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黒環の解析者 ~転生した俺は世界の理を解き明かす~  作者: 流津美
第一部 黒環の目覚め 第三章 異邦人

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第19話 門の向こう

森を抜けてから、景色は急速に変わっていった。


最初に目についたのは道だった。森の中にも人が通るために整えられた場所はあったが、今歩いているものとは規模が違う。二台の荷車がすれ違えそうな幅があり、地面は固く踏み締められている。場所によっては平たい石まで敷かれ、二本の轍が遠くまで続いていた。


誰かが一度通った程度では、こうはならない。


多くの人間が、長い間使い続けている道だ。


リシェルたちの後ろを歩きながら周囲を見ていると、道の両側に広がっていた草地にも規則性があることに気づいた。植物の高さが揃い、同じものが一定の間隔で並んでいる。地面には細い溝が何本も伸びていた。


畑だ。


何を育てているのかは分からないが、人の手が入っていることだけは間違いない。


「農業も普通にあるのか……」


パンを食べた時点で、穀物を継続的に得る仕組みがあることは予想していた。それでも実際に耕作地を見ると、そこから連想できるものは多い。


土地を使い続ける。


種を蒔き、育て、収穫する。


収穫物を保存し、必要な場所へ運ぶ。


それを毎年繰り返すなら、生活の拠点も必要になる。


森で食料を探していた俺とは、そもそもの生き方が違う。


考えていると、前方から木の軋む音が聞こえてきた。


続いて、規則正しい足音。


ガルドたちの様子に変化はない。


危険ではないらしい。


やがて道の向こうから一台の荷車が現れた。


木製の荷台に大きな車輪が二つ。布袋のような荷物がいくつも積まれ、それを馬に似た四脚の生物が引いている。


俺は思わず目で追った。


体格や脚の形は馬によく似ている。ただし首が太く、額には短く平たい突起が二本ある。灰褐色の身体は頑丈そうで、足先も俺が知る馬の蹄とは少し違っていた。


荷車を操る男は、ごく普通の人間に見える。


向こうから近づくと、ガルドが片手を上げた。


御者も同じように手を上げる。


挨拶らしい。


そのまますれ違う――と思ったところで、御者の視線が俺へ向いた。


服。


槍。


虫の外殻から作った水容器。


そして顔。


通り過ぎかけた視線が戻り、右側頭部で止まった。


男の目が少し見開かれる。


角だ。


俺も振り返ったが、男は何か叫ぶわけでも、怯えて逃げるわけでもなかった。少し気にするようにこちらを見ただけで、荷車はそのまま遠ざかっていく。


俺は小さく息を吐いた。


少なくとも、角を見ただけで即座に敵と判断されるわけではないらしい。


もちろん、一人の反応だけで決めつけることはできない。


珍しいものを見ただけかもしれないし、関わりたくないから通り過ぎただけかもしれない。


それでも情報としては悪くない。


俺の様子に気づいたのか、リシェルが振り返った。


俺は自分の角を指す。


「カルナ?」


彼女は一瞬だけ俺の指先を見てから頷いた。


「カルナ」


今度は自分の頭の横に指を立てる。


ほぼ間違いない。


カルナ――角。


以前から意味の候補には入れていたが、これでかなり確度が上がった。


リシェルはそのあとも何か続けた。


「カルナ、――――、――――――」


残念ながら、そこから先は分からない。


むしろ知りたいのはそちらだった。


角が珍しいのか。


誰が持っているのか。


俺の黒い一本角を見てどう思っているのか。


今は聞く術がない。


覚えておくしかなかった。


歩き続けるにつれ、人の姿が増えてきた。


畑で作業する者。


籠を背負って道を歩く女性。


荷物を積んだ小さな手押し車を運ぶ男。


子供までいる。


服装は全体的に質素だった。茶色や灰色、くすんだ緑が多く、素材も麻や毛織物に近く見える。


これが一般的な生活水準なのか、ここが特別なのかはまだ判断できない。


比較対象がないからだ。


それでも、少なくとも生活が崩壊している土地には見えなかった。


畑は手入れされている。


荷物は道を行き交い、人々は普通に働いている。


子供たちも痩せ細っているようには見えない。


何人かが俺を見る。


やはり視線は角へ向かった。


中には露骨に足を止める者もいる。小さな子供が俺を指差し、隣にいた女性に手を下ろされていた。


反応はある。


だが、恐慌ではない。


俺はその違いを覚えておく。


珍しい。


そう見られている可能性は高い。


ただし、珍しいことと受け入れられることは別だ。


そこを混同しない方がいい。


歩きながら、妙な感覚に気づいた。


懐かしい。


この場所へ来たことなどない。


風景も、服も、道も、俺が知っている日本とはまるで違う。


それでも、人が普通に暮らしている景色そのものが懐かしかった。


誰かが働いている。


誰かと話している。


子供が走る。


荷車が通る。


たったそれだけのことを、目を覚ましてから一度も見ていなかった。


森では、自分が今日を生きることで精一杯だった。


ここには、俺がいてもいなくても続いている日常がある。


その事実が、不思議なくらい胸へ残った。


道はやがて緩やかな坂へ入った。


ガルドたちは慣れた様子で上っていく。


頂上付近まで来たところで、前方の視界が一気に開けた。


俺は思わず歩調を緩める。


「あれが……」


ラティア。


ようやく全体が見えた。


大都市というほどではない。


だが、俺が想像していた小さな村よりははるかに大きかった。


町の周囲には低い石壁と木柵が組み合わされ、その内側に数多くの屋根が並んでいる。大半は一階か二階建てで、木と石を組み合わせた建物らしい。


中心付近には周囲より少し高い建物も見える。


何の施設かは分からない。


煙突から立ち上る煙。


金属を叩くような遠い音。


人の声。


森の中では存在しなかった種類の音が、風に乗って届いてくる。


道はそのまま町の入口へ続いていた。


門がある。


木材を厚く組んだ大きな扉が左右へ開かれ、その手前を人や荷車が出入りしている。


俺は無意識に歩調を落とした。


リシェルが振り返る。


「レイジ?」


俺は首を横へ振った。


体調が悪いわけではない。


ただ、急に現実味が増しただけだ。


四人なら、まだ相手を見ながら判断できる。


あの門の向こうには、おそらく何百人という人間がいる。


そこへ俺は入ろうとしている。


言葉は話せない。


身分を証明するものもない。


どこから来たのか説明できない。


金もない。


頭には一本の黒い角。


装備は虫の素材を寄せ集めて作ったものばかり。


「俺が門番なら、止めるな……」


間違いなく怪しい。


それでもガルドは足を止めない。


リシェルたちも同じだ。


俺もついていく。


門へ近づくにつれて、周囲から向けられる視線が増えた。


角だけではない。


自作の槍も目立つ。


虫の外殻で作った水容器まで含めれば、普通の旅人にはまず見えないだろう。


一人の男が連れへ小声で何かを言い、こちらを見る。


子供がまた指差す。


好奇心。


警戒。


少しの驚き。


いろいろな反応がある。


俺はできるだけ顔を動かさず、それだけを観察した。


そして、門の前まで来る。


左右に武装した男が立っていた。


全部で四人。


革製らしき防具。


槍。


腰には剣。


装備の形が揃っている。


個人で用意したというより、同じ組織から支給されているように見えた。


衛兵。


そう考えるのが自然だった。


ガルドが一人へ声をかける。


向こうもすぐに返事をした。


表情は硬くない。


知り合いなのか、頻繁にここを利用しているから顔を覚えられているのか。


短い会話が続く。


セイル。


オルド。


リシェル。


特に問題なく応じている。


そして、衛兵の視線が俺へ向いた。


表情が変わった。


予想どおりだ。


男が俺を指し、何か尋ねる。


ガルドが答える。


衛兵の視線が槍へ移る。


腰の簡易ナイフ。


外殻の水容器。


最後に角。


「カルナ」


聞き取れた。


衛兵が俺の右側頭部を示しながら、ガルドへ何か聞いている。


ガルドが答える。


オルドも会話に加わった。


少し遅れてリシェルまで口を挟む。


会話の内容は理解できない。


ただ、俺のことを説明しているのは明らかだった。


途中でリシェルが森の方向を指し、腕を大きく動かす。


戦った獣のことだろうか。


続いて俺を指す。


衛兵がこちらを見る。


さっきよりわずかに表情が変わった。


俺が彼らを助けたことまで話しているのなら、その情報は少なくとも悪い方向には働いていないらしい。


しばらく話したあと、一人の衛兵がこちらへ近づいてきた。


目線は槍。


手を出し、短く何か言う。


内容は分からなくても、意図は分かりやすい。


武器を渡せ。


そういうことだろう。


俺は念のためガルドを見る。


彼が頷く。


なら従う。


町へ入る以上、ルールがあるのは当然だ。


俺は槍の先端を相手へ向けないよう横向きに持ち替え、両手で差し出した。


衛兵が受け取る。


一瞬、手元が沈んだ。


思ったより重かったらしい。


続いて先端へ目を向ける。


巨大な虫の大顎。


枝。


蔓と繊維を使った固定部。


見る。


俺を見る。


もう一度槍を見る。


横にいた衛兵まで覗き込んできた。


二人で短く何かを話す。


「……そんなに珍しいか?」


自分でも十分珍しい武器だとは思う。


リシェルが何か説明すると、二人の視線が俺へ戻った。


その反応から察するに、素材の正体まで話した可能性がある。


俺は何も言わず待った。


衛兵は槍を門脇へ持っていく。


返してはこない。


一時的に預けるらしい。


腰の簡易ナイフにも視線を向けられたが、ガルドと少し言葉を交わしたあと、そちらはそのままでいいというように手を振った。


長い武器だけが対象なのかもしれない。


あるいは、槍の方だけが問題なのか。


今は分からない。


次に別の衛兵が俺へ質問した。


「――――?」


首を横へ振る。


もう一度聞かれる。


やはり分からない。


リシェルが間へ入った。


オルドも何か補足する。


衛兵が少し困った表情になった。


この反応も当然だ。


名前以外まともに話せない正体不明の男を、町へ入れようとしている。


俺が相手でも面倒だと思う。


衛兵は腰に下げていた小さな板を取り出した。


木札のように見える。


表面には文字が刻まれていた。


俺には読めない。


彼は木札を指し、次に俺を示す。


さらに何か言う。


入町の許可。


身分の確認。


一時的な証明。


候補はいくつか浮かぶが、決め手がない。


俺が持っていない何かを求められている可能性もある。


ガルドが少し長く説明した。


衛兵が腕を組む。


考える。


やがて掌を上に向けて手を差し出した。


俺は一瞬迷った。


金か。


その可能性に気づいて、困る。


当然ながら一枚も持っていない。


ポケットらしい場所を探したところで何もない。


遺跡で目を覚ましたときから、俺は無一文だ。


俺の様子を見ていたリシェルが衛兵へ何か言い、小さな金属片を取り出した。


硬貨に見える。


それを男の掌へ載せた。


「おい」


思わず声が出た。


リシェルがこちらを見る。


俺は彼女。


硬貨。


自分。


順番に指す。


俺の分を払ったのか。


そう聞きたい。


リシェルは少し考えたあと、小さく笑って何か言った。


当然分からない。


ただ、今は気にするなという雰囲気には見える。


俺は硬貨を指し、次に自分からリシェルへ返すような仕草をしてみた。


彼女は首を傾げた。


伝わっていないらしい。


仕方ない。


借りとして覚えておく。


衛兵は硬貨を確認すると、別の板へ何かを書き始めた。


俺を見る。


リシェルが言う。


「レイジ」


衛兵が何か記す。


自分の名前が書かれているのかもしれない。


見たい。


かなり見たい。


だが、今は余計な動きをしない方がいい。


やがて衛兵が一枚の小さな木札を俺へ差し出した。


手のひらより小さい。


表にはいくつかの文字。


裏には簡単な刻印が入っている。


何なのかは分からない。


ただ、俺にだけ渡された。


無くさない方がいいことくらいは想像できる。


俺は腰の紐へ慎重に挟み込み、落ちないことを確認した。


それで手続きが終わったらしい。


衛兵の一人が横へ退く。


ガルドが先に門をくぐる。


オルドとセイルも続いた。


リシェルが少し先へ進んだところで振り返り、俺へ手招きする。


入っていい。


そう受け取ってよさそうだった。


俺は一歩進みかけ、もう一度だけ衛兵たちを見た。


彼らの視線は、まだ俺へ向いている。


特に。


角。


一人の衛兵が隣の男へ低い声で何か言った。


聞き取れない。


その男も俺の右側頭部を見る。


二人とも、さっきの御者や道沿いの住民とは少し違う顔をしていた。


ただ珍しがっているだけではない。


何かを考えている。


知っているものと照合しているような。


そんな印象だった。


俺は角を隠さなかった。


ここで下手に反応すれば、余計に不審に見える。


そのまま前を向く。


今は入ることを認められた。


それで十分だ。


分からないことは、これから調べればいい。


俺は門をくぐった。


その瞬間。


音が変わった。


外から聞いていたものとは比べものにならない。


人の話し声。


子供の声。


木の車輪が地面を転がる音。


どこかから聞こえる金属音。


動物の鳴き声。


何かを売るような大声。


そして匂い。


煙。


焼いた肉。


土。


動物。


香辛料らしき刺激。


一度に入ってくる情報が多すぎる。


俺は思わず足を止めそうになった。


門の先には、建物が並んでいる。


木と石で作られた家。


店らしき場所。


荷物を運ぶ人々。


道端で話す男たち。


走る子供。


森の中で想像していた「社会」が、目の前にあった。


何人かがこちらを見る。


一人。


二人。


すぐに視線が増える。


当然だ。


森から来た四人と一緒に、傷んだ服を着た角のある男が入ってきたのだから。


ざわめきの中で、意味の分からない言葉が飛び交う。


その中に、覚えたばかりの音が混じった。


「……カルナ……」


やはり俺の角について話している。


恐怖一色ではない。


好奇心。


驚き。


警戒。


そして、中には明らかに怪訝そうな顔をする者もいた。


この町で角そのものが知られていないわけではない。


だが、普通でもない。


今分かるのは、その程度だった。


リシェルが少し前で俺を待っている。


ガルドたちはすでに人混みの中へ進み始めていた。


俺は一度だけ門の外を振り返った。


道の向こうには森がある。


そのさらに奥には、俺が目を覚ました遺跡がある。


数日前まで。


世界は、あの冷たい石床から始まる狭い範囲しかなかった。


今は。


知らない人々に囲まれている。


言葉は分からない。


金もない。


身分もない。


この社会の常識も知らない。


そして、この黒い角が何を意味するのかも分からない。


森で生きるために必要だったのは、水と食料と武器だった。


ここでは、それだけでは足りない。


俺は人々の視線を感じながら、リシェルの後を追って歩き出した。


ラティア。


この世界で初めて足を踏み入れた、人の町。


ここから俺は。


人の中で生きる方法を、一から覚えなければならなかった。

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