第四十三話 メンバー分け
リドウとシャイリーがフランク宅にお邪魔している頃、一方の宿屋では未だ女子部屋に皆が集まっていた。皆、というのはベアトリクス主従も含めた面々だ。
どうせリドウたちが帰ってくれば再び集まらなければならないし、他にすることもないのだから、一緒に待とうというのは自然な流れなのだろう。それに、一応まともそうな宿屋を選んだつもりではあったが、他の街で使用するのと比較すると、どうにも質がよろしくなく、あまりバラける気にならないのもあった。
ベアトリクスの常に凛とした雰囲気や、彼女自身のお姫様という身分が恵子や愛奈はどうしても気になってしまい、今一気が抜けない緊張した様子で、ぴしっと姿勢を正して椅子に座り、ベアトリクスに付き合ってお茶をしているが、千鶴は対照的に、既に開き直っているらしく、ベッドで横になってのんびりくつろいでいる。
ベアトリクスはまったく気にしてはいないようであったが、他の少女たちはハラハラとした思いが拭えないらしく、たまに思い出したようにチラチラと千鶴を見ては、その後にベアトリクスの顔色を窺っていたりもする。が、やはりベアトリクス本人は気にした風はない。
黒一点と言うべきファーゼは、男の自分の前でああも無防備な姿を曝け出してしまう千鶴に、「うーん、完全に男と思われてないね、僕」と考え、この世ならざる美貌の女から男として相手にされていない事実に悲しむべきなのか、それとも恋愛対象外の女性に安全な人物と思われている方を喜ぶべきなのか、ちょっと判断に困っていた。
……もっとも、安全云々に関しては、ファーゼがむらむらっときて実力行使に出ようとしても、彼に千鶴を取り押さえるのは不可能だという厳然たる事実が最大の要因なのだろうから、ここは十歳近く年下の小娘に侮られているという現実を悲しむべきなのだろうとも思わないでもないファーゼである。
「そういえば――」
しばらく会話が途切れていた中で、ベアトリクスが紅茶を傾ける手を止め、思い出したように口を開いた。
「お前たちは剣姫ルミナリア・ファルミ=ソルドレイドと何か関係があるのか?」
かのように、ではなく、どうやら本当に思い出した話題のようであった。
恵子と愛奈はお互いの顔を見合わせて、どう答えを返したものか、無言で相手に訊ねてしまう。
あの時は、今目の前に居るベアトリクスすら上回る、ルミナリア独特の雰囲気と、リドウの邪悪と言うべき変貌に圧倒されて、まともに会話をした記憶も無いが、顔見知りであるのは事実だ。
しかし、何せ覚醒した魔王様だ。その真実を迂闊に口にしてもいいのだろうか、と案じてしまうのは当然のことであった。
こうした場合、上手に処理してくれるのは千鶴だ。彼女なら、問題になる発言かそうでないかをちゃんと見極めることができると信じている恵子たちは、自然と千鶴に助けを求めるような視線を送ってしまう。
友人たちから救いの眼差しを送られた本人と言えば、自分も同い年の小娘なのですけれどね、と内心の苦笑いは表に出さず、寝転がっていたベッドから上半身だけ起こしてベアトリクスを見る。
「ご存命なのか?」
今の少女たちの反応で、この一行がルミナリアと知り合いなのは間違いないなと確信してしまったベアトリクスであった。
しかし、魔王に覚醒しているという所にまで思考は至らないらしい。リドウや千鶴に負けず劣らず頭の出来が優れているベアトリクスならば自然とそこに辿り着いても良さそうなものだが、魔王覚醒というのはそれだけ特別な現象なのだという常識の方がこの場合は重いのだろう。
千鶴はどう話したものか一瞬だけ悩んだが、別に何が何でも隠し通さなければならない話でもなかろうと、いっそ正直に話してしまうことにする。
「ハイネリン王国で出会ったのよ。リドウとそれは派手な闘争をやらかしてくれたわ」
「時期に九十を迎えられると記憶しているのだが……」
「らしくないわね。それとも、ルスティニアの常識的には考えづらい話なのかしら?」
「なに?」
「魔王よ。魔王に覚醒していたわ」
ベアトリクスはこれでもかと大きく目を見開く。隣のファーゼも息を呑んでいる。
「真実なのだな?」
注意深く確認してくるベアトリクスに、千鶴は深く首肯する。
「そうか……魔王に……」
感慨深げに微笑しているベアトリクスであった。全盛期のままの姿でいるルミナリアに出会える可能性が出てきたことが嬉しいのだろう。おそらく、一度お手合わせ願いたいとかも思っているっぽい。
「お喜びのところに水を差すようで申し訳ありませんけどね、姫様、彼女たちに剣姫本人だと確認できたとは思えませんよ。それに、魔王だと確信できるのも。多分、証拠はその自称剣姫の証言だけなんじゃないですか?」
「普段はロマンティシズムに溢れ過ぎて、傍で聞いてると歯が浮くどころか鳥肌が立ちそうな寒々しい文句で女を口説いてるくせに、夢が無い男だな、お前」
「なんか今、ナチュラルにディスりましたね? この前の仕返しですか、もしかしなくても」
言葉通りのつまらなそうな顔で従者を見やるベアトリクスに、ファーゼの方は思い切り頬を痙攣させている。
が、千鶴はそこは聞かなかったことにして勝手に話を続けていた。
「そうね。剣姫ルミナリア本人だという証拠は彼女の証言だけよ。けど、魔王なのは間違いないらしいわ」
「どうして断言できるんだい?」
「リドウにはその判断がつくらしいわ。感覚的なもので、具体的にどうとは口にできないらしいのですけれど……相手から魔王と言われる前に、リドウの方から断言していたから、疑う余地は少ないわね」
「ふーん……」
ファーゼは何気ない相槌を打ちながら首を捻る。
(『本人にしか理解できない感覚』というやつか……確かにあるけどね、そういうのって……)
眉根を寄せてしまうファーゼ。今はフォーマルな場ではないし、明確な証拠を求めたりするつもりは彼にも無かったが……
(でもそれって、その判断がつくほどに魔王と親交があるってことじゃないのかな……)
己の姫様がその考えに至っているのか知ろうと、ファーゼはベアトリクスをちらっと窺う。特に表情が変化しているようにも見えなかったが……
「あの若さであそこまで突き抜けた実力の持ち主という時点で、ただの冒険者だとも、ハイエンドにしても普通のハイエンドじゃなかろうとも思っていたが、本当に何者だ? あの男」
(正直に訊いちゃった!?)
少女たちも答えにくい質問だろうと思って遠慮したというのに、とファーゼは顔を引き攣らせる。彼は基本的にこの少女たちの誰一人として恋愛対象とは見ていないが、嫌われたいとは思ってもいないのだ。
(この人は基本的に聡明なんだけど、お姫様育ちなだけあって、案外空気読めない部分があるんだよねぇ……)
千鶴が良くそれを話題にしてベアトリクスを突っつくし、彼女自身に自覚もあるらしいが、ベアトリクス=ファン・クラウンディ――結構我がままな女であった。
「千鶴・一条。お前は知っているのか?」
「本人から聞いてちょうだい」
千鶴がばっさりと切り捨ててくれたことで、自分に話題を振られたらどうしようと考えてちょっとうろたえ気味だった恵子と愛奈は、ベアトリクスがそうしてきたら自分も千鶴に習おうと思え、ほっと一心地つけていた。
ベアトリクスは面白くなさそうにふんっと鼻を鳴らす。
「まあいい。ところで、どっちが勝った?」
「リドウよ」
あっさりとした返答に、しかしベアトリクスは先ほど同様に目を見張り、ファーゼも絶句している。
「魔王としては若手の内であろうにしても、仮にも魔王に勝ったのか!?」
「ええ」
興奮して立ち上がり、机に手をついて前のめりになりながらのベアトリクスの言葉に、千鶴は冷静なまま端的に頷いた。
「もっとも、リドウ本人に言わせれば運が良かっただけで、次に闘えば結果は分からないというお話ですけれどね」
「信じられん……」
椅子に座りなおすベアトリクス。その様子はどこか力に欠け、呆然とした雰囲気も見て取れる。
「そうは言いますけど、正真正銘のハイエンドなら、魔王に勝てるだけの素養はあるものだと聞くわよ?」
「そう言えなくもない、という程度の話でしかない。現実に常人が魔王にタイマンで勝利するなど奇跡に近いぞ。しかも、次に闘えば“結果は分からない”ということは、実力がほぼ拮抗しているということであろうに……」
ベアトリクスは憔悴すらした様子で千鶴を見る。
「確かに闘気のキャパシティだけならば魔王に並ぶことは不可能ではなかろうが、他はな……」
頭を横に振る。
「魔王という存在は一柱の例外もなく、力だけを求めた果てに、いつの間にか覚醒しているものだと聞く。その力を使って人を支配したいとか、人を救いたいとか、そういった欲望とは無縁に、ただただ純粋に力だけを求めている連中なのだ」
「人を助けるのも欲望なんですか?」
「名誉欲とは無縁だったとしても、そうして救われた人々の幸せな姿に満足感を得る……と考えれば紛れもなく欲望であろう?」
「はあ……」
人の善意を悪意で塗り固めて穿ったようにしか思えない愛奈であったが、否定できる言葉も見つからず、首を傾げながら相槌を打った。
「魔王という連中は純粋なのだ。純粋に力を求め続ける。それ故に、彼らは神懸った技量を持つ。人の常識では測りきれぬほどの技に、永き闘争の歴史が物語る経験を併せ持つ彼らは無双の羅刹だ。人が人のまま正面から挑んで勝てる相手ではない」
断言してみせるベアトリクスであったが、千鶴の方が若干疑わしげな色を瞳に浮かべている。
「所詮は人の延長線上の存在で、完全無欠とは言い難いと聞きますけれど」
「言い難い、というだけで限りなく近い。少なくとも、闘争の場で油断してくれるほど生易しい相手ではあるまい」
ベアトリクスは顔を難しげに歪める。
「あの男……もう既に魔王へ覚醒しかけているのではないか?」
少女たちの側から否定する声は何も聞こえなかった。彼女たちも少なからずそう思っているという証明だなとベアトリクスは判断する。そして大きな舌打ちを鳴らした。
「参ったな……」
椅子に深く腰掛けなおし、腕を組んで唸る。
「魔王じゃいけないんですか?」
と訊ねたのは恵子だ。彼女の中で魔王とは『リドウすら上回る凄い力を持っていても、思慮深くて慈悲深い人たち』という印象だったので、忌避する感情が理解し辛かったのだ。ベアトリクスが魔王に好意的なリリス教国家のお姫様という事実もある。
「魔王には生殖能力が無いという話は知っているか?」
「あ……」
「私の最終目的はあの男の子供を産むことだ。魔王に生殖能力があれば、とっくに候補に挙がっていたよ。それに、魔王を統治に関わらせるのもよろしくない」
「え?」
心底意外そうに目をしばたたかせる恵子に、ベアトリクスは眉根を寄せながら語る。
「絶対普遍にして永遠不変の圧倒的存在による統治などあってはならん。一見するだけならば平和に、民が豊かに暮らしていけたとしても、そんなのを生きているとはとても言えん」
今度は恵子がこれでもかと目を見開くことになった。その『永遠に不変の圧倒的存在』自身から同じことを聞いたのを思い出していた。
「魔王が直接的に我々人間の世に接触してこんのもそれが最大の理由だと言われている。勝手自侭な連中ばかりだというのもあるだろうが、“永生き”している内に、元来政治とは無縁に生きてきたとしても、そうした感覚を身につけるものらしい。魔神がお姿をお消しになられる前、人の世が急速的な拡大を始めた直後に覚醒した魔王が、醜く争う人々に嫌気がさして、己が手で統治しようと世界征服に乗り出したと記録されているが、それをしてはならないと魔神が御自らお手を下されたとも記録されている」
ベアトリクスは黙って聞いている少女たちを一瞥してから、話し続けて乾いた喉を紅茶で潤して、再び口を開く。
「魔王とは『魔の王』なのだ。己を極めようと熱中するあまり、この世の理から外れてしまった化生なのだ。そんな存在が人の世に徒に関わっても、只人にとっていい影響はまずなかろう。文句のつけようが見当たらんまともな統治をしていればいるほど問題だ。それでは人の堕落を招くだけでしかない」
「あらゆる意味で魔王ということね」
『魔』という言葉には、人を熱中させる物事という意味があり、この場合は『力』と置き換えられ、人を惑わし災いをもたらすという意味の『魔』でもあり、この世の理から外れた化け物という意味でも『魔』であり……つまり魔王とはあらゆる意味で『魔の王』なのだ。
ベアトリクスの言葉の真意が今一掴めず、顔に疑問が浮かんでいる少女たちへ、千鶴がそう説明していた。
それを他所に、ベアトリクスはテーブルに肘をついて深く息を吐く。
「どうしたものかな……」
ベアトリクスではリドウの実力を見極めきれなかった。だから、まさか魔王に匹敵する次元とまでは思っていなかった。
何が魔王覚醒の要因なのか、ただ実力の高低だけで決定されるわけではないらしいのは彼女も知っていたが、リドウが次代の魔王候補であるのに疑いを挟む余地は何ら無かった。
「諦めますか?」
ファーゼかこっそり耳打ちする。以前から言っていたが、余計にそうした方がいいと、その言葉の強さに含まれているのをベアトリクスは察する。
「……もう少し様子を見たい」
「それが姫様のお望みでしたら」
自分は大人しく従いますよと、そこまで言葉にせずとも察してくれるのをファーゼは知っている。仕える姫様相手にしては扱いがたまにやたらとぞんざいだったりするが、この主従の間に横たわる信頼関係はぱっと見とは裏腹に強かったりもする。
「いや……」
しかし、ベアトリクスは顎先を指で擦りながら、すぐ横の従者を意味深に見る。
「お前、一度帰らないか?」
「は……?」
ファーゼはぽかんと口を開けっ広げる。
「えーっと……その仰りようですと、まるで僕一人で帰れと言われているような気がするんですが?」
「そう言った」
「何でそうなります? ってゆーか、できるわけないでしょう、そんなこと、常識的に考えて」
「いやな。私は剣姫殿に会ってみたいのだ。私がどれほど憧れているか、お前なら分かるだろう?」
「それはもう。何せ剣を持たれてしばらくしてから、『これから私のことは剣姫と呼べ』とか物凄い笑顔で僕に仰ってきたくらいですしね」
「いや、それは忘れてくれ、頼むから」
あれは確か、ベアトリクスが十三、四歳の頃だろうかと思い出しながら、ファーゼはクスリと唇をほころばせる。
ベアトリクスの方と言えば、額に手を当てて、逆の手でファーゼの肩を押さえながら、俯き気味に要求している。その頬がちょっと赤らんでいるのは……きっと彼女にとっては黒歴史なのだろう。
「それって中二病……」
愛奈が思い付いた単語を反射的に口にしていた。凛とした聡明さが外見に表れているベアトリクスがそうだったとは予想外に過ぎて、意外さから思わず口を突いてしまったらしい。
「何それ?」
「え? えっと」
「いや、言わんでいい」
ファーゼが訊ね、愛奈が素直に答えようとしたが、ベアトリクスが断固たる態度でそれを止めた。
「聞いたら羞恥心でいっそ殺せと言いたくなる気しかせん」
元中二病患者ってそういうものらしいと知る愛奈は、お姫様の名誉のためにも黙ることにした。愛想笑いで誤魔化そうと浮かべている笑みが若干の引き攣りを見せていたのは否めなかったが。
「まあとにかくだ。お前、一度帰って捜索隊を指揮して剣姫殿を探してこい」
「目立つのを好むお人柄には見えなかったわよ」
「内密に、だ」
千鶴のツッコミを受けて付け足すベアトリクスであったが、ファーゼはそれでも不審そうに己の姫様を見やっている。
「見つけたとしても、素直にこちらに従って下さるとは到底思えませんよ」
「無論、その時は私から赴くよ」
ファーゼは目が疲れた時にそうするように、目を瞑りながら眉間を指で摘み、揉み解している。疲労を感じているのは目ではなく、おそらく頭なのだろう。疲れたというよりも痛みを感じているのかもしれない。
そしてファーゼは考える。
自分が姫様に付いて来たのは本意ではないようなことをのたまったりもしたが、それはちょっとツンデレってみただけで、本当は心配だったのだ。お姫様暮らしが祟ったせいで、冷静沈着な見た目に反して案外世間知らずな上に、常に我が道を通そうとする強引な部分が否めないベアトリクスを心配してのことだったのだ。
(姫様の家出を許すなんて正気ですかって、無礼もくそもなく陛下たちに問い質した時も、僕は特に命じられたわけじゃないし……従者として付き従うのが当然だろうって思われてただけかもしれないけど)
ファーゼにとってベアトリクスは妹のような存在だった。彼女が十歳くらいの頃から始まった主従関係だったが、あの頃の姫様は素直で可愛かったのになー、とか益体のないことを思い出したりもしていたが、とにかく心配な妹なのだ。
だから特に命じられたわけでもないのに、自分の時間を犠牲にするこんな旅路にも付き合ってきた。
が、旅を始めて一年と半年ほど。姫様もそろそろ世間というものを多少は理解してきたようだし……護衛という観点であれば自分など居ても居なくても大して変わりはしない。ベアトリクスに対処不可能なレベルの危険にぶち当たった時に自分の存在など紙切れに等しい。そこらの雑魚よりは多少使えるつもりではあっても、自分の力は彼らハイエンド級からしてみれば本当にカスでしかないのだ。
それに、今ならリドウたちが居る。
(リドウくんは信頼に値する。無条件で信頼できる)
リドウの生き方は複雑なようでいて単純だ――己が心に定めた真に正しいと思える掟に従う――こと。究極的にはそれだけだ。それを可能とする意思の強さは誰にでも持てるものではないが、あの男にはそれがある。間違いない。己の大切な妹姫様を預けるのに不安は無い。
一瞬でそこまで思考を巡らせたファーゼは、ため息混じりではあったが頷いてみせた。
「了解です。僕は一足先に戻らせてもらいます」
「私の血の繋がらないもう一人の兄様は、いつも何だかんだと文句は言っても、私の我がままを聞いてくれるから大好きだよ」
滅多に見られない姫様の嫌味の無い笑顔はとても美しかったが、それを送られた肝心の兄様が見る目は非常に冷たかった。
「ただし、半年が限界です」
「…………」
「どの道、あなたに許された自由は二年が限界です。残りは半年……よろしいですね?」
途端に笑顔を消してむすっと唇を尖らせる姫様も、それはそれで愛嬌があったが、生憎と、血の繋がらない兄様に妹愛はあっても妹魂ではなかった。ちなみに後者はシスコンと読んでほしい、念のため。
「半年ね……」
千鶴がニヤリと唇を吊り上げている。
「半年、あなたの誘惑からリドウを守りきれば私の勝ちということね」
既にして勝ち誇った顔をしている千鶴を、ベアトリクスは険しい眼差しで見返す。
「ふん。お前の思い通りになるものか」
「なるのよ。私がそう決めているのだから」
ふふんと鼻を鳴らすのは両者ともに、であった。やけに息が合っているような瞬間も見せるこの二人であったが、やはり基本的に相性はよろしくないらしい。いや、一人の男を取り合っている時点で仲良くしようがないだけで、似た者同士、本来は結構気が合うのかもしれないが。
それから更にしばらくし、リドウとシャイリーが戻ってくると、まずリドウによる成果の報告があり、居残り組からはファーゼの帰還が告げられた。
「クロイツェフだけで戻るのか?」
今ですら型破りでギリギリだろうに、それが許されるのかとファーゼに問い掛けるが、彼の方は笑いながら軽く手を振っている。
「型破りは我が王家の血筋なんだよね」
ベアトリクスがそうであるように、他の親兄弟も一般的にイメージされる高慢な王族とは一風違うらしい。
「ま、俺がどうこう首を突っ込む問題じゃねぇしな。そっちがいいなら好きにすりゃいい」
「姫様を頼むよ」
「俺が一緒に居る限り、俺のプライドに懸けて、五体満足で返してやる」
とても真剣とは思えない表情と声で頼むファーゼに応じるリドウも真面目には到底見えなかったが、その言葉に嘘は無いと既に知るファーゼは、更に表情を緩めていた。
「さて、そっちはそっちの問題として、こっちはこっちの問題を相談しなきゃならねぇな」
「ってさ、イーサンに行って情報収集するだけでしょ?」
「この街の分をどうするか、だろうが」
「どーするって……そもそも必要なの? あの制服の持ち主たちがこの街を通ったかなんて分からないじゃん」
そもそも恵子は、千鶴がこの街での情報収集にどうしてそこまで過敏になっているのかという部分からして疑問であったらしい。いつも通り、無駄になる可能性は高いけど少しでも多くの情報を集めようという魂胆なのだろうと思いもしたが、どうやらもっと深い意味がありそうだと薄々勘付いてきていた。
「リリス教国家とロンダイク聖教国家なら、日本人が暮らすのにどちらが過ごし易いかを比べたら、基本的にはリリス教国家でしょう?」
「そーですね」
「なら、ちょっと目端が利いて考える頭を持っていれば、リリス教国家方面を目指しているでしょう。このアイルゼン大陸は西と東でその両者が真っ二つに割れていて、この国はちょうど境目にあるわ。リリス教国家に行こうとすればここを通っている可能性は非常に高いと考えられるわね」
「あ、なるほど」
「情報が引っかからなければ、それはそれで、こちら方面に来てはいないと、一応検討できるわ。完全じゃありませんけどね」
自分たちの目的を果たすには割と重要地点だったのか、と今更ながらに知った恵子と愛奈は、暗黙の内にまともな相談もなく自然とその結論に達していたリドウと千鶴を見て、相変わらず考えることが先を見通している人たちだなと、感嘆の表情だった。
頼もしく感じる反面、やっぱり自分は頼りきっているなと思うと、苦々しい思いがどうしても湧き起こって来てしまう。
しかし今は、それを表に出して苦悩している場合ではない。
「後から届けてもらうんじゃダメなの?」
「それでも構わねぇんだが、世話してくれたクリスも忙しいみたいでな、あまり手を煩わせるのも心苦しいんだよ」
「となると、一度二手に別れる必要があるわね」
千鶴の提案にリドウは静かに頷く。彼の中でもそれは決定事項だったので、そのメンバーをどう決めるかが今は問題だった。
「じゃあ、私とシャイリーさんが残ります」
率先して手を挙げたのは愛奈であった。意外なものを見る目が集中するが、彼女は臆さず笑顔で言う。
「千鶴さんとリドウさんは先に行った方がいいと思います。どんな事態が待ってるかも分かりませんから、大抵の事態に対処できるお二人が揃っていた方がいいでしょうし、そうなると恵子さんはリドウさんの担当ですから、私が残ります。シャイリーさんが私の担当なんですよね?」
「うん、まーね……」
「シャイリーさんと一緒なら何にも不安はありませんよ」
心から不安を感じさせない愛くるしい笑顔であったが……
「そりゃ、僕のプライドに懸けても守るけどね……」
シャイリーは表現しにくい笑顔で躊躇いがちに応えた。
(分かっちゃいたけど、やっぱり僕って男として見られてなくない?)
密かに想う少女から安全牌扱いされている事実を素直に喜べない年頃の少年がそこには居た。
「もしかして、私と二人じゃ嫌なんですか……?」
「いや、そんなことはまったくもって断じてないけど」
密かに想う少女から悲しげに見られてしまい、珍しく盛大にうろたえてしまう年頃の少年がそこには居た。
二人のやり取りに、底意地が悪そうに唇を歪めながら煙管を口に銜えていたりするリドウや、ニヤニヤと見てしまう恵子にファーゼ、微笑ましそうにしている千鶴やベアトリクスなどがおり、いずれにしても意味深なその視線の群れに、愛奈が小首を傾げてしまう。
「皆さんどーかしましたか?」
「別に?」
異口同音にハモったその言葉に、ますます訝しんでしまう愛奈であった。自分だけが理解していないようで、ちょっと悲しくなってきてしまう。
すると、一同の視線がシャイリーに集中し、好いた少女が落ち込んでいたら慰めてやるのがお前の仕事だろ、と物語ってくれる。見られた本人は「余計なお世話だよ」とばかりに睨み返していたが。
とにもかくにも、行動方針は一応の決定を見る。
当初の予定通りに約半数はイーサンへ。しかし、愛奈とシャイリーはこの街の情報を得てからの合流となり、ファーゼは一度完全に離脱。
すぐに再会する予定のイーサン組と居残り組はともかく、せっかく打ち解けてきたばかりのファーゼとの別れを少女たちは一頻り惜しんだ。
美麗少女たちからそうされて満更でもない様子のファーゼであったが、しかし翌日には、最後まで軽薄な調子であっさりと去って行ってしまった。
ファーゼを見送ったリドウたちも発つことになる。こちらは長い別れになるわけではないし、特に湿った空気にはならないが、別れ際にリドウが爆弾を落として行った。
「そうだ。お前さんら、今夜から同じ部屋で寝ろよ」
「はあ!?」
驚愕の大声はシャイリーのものだ。愛奈の方もきょとんと目を丸くしているが、そこまで大仰な反応は無い。
「愛奈を独りにするのは不安だからな」
「私は別に構いませんよ。着替えの時にだけ外してもらえれば、あまり気になりません」
うわ、マジで男として見られてない――と思ったのはシャイリーだけではなく、彼に哀れみの視線を送る面々もであった。
シャイリーはリドウに近づいて、小声なのに大声という意味不明な声音で抗議する。
「ちょっとさ、それってどんな拷問?」
「今の状況はお前さんにも不本意だろ?」
にやっと唇を歪める。
「押し倒しちまえ」
「そんな面白半分でさらっと鬼畜な発言は止めてくんない?」
「大丈夫、愛奈だってお前さんを憎からず想ってるのは間違いねぇ」
「女友達としてだけどね」
「だから、多少強引にでもその印象を逆転させ」
シャイリーは、とことん面白そうにくっちゃべっているリドウの台詞を手で遮った。
「この件に関しては放っておいて。僕はあなたと違ってそんなに女性慣れしてないんだ。僕のペースで進めたいんだよ」
「余計なお世話だったか?」
「余計な下世話だったよ」
本当に親切心からの提案だったらしいが、シャイリーにそう考えることはとてもできなかった。
去って行くリドウたちの背を見送るシャイリーの表情は疲労感が強く……
「やっぱり部屋は別々にします?」
「いや、同じでいーよ」
女の子と一緒じゃ気が休まらないんだろうなと気遣う愛奈であったが、やっぱり自分“だから”という根本的な原因にまでは思い至らない鈍感さんであった。
(……やっぱり拷問だ)
元々、恵子辺りと比べても言動が無防備な愛奈なのだが、男として意識していないシャイリー相手ではそれが尚更顕著になってしまう。ただでさえセックスアピールの強い美少女で、無自覚に男の欲望を擽るようなマネをしてくれる愛奈と四六時中一緒に居るなど、彼女に好意を持つ健全な少年には正しく拷問に違いなかった。
何で自分はこんな格好をしているのだろうかと今更ながらに疑問に思ってしまうシャイリーであったが、それを人はこう言う――自業自得、と。




