第四十四話 似てない姉妹
一時的に二手に分かれることとなり、人数を減らして先を行くリドウたちであったが、特に問題らしい問題は起こらない。他所の国に比べると多少強めな魔物と遭遇できたりするが、元々リドウ一人でさえ過剰戦力なのだから、それは問題にはならない。
そんな道中、恵子はちょっと気まずい思いを抱えていた。普段から彼女を時折苦悩させている問題で頭を痛めているというのではなく、リドウ、千鶴、ベアトリクスという、ただつっ立っているだけでも異様な雰囲気のある面々に囲まれて、黙々と歩むのに若干の精神的苦痛を味わっていた。
この三人、寡黙という気性をしているわけでは特段なかったが、かと言って饒舌とはほど遠く、沈黙が生み出す静けさを心地好いと感じこそすれ、気まずいとは考えもしない。
翻って恵子は、基本的には普通の女子高生。おしゃべりは大好きだし、友人同士で過ごしていて沈黙が場を支配すると気まずいと感じてしまう人間だ。普段なら愛奈が居てくれて、話し相手になってくれるのだが、今は別行動中。
以前、愛奈と一緒になるまで、リドウと千鶴の三人で旅をしている間はあまり気にならなかったが、最近は愛奈に加えてシャイリーも含め、和気藹々と過ごせる旅路が日常と化していたせいで、すっかりそれに慣れてしまっていたらしい。
だから、自分から話題を探しては、誰でもいいから積極的に話し掛ける。
「そういえばアリスさん、ガルフって人は有名なんですか?」
「有名というか……ハイエンドだからな。基本、ハイエンドとして認識されている使い手で無名というケースはありえん」
「ハイエンドとして有名なのに無名というのでは、確かに矛盾も甚だしいわね」
言葉遊びみたいなものだろうが、真理でもある。
「【烈震】のガルフ。その名が示す通り、大地を操る魔法を最も得手とする魔道士だ。リドウ殿のように派手な功績で一気に名が売れたタイプではないが、実力を疑う者はおらんだろうな。物好きなハイエンドとしてもここ数年は有名になっているが」
「物好き?」
「異世界人のお前たちには実感が湧かんのだろうが、冒険者一パーティー程度ならともかく、徒党を組んで頭に納まろうと考えるハイエンドなど珍しいどころではないのだよ。正確な年齢までは知られておらんが、少なくとも五十は過ぎていなければならんし、年を食って丸くなったのだろう……と一般的には言われている」
「年齢を重ねて落ち着いた末がマフィアのドンとは、ね」
千鶴が楽しそうに笑う。皮肉の利いた話がツボに入ったらしい。
「やはり、お前たちは異世界人だな」
「どういう意味かしら?」
「リドウ殿はご理解されているようだな」
意味あり気な視線を送られたリドウは、煙管を銜えたままで肩をすくめてみせた。
彼の方から説明する気はなさそうだと見て取ったベアトリクスは、千鶴、恵子と順に視線を置いた。
「お前たちは、我々とは感性が微妙に違う」
と言われても、日本人少女たちに答える言葉は無い。
対して、ベアトリクスは自分で言いながら、顎に指を当てて小首を傾げている。
「何と言えばいいのかな……本能的な部分、人間として根本的な部分での差異は無いのに、それ以外の部分では非常に奇異に映るのだ、私の目に、お前たちは」
と、特に千鶴を見つめる。
「一条。お前は己がいずれハイエンド足り得る才を自身が持ち、己がいずれ到るべき理想の体現者たるリドウ殿の力を真の意味で知りながら、それでも心のどこかで、リドウ殿が国を滅ぼし得るほどの存在なのか、実感が湧いておらんな。半ば疑っていると言っても構わんだろう――そんなことが本当にありえるのか、とな」
「…………」
狭まった眼差しがベアトリクスを鋭く射抜く。リドウを疑っているようなことを言われて気分を害したのだろう。しかし、ここで千鶴が毒舌っぷりを発揮して反論しないということは、どうやら少なからず図星であったらしい。
「地球に限らず、大抵の異世界にはこういう言葉が存在するらしいな――すなわち、『組織に勝る個人など存在せん』――という」
「……そうね」
「この世界においてその言葉は当て嵌まらん。確かに、いくらリドウ殿とて、単身で可能となることは限られよう。しかし、事が単純な武力で解決してしまう問題であれば、圧倒的個人は組織を凌駕するのがこの世界では常識だ。どんなに綺麗事をほざいたところで所詮この世は弱肉強食でしかない。圧倒的強者であるが故に己の身一つで好きなように生きていくことができてしまう彼らにとって、組織の運営など時間と労力の無駄使いだ」
「断言するのね」
「それがこの世界の常識なのだよ」
色々と規格外な千鶴とて、その感性は日本人のものでしかない。ベアトリクスの言葉は決して納得に値しないものでこそなかったが、どうしても半信半疑になってしまうのは否めなかった。
「加えて、総じてモノグサだ。悪人でこそないが、聖人とは間違っても言えん連中しかおらん。少なくとも、この世にお困りの人々のために己が身を犠牲にしても構わんと考える善意に溢れたハイエンドなどまず存在せん」
と、瞳に映すのは紅のコートを靡かせる黒髪黒目だ。
「そういうのは勇者に任せておきな」
「任せておけんから我々リリス教国家が繁栄しているのだろうに」
「違いねぇ」
口に銜えられた煙管が、くつくつという笑いに合わせて小さく揺れる。
「要するに、ハイエンドという連中は少なからずこの男の同類なのだ」
麻木恵子と一条千鶴は大きく首を縦に振った。百の文言を費やされるよりも、これ以上ない説得力だった。
「烈震がこの国の平定に乗り出した当初、それを知った他国の特権階級の人間は、表向きはどうあれ、内心では馬鹿にしていたものだ……どうせ途中で面倒になって、悪党どもを片っ端から殲滅して終息させるだけになるのではないか、とな」
ふっと唇をほころばす。
「別にそれはそれで構わなかった。自ら手間をかけてまでどうこうするにはメリットが乏しかったが、目障りだったのも我々の本心だった。綺麗さっぱり消し去ってくれるのなら万々歳といったところか。所詮は他人事なのでな。しかし、案外上手くやっているらしいな。この国の現状も、物好きなハイエンドという評判に一役買っているよ」
ガルフという男を褒めながらも、しかしベアトリクスは表情を引き締める。
「とは言え、まともなお国柄とは口が裂けても言えん。マフィアの勢力下にある連中はある程度暴力的思想を抑制できたとしても、この国の状況を人伝に耳にし、一旗挙げようと集まってくるチンピラは数え切れんし、そうした連中は往々にして限度というものを知らんからな。依然として状況は変わらんと認識しておけ」
「そこは気休めでもいいので、明るい展望が見えるようなお言葉が欲しかったです……」
「心の準備はしておけ。常に最悪を想定しろ。現実の最悪はその斜め上を平然と鼻歌交じりに駆けて行くが、それでも心構えが出来ていれば、多少はショックも少なく済むだろうしな」
いつでも容赦の無いベアトリクスの発言に落ち込んでしまったらしく、恵子は肩を落としてしまう。
千鶴はどうだろうかと窺ってみるが、こちらは常と変わらないお澄まし顔で眉一つ動かさない。何を考えているのかは知れたものではないが、やはり普通じゃないなとベアトリクスは改めて認識するに至る。情に薄いというわけでもなさそうなのだが……自分よりもよほど為政者向きの気質をしていると彼女は思ったり。
がまあ、本人にその気はないようだし、あまり欲を出し過ぎるのもよろしくない。そう考えた彼女は、話題を次に移す。
「リドウ殿。剣姫に勝ったそうだな?」
リドウは即座に答えようとはせず、深く煙を吐き出しながら意味深な視線を質問者に置いた後、お前さんらが話したのか、という目で少女たちを見やる。
「隠さなきゃいけなかったかしら?」
「いんや。隠すほどのことじゃねぇな。話したところで普通は与太とすら考えねぇ話だ」
「あなたがそんな大法螺を吹くとは思っていないよ。話してくれたのは一条だが、こちらもそんなつまらん戯言を口にする女とは思っておらん」
リドウの表情は特別な変化を見せなかったが、ちょっと常時よりも深めに吸った煙を天に向けて吐き出している。
「……運が良かっただけだな。相手が油断してくれたのもある」
「油断?」
魔王がそんな甘っちょろい存在のわけなかろうと、ベアトリクスの目が物語っていた。
「魔王としての誇りを優先してくれたって意味だ。俺の手を全て受け切ってみせるって闘い方をしてくれてる内に、俺が取っておきで勝負を決めちまったのを、ルミナリアが俺の勝ちだと、何の拘りもなく認めてくれたってのが実情だな」
あの時からしばらく味わえていない、育ての親たちや魔物以外との生まれて初めての全力の闘争を思い出しながら、リドウは無邪気なようなのに、邪悪にも見えるという、もはや意味不明に、しかしとにかく楽しそうな笑みで言う。
「純粋な実力じゃあっちの方が上だろうよ。おかげで切り札を一つ切らされた……」
あの切り札は、自分が幾つか型として作り上げた絶技の中でも初見殺しとして最大の威力を発揮するタイプの技だ。ルミナリア級の使い手では二度と通用しないだろう。そう考えて、尚更楽しくなってしまう部分がこの男の度し難い部分の一つなのかもしれない。バトルジャンキーめ。
「しかし、佳い女だったな、あれは」
何の脈絡も無く微笑と共にしみじみと紡がれた台詞に、女性陣が色めき立つ……物騒な方面に。
「あんたって、結局はナンパ野郎よね」
「俺は普通に男として美人が好きなだけだぜ」
恵子のジトーっとした半眼を露とも気にせずにリドウは飄々と言い切る。
「美人が好きと言うなら、さっさと私を抱いてしまえばいいものを」
「あんたに既成事実を与えたら、どんな無理難題を吹っかけられるか分かったもんじゃねぇだろうが」
「そこで、自分に責任は無いと逃げ出す前提が無いあたり、誠実と言うべきなのかな?」
「外見よりも中身が大切とか表面上で女の人気取りに走ったりしない分、潔いとは言えるのでしょうね。まあこの男の場合、相手が美人でも気に入らなければ欠片も容赦しないようですけれど」
「そういう意味では、凄まじく内面を重んじる男でもあるのだろうな、あなたは。女を容姿だけで選ぶ男ではなさそうだという、第一印象で抱いた私の感想は正しかったよ……含まれる真意のベクトルは正反対だがな」
「どうだかねぇ」
褒められているの貶されているのか分からない内容に、リドウは苦笑をもらしながら煙を吐き出すばかり。
「内面が伴った美人でなければ相手にしないとは、考えてみると贅沢な男だ」
「己の価値を安売りしたくないのでしょう? 一線は越えてくれないとはいえ、この男のお眼鏡には適っているという点では、私たちは喜んでもいいのでしょうね」
「てゆーかそれ以前に、千鶴もアリスさんも、自分も相手も中身が詰まった美人だっていう言葉を、否定も謙遜もしないのが凄いわね」
「それを恵子ちゃんに言われたら私たちもおしまいでしょうね」
「なんかこの世界に来てから、異常な美人に縁が深いけど、そこはあたしもプライドってもんがねー。あたしが他人に自慢できるのって外見くらいだし、それにしたって見た目だけであんたたちと張り合おうとは間違っても思えない程度のやっすいプライドだけどさ」
何だかイイ感じにグダグダしてきたが、結局こいつらは、リドウも含めて、自分に自信があると言う点では共通しているらしい。
ちなみに『異常な美人』と言った時に、心の中で『外見よりも内面が異常』と呟いていたことは恵子だけの秘密だ。そんな彼女自身、この異常な面々に囲まれている影響で、一般的な女子高生の範疇からは心根が大分逸脱してきた自覚は無いようであったが。
「でもま、千鶴やアリスさんの言う通り、変に気取ったりしないで素直に口にするところは高得点かもね。妙な警戒だけはしないで済むし」
「こりゃまた、褒められてるのか貶されてるのか判断に困るな」
「褒めてるわよ? 見た目に反して安全な男なのよね、って」
「男としては喜ぶべきか迷うぜ、それは。シャイリーの気持ちがちっとばかし理解できた気分だな」
嫌そうに眉間に皺を作っているからには、本当に嫌なのだろう。
「愛奈とシャイリーちゃんの件はねぇ……あの子を男だと思えって方が無理があると思うけど。あたしだって普段は、本当は男だってこと忘れて、完全に女友達感覚だし」
「同意する。あの愛らしい見てくれで男とはかなり無理があるぞ。今でも、本当は見た目通りの少女でしたと言ってくれた方が、タチの悪い冗談だったとよほど納得できる」
「あの子こそ、見た目に反して中身はとても男らしい子だから、せめて男の子っぽい格好だけでもしていれば、すぐに愛奈ちゃんも男として意識せざるを得なくなると思うのですけれどね」
女性陣の意見は様々だったが、総じて共通することは、今のままではシャイリーの想いが叶うのは遠い日のことだろうという話であった。
この場にシャイリーが居たらきっと「余計なお世話だよ」と盛大に嘆息しているだろう。聞いてるだけで、リドウも憐憫をもよおしてきてしまう。半分以上は他人事というのもあるだろうが、女性陣は恋バナでは遠慮が無かった。
とまあ、そんな日常パートはさて置き、一同は三日の時間をかけてイーサンに到着した。
十分に都市と呼べる規模の大きな街で、例によっていかがわしい店構えをした建物がそこかしこに乱立している。
がしかし、言ってしまえば“それだけ”だ。善良な一般市民の目で見れば眉をひそめるべきではあるかもしれないが、リドウからしてみれば『ちょっと退廃的な方向に偏っているだけで、住んでる人間にしてみれば、普通の街よりも暮らし易いんだろうな』という程度の感想でしかない。シャイリーも言っていたが、リドウのような人間にとっては、むしろ普通の街よりも空気が合いそうなくらいだ。
元々、人としての最低限度の倫理さえ守っていれば法なんて知ったことか、と本心では奥底から思っているリドウにとっては、本当にその程度の感想しか思い浮かばない。
いつぞやの遺跡都市の時よりも更にギラついた視線にさらされている恵子や千鶴からしてみれば、勘弁して、というのが嘘偽りの無い本心であったが。
「さっさとガルフという人物に面会して、事が済むまでどこかで引き篭もっていた方が賢そうね」
早くも疲労感を漂わせる千鶴の台詞に反対する者は居なかった。
明らかにこんな街には不似合いな清廉な美女たち……まあタイプは大分違うが、そんな女たちを引き連れたこの街に“似合い”な男は、通りすがりの好奇の視線を尽く集める。
しかし、絡んでくる者は居ない。あのクリスが心酔するガルフが治めている街だからかとも一瞬思ったが……
「あれが月紅か……」
「噂通りの若さだな」
時たま耳に届いてくる、警戒心を露に見てくる“その筋”っぽさに溢れた男たちのひそひそ話を聞くに、おそらくクリスが、余計な騒動でリドウに同僚を潰されるのを嫌って、先に使いを出していたのだろう。
街のほぼ中心に位置する馬鹿でかい屋敷に近づくに連れ、その人混みが減少して行く。
喧騒が絶えない歓楽街とは一変し、そこは静けさで包まれていた。遠く歓楽街の方から賑やかな音が微かに届いてきてはいても、明らかに雰囲気が違う。屋敷の前に来ただけだというのに、静謐で、既にある種の威厳すら漂っている。
冷静三人組は顔色一つ変えないが、恵子はごくりと息を呑んでしまう。
「……なるほど、フランクのところの連中と同じには冗談でもできねぇな」
門番を見た時、不意に零れ出たリドウの声に、
「ノーマルのようだが、かなり使えるな。うちの衛士としてスカウトしたいくらいだ」
ベアトリクスは小声で応じる。
立ち姿を見るだけでもある程度の実力が測れてしまうこの二人の眼には、門番の練度はかなりのものに映っているようだ。
「失礼」
リドウたちを前にしても堂々たる態度で立ち塞がる。フランク一家の下っ端門番たちのように侮っているのでは断じてない。ヤクザな連中には相応しくないくらいに礼儀正しい態度だった。
「月紅殿ですな」
リドウは一瞬答えを躊躇ってしまう。どうしてもその呼び名には拒否反応があるらしい。
無言のリドウを不審に思ったのか、気配が危険な方向へ揺らぐ門番の男たちを見て、リドウは開き直るしかないかと心の中だけで嘆息し、クリスに用意してもらった紹介状を見せる。
「お待ちしておりました。オヤッサンがお待ちです。こちらへどうぞ」
門番の一人が代表して中へ案内してくれるのに、一同は黙って付いて行く。マフィアの本拠地とあっては、いくらリドウが一緒とは言え、恵子はどうしてもおどおどした感は否めなかったが、幸いあちらさんは気にしていないようだ。王族という、一種ヤクザな人種であるベアトリクスはともかくとして、本来は一般人である千鶴が平然としているのがむしろおかしい。
「今、他に案内の者が来ますので、しばらくお待ち下さい」
「ああ」
玄関を潜った先でそう言われ、素直に立ち止まる。
手持ち無沙汰で何となく屋敷内を見渡してしまう。屋敷の外観もそうだったが、中も質素な調度で落ち着いていた。
「もっとヤクザらしい成金趣味を想像していたのですけれど、意外ね」
「それをするのは一代で財を成した文字通りの成金か、無駄遣いが貴族の義務だと思っている馬鹿だけだ。ハイエンドだからな、自己顕示欲とは無縁の人物であろうよ。そんな手段で今更己の力を間接的にでも示そうとせずとも、誰も侮ったりはせん」
「本物の一流は自分から『俺って凄いんだぞー』なんて言ったりする必要はないって言ったのは千鶴じゃん」
「その通りなのでしょうね。烈震のガルフ……」
千鶴は慎重さすら窺える小声でマフィアの親玉の名を呟く。ルミナリア以来、そして常人では初めて目にする、リドウと並び立つ世間の評価を受けている男。いや、本来はリドウ“が”並び立ったと言うべきなのだろうが……
やはり、只者ではないようだと、千鶴は会うのが楽しみになってきていた。その証拠に唇が微かにほころんでいる。恋愛対象としての男はリドウ一筋だが、基本的にこの女はイイ男には目が無い。恋愛と目の保養は別物、という主義だった。もっとも、リドウの女性の好みとは完全に違い、その要素に見た目は殆ど含まれていなかったが。精々、見た目も良ければ尚好し、という程度の付加価値でしかない。
待っていた時間は長くはなく、すぐに案内人が現れた。
中央の階段の上から静かに下りてくる一人の人物。
女性だった。年の頃は二十代後半。先ほどからマフィアの邸宅には不似合いな印象を受けるモノばかりが目に付くが、この女性はその最たるものだった。
整った鼻梁の知的な美人さんで、歩き姿一つとっても、武術的な意味ではなく非常に美しく、確かな教養が窺える。大企業の社長秘書と言われればしっくりくるし、そうでなくてもキャリアウーマンにしか見えない。
もしもリドウにこの女性に対する感想を求めれば、「素晴らしい美人だ」と一言で表してくれることだろう。
(また……やけに綺麗な女の人が現れたわね……)
(どうしてこう、この男は美人と縁が深いのかしら。この男好みの美人と遭遇するたびに警戒しなくてはならないこっちの身にもなってほしいわね)
少女たちが苦虫を噛み潰したような顔で何かを思っているようだ。
現れたキャリアウーマンは少女たちの顔色を一瞬目に留めながら、リドウに対して愛想のいい笑顔で綺麗に会釈してみせる。
「ガルフの長女、レイアと申します。よしなに」
「マフィアのボスの娘!?」
それはないだろうと思わずツッコミを入れていた恵子だ。いや、単に驚きがそのまま声に出てしまっただけなのだろうが。
「何か?」
「い、いえ、すいません、いきなり大声出して……」
ぺこりと頭を下げると、レイアはにっこり笑顔で気にしていませんよと表す。
(大魔王様は聖母様だし、お姫様は全然お姫様らしくないし、マフィアの娘はむしろお姫様みたいとか……この世界って何か激しく間違ってない?)
何となく理不尽なものを感じる恵子だった。
「リドウだ。よろしくな」
「こうして直にお目に掛かると、耳にしていた以上の素晴らしい男ぶりですわね」
「美人にそう言ってもらえると照れるな」
「まあ、ご冗談を。お世辞が上手でいらっしゃいますのね」
口元を手で隠しながらころころと笑う様はどこまでも上品で、恵子の抱いた何かが間違っているという感想も無理はないのかもしれない。
――その時だ。
幾つもある廊下へ繋がる扉の一つが、ばんっと勢い良く開く。
「お嬢!」
え? と思ったのは恵子だ。自分のことかと思ったが、声の主は扉の方に居る。
「お嬢、お待ち下さい!」
「やーだよっ」
元気良く走り寄ってくる少女……いや、まだ十歳にも満たない幼女と呼べる年齢の娘っ子を、強面の男たちが止めようと追い掛けている。
「アリア……」
お上品な仕草で頭が痛そうに額を押さえるのはレイアだ。
男たちが捕まえようとするのだが、幼女はひょいひょいっと器用に男たちの腕をかわしてしまい、とうとうリドウたちの前までやって来た。
にひひっと悪戯っぽく笑いながら自身を見上げてくる幼女を、リドウは瞬きしながら見下ろす。
アリアと呼ばれた幼女。元気一杯のお転婆娘という風情ではあるが、なぜこんな所に居るのか……。
いや、答えは分かっている。何せ『お嬢』だ。
「末の妹のアリアです」
リドウの周囲を左右あちこちにちょろちょろしながら観察しているアリアを、レイアが困った顔で紹介してくれる。
「お前たち?」
「すいません、姐さん」
不手際を咎めるレイアを前に男たちが沈痛な面持ちで頭を下げる。
しかし、似てない姉妹だった。楚々とした淑女とお転婆娘というだけでなく、根本的に似ていない。髪の色もさらさらブロンドヘアーのレイアに対してアリアは癖のある赤毛だし、アリアも将来が楽しみな美幼女ではあるが、一見して姉妹だと認められる面影の共通点は見当たらない。
「すげー。噂通り強そーだな。つか眼光パネーな兄ちゃん。うちの若い連中よりよっぽどマフィアっぽいぜ」
と――
ぽすっ
不意に放たれたアリアからの一撃を、リドウは涼しい顔で受け止める。
「おおっ」
「いい腕だ。キャパもガキにしちゃ大したもんだ。将来が楽しみだな」
瞳に星でも散っていそうなくらいに輝かせるアリア。そしてリドウも、いきなり殴り掛かられたはずなのだが、全く怒ろうとはせずに、アリアの頭を乱暴に撫で回す。
「オレの不意打ちをいきなり受け止めきるとは、やるじゃねーか兄ちゃん」
リドウの手を払おうとはせず、ハニカミながら見上げる。
「こら、アリア、まずはお客様に対して無礼を働いた仕儀を詫びなさい」
「いーじゃねーか。兄ちゃんは全然気にしてねーし」
「もうっ」
レイアは困った妹だと嘆息し、代わりにリドウへ深々と頭を下げる。
「申し訳ございません。既にお気づきでしょうが、幸運にも気功士として生を受けた由で、戦いに関しても教育されているのですが、そのせいか……その……お転婆と申しますか、強者には目が無いと申しますか……」
「気にすんな。闘争の世界を志すガキならこのくらいでちょうどいい」
「だろ?」
「調子に乗るんじゃありません、アリア!」
ぷりぷりと怒ってみせるレイアであったが、お嬢様然とした彼女では迫力に欠ける。それだけが理由でもないだろうが、アリアに応えた様子は全く無く、両手を首の後ろで組んでヤンチャな笑いを浮かべている。
「よっしゃ兄ちゃん!」
とことことリドウの背後に回り込んだアリアは、ぴょこんと跳び上がってリドウの首にぶら下がる。
ひくっと千鶴の頬が引き攣った。子供相手に嫉妬するとリドウに呆れられてしまうので、何とか我慢したらしいが……嫉妬深いのは相変わらずのようだ。
「レイアねぇの代わりにオレが案内してやるぜ」
リドウの肩越しに乗り出すように顔を並べ、ゴーとばかりに指で前を指し示す。
ふっと笑んだリドウは、
「じゃ、頼むぜ」
と短く答えて、アリアの先導に従って歩き出す。
数歩遅れてその後を付いて行く女性陣。ちなみに、アリアを追い掛けてきた男たちは、もういいとレイアに言われてそそくさと退場している。
「鷹揚な方で助かりました」
「子供には特に甘い男よ。よほどタチの悪い悪戯なら叱るくらいはするでしょうけど、多少のことなら笑って流してくれるわ」
「絵に描いたようなハイエンドらしい殿方ですわね。それにあの容姿、さぞかし女性受けなさるのでしょうね」
「信義を重んじ、頭も切れる。ああいう男は貴重だからな」
「ベアトリクス殿下にそうとまで言わせるとは、大した殿方ですわね」
何気ない会話の流れであったが、聞き流すことは到底できない単語がレイアの口から零れ出て、少女たちが緊張感を纏う。が、対照的にベアトリクス本人は平然としたものだった。
「そう警戒しないで下さい。大国アレスブルグの第三王位継承者にして剣姫の再来とまで謳われるベアトリクス殿下を存じ上げない特権階級者などモグリでございましょう。もう少し隠す努力をされてらっしゃれば、こちらとしても見て見ぬ振りをして差し上げたところでございますが」
「そういうことだ。お前たちが気にすることはない」
二人の言葉を受けて、恵子と千鶴は肩の力を抜く。
一方のリドウとアリアであるが……
「すんげぇシャンばっか連れてんな、兄ちゃん。みんな兄ちゃんのコレか?」
アリアは下品な笑いを浮かべながら小指を立てる。
「いんや」
「嘘だろ!? ……もしかして兄ちゃん、男色だったりするのか?」
「こらっ、アリア! 無礼も大概にしなさい!」
「そんなカリカリすんなよ、レイアねぇ。しかめっ面ばっかじゃ皺が増えるぜ? もーお肌の曲がり角なんだから、ちょっとは気を遣った方がいーぞ?」
「なっ……」
絶句する顔は真っ赤に染まっている。羞恥心とか憤慨とか、色んな感情が混ざっていそうな顔色だった。
レイアはぷるぷると全身を小刻みに震わせる。
「こ、小娘が、言わせておけば……人がちょっと気にしてることを、自分は若いと思って遠慮会釈なくずばずばと言ってくれやがりますわね――ッ」
「ま、まあまあ、落ち着きましょう。子供のゆーことですから」
またイイ感じにグダってきたが、烈震との邂逅はすぐそこまでやって来ていた。
マフィアの親分にしてレイアとアリアの父親とは……果たしてどんな人物なのか、少女たちには全く予想ができずに、一部不安を煽られたりしていたが、しかし概ね共通して期待感を抱いていないと言えば、それは全くの嘘だった。




