第六十五話 弟子入り
サリスが豪奢なあしらいの大きな扉に向かって手をかざす。それだけで自動ドアよろしく、扉がぎぃっと音を立てて独りでに開いた。
中で待ち受ける存在に、一同は緊張感がいよいよ最高潮に高まる。
が、その中を視界に納めた瞬間、ぽかんと呆気にとられてしまった。
「あっ、てめっ、そりゃ俺の酒だぞ!?」
頭に角を生やした不良中年が怒号を発っしている。
それを受けるのは“頭髪の一部が獣じみた耳を呈し、和服っぽい代物に身を包んだ”妙齢の美女だった。
「貴様の物はわらわの物、わらわの物はわらわの物じゃ」
「この女狐ぇっ、やっぱいっぺん決着つけるかこらぁっ!?」
「百五十六戦して未だ勝敗がつかぬ我らじゃが、そろそろここらで力の差というものを思い知らせてやろうかのう」
「これこれ」
額に青筋こさえて闘志を滾らせるザイケンと、ぬっふっふと挑戦的な笑みで睨み合う女狐さん。
常人ならば、その気配に中てられただけで気絶ものの極悪な雰囲気の中、のほほんと二人の間に割って入ったのは、白に近い金髪に長い髭を生やす、仙人じみた外見のお爺さんであった。
「いつまでも若いのは結構じゃが、酒一つでそういきり立つでない。子供が見ておるしの」
「そうですよ、二人とも。超越者たる我々魔王には、それ相応の振る舞いというものがあります」
そして、満を持して最奥のソファから優雅に立つ女。見た目の年の頃は二十代半ばから後半。ウェーブが掛かった輝くような金髪が優雅さを象徴する、人間離れしたスタイルをした美貌の女性である。
足音すら立てずに歩く様はどこまでも優麗であり、千鶴ですらも思わずごくりと喉を鳴らしてしまっている。
このルスティニアにて誰もが最強と認め、誰もがそれに疑いを持たない現人神。魔王の中の魔王――魔神リリステラは、固唾を呑んで見守るという言葉通りになっている少女たちの前まで歩むと、柔和な笑顔で一同を睥睨した後、更に笑みを深めると、優しくリドウを抱擁する。
「少し見ぬ内に大きく成りましたね、リドウ」
「いや、この年になって一年程度で大きく外見が変わるもんじゃねぇだろ」
「子を持ったからには一度言ってみたかったのです」
口調は大真面目だが、言っていることはジョーク以外の何物でもない。
ここはツッコミを入れるべきなのか、それとも笑うべきなのか、はたまた他に反応のしようがあるのか、少女たちは迷ってしまい、ますますかっちんこっちんになっている。
一人だけ、そういえば案外お茶目な面があるんだよなと思い出している少女もいたが……こういう時のリリステラにどう対応すべきなのかは、友人たち同様、今でも今一把握できずに「あはは」と力なく笑っている。
「ほう」
そして、リドウを見た女狐さんはきらんと瞳を光らせる。
「スキあり!」
「ぬっ!? ……ちっ」
その一瞬の間を突き、酒ツボを奪い取ったザイケンが、実に嫌味ったらしく唇を歪めながら、悔しげに呻く女狐さんを見ている。
一部始終を見ていた若者たちは、僅か一瞬の出来事が目にすることすら叶わず、こんな下らない一事で魔王という事実を再確認している自分に、何だかとっても気が抜けてしまう。
と、ザイケンは奪い取った酒ツボをリドウに放り投げた。
「ま、やれよ」
と言われたリドウであったが、恨めしげに酒ツボを目で追っている“見知らぬ魔王”に、流石に飲んでしまっていいのか迷っているのか、己の手と女狐さんの間で視線が彷徨っている。
「わらわには寄越さなかったくせに、なぜあやつには自らくれてやるのじゃ」
「ああん? てめぇみたいなクソ女狐と、可愛い弟分とで、扱いが変わるのは当然だろ」
「こんな美人よりも男を優先させるとは……この男色鬼め」
「やっぱいっぺん決着つけるかああっ!? んで、泣いて『もう許して下さいザイケンさま~』って許しを請うまで俺が男だってこと分からせてやんぞこらっ!」
「女を力ずくでモノにしようとは、見下げ果てた魔王もいたものじゃのう」
くけけと笑う女狐さんであったが、そこでザイケンの相手は切り上げ、おもむろにリドウの傍まで歩いてくる。
和服っぽい衣装を大胆に着崩し、真っ白な肩が完全に露になっており、豊満な胸の谷間がこれ見よがしに開かれている。一歩足を進める姿ですら妖艶な色気を発しているが、しかし……仕草の一つ一つに無駄が一切存在しないことにリドウは気づく。
ザイケンが女狐と繰り返しているが、なるほど、髪の色が白一色なせいで一目では思い至らなかったが、言われてみれば髪の一部の耳っぽい部分は狐の耳に見えなくもない。釣り目気味の相貌に妖しく光る紅眼がまた麗しく、男を惑わす女狐とは言い得て妙だ。
しかし、白髪に紅眼。どことなく先日まで行動を共にしていた王女様を思い起こさせる外見だが……やはり、“そういうこと”なのだろう。
「ふむ……」
この女狐さん、背丈はリリステラよりも僅かに高く、千鶴と同じくらいの背丈であるが、リドウ相手では少し見上げるような形になる。
しかし、背丈の小ささなど、彼女特有の存在感が、他人に全く感じさせない。
色っぽい仕草でリドウの顎に指を当て、少し持ち上げるようにして彼の瞳を真っ直ぐに覗く。彼の方も揺ぎ無い目で女狐さんを迎え撃っている。
と、女狐さんは途端に満面の笑みをともしたと思うと、
「うむ」
などと満足そうに一つ頷く。
「若造にしては好い目をしておるのう。流石はリリィご自慢の息子殿といったところか」
「お初にお目に掛かる。その白髪に紅眼、魔王唯一の殲滅師、【麗覇】とお見受けする」
「左様。わらわこそ、天武、絶閃、万象、ついでに男色鬼らと並び称され、その実この内で最強の魔王、麗しき覇王、サキなり」
両手を腰に当ててドドンと胸を逸らしながら、自慢げに堂々と言い切った。
「誰が最強だぁ?」
「それは流石に聞き捨てならぬのう。最強はわしじゃ」
「ふんっ。わらわよりちょーっと長生きしておるからといって、いつまでも己らが最強などと言わせてはおかぬよ。千年前ならいざ知らず、今ならばわらわの方が上じゃ。殲滅師なめるでないわ」
イイ笑顔で睨み合う三者であった。
が、その笑顔が途端に凍り付く。
「おほほほ。所詮は三千に満たぬ若者など、わたくしの目から見れば同じようなもの。どんぐりの背比べに必死になってばかりでは困りますよ。子供たちの前なのです。魔王の威厳を見せなさい」
「うっ……」
「す、すまねぇ……」
「そんな怖い顔せんでくれ、老い先長いわしの存在せぬ心臓が止まってしまうぞい」
リリステラがどんな顔をしているのか、背を向けられている『子供たち』からは見えなかったが、それはきっと、見れなくて幸いだったのだろう。
子供たちは、あまりにも想定外の展開に、固まったまま言葉も無い様子だった。
それが、リリステラがぱんぱんと手を叩くと共に、はっと意識を取り戻す。
「では、遅ればせながら、ここで一つ、お互いに自己紹介といきましょう」
「麗覇サキじゃ!」
サキが間髪入れずに、再び腰に手を当てふんぞり返りながら言った。
「戦鬼ザイケン」
「わしは天武リーチェンじゃよ」
ザイケンはよっと手を挙げながら陽気に言い、リーチェンは顎鬚を撫でながら言う。
「そしてわたくしがリリステラです。リドウの母であり、人々は魔神と呼びます」
魅力的な笑みを浮かべるリリステラを見ながら、少女たちが思うことは一様にこの一事であった。すなわち、「濃いなぁ……」。流石は魔王だ。常人の自分たちなんて完全に霞んでいる、と。
魔神リリステラ。この世ならざる美の極致を謳われているが、実物を前にするとあの千鶴ですら言葉を失うほどの美貌だった。単純な顔の造作では、両者は最早比べられるものではないが、永き時を生きた圧倒的存在感が放つ輝きは、この世の美の全てが彼女を前に色褪せるだろう。平然としているのは、慣れがあるリドウや恵子だけだ。
「俺はいいだろ。こっちから恵子、千鶴、愛奈。こいつらは例の日本人で、こっちの金髪はルスティニア人のシャイリーな。このシャイリーは爺さんに弟子入りしたいってことで、ここまで一緒に来た」
「わしに?」
「は、はい!」
シャイリーは緊張に強張った声で半ば反射的に応えると、リーチェンの傍まで歩み、拳に握った右手を左手で包むようにして跪く。
「恐れ多くも恥ずかしながら、この身は我らが始祖たる御身を目指し邁進して」
「堅苦しいのは好かぬ。それがお主の普通ということもあるまいて」
「は、はぁ……じゃあ、単刀直入に――」
シャイリーは顔を上げると、真剣な目でリーチェンを見つめる。教えを請う立場として、文字通りに請うような眼差しであった。
「弟子入りしたいんですけど」
「よいぞ」
「かるっ!」
反射的にツッコミを入れるのは恵子の役割である。
「あっさりですね!?」
リーチェンは顎を撫でながら好々爺然と笑っている。
「なーに。リドウのおかげで、久しく忘れておった『育てる楽しみ』を思い出しての。才もありそうじゃし、暇潰しにはもってこいじゃろ」
「ってか今更ですけど、お爺ちゃんホントにリーチェンさんなんですか?」
「この格好のことかの? いや、廊下で不意にかち合うたびに、サリスたちが保護したオナゴたちが悲鳴を上げるわ、酷いと失神してくれるわでの。幻影を纏っておるだけで、本体はほれ――」
と幻影を解くと、露になる人体骨格。
ホラーチックな雰囲気でなかったから平気だったが、でなければ愛奈あたりは本当に失神していたかもしれない。それでなくとも顔が真っ青だし。千鶴やシャイリーも目を剥いている。
「なぜ、あれで『生きている』の……?」
千鶴は思わず小声で零してしまう。
「魔王に常識を求めるな。もっとも、爺さんの場合は『生きてる』って言っていいかは本当に怪しいらしいがな」
「それはどういう」
「今度説明してやる」
というやり取りをしている二人の視線の先では、仙人形態に戻ったリーチェンに、恵子が感心しきりの様子で笑っている。
「リーチェンさん、そっちの方がいーですよ。何だか素直に『お爺ちゃん』って感じ」
「ほっほっほ。お爺ちゃんか。それはいいの。これからわしを呼ぶ時はお爺ちゃんでよいぞい」
「うん、お爺ちゃん」
純真とも言うべきはにかんだ笑顔に、お爺ちゃんは相好を崩している。
「うち、親戚付き合いが全然なくって、お爺ちゃんと会ったことないから……嬉しいです」
「何なら俺も『お兄ちゃん』って呼んでくれてもいいぜ」
「え?」
ザイケンがニヒルに笑いながら親指で自分を指し示しているが、応じる恵子の顔はちょっと思案げで……
「うーん。ザイケンさんの場合、お兄ちゃんじゃなくって『おじ様』って感じじゃないですか?」
「じゃ、それで構わねぇよ」
『お兄ちゃん』に特に拘るわけではないらしい。何が面白いのか、声を押し殺しながらも、目一杯に笑っているその様子に、恵子は疑問を感じて首を傾げている。何がそんなに可笑しいのか訊こうとするが、それは横合いからの声に遮られる。
「いい年した年寄りどもが、小娘一人から親しげに呼ばれたからと、何がそうも嬉しいのじゃ」
「いや、面白ぇと思わねぇか? この娘っ子」
「まあのう。我らの存在を感じ取って凍り付いておるそちらの小娘ども……」
サキが意味深に見つめる先は千鶴、愛奈、シャイリーの三名だった。
「それはそれで将来性に期待が持てるが、我らが『魔王』であると理解しておきながらこのような態度を取れるとは、なかなか見上げた小娘ではあるのう」
サキは先ほどリドウに対してしたように、指先で恵子の顎を軽く持ち上げるようにして目を覗きこむ。紅色に輝く妖しい瞳に射竦められた恵子であるが、しかし思うことは「またとんでもなく綺麗な人だなー」という暢気な感想だけであり、恐怖心は一切無いらしい。
「だって、サキさんはあたしみたいな弱い人間を意味も無く虐めませんよね?」
「ほ?」
にっこりと言われた台詞に、サキは意表を突かれた様子で目を見開く。その目が緩く細められるのに、そう時間は掛からなかった。
「気に入ったぞえ。男色鬼どもに習うわけではないが、わらわのことは『お姉様』と呼ぶことを許して進ぜよう」
「……それはまあ、嬉しいんですけど……」
恵子は何か妙に疑わしげな顔つきだった。
「もしかして……レズだったりしませんよね?」
「別に同性愛者というわけではないのう……」
と言われてほっとするも束の間の出来事であった。
「わらわは両性愛者じゃ。どっちもいける!」
何も恥じることはないとばかりにドドンと胸を張るサキに、恵子は思わずドン引きだ。まさか性的な意味で狙われて……いそーだなーとか思うと、そっちの趣味は全く無い彼女としては鳥肌が立つのも無理はない。
サキの方は全く気にする様子を見せず、何やら頬を紅潮させ、淫らがましい仕草で舌なめずりしていて、恵子は思わず傍に居たリリステラの後ろに退避してしまう。
「じゅる……リドウ坊と恵子ちゃんを、是非同時に閨で侍らせてみたいのう……」
「何であたしの周りに居る女って、こう……恥じらいとか奥ゆかしさとかどっかに忘れてきちゃったよーな人たちばっかなの……?」
「恵子さん、わたくしをこの者と一緒にされるのは至極不本意なのですが」
「リリステラさんは別です! リリステラさんほど完璧な淑女なんてあたし他には知りませんから!」
首を動かして苦言を呈してくるリリステラに、恵子は慌てて言い訳をした。
するとあっさり機嫌を取り戻してくれた大魔王様は、優しげな笑みを浮かべながら、「好い子ですね」と恵子の頭を撫でる。
相手が女性だからなのか、それともリリステラだからなのか、それを素直に受け入れ、気持ち良さそうにはにかむ恵子であった。
それを見る友人たちの視線は何とも曰くありげで、
「僕……たまに思うことが無かったわけじゃないんだけど……恵子ちゃんって凄いなって、今改めて心底思わされた気分」
「恵子さん……あの人たちの桁違いの存在感……全く気づいてないんでしょーか……?」
「こうして立っているだけでも私たちにとっては息苦しいくらいなのに……ここまでくると能天気も感嘆ものね」
「いや、違ぇだろ」
きっぱりと否定する声はリドウが発したもので、三人は一斉に注目する。
――と、その目が驚愕に見開かれた。
なぜならば、リドウの顔は、まるで好敵手と出会えた時のように、獰猛に牙を剥いていたのだから。
新たな魔王たるサキの登場が彼をそうさせているのではない。明らかにその視線は恵子を捉えている。
なぜリドウが恵子を相手にそんな顔になっているのか……千鶴ですらその理由が判らず、微かな動揺を露にしている。
「お嬢め、完全に割り切りやがったな」
「割り切った?」
「そうだ。正味の話、ここに居る誰か一人でも『その気』になった瞬間、お嬢はこの世から消えてる。力の大小なんざ関係ねぇ。てめぇ一人が抗いようもなく殺されるのには十分以上の力を、この場に居る存在は例外なく持ち合わせてる。その中には当然、お前さんらも含まれてるんだぜ。重要なのは、その力を振るうモン自身だってことだ」
檻に入れられていれば、凶暴な肉食動物とて見物として楽しめてしまうのが人間だ。その力が決して己に振るわれることは有り得ないという意味では、檻の肉食動物と魔王の両者はさして変わらない。
そうと完全に割り切れてさえしまえば、ついでに相手の美貌に嫉妬しないという意味でも割り切れてしまえば、リリステラを筆頭に、このサキやザイケンも目に楽しい美人さんであり、リーチェンも愉快で優しいお爺ちゃんでしかない。
「……誰でもそれを知ってはいても、本当に割り切れてしまう人間なんて、そうは居ないわね」
「おそらく、最後の切っ掛けはラヴァリエーレだな」
「きっと最初の切っ掛けはあなたなのでしょうね」
本当に面白い方向に変貌を遂げたものだ。旅立った当初は全く予想すらしていなかったが……いや本当に面白いと、リドウはくつくつと笑う。
千鶴は複雑な表情でリドウを横目にしながら、同時に心底感嘆する。この世に生きる人間がみんな恵子のような人間なら、きっと戦争なんて無くなるだろうなと考え、こういう部分はちょっと敵わないかなと思うと、自然と唇が笑みを形作っていた。
「でも、恵子ちゃんがザイケンさんを『おじ様』なんて呼ぶと、何だかちょっと犯罪臭いわね」
「『パパ』じゃないだけマシじゃないですか?」
悪戯っぽく言う千鶴に、愛奈が苦笑いしながら言うが、あまり否定する気は無いらしい。生憎、『援助交際』という文化に全く理解がないリドウやシャイリーには、二人が何を言っているのかちんぷんかんぷんだったが……それはそれで幸いだったのかもしれない。きっと、知ったら知ったで盛大に脱力していたのだろうし。
諸々の出来事が収まると、旅の経過報告や、そもそも帰還した理由であるリリステラへの質問のために一同は卓につく。
リドウたちの登場で一気に人数を倍以上に増した全員が座れるテーブルなど無かったのだが……そこは大魔王様が腕を一振りするだけで、全員が平等に丸く囲んで座れる大きなテーブルが出現してくれた。
その後、サリスが一同の前にお茶を用意してくれる。ちなみに、リドウ、ザイケン、サキの三名は酒だったが。
しかし、千鶴は人様に無様な姿を見せたくないというプライドから気力で持たせているのか、あるいは既にハイレベルな気功士故に、リドウほどではなくても一時的に疲労感をある程度は誤魔化せるのもあるのだろうが、少なくとも外見は平然としたものだったが、愛奈は席についてから、まだ話も始まらない内に、さっそくうつらうつらし始めてしまう。そろそろ本格的に限界のようだ。
ここに辿り着いた時には既に日がすっかり明けており、完全に徹夜だ。しかも遺跡での長時間の徒歩は、肉体的には全くの常人である愛奈には十分に大仕事だ、無理もない。
リリステラは目敏く愛奈の様子に気づいたようで、
「愛奈さんでしたね? お体がお辛いようでしたら、先にお休みなさってはどうでしょう」
「え? で、ですけど……」
そうしたいのは愛奈としても山々だったが、やはり気が咎めるらしい。
リリステラは愛奈を安心させようと、菩薩の如き優しい笑みを浮かべている。
「愛奈さんが個人的に何かしらご質問があるようでしたら改めてお答え致しますし、それ以外はリドウから後ほど聞けば良いでしょう。せずともいい無理はせぬことです」
「じゃ、じゃあ!」
愛奈は椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がる。
それを見る面々は訝しげだったり面白そうだったりと反応はそれぞれだったが、向かい合うリリステラはきょとんと目をぱちくりさせている。そんな仕草もとっても可愛い大魔王様だ。
何らかの意思を固めた顔つきの愛奈に、リリステラはいつでも変わらぬ優しい微笑。
「あ、あの、私も弟子にしてもらえませんかっ……?」
「それはわたくしに師事したいという意味でしょうか?」
「はい。ど、どうでしょう……?」
ちょっと俯きぎみの上目遣いな愛奈であるが、リリステラは微かに首を傾げながら黙して愛奈を見ている。リリステラの表情は常の笑みだが、愛奈にとっては色々な意味で決して心地いい時間ではなく、段々と涙目になってしまう。
肝心のリリステラは、ちらっと全く別の方へ目配せをする。そちらには扉の側で綺麗な立ち姿を披露しているサリスが居た。
サリスは微笑しながら愛奈を一瞬だけ見ると、主たるリリステラへ、かしこまりましたとばかりに丁寧な礼をした。
それを見てリリステラは一つ頷くと、再び愛奈に微笑をおくる。
「さて、愛奈さん」
「は、はいっ」
「失礼ながら、今のあなたでは、あえてわたくしが自ら教えを施す意義を見出せません。有体に言えば、教えるべき水準にはあまりにも遠すぎます」
「――――ッ」
愛奈も、リリステラの言葉は単純な事実だと、自分でも頼む前から思っていた。だが、こうして面と向かって言われてしまうと……何となく、リドウの母なのだなと納得する思いと共に、酷く傷ついてしまう。
「ですので、まずはサリスに任せましょう」
「え!?」
「わたくしの眷属は例外なくある程度の魔道の力を行使します。まずはサリスが選んだ者に教えをお受けなさい。いずれサリスが、わたくしが教授するに値すると認めた暁には、わたくし自らお教え差し上げましょう」
「あっ……」
ぱあっと顔が輝く。
「ありがとうございます!」
「ですが……」
ぺこりとお辞儀する愛奈であったが、直後に何やら否定的な接続詞がリリステラの口から零れたことで、やっぱり何か問題でもあるのかと心配そうな顔になってしまう。
「わたくしがお教えする水準まで達するには、どれほど稀有な才能があろうと、数年では到底足りないでしょう。あなたがわたくしが想定する最高を超越するほどの才をお持ちであればその限りではございませんが……」
「えっと……」
言葉を濁してしまうリリステラだったが、愛奈は正直、何を問題にされているのか全く理解できなかった。だって、そのくらいは覚悟していたから。
「私、精一杯頑張りますから!」
「いえ、あなたのご意思の問題ではなく……お国への帰還方法が確立された場合、お支払いになった努力が全くの無駄になってしまうでしょう。いえ、それとは別の話ですが、場合によっては害悪ですらあるかもしれません」
「え!?」
「一度目覚めた力である以上、世界を隔てても行使できる可能性が、理論の上では非常に高く考えられます。聞けばあなた方の世界には魔法は存在せぬとのこと。ましてやわたくしがお教え差し上げるに値する水準――ハイエンドともなれば、その力は常人の想像を絶します。愛奈さんがそれだけの力の持ち主であると他者に知れてしまった場合、かなり面倒な事態を招きかねません……いえ、まず確実に人々はあなたを排斥しようとするでしょう」
笑みを消して厳しい声で現実を告げるリリステラ。
愛奈はそこまで考えていなかったが、言われてみればあまりにも正論だと、愕然としている。
「これも聞くところによれば、そちらの世界では個人の力によらぬ優れた技術により、誰しもが一定以上の力を実現できるとのこと。その技術は当然の帰結として、戦にも用いられ、物によっては一都市を瞬きの間に灰燼と帰す凄まじい威力を発揮する。そうですね?」
「え? あ、はい……」
「力の大小に関係なく、魔法という特異な技能を持つと知れた時点でも危ういと推測されますが、しかし今のあなたはまだ常人の範囲内で納まり、それと自覚できる内は自ずと自制心が働くでしょう。が、わたくしの視るところ、あなたの場合は下手をせずとも、強い意志を持って鍛えれば鍛えたその分、力の桁は天井知らずに上がりかねません。それは最悪、『人の領域では犠牲無しに止めることが絶対不可能』な水準の力なのです」
「人のりょーいきでは犠牲無しに止めることが絶対不可能……?」
何となくは理解できるが、正確な意味が把握できずに、思わず口が疑問を発していたようだ。
「一都市を瞬きの間に灰燼と帰する兵器が存在するとはいえ、人々がそれを無条件に使用できるわけでは断じてございませんでしょう?」
「はい……」
「そしてあなたには、それだけの熱量を自力で防御し得る未来が少なからずあり、それは殆ど同時に、同等以上の効果をほぼ無条件に発揮できることにもなります。その条件から導かれる解答は、あなたが力尽きるその瞬間まで、延々と犠牲者が現れ続けるという事実を示し、そもそもそれだけの力が振るわれた時点で大きな犠牲を伴うのは必至です」
愛奈はとうとう何も言葉にできなくなるが、リリステラは構わず冷厳に続ける。
「そこで愛奈さん……」
リリステラは意味深に間をおく。何か更に自分に訊ねたいことがあるらしいと理解する愛奈は、固唾を呑んでその言葉を待つ。
刹那、愛奈はさーっと顔を真っ青にする。リリステラの様子は、厳しい表情を浮かべてはいても特に変貌はなかったのに、今この瞬間は、まるで極寒の地に放り込まれてしまったような寒気と共に、激しい重圧が愛奈の身を襲っていた。それは先ほどサリスが『怖い感じ』なった時と同じ質の空気であり、その時よりも更に心身に応えるものでもあった。
やがてリリステラはゆっくりと口を開く。
「あなたは――何があろうと決して己の力をひけらかしたりはしないでいられるだけの理性をお持ちだと、ご自分の内において嘘偽り無く申せますか?」
「…………ッ」
愛奈はすぐには答えられなかった。
だが、それで正解だった。ここで深く考えもせず、あっさりと「できる」と口にするようならば、それこそリリステラは愛奈を見限っていただろう。
(なんてヒト……)
そして、これまで黙って二人を見ていた千鶴は、人知れず内心で呻る――これは『人間が出来ている』という次元ではないだろう、と。
(でも愛奈ちゃん……下手な回答はしない方がいいわよ。『判らない』とでも答えておいた方がまだ無難だわ)
リリステラの目の前でアドバイスするわけにもいかず、千鶴も自然と厳しい眼差しを愛奈に送ってしまう。
だが愛奈は、これは自分が考えて答えを出さなきゃいけないと必死なようで、友人たちの視線には全く気づく様子はない。
その顔が決然と上げられるのは、その直後のことであった。
千鶴は正直、本当に驚いた。愛奈にそんな顔ができるなんて……
(そう、あなたも成長しているのよね)
千鶴は優しく唇を綻ばせながら、愛奈の口から一体どんな内容が飛び出てくるのか、楽しみに聞かせてもらうことにした。
やがて、愛奈の唇がゆっくりと動く。
「お約束……」
その続きが容易には出てこない。
リリステラは催促したりせず、黙ったままで静かに待っている。
二人の醸し出す雰囲気の中、リドウは腕を組んで瞑目しており、恵子が心配そうな顔で「何かアドバイスかフォローでもないの?」とばかりに見てくるのも、気づいているのかいないのか、いずれにしても反応は無い。
魔王のお歴々も、リドウと似たような感じだ。
「……今すぐお」
「お約束――」
答えられないようなら、別に今すぐではなくても構わない。じっくり考えてから後日聞かせてくれと言おうとするリリステラであったが、殆ど同時の愛奈の言葉に被さる。
「――できません」
「ほう」
リリステラの双眸がキラリと光り――
冷たさと圧力を増した気配が、ずんっと愛奈の身に襲い掛かった。




