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黒環の解析者 ~転生した俺は世界の理を解き明かす~  作者: 流津美
第一部 黒環の目覚め 第一章 覚醒

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第2話 水の気配

カリ。


暗闇の奥から、硬いものが床を擦るような音が近づいてくる。


俺は壁際に身体を寄せたまま、拾った黒い破片を両手で握っていた。


喉はひどく乾いている。脚にも十分な力が入らない。


こんな状態で、正体も分からない相手と戦う理由はない。


逃げるなら、さっき目を覚ました部屋へ戻るしかない。


だが、あそこには確認できた限り他の出口がなかった。追われれば袋小路になる。


なら今は、相手を見極める。


それしかない。


カリ。


……カリ。


音には一定の間隔がない。


少し進んでは止まり、また進む。


こちらに気づいているのか、それとも偶然この方向へ来ているだけなのか。


分からない。


俺は呼吸を浅くし、通路の奥を見つめた。


目はかなり暗さに慣れてきている。それでも十メートルも先になると、床と壁の境目さえ曖昧だった。


カツ。


今度は、何か硬いものが床へ当たる音。


さっきより近い。


無意識に、黒い破片を握る手へ力が入る。


そのとき。


闇の中で、小さな影が動いた。


低い。


床すれすれを移動している。


「……来た」


一歩、二歩。


やがて影が微かな青白い光の中へ入った。


最初に見えたのは、小さな二つの目。


続いて細長い頭部と四本の脚。後ろには長い尾が伸びている。


大きさは猫より少し小さい程度だった。


「……ネズミ?」


口に出してから、すぐに違うと分かった。


俺の知っているネズミとは、明らかに形が違う。


全身を覆う毛はほとんどなく、灰色がかった皮膚が露出している。背には小さな突起がいくつか並び、耳よりも鼻先の方が目立っていた。


そいつは数メートル手前で止まり、鼻先を小刻みに動かした。


こちらを警戒している。


俺も動かない。


小さいから安全とは限らない。


毒を持っている可能性もあるし、群れで行動する生き物かもしれない。


まず観察する。


必要なら調べる。


俺は目の前の生物へ意識を集中した。


解析。


【解析結果】

対象:未確認小型生物

推定体長:約30cm

状態:警戒

外傷:確認されず

特徴:嗅覚に関係する器官が発達している可能性

食性:不明

攻撃性:判定不能

解析確度:33%


名前は出ない。


当然といえば当然だ。


知らない生物を見ただけで、その名称や生態まで分かるわけではない。


少なくとも今の《解析》は、知らない知識を都合よく与えてくれる能力ではなさそうだった。


小動物が一歩、こちらへ近づく。


俺が黒い破片をわずかに持ち上げると、


「キッ」


鋭い鳴き声を上げ、そいつは素早く身を翻した。


カリカリと乾いた足音を残しながら、あっという間に暗闇へ消えていく。


俺はすぐには動かなかった。


しばらく耳を澄ませる。


音は遠ざかり、そのまま聞こえなくなった。


「……助かった」


張り詰めていた息を吐く。


あの大きさなら、戦えば勝てた可能性はある。


だが、勝てるかもしれないから戦う、という考え方はしたくない。


今の俺は衰弱している。小さな傷でも、その後に響く。


必要のない戦闘は避ける。


それでいい。


緊張が解けた途端、黒い破片を握っていた腕が小さく震えた。


想像以上に、身体が弱っている。


解析で出た「身体機能:約43%」という数字がどこまで正確なのかは分からない。


ただ、今の自分に余裕がないことだけは確かだった。


水を探す。


まずそれだ。


俺は小動物が消えていった通路を見つめた。


生き物がいる。


それは危険の証拠であると同時に、手がかりでもある。


あの生物が俺の知る生き物と同じように水を必要とするなら、この周辺に何らかの水源が存在する可能性はある。


もちろん、ここで地球の常識がそのまま通用する保証はない。


それでも、現状では十分に検討する価値がある。


小動物を追うか。


少し考え、却下した。


巣へ戻る可能性がある。


同種が大量にいるかもしれないし、もっと大型の生物の縄張りへ向かっている可能性もある。


何より、追跡に使えるほど体力が残っていない。


1. 小動物を追う

水場へ辿り着く可能性はあるが、危険が大きい。


2. 自分で周囲を探索する

時間はかかるが、危険を確認しながら進められる。


答えは2だ。


俺は黒い破片を握り直し、通路の奥へ向き直った。


今の優先順位は単純でいい。


1. 水を探す

2. 帰れる経路を確保する

3. 不明な対象へ不用意に触れない

4. 戦闘は可能な限り避ける


左手を壁に添え、ゆっくり歩き始める。


暗い。


だが、進むうちに、この場所が完全な闇ではない理由に気づいた。


壁のところどころに、青白い光が浮かんでいる。


近づいてみると、それは壁面に点在する小さな粒だった。


鉱石にも見える。


苔のようにも見える。


指を伸ばしかけて、止めた。


触る必要はない。


俺は少し距離を取ったまま観察する。


解析。


【解析結果】

対象:壁面付着物

分類:判定不能

微弱発光:確認

発光原因:不明

表面温度:周囲と大差なし

危険性:判定不能

解析確度:19%


ほとんど分からない。


ただ、少なくとも光源の一つではあるらしい。


一粒一粒は弱い。


それでも暗闇に慣れた目には十分だった。


俺は発光物へ触れず、そのまま進んだ。


しばらくすると、通路が二つに分かれた。


正面と右。


「……面倒だな」


分岐があるということは、この先でさらに枝分かれする可能性もある。


何の対策もせず進めば、帰り道を失う。


俺は黒い破片で壁を擦ってみた。


ギッ、と硬い音が響く。


ほとんど傷がつかない。


今度は床へ先端を押しつけ、強く引く。


薄い白線が残った。


「これなら使える」


分岐の床へ、元来た方向を示す矢印を刻む。


見栄えは悪い。


だが目的は果たせる。


俺は二本の通路を見比べた。


見た目に大きな違いはない。


ただ、右の通路へ顔を向けたとき、わずかに冷たい空気が頬を撫でた。


湿ったような匂いもする。


……本当にそうなのか。


水を探しているから、都合よくそう感じているだけかもしれない。


思い込みで判断するのは危険だ。


俺は目を閉じた。


耳を澄ませる。


しばらくは何も聞こえなかった。


やがて。


ぽつ。


小さな音。


目を開く。


右だ。


もう一度待つ。


ぽつ。


液体が何かへ落ちたような音。


水滴。


そう考えるのが自然だ。


俺は音へ意識を向ける。


解析。


【解析結果】

対象:微弱音源

音源種別:液体落下音の可能性

推定方向:右前方

距離:推定困難

反響:複数確認

解析確度:27%


水とは出ない。


音だけで中身まで分からないのだから、それでいい。


だが、進む方向を決める材料にはなる。


「右だな」


床へ印を追加し、右の通路へ入る。


通路は緩やかに下っていた。


進むにつれ、空気が少しずつ冷たくなる。


左手で触れている壁にも、わずかな湿り気を感じるようになった。


ぽつ。


さっきより近い。


十数メートル進んだ先で、また分岐が現れた。


今度は左と正面。


俺は足を止め、まず床へ目印を残す。


それから耳を澄ませた。


ぽつ。


左。


今回は解析を使わない。


自分で判断できるなら、それで十分だ。


左の通路へ入る。


さらに進んだところで、壁にこれまでとは違うものを見つけた。


「……なんだ?」


刻まれている。


傷ではない。


明らかに意図して作られた形だ。


縦に伸びる線。


湾曲した記号。


円に近いもの。


いくつかの形が一定の間隔で並んでいる。


文字。


あるいは記号。


自然にできたものとは思えない。


俺は近づいた。


刻印は胸より少し上の高さにある。


壁へ直接彫り込まれているようだ。


古そうに見える。


だが、輪郭は妙にはっきりしている。


「読める……わけないよな」


見覚えはない。


アルファベットでも漢字でもない。


少なくとも俺の知る主要な文字体系とは一致しなかった。


解析。


【解析結果】

対象:壁面刻印

分類:人工記号の可能性

配列:一定の反復規則を確認

言語体系との関連:判定不能

意味:不明

制作年代:不明

解析確度:23%


やはり意味は分からない。


そのことに、むしろ少し安心した。


知らない文字を見ただけで読めるなら、《解析》というより別の何かだ。


形は拾える。


規則性もある程度分かる。


だが、それ以上は情報不足。


今のところ一貫している。


俺は刻印をしばらく眺めた。


完全には覚えられそうにない。


床へ特徴だけ簡単に写しておく。


その瞬間。


頭の奥に鋭い痛みが走った。


「っ……!」


反射的に壁へ手をつく。


視界が白く霞み、軽い吐き気が込み上げた。


数秒。


それだけで症状は少し引いた。


「なんだ、今の……」


脱水。


疲労。


空腹。


原因はいくらでも考えられる。


ただ、一つ引っかかった。


《解析》。


目を覚ましてから、何度使った。


自分。


床。


未知器官。


黒い破片。


音源。


小動物。


発光物。


今の水音。


壁の刻印。


かなりの回数になる。


「……使いすぎか?」


呟いてから、すぐに結論を保留する。


まだ根拠が足りない。


ただの体調不良かもしれない。


それでも、《解析》の使用と関係がある可能性は覚えておくべきだ。


能力の仕組みも、代償も、何一つ分かっていない。


便利だからと無制限に使うのは危険だ。


俺はその場にしゃがみ、頭痛が落ち着くのを待った。


体感で一分ほど。


立ち上がれる程度には回復した。


優先順位を少し変える。


1. 水を確保する

2. 帰路を失わない

3. 《解析》は必要な場合だけ使う

4. 体力を無駄に消耗しない


俺は再び歩き始めた。


ぽつ。


ぽつ。


水滴らしき音は、確実に近づいている。


壁にある発光物も少し増えてきた。


青白い光が、通路の輪郭を淡く浮かび上がらせている。


やがて、床の色が変わった。


一部だけ、他より濃い。


俺はしゃがみ込む。


触れる必要はない。


見れば分かる。


乾いた場所と違い、表面にわずかな艶がある。


「湿ってる……」


空気もさっきより冷たい。


湿気も強くなっている。


水滴の音。


湿った床。


この先に液体がある可能性はかなり高い。


喉がそれを理解したかのように、急に痛みを主張した。


今すぐ先へ進みたい。


だが、焦って転んだら馬鹿らしい。


俺は立ち上がり、足元を確かめながら進んだ。


数メートル先で、通路が緩く曲がっている。


その向こう。


ぽつ。


……ぽつ。


これまでより、はっきりと水音が反響していた。


さらに、ごく微かに。


流れるような音も混じっている。


俺は歩みを止める。


通路の先で、壁が途切れていた。


その向こうに少し広い空間がある。


青白い光も、こちらより明るい。


そして。


奥で何かが揺れている。


光ではない。


青白い光を反射している何か。


ゆらり。


ゆらりと。


水面。


そう見えた。


だが、まだ断定はしない。


「……あれが、水なら」


声に出しただけで、喉がさらに渇いた気がした。


ここまで来て、初めて期待が勝ちそうになる。


それでも走らない。


水場なら、生き物が集まるかもしれない。


足元も滑る可能性がある。


何がいるのかも分からない。


俺は黒い破片を握り直した。


頭痛はまだ少し残っている。


喉は痛い。


腹も減っている。


それでも。


冷たい石床で目を覚ましてから初めて、生き延びるための具体的な手がかりへ辿り着いた。


ぽつ。


水滴の音。


その向こうで揺れる、淡い反射。


俺は壁際へ身体を寄せた。


そして。


水の気配がする暗い空間へ、慎重に足を踏み入れた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

次話では、ようやく水の気配の先へ進みます。

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