは卒業しなさいと語っていた。
「あれは千と数百年ほど前でしたか。まだサキが魔王に覚醒して間もない頃でしたね。近頃はザイケンも、あの頃に比べれば随分と落ち着いてきたものです。それはそれで少々面白くない気がしなくもありませんが……わたくしにとっても懐かしい話です。あの時はわたくしも、大人気なく少々本気を出してしまいましたが……そう、本当に懐かしい話だと思いませんか……? ザイケン、サキ……」
うふふと柔らかく笑っているリリステラであるが、その千数百年前、ザイケンとサキを一緒くたにぶちのめしたのは間違いなくこの人なのを忘れてはいけない。笑顔の中で唯一笑っていない部分が、もしこの場でおっ始めるようなら再び同じ目に遭わせると、冷たい輝きを放っている。
「ま、まあ、今更蒸し返しても詮無き話よの。だからそんな殺気立って見ないでおくれ。お前様の殺気はまこと、この身に応えるのじゃよ、リリィ」
サキはどこからか取り出した扇で、汗が浮き出る己の顔に風を送りながら言う。何らかの鳥らしき生物が描かれており、非常に美しい造りだが、全体が銀色に彩られている。おそらく鉄製なのだろう。しかし彼女が己を扇ぐ仕草に重さは全く感じられない、実に優雅な風情である。
そのまま扇で口元を隠してザイケンを見る。隠れた口元は良く分からないが、その目は悪戯っぽく笑っているようだ。
「まったく、八百年かくらいも無沙汰しておったくせに、いきなり顔を見せたと思えば、あの貴様が! 戦鬼ザイケンが! 天武殿の真似事をして己の技を他人に授けておるとはのう。挙句、わらわに二十歳そこらの若造如きの相手をしろときた。思わず、閨でか? と問うてしまったわらわの気持ちを察せい。あの時はとうとう気でも違ったかと思ったぞえ」
ザイケンはふんっと鼻を鳴らしている。
一方でリドウは、訝しげに目を細めながらサキを見つめていた。
「……もしかして、『準備』ってのはあんたのことか?」
「そうです」
答えたのは本人ではなくリリステラであった。
「わたくしがザイケンに、サキを探してくるよう頼みました」
「…………」
「あなたには一刻も早く魔王に覚醒してもらわねばなりません」
「サキの姉御を相手に真の敗北を知れ――ってことか?」
たとえ未だ勝利への道筋が見えぬ家族たちと同格の相手だろうと、負ける気はさらさらないと、強烈な思いが篭った目でリリステラを射抜く。
「敗北? いいえ――ああ、なるほど」
リリステラはうふふと声を零して笑う。
「魔王への覚醒には絶望が不可欠とあなたも知りましたか。教えたのは新たな魔王、剣姫殿ですか?」
「まあな」
「あなたにそれが難しいことなど、育てたわたくしが最も良く知っています。いえ、今のあなたがサキと闘い、勝利することはまず考えられませんが、敗北による絶望などあなたには無縁のことでしょう。あなたが魔王へ覚醒する絶望を得る道はただ一つ――限界を超えなさい」
「別にあんたら相手に修行してりゃ良くねぇか?」
予想していたので驚きはしなかったが、それそれで、なぜサキが必要になるのか疑問なリドウだった。
が、リリステラは静かに首を横に振る。
「あなたは我々三人と試合う時は、我々の得意分野に合わせて闘う悪癖があります」
「そうか?」
「ああ、あるな。お前さん自身は無意識なんだろうが」
「わしら一人一人の全てを超えてやりたいという気がそうさせるのじゃろう」
「ですから――サキなのです。絶閃と万象はわたくしでも居所を探るのは不可能に近いので。いえ、そういう意味ではサキも同様ですが、この者の場合は自重を知らぬ分、探し易かったので」
「落ち着きの無い小童みたいな言い方はやめてくれぬか、リリィ」
困った様子で言うサキであったが、リリステラの方は「おほほほ」と優雅に笑うばかりで、撤回する気は欠片も無いらしい。
サキは何も言わずに深々と嘆息すると、
「ま、そういうことじゃ。いつでも遊んでやるから、精々わらわを楽しませるのじゃぞえ」
口元を扇で隠しながら、しかしにんまりと目元を緩ませてリドウを見る。
「へえ? 上等じゃねぇか。じゃあさっそく、たっぷり遊んでもらおうかね」
手をぼきぼきと鳴らしながら、闘志を漲らせている。遊んでやるなどと言われてしまい、目にモノ見せてやるとか思っているっぽい。
「お待ちなさい、リドウ」
「んだよ」
「まだ話は終わっていませんよ」
「…………」
凄味の宿った視線に射抜かれ、一気に大人しくなるリドウである。
あのリドウをこうさせてしまうとは、本当に凄い女性だなと、連れの女性陣は感嘆の眼差しでリリステラを見ていた。
そのリリステラはおもむろに席を立ち上がると、窓の方へ歩んでしまい、外に広がる雲一つ無い青空を見上げている。
「あの者の復活が近い……あなたはそれを知ったから戻ってきたのではないのですか?」
「気づいてたんだな?」
やっぱりなという風情で確認する。
「ロンダイク聖教と名乗る者共の狙いがあの者の復活であることは、ザイケンより教えられた情報から、以前より予想していました」
声音は淡々としている。だが、慈愛の篭ったいつもの声よりも、どこか悲哀が感じられる気がする。向こうを向いてしまっていて表情は窺い知れないが、どんな顔をしているのか気になるところだ。
「我が身の存在を隠匿すれば、いずれ動き出すであろうことも」
「どうして放っておくんだ?」
「わたくしは迷いの淵に居ます」
「迷う? あんたが?」
「わたくしとて生ける者。迷いの一つくらいは持つものです」
リリステラは空を見上げたまま淡々と繰り返す。
「彼の者は魔王にして魔王にあらず。しかし人ではなく……あの在りようは神」
「神だ?」
「まさしく『神』とは彼の者のためにある言葉と言って構わない」
「良く分からねぇな。ちゃんと順を追って話せよ」
リドウの言葉を機に振り返ったリリステラ。その目は閉じられており、何を思うのか他者に容易には窺わせない。
「あれは、わたしですら気の遠くなるほど遥か遠い昔のことです。思えば哀れな人間でした……」
リリステラは静かに語る――
その人間は凄まじい才を持ちこの世に生まれました。そう、それこそわたくしすらをも超越するほどの天才だったのです。
ですが、時がその者に、正道を歩むことを許さなかった。
当時、人の世は腐り果てておりました。現在とは比べるべくもないが、しかし現在を除けば、人の世は最大の隆盛を誇った時代。強力無比な魔物の数もまだ少なく、人々が安寧を貪った時代です。
伝説級の魔物は存在しなかったのか、ですか?
ええ。古代竜を筆頭とするあの手の強力無比な魔物が生まれるのは、それより千年から二千年も後の話です。あの者の手により人の世が衰退してより、数を多くしたA級の魔物たちの中から、突然変異的に生まれたのが伝説級の魔物です。
話を戻しましょう。
彼の者には美しい恋人がおりました。わたくしですらため息するほどの美しき女性でした。
それが故に、心無き権力者の目に留まってしまった彼女は……
これ以上は言わずとも知れるでしょう?
あの時ほどわたくしは……人の世は人の手にのみより運営されるべきと、善き魔王ぶって不干渉を貫いていた己自身を恨んだことはありません。
残念ながら彼の者に、闘うための才は無かった。我々やあなたのように、国と喧嘩できるほどの力は無かったのです。
彼の者以外に汚されるくらいならばと、彼の者の恋人は自ら死を選びました。恋人を失った彼の者は当然の帰結として復讐の道を選びましたが、彼の者には力が無い。
だが、天才である彼の者は考えました。そしてある結論に達したのです。
すなわち――【心環結界】。
心環結界とは、人々の意思の力をそのまま己の力へと変換する術式。彼の者はそれを編み出し、更にはその術式を己の身の内に埋め込んだのです。
闘争の内に在り、善き心を持っていられる者などまず存在しません。思うのは敵意、憎悪、怨念……そういった『負の感情』を己の力としてしまう心環結界を前に、人間は決して抗えない。強き力の持ち主であれば、強き意思の持ち主であれば、その強き力が、強き意思が、そのまま彼の者の力になってしまうのですから。
故に――神。
その力はあまりにも絶大でした。人の身のままでは決して扱いきれぬと本能が判断したのでしょう、彼の者の身が魔王と化すのにさして時間は掛からなかった。
ですが、いくらその身を魔としようと、その精神は所詮は人の物。扱いきれぬ力に心が侵されてしまうのにも、さして時間は必要とされなかった。ましてや力の源は人々が放つ『負の感情』です。狂ってしまうことなど自明の理。
彼の者は魔王であり、魔王ではなく、人々にとっての神ではあるが、その性質は邪神――
「彼の者の名は【破壊神ヴェイン】」
語られる『神』の真実。想像を絶する凄まじい反則具合に絶句している一同を見渡しながら。
「ヴェイン? そりゃあれだろ、勇者召喚の術式を開発した野郎じゃなかったか? 偶然の一致って落ちか?」
「いいえ。彼の者とは違いますが、全くの無関係とは言えません。『ヴェイン』とは名ではなく号なのです」
「はん?」
「今では廃れて久しいですが、古き者たちには有名な諺が一つあります――ヴェインの前に魔を導く術は無い――と。魔導学を史上初めて編み出したのはヴェインという人間なのです。テトスラトスとは以降、彼の者に賛同する者たちが寄り集まって出来た集落の呼び名であり、ヴェインはその中で最も優れた術者に与えられる一子相伝の称号です」
「なるほど」
「テトスラトスの血族には、希にとてつもない天才的頭脳の持ち主が生まれます。それは例えば初代ヴェインであり、破壊神と堕ちた十五代目であり……勇者召喚を編み出したのもそういった者でしょう。その者はおそらく三百代目くらいになるでしょうが」
リリステラは席に座り直し、両手を組んで、そこに額を置いて項垂れるようになってしまう。
「あの時、わたくしは私用で遠方の地におりました。わたくしがあの時、彼の者たちの傍にいられたならば、彼の者の恋人を奪おうと画策した愚か者共の国など、わたくしがこの手で後腐れなく即座に滅ぼしてくれたものを……」
国を滅ぼすと、沈痛な声であったが、その台詞自体はあっさりと言ってのけるリリステラに、恵子たちは戦慄してしまう。
「あんたにそれができるのか?」
五千年前であろうと、その行為自体は至極容易かったであろうとリドウは思う。この台詞はそんな残酷なマネができるのかという意味であった。
「わたくしは魔王です。わたくしにとって大切な者を守るためであれば、如何な犠牲すら考慮は致しませんよ」
「……そいつ、あんたの恋人でもあったのか?」
「いいえ。彼の者はとても純粋な心の持ち主でした。彼の者の恋人一筋の、とても可愛らしい人でしたよ」
リリステラは破壊神と化す以前のヴェインを思い出しているのか、ようやく柔らかい微笑を浮かべる。
「だが、親しい知り合いじゃあったようだな」
「テトスラトスの血族とわたくしには、決して浅からぬ縁があります。わたくしがこの身を魔と化してより教えを請うた者は初代ヴェインのみ。以来、わたくしは彼の者たちの守り手でもありました。そして破壊神ヴェインは――」
ふっと微笑を深める。
「得難い友人でした」
「わしらのような存在が、同じ魔王以外に友人なんぞ、まず作れるものではないからの。貴重な人間だったようじゃな、その男」
「ええ。とても善き人間でした」
リリステラは沈痛な面持ちに戻ってしまう。
「だからこそ、己の愛した人を奪った醜き人々が許せなかったのでしょう。心環結界を用いれば狂ってしまうなど自明の理。開発者の彼の者自身、使用する前からそんなことは分かりきっていたはずです。それでも使用せずにはいられなかった彼の者の心を思うと、今でもわたくしは胸が張り裂けんばかりに痛みます」
ゆっくりと首を横に振って嘆く。
「思慮深く、善良な心の持ち主でした。故に彼の者は心環結界をこの世に残すことはしませんでした。よって現在に心環結界は伝わっておりませんし、彼の者以外が新たに編み出せるものでもありません。あの術式は真の天才が狂気の末に、奇跡的に創造してしまった間違いのようなものです。勇者召喚の術式とは次元が違います」
「なるほど。だが、今一理解できねぇな」
「何がでしょう?」
「それで何で、テトスラトス一族とやらは、破壊神を復活させようとしてやがんだ?」
「彼の者の復活を画策する者共はテトスラトスの血族ではありません。あの出来事以降、わたくしはテトスラトスの血族と袂を分かちましたが、彼らは今でもこの世界のどこかで、ひっそりとこの世の理の探求に精を出していることでしょう。勇者召喚の術式を提供した幾百代目かのヴェインが、なぜ勇者召喚の術式をロンダイク聖教へ提供したのか、その心はわたくしも知りません。あるいはヴェイン=テトスラトスの名を騙っただけの偽者という可能性もあるでしょう。破壊神を生み出してしまった罪を背負い、彼らは表から姿を消してしまい、この五千年間、一度も公に姿を現しませんでしたが、学者の中には知る者も少なからず居るでしょうから」
「じゃあ、結局何モンなんだ?」
「彼の者の眷属です」
リドウは眉間に皺を寄せてしまう。
「破壊神の眷属?」
「そうです。彼らにとって創造主たる彼の者はあらゆる意味で神。その復活を望むのは当然のことでしょう」
「五千年以上も無事に稼動を続けてるってのか? そんな芸術品、狂ったオツムでよくぞこさえられたもんだな」
「狂ったとは言え、意識まで狂気で塗り潰されてしまったわけではありません。その精神が敵意、憎悪、怨念……そうした諸々の『負の感情』から思考が破壊へ偏っているだけで、その天才は健在です。破壊の一助となるならば、眷属の創造もしてのけます。そもそも、狂気に支配されるままにただ大きな力を振り回すだけの愚物に、わたくしが苦戦するはずがないでしょう」
「道理だな。しかし、マジに苦戦したのか? あんたが――そんな生まれたてに」
信じられないと暗に語るリドウに、しかしリリステラは真面目な顔で首を縦に振る。
「あなたはおかしく思いませんか? わたくし以外に、あの『黄昏』以前から生きる魔王が存在しないことに」
「別におかしいとは思わねぇが? みんなあんたに突っ掛かった挙句に滅んじまったと思えば。が、つまり違うってことか」
「彼の者の力は絶大でした。心環結界の効力は対象物との距離が離れるに連れ弱まりますが、効果その物は世界のほぼ全体を覆い尽くす規模なのです。人々の意思の力は、我々のような存在からしてみれば、一人一人の持つものなど、比べるべくもない脆弱なものです。が、それも世界全体のものともなれば、それはあまりにも膨大です。当時存在したわたくし以外の魔王は皆、彼の者との戦いで滅びました。彼らの身を呈した協力が無ければ、わたくしが彼の者を封印することは叶わなかったでしょう」
「そりゃとんでもねぇな……」
流石のリドウも、破壊神とやらの桁違いの力を想像して、戦慄と共に低く唸っている。
「……だが、今のあんたならどうだ?」
「当時の彼の者であればまず勝てます。ですが……」
リリステラは言葉を濁しながら目を瞑る。
「人の世は現在、当時とは比較にならぬほどの隆盛を誇っています。それはすなわち、その隆盛がそのまま彼の者の力となる」
「そういうことか……」
リリステラ的計算では、自分の力だけで破壊神を倒すことはできないようだ。
破壊神を倒すだけならば、力の源である人間を殺しまくってしまうという簡単な方法もリドウは思い浮かんだが、それができてしまう義母ではないと、彼は良く知っていた。
「先ほども申したように、人の身で彼の者と戦うことはできません。特にあなたのように強靭な意志力の持ち主では、彼の者へより強き力を与えるだけです。魔王でなければ……」
「魔王なら戦えるのか?」
「あなたも知るように、魔王とは『この世の理を外れてしまった存在』です。そのアストラルボティは浮世から完全に隔絶しています。その副作用として、精神攻撃の類は一切通用しません。逆説的に、魔王であれば、彼の者に力を与えてしまうことはないのです」
リドウは難しい顔で黙り込んでしまう。
これはいよいよ魔王に成らなくては話にならなくなってきた。そんな存在との戦いで、家族たちが戦っているのを傍観するなど断じて願い下げだ。
「もう一つ、訊かせろ」
「何ですか?」
「今なら、あんたが出張りゃ、解決するのは容易い。違うか?」
まるで敵対者を見るような目ですらあった。
しかし、リリステラは微笑してそのプレッシャーを受け流すと、突然遠い目になって、どこでもない彼方を見つめる。
「わたくしは試してみたかった……」
「試すだ?」
「人々の善き心と悪しき心、果たして勝るのはどちらなのか……彼の者を復活させればそれが判るとは思いませんか?」
「…………」
リドウは答えなかった。彼にとってそんなことは“決まりきって”いたから。そしてそんな“当たり前のこと”など、リリステラも理解しているはずだと知っていたから。何せ自分に“それ”を教えてくれたのは目の前の義母自身なのだから。
「なれば、彼の者と我々『生ける者』……生きるべきは、滅びるべきは、果たしてどちらに定めが在るのか……」
「そういうことか……。あんたが無闇に外界の情報を知ろうとしなかったのも?」
「知ってしまえば手を加えたくなるのが人情というものです。事この件に関しては、わたくしは定めのままにあるよう傍観する心積もりなのですから、そうするわけには参りません」
「やっぱな」
リドウには十分納得に値する理由だった。
だが少女たちはどうだろう?
ちょっとした興味が湧いてきたリドウは、ちらっと彼女たちが座る方を確認するのであった。




