第37話 黒い欠片
翌朝、目を覚まして最初に確認したのは、職人の手で作り直された槍ではなかった。
机の上に置いた黒い金属片だ。
昨夜、宿へ戻ってからも何度か眺めたが、見た目に変化はない。元は円形だったらしい板の一部が欠け、その表面には途切れた環と、内側から一本だけ伸びる角のような意匠が刻まれている。
俺は椅子へ座り、指先で金属片へ触れた。
表面は冷たい。それだけだった。
露店で初めて触れたときのように《魔核》が震えることもなければ、表面に黒い線が走ることもない。そのまましばらく待ってみたが、やはり何も起こらなかった。
「毎回反応するわけじゃないのか」
むしろ、その方が調べにくい。触れるたびに同じ現象が起こるなら、条件を一つずつ変えて比較できる。反応したりしなかったりするのであれば、昨日と今朝で何が違うのかを順番に考えなければならない。
場所や時間、周囲の魔力、自分自身の状態。あるいは、初めて触れたことそのものが条件だった可能性もある。
もう一度《解析》を使うことも考えたが、昨日すでに試している。新しい情報が増えていない状態で同じことを繰り返しても、負荷を掛けるだけで終わる可能性が高い。
俺は金属片を机へ戻した。
分かっていることは多くない。普通の金属とは違う可能性が高く、人工的な加工痕があり、極僅かな魔力が残っている。そして、素材も用途も《解析》では判別できなかった。
それ以上に気になるのは、最初に触れた瞬間だけ《魔核》が明確に反応したことだ。偶然かもしれないが、魔力を測る結晶の中で現れた黒い筋と合わせて考えると、簡単に無視する気にはなれなかった。
今の俺が金属片そのものを調べても、これ以上は進まない。
なら、別の方向から調べればいい。
これがどこから来たのか。昨日の老人は、古い場所から出た物のような説明をしていた。まずはそこを確かめる。
言葉が足りない以上、今日は素直に助けを借りることにした。
◇
朝食を終える頃、リシェルが宿へやってきた。
今日は一人だった。
俺を見るなり新しい靴へ目を向け、そのあと壁際に立ててある槍を見る。改修された槍を渡すと、リシェルは両手で持って軽く構え、柄と接合部分を確認してから何かを言った。
聞き取れた中に、良いという意味の言葉がある。
「だいぶ違う」
俺も覚えた言葉を混ぜながら、以前の槍と今の槍を手振りで比較した。少し重くなったが、その分使いやすくなったことを伝えると、リシェルは理解したらしく頷いた。
続いて彼女は探索者協会へ向かうような仕草をする。
いつも通りなら、これから仕事を探しに行くつもりなのだろう。
だが今日は、その前に確認したいことがある。
「リシェル」
俺は彼女を呼び止め、腰の小袋から黒い金属片を取り出した。
彼女の表情が僅かに変わる。
昨日と同じだった。正体を知っているようには見えないが、何の意味も感じていない顔でもない。
俺は金属片を指し、昨日を示す言葉を使う。続いて露店のあった方向を示し、老人、見つける、場所と、知っている単語を身振りと一緒に並べた。
どこから来たのか知りたい。
そこまで伝えたい。
かなり無理のある説明だったが、リシェルは途中から意図を理解したらしい。金属片を見ながら何かを尋ね、昨日の老人を示すような仕草をした。
俺が頷き、今度は歩く動作をしてみせる。
「行く」
最後の言葉はきちんと通じた。
リシェルは少し考えたあと、頷いた。
今日は探索者協会へ行く前に、昨日の露店へ戻ることになった。
◇
通りへ着くと、老人はすでに店を広げていた。
布の上には昨日と同じように、用途の分からない古物が雑然と並んでいる。欠けた陶器や色の変わった金属片、装飾品、石。俺が買った黒い金属片があった場所には、当然別の品が置かれていた。
老人は俺たちを見ると、昨日の客だと思い出したらしい。笑いながら何かを言う。
リシェルが黒い金属片を見せ、その出所について質問を始めた。
俺も会話へ集中する。
全部は分からない。それでも以前とは違い、買う、人、北、古い、掘る、石、荷物、商人といった単語が拾えるようになっていた。
断片だけでも、話の方向はある程度見える。
リシェルが場所を確かめるように地面へ指で線を引くと、老人は首を横へ振った。どうやら正確な場所までは分からないらしい。
しばらく話したあと、リシェルが俺へ向き直り、できるだけ簡単な言葉に置き換えて説明してくれた。
老人が自分で拾ったのではない。
別の男から買った。
その男は北から来た。
古物が入った荷物の中に、この金属片も混じっていた。
俺は少し考えてから尋ねた。
「この爺さんが拾ったんじゃない?」
リシェルが頷く。
予想とは少し違った。
露店の老人自身が遺跡や古い場所へ行って拾ったものではなく、誰かからまとめて買った古物の中に混じっていたらしい。
なら、その売り手を辿ればいい。
俺は老人を指し、次に架空の人物を示すように少し離れた場所へ手を向けた。
「人。どこ?」
発音はまだ怪しい。
それでも意味は通じたらしく、老人は少し考えてから通りの向こうを指した。
続いて長い説明が始まり、リシェルが何度か聞き返す。どうやら、その男は定期的にリュネールへ古物を持ち込むらしい。
ただし、今は町にいない。
今日会えるなら一気に話が進んだのだが、そこまで都合よくはいかなかった。
老人はさらに説明を続け、その中で聞き覚えのない固有名詞らしい音を何度か口にした。リシェルもそれに反応する。
俺が首を傾げると、彼女は北を指したあと、両手で山の形を作った。続けて石を示し、掘るような仕草をする。
最初は意味が分からなかったが、何度かやり取りするうちに見えてきた。
採掘場。
あるいは、その周辺地域。
老人が古物を買った男は、リュネールの北側にある採掘地帯から来た人間らしい。
ただし、その黒い金属片自体がそこで見つかったのかは分からない。古物を売る人間なら、別の土地で手に入れた品を持っていた可能性もある。
場所が確定したわけではない。
それでも、昨日よりは一歩進んだ。
◇
露店を離れたあと、俺はリシェルと並んで歩いた。
今ある情報は、北側の採掘地帯、そこから来た古物商、そして黒い金属片。この三つだけでは、まだ場所を特定するには弱い。
リュネールの北に採掘場が一つしかないとも限らないし、古物を扱う人間なら複数の土地から品を集めている可能性も高い。
「もう少し情報が要るな」
日本語で呟く。
リシェルがこちらを見る。
俺は少し考え、自分の頭を指してから、本を開くような仕草をした。
古い記録。
文字。
そういうものが残っている場所。
意図を理解したリシェルは、しばらく考え込んだあと一つの言葉を口にした。
知らない単語だった。
俺が首を傾げると、彼女は文字を書く仕草をし、本を開き、さらに棚が並んでいるように両手を動かした。そして町の中心方向を指す。
「……本がある場所?」
リシェルが頷く。
図書館という言葉が最初に浮かんだ。
ただ、この世界に地球の公共図書館と同じものがあるとは限らない。書庫、記録所、あるいは行政や学者が文書を保管する施設かもしれない。
どちらでもいい。
古い記録があるのなら、行ってみる価値は十分にある。
探索者協会へ向かう予定は、いったん後回しになった。
◇
リシェルに連れてこられたのは、町の中心部に近い石造りの建物だった。
探索者協会ほど大きくはないが、周囲の家や店とは明らかに造りが違う。正面には飾り気の少ない扉があり、その横の石板には何行もの文字が刻まれていた。
当然、俺には読めない。
中へ入ると、外の喧騒が急に遠くなる。
紙や革、古い木、それに僅かな埃が混じった独特の匂いがした。壁際にはいくつもの棚が並び、束ねられた紙や薄い板、分厚い本のようなものまで収められている。
机では何人かが書物を読み、別の者は何かを書き写し、大きな紙を二人で広げて確認している者もいた。
「本当にあるんだな……」
この世界へ来てから、これだけの量の書物を見るのは初めてだった。
製紙や複製の技術がどの程度なのかは知らない。地球のように印刷した本が大量に出回っている世界でないことくらいは、これまで町を歩いていれば分かる。
だからこそ、これだけの記録が一か所へ集められていること自体に価値がある。
そして同時に、すぐ別の現実へぶつかった。
ここに俺が求めている答えが書かれていたとしても、今の俺には自分で探すことすらできない。
読めないからだ。
文字を覚える必要性が、また一段重くなった。
◇
リシェルが受付らしい場所にいた女性へ話しかけ、黒い金属片を見せた。
女性はすぐには手に取らず、少し離れたところから刻印を確認する。そのあと何かを尋ね、リシェルが昨日からの経緯を説明した。
しばらくすると、女性は奥へ消えた。
俺は待ちながら周囲を見る。
ここが誰でも自由に利用できる場所なのか、金や資格が必要なのかもまだ分からない。そうした仕組みも、いずれ知っておく必要があるだろう。
やがて受付の女性が戻ってきた。
その後ろに、一人の老人がいる。
白い髪に細い身体、僅かに曲がった背中。手には眼鏡に似た道具を持っていた。
地球のものとは少し形が違うが、細かなものを見るための道具らしい。
老人はまずリシェルから事情を聞き、それから黒い金属片を指して何かを尋ねた。
俺のものか。
触っていいか。
そんなところだろう。
俺が頷くと、老人は金属片を受け取り、窓から光が入る場所へ移動した。
目元へ道具を当て、表、裏、欠けた部分、刻まれた模様を丁寧に確認していく。特に長く見ていたのは、途切れた環と、その内側から一本だけ伸びる意匠だった。
やがて老人の表情が少し変わった。
初めて見るものに驚いたというより、何かを思い出そうとしているように見える。
老人がリシェルへ一言伝え、リシェルが聞き返す。
もう一度確認したあと、老人は奥に並ぶ棚を指した。
二人が歩き始める。
俺もすぐ後へ続いた。
◇
老人が取り出したのは、一冊の本ではなかった。
大きな紙を何枚も重ね、紐でまとめた資料だった。
かなり古い。
紙の端は変色し、場所によっては角が欠けている。老人はそれを机へ置き、一枚ずつ傷めないよう慎重にめくっていった。
中には文字だけでなく、地図や建物、道具、意味の分からない記号など、いくつもの図が描かれている。
老人は何枚か確認したところで手を止めた。
そこに描かれていたものを見て、俺も自然と前へ身を乗り出す。
環。
完全な円ではなく、一部が途切れている。
俺は小袋から黒い金属片を取り出し、図と見比べた。
似ている。
まったく同じではない。資料の図の方が簡略化されており、金属片にある一本角のような部分も描かれていない。
それでも、環の形は近い。
老人が図と周囲の文章を指しながら説明する。
拾える単語があった。
古い。
地下。
北。
建物。
見つかった。
リシェルも、俺が理解できる言葉へ置き換えながら補足してくれる。
昔に誰かが調べ、その内容を記録したものらしい。
俺は資料と金属片を交互に見た。
「同じ場所から出た?」
身振りを交えて尋ねる。
老人は首を横へ振った。
違うというより、分からない。
そういう反応だった。
続いて老人は資料の地図を指した。
リュネールと思われる場所から北西へ進み、さらに離れた位置に一つの印がある。
どうやらこの資料は、過去に調査された場所についてまとめた記録らしい。
そこで、黒い金属片と似た環の意匠を持つ何かが見つかった。
確実に言えるのは、今のところそこまでだった。
◇
老人はさらに別の紙を取り出した。
今度は図が少なく、文字が多い。
その中の一か所へ指を置き、ゆっくり一つの言葉を読む。
聞いたことのない音だ。
俺が真似すると、すぐに発音を直された。
もう一度。
今度は老人が頷く。
どうやら場所の名前らしい。
リシェルも同じ音を繰り返した。
俺は頭へ入れる。
北西にある古い場所。
環に似た印が記録されている場所。
そこまでは繋がった。
続けて老人が別の言葉を使う。その中には、閉じる、危険、入れないという意味らしいものが混ざっていた。
リシェルの表情も少し曇る。
彼女が俺へ説明する。
昔は掘る場所だった。
その後、閉じた。
危険。
今は人が行かない。
断片を繋げれば、元は採掘場だったか、採掘中に何か古いものが見つかった場所らしい。その後、何らかの理由で閉鎖され、今では普通には立ち入らない。
そこまでなら理解できた。
俺は地図へ目を落とす。
手掛かりが出たからといって、すぐ向かう気にはならない。
正確な位置も分からず、閉鎖された理由も知らない。危険だと言われている場所へ、情報不足のまま突っ込む気もなかった。
必要なのは、さらに情報を増やすことだった。
◇
老人が再び黒い金属片を見る。
環と、その内側から一本だけ伸びる意匠へ指を置いたあと、俺の右側頭部へ視線を向けた。
やはり、似ていると思うらしい。
老人が何かを尋ねる。
リシェルが俺を見る。
どう説明すればいいのか迷っている顔だった。
俺は自分の角へ触れ、「分からない」という意味の言葉を使った。
どこから来たのか。
なぜ一本だけなのか。
この身体がどういう種族なのか。
俺自身にも分からない。
老人は少し驚いたようだった。
さらに質問が続く。
故郷。
家族。
種族。
その辺りを尋ねているらしい。
答えられない。
そして、すべてを話すつもりもなかった。
地球。
転生。
地下遺跡。
黒い記録板。
それらを今ここで明かす理由はない。
俺はもう一度「分からない」と答え、自分の頭を指してから首を横へ振った。
記憶がないと受け取られるかもしれない。
完全に正確な説明ではない。
ただ、この身体そのものについて俺が何も知らないことは事実だった。
老人はしばらく俺を見たあと、それ以上は追及しなかった。
◇
代わりに古い資料へ戻り、別の部分を探し始めた。
かなり時間が掛かった。
俺も横から見ていたが、読めない文字が延々と並び、ときどき簡単な図が現れるだけだ。
やがて老人の手が止まった。
小さな絵が描かれている。
人間らしき姿。
簡略化された頭部。
そして、そこから伸びている角は一本だけだった。
俺は思わず息を止めた。
「……あるじゃないか」
日本語が口から漏れる。
リシェルも横から資料を覗き込み、目を僅かに見開いた。
彼女も初めて見るらしい。
老人は図の周囲にある文章をゆっくり読み始めた。
俺にはほとんど分からない。
しかもリシェルまで途中で何度も聞き返している。普段使われない古い言葉でも含まれているのだろうか。
やがてリシェルが俺を見る。
説明に困っているような表情だった。
彼女は知っている言葉を選びながら、昔、人、角、一つ、記録、少ない、分からないといった単語を繋いでいく。
俺はもう一度図を見る。
一本角を持つ存在。
少なくとも、それらしいものが昔の記録には描かれている。
「本当にいたのか……」
そう考えた直後、老人が首を横へ振った。
何か長く説明し、リシェルも確認する。
そして俺へ伝わったのは、絵が事実かどうかは分からないということだった。
古い話を誰かから聞いて記しただけかもしれない。
実際に一本角の人物を見た者が書いたのかも分からない。
後の時代に写された可能性だってある。
なるほど。
資料があることと、そこに書かれたものが事実であることは別だ。
俺自身、日本にいた頃にも、古い書物に書かれている内容すべてが史実ではないことくらいは知っていた。
それでも今までとは違う。
これまでは、町で一本角を見た者が妙な反応をすることや、古い話が残っているらしいことしか分からなかった。
今は目の前に、実際の記録が存在している。
一本角というものが、少なくとも昔から語られてきた。
それだけでも十分な進展だった。
◇
俺は一本角の絵の周囲を指した。
「読む」
続いて自分を指す。
「覚える」
文字。
勉強。
リシェル。
使える言葉を重ねていく。
自分でも分かるほど、声が真剣になっていた。
誰かに読んでもらえばいい。
そういう問題ではなくなった。
今の説明だけでも、リシェル自身が理解できない表現がいくつもあった。さらに人を介して意味を聞き続ければ、元の文章が持つ細かな違いは失われていく。
いつか、自分で読みたい。
一本角について書かれた文章を、人に解釈してもらった内容ではなく、自分の目で確かめたい。
老人は俺の様子を見て、少しだけ表情を緩めた。
何かを言う。
リシェルが笑った。
俺が首を傾げると、彼女はゆっくりと言葉を選んだ。
勉強。
たくさん。
難しい。
「分かってるよ」
日本語で返した。
簡単なら、とっくに覚えている。
だが、やる理由は以前より遥かに大きくなった。
◇
資料を元へ戻したあと、老人は小さな紙へ二つの文字列を書いた。
一つは、先ほど聞いた北西の場所の名前らしい。
もう一つは分からない。
俺がリシェルを見ると、彼女が説明してくれた。
探索者協会にも、その北西の地域についての情報があり、周辺へ向かう仕事が出ることもあるらしい。
俺は紙を受け取った。
それなら都合がいい。
危険だと言われた場所へ、俺一人が自分の事情だけで向かう必要はない。探索者として正規の仕事があるなら、それを利用して近くへ行くことができる。
依頼をこなし、金を稼ぎ、その過程で周辺の情報を集める。
ただし、今の俺が受けられる依頼なのかどうかは別の問題だった。
◇
探索者協会へ戻ったのは、昼をかなり過ぎてからだった。
ガルドたちの姿は見当たらない。
俺とリシェルはそのまま掲示板へ向かった。
老人からもらった紙を取り出し、そこに書かれた地名らしい文字列と、依頼書の文章を見比べていく。
読めなくても、同じ形なら探せる。
何枚か確認していると、途中まで似た文字列を見つけた。
俺が指す。
リシェルが確認し、首を横へ振る。
違うらしい。
さらに探す。
そして掲示板の中央より少し上、俺が普段見ている新人向けの一角とは違う場所に、一枚の依頼書があった。
老人の紙にある文字列と見比べる。
最初の部分が一致している。
俺が指すと、リシェルも依頼書へ顔を近づけた。
その表情が少し変わる。
「ある?」
俺が尋ねる。
リシェルは頷いた。
だが、すぐ俺の金属板を指し、そのあと依頼書の印を示して首を横へ振った。
俺一人では受けられない。
依頼の区分が上なのだろう。
依頼書は文字が多く、絵もない。数字はいくつかあるが、何を示しているのかまでは分からない。
リシェルが読み始める。
途中で何度か眉を寄せ、俺にも分かる言葉へ置き換えて説明してくれた。
北西。
道。
荷車。
来ない。
人。
獣。
増える。
「行方不明?」
意味が合っているかは分からない。
だが、北西方面の街道で何らかの問題が起きていることだけは分かった。
リシェルも細かな部分を説明しきれず、依頼書を受付へ持っていった。
職員としばらく話し、内容を確認する。
戻ってきたあと、今度はかなり整理して教えてくれた。
北西方面へ続く街道で、最近獣の数が増えている。
荷を運ぶ者が襲われ、戻ってこない者もいる。
原因を確認し、必要なら危険を排除する。
おそらく、そういう依頼だった。
そして、今の俺一人では受けられない。
◇
俺は掲示された依頼書を見上げた。
黒い金属片を追った先で古い記録が見つかり、その記録に関わる場所は北西にある。そして同じ方向へ伸びる街道では、今何かが起きている。
繋がっているのかは分からない。
むしろ、無関係である可能性の方が高いだろう。北西と言っても範囲は広いはずだし、街道で獣が増えること自体は、この世界では珍しくないのかもしれない。
それでも、近づく理由はできた。
俺は自分の金属板を指し、次に依頼書を示す。
それからガルド、セイル、オルド、リシェルを順番に指し、最後に全員を囲むように手を動かした。
「一緒。受ける?」
リシェルが少し驚いた。
俺から彼らへ依頼への同行を持ちかけたのは、これが初めてだった。
もちろん、自分の都合だけで決めるつもりはない。
四人には四人の仕事があるし、この依頼がどの程度危険なのか、俺はまだ正確に理解できていない。
まず相談する。
危険すぎるなら今は止める。
手掛かりがあるからといって、命を賭ける必要はない。
だが、探索者として正規の依頼をこなしながら安全に近づける機会があるなら、利用しない理由もなかった。
◇
その夜、俺の部屋には珍しく五人が揃っていた。
机の上には黒い金属片、記録所の老人から受け取った紙、そしてリシェルが協会で確認してきた北西方面の依頼についての簡単な内容が並んでいる。
ガルドは依頼について書かれた内容を読み、オルドは黒い金属片を手に取らず近くから観察していた。セイルは椅子へ座り、リシェルの書いたものへ目を通している。
俺はできるだけ自分で説明した。
老人。
北。
古い記録。
環。
一本角。
場所。
依頼。
単語を繋ぎ、足りない部分は身振りで補う。どうしても伝えきれないところだけリシェルに助けてもらった。
時間は掛かった。
それでも最初から全部を彼女へ任せる気はなかった。
俺自身のことだからだ。
話し終えると、しばらく誰も口を開かなかった。
最初に声を出したのはオルドだった。
黒い金属片を指しながら、ゆっくり言う。
古い。
魔力。
僅か。
分からない。
どうやら彼にも正体は判断できないらしい。
期待していた部分はある。
それだけに少し残念だったが、同時に簡単に答えが出なかったことへ妙な安心も感じる。
次にセイルが依頼について何かを言い、ガルドが答えた。
二人の会話へ耳を傾ける。
危険。
数。
分からない。
獣。
道。
報酬。
聞き取れる言葉は増えている。
それだけでも、以前のように完全に置いていかれてはいない。
しばらく話したあと、ガルドが俺を見る。
「レイジ」
俺は頷いた。
彼は依頼について書かれた紙を指し、次に黒い金属片、そのあと俺を示した。
仕事。
調べる。
別。
何度か同じ言葉を繰り返す。
意味を考える。
依頼は依頼。
俺の調査は調査。
混ぜるな。
そういうことか。
「……ああ」
俺は頷いた。
仕事を受けるなら、まず依頼を優先する。金属片のことが気になっても、勝手に仲間から離れたり、依頼内容を無視したりしない。
当然の話だった。
依頼主は俺の正体を調べるために金を払うわけではない。自分の目的を優先して依頼や仲間を危険に晒すなら、探索者として失格だろう。
俺はもう一度、今度ははっきり頷いた。
ガルドもそれ以上は言わなかった。
◇
そこから四人は、依頼を受ける場合の話へ移った。
必要な装備や行程、街道周辺の地形、現れている獣、食料、帰還までの日数。俺には分からない言葉も多かったが、できる限り会話を追う。
セイルが質問し、オルドが何かを指摘する。リシェルが簡単な地図へ線を引き、最後にガルドが全員の意見を確認した。
そして頷いた。
セイルも同意する。
オルドも。
リシェルも俺を見る。
「……行く?」
今の俺でも分かる言葉で尋ねる。
ガルドが肯定した。
ただし、すぐではない。
準備をする。
情報を確認する。
そのあとで受ける。
そういう意味だった。
依頼を受ける前に、街道の状況と必要な装備をもう一度確認するらしい。
急ぐ必要はない。
むしろ、その方がいい。
俺は机の上に置いた黒い金属片へ視線を落とした。
昨日までは、偶然見つけただけの意味不明な古物だった。
今は違う。
古い記録には似た環の図があり、さらに一本角を持つ何かの記録まで残されていた。その資料に記された場所は北西で、同じ方向では今、街道を利用する者たちが襲われる問題が起きている。
もちろん、それらが繋がっている証拠は何もない。
黒い金属片と街道の異変が、まったく無関係であってもおかしくない。
だからこそ、焦らず一つずつ確かめる。
俺は顔を上げた。
ガルド。
セイル。
オルド。
リシェル。
グラウで初めて会ったとき、俺はただ四人についていくしかなかった。
今度は違う。
俺が見つけた手掛かりを自分の言葉で説明し、四人へ協力を頼んだ。
そして彼らは応じてくれた。
ほんの少し前まで、自分の名前を伝えるだけでも苦労していたことを思えば。
その違いは、思っていた以上に大きく感じられた。




