第13話 魔力を見る
槍らしきものを作ってから、森へ出るときの感覚が少し変わった。
武器一本で安全になるわけではない。巨大な虫のような相手と正面から戦えば、今でも勝てる保証はない。それでも、相手へ近づかなければ攻撃手段がなかった頃と比べれば、選択肢は増えている。
右手には槍。腰には大顎から作った簡易ナイフ。背中寄りには外殻の水容器を固定し、少量の焼いた肉も持っている。装備と呼ぶには粗末だが、両手を空けたまま水と食料を運べるだけでも十分な進歩だった。
今回の目的は、森の奥へ進むことではない。
魔力。
そう仮に呼んでいるものを、もう少し詳しく調べる。
赤い結晶を持つ生物の攻撃を受けてから、胸の《魔核》は活動を始めた。その後、壁の発光物や森の植物、生物の周囲に、それまで感じ取れなかった揺らぎが存在していることにも気づいた。
魔力という呼び方が正しいかどうかは分からない。それでも、存在すること、場所によって濃淡があること、生物や植物と何らかの関係を持っているらしいことまでは見えてきている。
なら、次は性質を調べる。
俺はいつもの出口から森へ出て、小川へ向かった。
森は今日も騒がしい。頭上では何かが鳴き、低木の奥から細かな羽音が聞こえる。外へ出たばかりの頃なら、その全てに注意を向けていたが、今では少しずつ「いつもの音」が分かるようになってきた。
だからこそ、音が急に減ったときや、太い枝が折れたときの方が気になる。
慣れることと、油断することは別だ。
小川までは何事もなく辿り着いた。
まず水を補充し、それから以前観察した青い花の群生地へ向かう。
鮮やかな青色の花弁が五枚。中心だけが白い。十数株がまとまって咲いている一方で、少し離れた場所には同じ形をしながら、灰色に近い色をした小さな株もある。
以前《解析》したとき、両者は同種である可能性が高く、生育状態の良い青い株ほど未知エネルギー反応も強かった。
俺は花に触れず、その前へしゃがみ込んだ。
胸の《魔核》へ意識を向ける。
すると、青い花の周囲に漂う揺らぎが浮かび上がってきた。
前よりも少し分かりやすい。
目で直接見ているというより、視界の中に「そこだけ何かが濃い場所」が重なっているような感覚に近い。真正面から凝視すると曖昧になるが、存在そのものへ意識を向ければ位置は分かる。
風が吹き、花と葉が揺れる。
周囲の魔力らしきものもわずかに形を変えるが、空気と同じようには流れていかない。完全に固定されているわけでもないのに、花の周囲へ留まろうとしているように見えた。
少し離れた灰色の株にも同じものはある。
ただし、かなり薄い。
「植物の中にあるのか、周りから集めてるのか……」
今の観察だけでは判断できない。
小川に近い青い株の方が魔力は濃く見えるが、同時に水分量も日照も違う。一つの条件だけを比べたいのに、自然の中では他の条件まで一緒に変わってしまう。
移植して同じ場所で育てる。水の量だけを変える。日照条件を揃える。
実験方法はいくつか思いつく。
ただ、今はそこまでやる段階ではなかった。育成期間も分からなければ、安全に触れることができる植物かどうかも確定していない。
まず観察を増やす。
俺は花から離れ、小川沿いをゆっくり歩いた。
水そのものにも魔力があるのか意識を向けてみると、ごく薄い揺らぎを感じる。ただし水に含まれているのか、周囲の空気に存在するものを拾っているだけなのかは判断できない。
足元の石はさらに弱い。
木は石より明らかに強い。
地面にも場所によって濃淡がある。
しばらく比べていると、生きているものほど反応が強いという傾向があるように思えた。
だが、その仮説はすぐに崩れた。
小川の近くに転がっていた一つの黒い石だけが、周囲より明らかに強い反応を示していたからだ。
俺は足を止めた。
手のひらより少し小さい。黒に近い灰色で、表面には細い青色の筋が走っている。見た目からして、周囲の石とは少し違う。
不用意には触らず、まず周辺を確認する。
植物が枯れている様子はない。近くに死んだ生物もいない。熱や異臭も感じなかった。
ここなら《解析》を使う価値がある。
【解析結果】
対象:黒色鉱物片
分類:未知鉱物
構造:結晶質を一部確認
未知エネルギー反応:中
内部偏在:あり
外部への微弱放出:確認
危険性:判定不能
解析確度:36%
「鉱物にもあるのか」
少なくとも、魔力らしきものは生物だけに存在するわけではない。
俺は槍の先で石を軽く押した。
数センチ転がる。
揺らぎも一緒に移動した。
もう一度動かしても同じだった。
周囲の魔力が偶然濃いのではなく、この石そのものに付随している可能性が高い。
持ち帰って調べたい。
そう思ったが、危険性は判定不能のままだ。食料と一緒に運ぶ気にもなれないし、素手で長時間触る理由もない。
場所だけ覚えておく。
次に森へ来るとき、包める葉か別の容器を用意すればいい。
俺は特徴的に曲がった木の根を目印にし、石の位置を記憶した。
ここまでの観察だけでも、魔力について少し認識を変える必要がありそうだった。
空気にもある。
植物にもある。
動物にもある。
鉱物にもある。
だとすれば、特殊な生物だけが持つ力というより、この世界そのものに広く存在している何かなのかもしれない。
問題は、それを何に使えるかだった。
赤い結晶を持つ生物は、少なくとも魔力らしきものを攻撃に利用していた。そして俺の《魔核》は、その攻撃に含まれていたエネルギーを取り込み、変換して内部へ蓄えている。
なら、俺にも使える可能性はある。
可能性があるだけで、方法は何一つ分からない。
俺は小川から少し離れた木陰へ移動した。周囲の音を確認し、大型生物が近くにいる気配がないことを確かめてから槍を手の届く場所へ置き、地面へ腰を下ろす。
目を閉じる必要はなかった。
胸の奥へ意識を向ける。
《魔核》の存在は、以前よりずっと分かりやすくなっている。形までは感じられないが、内部に何かが蓄えられているという感覚はあった。
以前、一度だけ右手へ動かそうとしたことがある。
そのときは何も起こらなかった。
今度は少し考え方を変える。
胸からいきなり手のひらへ移すのではなく、身体の中を通る経路を意識する。
胸。
右肩。
上腕。
肘。
前腕。
掌。
液体が流れるように想像するのは違う気がした。
血管のような道が本当に存在する保証はない。
それでも、一度に結果を求めるよりはましだろう。
呼吸を整え、《魔核》の内部にある感覚へ集中する。
少しだけ外へ。
動かす。
変化はない。
もう一度。
やはり何も感じない。
何度か試したところで、俺は一度力を抜いた。
「そもそも、意思で動かせるのか?」
赤い攻撃を吸収したとき、《魔核》は俺の意思とは無関係に反応した。
胃に入った食べ物を、意識だけで好きな場所へ動かせないのと同じで、そもそも自律的に動く器官なのかもしれない。
だとすれば、無理に中身を押し出そうとする方法自体が間違っている。
俺は右手を前へ出した。
今度は自分の内部ではなく、掌の向こうにある魔力を意識する。
空気の中に、薄い揺らぎがある。
それを感じながら、《魔核》にも意識を向ける。
その瞬間。
右肩の奥に、ごく小さな違和感が生まれた。
俺は動かなかった。
錯覚かもしれない。
そのまま意識を保つ。
肩から腕へ。
何かが移ったような気がした。
熱ではない。痺れでもない。
皮膚の下を、細い線が一瞬だけ通り抜けたような感覚だった。
やがて掌の辺りで止まる。
俺は右手を見る。
何も変わっていない。
光も出ない。
温度も変わらない。
それでも、さっきまでとは違う感覚が掌の奥にあった。
「……今のは」
偶然と決めつけるには、少しはっきりしすぎている。
もう一度だけ試す。
今度は外の魔力ではなく、《魔核》から右肩へ流れる感覚を思い出す。
強引に動かそうとはしない。
さっき起きたものを再現する。
胸の奥がわずかに脈打った。
続いて右腕の内側に、同じ違和感が走る。
掌。
止まった。
今度は間違いない。
何かを移動させた。
ただ、《魔核》内部の感覚が本当に減ったのかまでは判断できなかった。そう感じるだけで、実際の量を測る方法はない。
問題はここからだった。
掌へ集めたものをどうする。
外へ出せるのか。
俺は手のひらの先へ意識を向けた。
押し出す。
何も起こらない。
もう少し強く意識する。
指先がわずかに震えた。
同時に胸の奥が重くなり、頭へ鈍い痛みが広がった。
俺はすぐにやめた。
掌にあった感覚が薄れる。
《魔核》へ戻ったのか、身体のどこかへ散ったのかは分からない。
しばらく呼吸を整える。
頭痛は軽い。
だが、これ以上続ければ強くなりそうだった。
「外に出すのは無理か」
少なくとも今は。
それでも、胸から右手まで移動させることはできた。
本当に魔力を動かしたのか、《魔核》が別の反応をしただけなのかはまだ断定できない。
だが、再現性はあった。
十分な成果だ。
もう一度試したい気持ちは強かったが、そこでやめた。
正体も分からないものを体内で動かしている。
失敗したときに何が起きるかも分からない。
最初から限界まで試す理由はない。
俺は槍を手に取り、立ち上がった。
その直後、少し離れた枝に止まっていた小鳥のような生物が一斉に飛び立った。
反射的に槍を構える。
森の音が少し変わった。
足音は聞こえない。
枝が折れる音もない。
だが、胸の《魔核》を意識した瞬間、森の奥に明らかに濃い反応があることに気づいた。
今まで感じたどの生物より強い。
かなり離れている。
姿は見えない。
それでも、濃い揺らぎの塊が木々の向こうをゆっくり移動しているのが分かる。
俺はその場から動かなかった。
近づいてくる様子はない。
やがて反応は横切るように遠ざかり、しばらくすると小型生物の鳴き声も戻ってきた。
「今のも、生き物か……?」
確証はない。
ただ、魔力を感じ取れるようになったことで、視界に入っていない何かの存在まで察知できる可能性が出てきた。
これは攻撃に使えるかどうかより、今の俺には重要かもしれない。
危険へ近づかれる前に気づける。
地下で何度も欲しかった能力だ。
もちろん、全ての生物が強い魔力を持つとは限らない。魔力をほとんど持たない危険生物がいる可能性もあるし、鉱物のようなものを生物と誤認する可能性もある。
視覚や聴覚の代わりにはならない。
追加の情報源。
その程度に考えるのがいい。
俺は小川へ戻り、水を補充した。
帰る前に、青い花へもう一度目を向ける。
以前と同じように、群生している株には濃い魔力がまとわりついていた。
ただ、今度は少し見え方が違う。
花の中心。
茎。
葉。
その間を、ごく僅かに揺らぎが移動しているように感じる。
本当に流れているのかもしれない。
自分の体内で似た感覚を経験したから、そう見えるようになっただけかもしれない。
今は判断しない。
だが、覚えておく。
自分が理解できるものが増えれば、同じ景色から拾える情報も増える。
《解析》だけではない。
俺自身も同じだった。
◇
遺跡へ戻ったあと、俺は水場の壁際へ腰を下ろした。
今日分かったことを頭の中で整理する。
魔力らしきものは、生物だけに存在するわけではない。空気や植物、鉱物にも反応があり、少なくとも森の環境そのものと深く関係している可能性がある。
そして俺自身は、《魔核》の内部にある何かを、胸から右手まで移したような感覚を二度再現できた。
外へ出すことはできない。
無理に動かそうとすると負担が出る。
量も測れない。
体内を自由に巡らせられるわけでもない。
まだ「使える」と呼べる段階には程遠かった。
俺は右手を開いた。
見た目は何も変わらない。
それでも、その内側には確かに何かが通った感覚が残っている。
「魔法って呼ぶには、まだ早すぎるな」
赤い結晶を持つ生物が放った攻撃は、俺の知識では魔法と呼びたくなる現象だった。
だが、魔力が存在するからといって、それを使えばすぐ魔法になるとは限らない。そもそも、あの生物が何をして攻撃を成立させていたのかも分かっていない。
まずは体内で安定して動かせるようになる。
その次に、外へ出せるのか。
物へ移せるのか。
身体そのものへ影響を与えられるのか。
一つずつ確かめればいい。
森へ出られるようになった。
水も確保できるようになった。
道具も少しずつ増えている。
そして今日、初めてこの世界に満ちている力へ、自分の意思で触れたかもしれない。
まだほんの入り口だ。
それでも、あの赤い光をただ理解できないものとして見ていた頃とは違う。
俺は右手を閉じ、胸の《魔核》へ意識を向けた。
静かな脈動が返ってくる。
この力が何なのか。
どう使うのか。
それを理解できたとき、俺はこの世界でただ生き延びるだけではなく、もう一歩先へ進めるのかもしれなかった。




