第30話 探索者協会
建物の中へ足を踏み入れた瞬間、外とは違う種類の騒がしさに包まれた。
リュネールの大通りでは、人の声や荷車の音、店先からの呼び込みが無秩序に重なっていた。ここでも多くの者が言葉を交わしているが、響いてくるのはもっと低く、何かを相談したり報告したりする声が多い。
正面には広い空間があり、右側には長い台がいくつも並んでいた。その向こうでは男女数人が訪れた者へ応対し、書類らしきものを受け取ったり、板へ文字を書き込んだりしている。
左側の壁には、さらに大きな板が取り付けられていた。
そこには紙らしきものが何十枚も貼られ、その前には武器を持った者たちが集まっている。数人で一枚を覗き込みながら話す者もいれば、一人で順番に内容を確認している者もいた。
建物の奥には別の台もある。
こちらへ来る者たちは、何かを持っていることが多かった。
大きな布袋。
植物の束。
獣の角らしきもの。
俺の腕ほどありそうな牙まである。
一人の男が袋を台へ置くと、中から黒い鱗のようなものを何枚も取り出した。係員らしい男は一枚ずつ確認し、板へ何かを書いたあと、別の者から硬貨を受け取って男へ渡している。
「……なるほど」
まだ仕組み全体は分からない。
ただ、ここが単に武器を持った者たちの溜まり場ではないことだけは見えてきた。
仕事。
情報。
素材。
金。
それらが一つの場所に集まっている。
ラティアで荷運びの仕事を紹介してもらった場所より、遥かに組織化されているように見えた。
◇
利用している者も人間だけではなかった。
長い耳を持つ男が弓を背負ったまま壁の紙を読んでいる。その隣には人間より頭一つほど低いが、肩幅の広い男が大きな斧を持って立っていた。
少し離れたところでは、額の左右に二本の角を持つ女性が杖を手に誰かと話している。
街道や町の中でも見た。
リュネールでは、こうした違いを持つ者たちが普通に生活している。
少なくとも、この建物の中では誰も特別に気にしている様子はない。
俺が少し長く見てしまったせいか、二本角の女性がこちらへ顔を向けた。
目が合う。
そして、視線は当然のように右側頭部へ移った。
ただ、町へ入った直後に見た二本角の男ほど大きく表情を変えることはなかった。少し眉を上げただけで、そのまま会話へ戻っていく。
同じ一本角を見ても、反応は違う。
それならやはり、一人や二人の反応だけで意味を決めつけるべきではない。
俺は視線を前へ戻し、先へ進んだガルドたちの後を追った。
◇
建物の内部は、外から見た印象以上に広かった。
中央には机と椅子がいくつも置かれ、地図を広げて相談している者や、道具の手入れをしながら話している者までいる。酒場かとも思ったが、今のところ食事を出している様子はなく、休憩や打ち合わせに使われている空間らしい。
ガルドたちが通ると、何人かが声をかけてきた。
名前らしい音が聞こえる。
ガルドも短く返し、セイルは別の男から肩を叩かれていた。リシェルも台の向こうにいた女性と目が合うと、軽く手を上げて応じている。
ここを初めて利用するわけではない。
むしろ、かなり慣れている。
俺はそれを見ながら、今更ながら当たり前のことに気づいた。
彼らには、俺と出会うより前から続いている生活がある。
仕事をし、知り合いがいて、戻る場所がある。
俺にとっては「森で出会った四人」だったが、彼ら自身の人生にとって、俺との出会いは最近起きた出来事の一つにすぎない。
その生活の一部へ。
今、俺が入り始めている。
◇
ガルドは一つの台の前で足を止めた。
向こうにいたのは、五十歳前後に見える男だった。短く切った灰色の髪に、顔には古い傷がいくつか残っている。
服装そのものは簡素だ。
ただ、胸元には小さな金属製の印が付いていた。
男はガルドを見ると僅かに表情を緩め、名前を呼んだ。
そこから会話が始まる。
セイル。
オルド。
リシェル。
順番に何かを確認している。
俺には内容までは分からないものの、単なる挨拶だけではないことは声の調子から伝わってきた。
やがてガルドが荷物から折り畳まれた紙を取り出し、男へ渡す。
広げられた紙には文字だけでなく、簡単な図のようなものも書かれている。
続いてリシェルも自分の木板を取り出し、何かを説明し始めた。
その会話の中で、聞き覚えのある音が何度も出てくる。
「グラウ」
森の名前だ。
彼らがグラウへ入ったことについて報告しているらしい。
何を目的に森へ向かっていたのかはまだ分からない。
ただ。
この場所と無関係ではなかった。
俺は邪魔にならないよう少し後ろへ下がり、話が終わるのを待つことにした。
◇
待っている間に、壁へ貼られた紙を見に行く。
近くで見ると、紙ごとに文字量がかなり違っていた。
短いものもあれば、何行にもわたって書かれているものもある。簡単な絵が添えられたものや、数字らしき記号が大きく書かれたものもあった。
その中の一枚には、獣の横顔らしき絵がある。
下には数字。
さらに別の記号。
俺は周囲の人間たちの動きと合わせて考える。
数人で紙を読み、相談する。
一枚を指す。
そのあと台へ向かう。
別の男は一枚を読んで首を横へ振り、別の紙へ移っていった。
「仕事……か?」
依頼を選んでいる。
そう考えると、動きの意味が通る。
ラティアでは人から直接仕事を紹介してもらった。
ここでは。
仕事そのものを掲示し、利用する者が選べる仕組みになっている可能性がある。
俺が紙を見つめていると、横から声をかけられた。
振り向く。
俺より少し若く見える男だった。
革製の防具。
腰に短い剣。
背中には小型の盾を背負っている。
男は俺を見たあと、壁の紙を指して何か言った。
当然、分からない。
俺が首を横へ振ると、男はもう一度説明しようとしたが、反応を見て言葉が通じないことに気づいたらしい。
少し考え。
紙を指す。
自分の剣を軽く叩く。
外。
最後に、指先で硬貨を示すような仕草をする。
外へ行く。
何かをする。
金を得る。
少なくとも、その程度の流れには見える。
俺も紙を指し、自分を示して首を傾げる。
男は今度、俺から紙、そして長い台の方へ順番に指を向けた。
受付へ行け。
そんなところだろうか。
正確には分からない。
それでも、さっきよりは情報が増えた。
俺は軽く頭を下げる。
「ありがとう」
日本語だが、礼を言っていることは伝わったらしい。
男も片手を上げ、仲間のところへ戻っていった。
ほんの短いやり取りだった。
それでも、知らない相手と最低限の意思疎通ができた。
少し前なら。
それすら難しかった。
◇
今度は奥の台から少し大きな声が聞こえた。
先ほど黒い鱗を持ち込んでいた男のところに、別の係員まで集まっている。鱗を手に取り、大きさや厚みを確認し、何かの道具で表面を調べていた。
やがて数字が読み上げられ、板へ何かを書き込む。
そして硬貨。
やはり素材を金へ換えている。
俺は無意識に腰の簡易ナイフへ触れた。
巨大な虫の大顎から作った刃。
森で倒した虫。
肉は食べた。
外殻は水を入れる容器にした。
大顎は武器へ変えた。
あのときは、それ以外の使い道など考える余裕もなかった。
だが。
この場所で獣や魔物の素材を買い取っているのなら。
俺が捨てた部分の中にも、価値のあるものがあったかもしれない。
「……かなり無駄にしたのか?」
そう思ったが、すぐに考え直す。
当時の俺には金の使い道すらなかった。
必要だったのは食料、水、道具、生き残る方法。
価値を知らなかったことを今さら後悔しても意味はない。
重要なのは。
次から知っておくことだ。
俺は大顎のナイフを軽く見る。
売る気はない。
今も必要な道具だ。
ただ、素材そのものの価値を聞くことができれば、あの巨大な虫について別の情報を得られる可能性はある。
言葉がもう少し分かるようになったら。
調べてみてもいい。
◇
ガルドたちの話はまだ続いていた。
先ほどより空気が少し重い。
リシェルが木板の一部を指しながら説明し、灰色の髪の男が眉を寄せる。そこへオルドも加わり、ガルドも何度か短く答えていた。
その途中。
俺の名前が聞こえた。
「レイジ」
全員の視線がこちらへ向く。
俺は壁から離れ、台のところまで戻った。
灰色の髪の男が俺を見る。
まず顔。
次に角。
服。
腰のナイフ。
槍。
視線がゆっくりと動いていく。
そして何かを尋ねられた。
分からない。
リシェルが俺の横へ来て、自分たちを指したあと森を示す。
「グラウ」
俺は頷く。
そこまでは分かる。
続いて彼女は俺を指し、獣らしいものを身振りで示してから、戦う仕草をした。
森で出会ったときの話。
大型獣との戦闘。
俺が途中から加わったこと。
その辺りを説明しているのだろう。
灰色の髪の男の表情が少し変わった。
改めて俺を見る。
今度は身体つきまで確認するような視線だ。
そして再び質問される。
その中に、数字の一が聞こえた。
男自身も指を一本立てる。
俺。
グラウ。
一人。
たぶん。
森で一人だったのか。
そう聞いている。
俺は頷いた。
男の目が少し細くなった。
また質問。
リシェルが横から説明。
会話が続いていく。
相変わらず大半は分からない。
ただ。
完全な雑音でもなかった。
グラウ。
レイジ。
一。
カルナ。
拾える音を繋げれば、少なくとも何が話題になっているのかは想像できる。
俺。
一本角。
グラウ。
一人。
自分でも。
かなり怪しい。
出身地を説明できない。
この世界の言葉がほとんど話せない。
一本角。
グラウの奥から一人で現れた。
大型獣との戦いへ突然加わった。
武器は手製。
身分も不明。
並べれば並べるほど、警戒しない方がおかしい。
俺は灰色の髪の男から向けられる視線を受けながら、黙って待った。
話したくないことはある。
遺跡。
黒い記録板。
地球から来たこと。
今の段階で、それらを明かすつもりはない。
ただし。
必要以上に嘘をつくつもりもない。
というより。
今は嘘を組み立てられるほど、言葉を知らなかった。
◇
やがて話が一度途切れ、灰色の髪の男が台の奥から小さな金属板を取り出した。
手のひらに収まる程度の大きさで、表面には文字らしきものが刻まれている。端には小さな穴も開いていた。
男はそれを俺へ見せる。
ガルドが何か言った。
リシェルも金属板と俺を交互に指す。
門で木札をもらったことを思い出す。
ここで使う証明。
登録。
身分。
いくつか候補は浮かぶ。
だが、金属板はまだ渡されなかった。
男は台へ戻し、代わりに一枚の紙と筆記具を俺の前へ置いた。
紙には文字が並び、途中にいくつもの空白がある。
「……書けってことか?」
リシェルが頷いた。
俺は紙を見る。
無理だ。
自分の名前なら何とかなる。
だが、それ以外はほとんど書けない。
俺は紙を指し、自分を指して首を横へ振った。
リシェルが一瞬。
笑った。
「笑うところじゃないだろ」
意味は通じない。
彼女はすぐ隣へ来て、紙の最初の空欄を指した。
続けて俺。
名前。
おそらく。
それなら分かる。
俺は筆記具を持った。
玲司。
この世界の文字で書く。
何度も練習した。
とはいえ、練習用の木板ではなく正式な書類らしきものへ書くとなると、妙に緊張する。
見本を思い出しながら、一つずつ丁寧に書いた。
リシェルが確認する。
頷く。
どうやら間違ってはいない。
次の欄。
説明される。
分からない。
さらに説明。
やはり分からない。
ガルドまで横から何か言い始め、灰色の髪の男が僅かに額を押さえた。
俺はため息をつく。
こればかりは仕方ない。
結局、残りの欄はリシェルと男が相談しながら記入することになった。
俺は横から文字を見ていたが、何を書かれているのかほとんど読めない。
途中で。
リシェルが俺の右側頭部を示した。
角。
灰色の髪の男も何か質問する。
リシェルが答える。
すぐには書かない。
また話す。
二人とも俺を見る。
そのあと、ようやく何かが記入された。
種族。
身体的特徴。
出身。
どの欄なのかは分からない。
ただ。
自分の一本角について何かが書かれた可能性は高い。
内容が非常に気になる。
読めるようになったら。
必ず確認しよう。
◇
記入が終わると、灰色の髪の男が紙を一通り確認した。
そのあと俺へ何かを尋ねる。
知っている音が混ざっていた。
仕事。
おそらく。
俺は壁の紙を指し、自分を示してから頷いた。
働きたい。
それ自体は間違いない。
男が続ける。
森。
武器。
獣。
硬貨。
すべてではないが、いくつか拾える。
俺は周囲を見る。
壁の紙。
武器を持つ者。
外から戻ってきた者。
素材を持ち込む者。
硬貨を受け取る者。
少しずつ。
仕組みが繋がっていく。
リシェルが俺の理解を確認するように、一つずつ指していった。
壁の紙。
武器を持つ者。
自分たち四人。
外。
戻る。
素材。
報酬。
そのたびに、同じ言葉を使う。
彼らの呼び名。
職業。
俺は意味を考える。
依頼を受ける。
町の外へ出る。
獣や魔物と関わる。
素材を持ち帰る。
報酬を得る。
場合によっては、何かを調査することもあるのだろう。
「探索者……」
自分の中で。
その呼び方が一番しっくりきた。
リシェルに日本語の意味が伝わったわけではない。
ただ、俺が何か理解したことは察したようで、もう一度周囲の武装した者たちを指し、その呼称を口にした。
俺も同じ音を真似する。
今度は発音を直されなかった。
次に彼女は建物そのものを示す。
受付。
掲示された依頼。
探索者たち。
素材を扱う台。
それら全部を示すように手を動かし、別の言葉を使った。
組織。
管理する場所。
集まる場所。
俺の知っている概念へ置き換えるなら。
協会。
そう呼ぶのが近そうだった。
俺は改めて建物の中を見る。
武器を持つ探索者。
掲示された仕事。
素材の売買。
地図。
情報。
報酬。
それらが一つの場所へ集まっている。
探索者協会。
俺の中では、ひとまずそう整理した。
そう考えると。
ガルドたちがグラウへ入っていたこと。
帰ってすぐここへ報告へ来たこと。
武装して行動していたこと。
いくつかの点が繋がる。
そして。
この場所は。
俺にとってもかなり都合がいい可能性がある。
金を稼げるだけではない。
町の外へ出る理由ができる。
魔物や獣について情報を得られる。
地図。
土地。
依頼。
探索者が各地から持ち帰る情報。
いずれ遺跡へ戻ることを考えても。
繋がりを持つ価値は大きい。
もちろん。
俺に都合がいいからといって。
簡単に利用できるとは限らない。
◇
灰色の髪の男が、先ほどの金属板をもう一度俺の前へ置いた。
だが、まだ渡してこない。
指先で板を軽く叩き、次に俺を指す。
それから。
建物の奥。
そこには別の扉があった。
何人かが出入りしている。
男は俺、扉、槍の順番に示し、何かを言う。
リシェルも説明へ加わった。
全部は分からない。
ただ。
何を意味しているのかは、かなり想像できる。
俺が何をできるのか。
それを確認する。
たぶん。
そんなところだ。
「試験……か」
登録し。
仕事を受ける。
しかも、外には危険な獣や魔物がいる。
なら。
何の確認もなく誰でも登録できる方がおかしい。
危険な依頼へ行かせるなら、最低限の能力を見る仕組みがあって当然だろう。
リシェルが俺を見る。
何か短く尋ねた。
表情と仕草から。
受けるか。
そう聞かれているように見える。
断る選択肢もある。
たぶん。
俺は奥の扉へ視線を向けた。
探索者という仕事が具体的に何をするのか。
まだすべては知らない。
危険もあるだろう。
むしろ。
武器を持った者たちがこれだけ集まっている時点で、安全な仕事ばかりとは考えにくい。
それでも。
金。
魔物。
地図。
情報。
そして、自分が目覚めた遺跡へいつか戻ることまで考えれば。
この場所との繋がりは持っておきたい。
俺は灰色の髪の男へ顔を向ける。
そして。
頷いた。
男の口元が僅かに上がる。
すぐに奥の扉を指した。
俺は手にした槍の感触を確かめる。
リュネールへ着いてから、まだ半日も経っていない。
それでも、ただ大きな町へ来ただけだったはずの道が、早くも別の方向へ伸び始めていた。
その先に何があるのかは、まだ分からない。
だからこそ。
まずは。
自分に何ができるのか。
確かめてみればいい。




