第12話 森で生きる
森で水を確保できるようになったことで、俺の行動範囲は確実に広がった。
ただし、すぐに森の奥まで進めるわけではない。今使っている水容器は巨大な虫の外殻をそのまま利用しただけで、歩けば揺れ、少し急げば中身がこぼれる。食料を運ぶ方法も似たようなもので、武器は折れた金属片一本しかない。
生き延びるだけなら、今のままでも何とかなる。
だが、継続して森を探索するなら足りないものが多すぎた。
俺は水場の壁際へ、これまで集めたものを並べた。巨大な虫の外殻、内部から取り出した白っぽい繊維状の組織、大顎、棒状の金属片、火口に使う乾燥した繊維、用途の分からない構造材の破片。そして、一本角の男のそばから持ち帰った黒い記録板。
まともな道具と呼べるものは、ほとんどない。
それでも目を覚ました直後には何一つ持っていなかった。なら、今ある材料を使って少しでも環境を改善していくしかない。
最初に手をつけたのは水容器だった。
浅い外殻へ水を入れ、肩から下げて運ぶ方法はすでに試している。ただ、開口部が広いため、走ればかなりの水がこぼれてしまう。
最初は同じような外殻をもう一枚重ねて蓋にしようとした。
形の近いものを選び、繊維状の組織で何重にも縛る。見た目だけなら、それなりに蓋らしくなった。
傾ける。
合わせ目から水が流れた。
「……まあ、そうなるよな」
密閉するための素材がない。
ゴムもない。樹脂もない。まともな布すらない。
生前なら、蓋付きの容器など店で買えば終わる話だった。だが実際には、器の形、蓋、接合部、密閉材と、いくつもの技術が揃って初めて成立している。
知っていることと、作れることは別だ。
俺は蓋を諦め、考え方を変えた。
密閉できないなら、こぼれにくくすればいい。
巨大な虫の死骸へ戻り、腹部から後方に残っている殻を調べる。その中に、一端だけが大きく開き、全体として筒に近い形をした外殻があった。
水場へ持ち帰って何度も洗い、半分ほど水を入れる。以前の浅い器よりはるかに深いため、多少傾けても簡単にはこぼれなかった。
肩へ掛けて歩いてみる。
悪くない。
少し速く歩くと、水面が大きく揺れた。
小走りすると、やはり少しこぼれる。
俺は固定位置を腰から背中寄りへ変え、紐の長さも短くした。身体から離れて揺れる幅を小さくすると、かなり安定する。
完全ではない。
それでも、短時間の探索なら十分使える。
「今はこれでいいか」
問題を完全になくす必要はない。生存に支障が出ないところまで減らせれば、次へ進める。
次は固定用の紐だった。
巨大な虫の内部から切り出した繊維状の組織は、乾燥するにつれて柔らかさを失う一方、以前より伸びにくくなっていた。細く裂いたものを三本まとめて編んでみる。
最初は途中で一本が抜けた。
長さが揃っていない。
端も固定していない。
やり直す。
今度は石材の隙間へ端を挟み、三本の長さをある程度揃えてから編んだ。完成したものを引っ張ると、単独の繊維束より伸びが少なく、扱いやすい。
ただ、強く曲げると表面が毛羽立った。
長く使えるかは分からない。
それでも、水容器や小さな道具を固定する程度なら役に立つ。服を裂いて紐にするよりはずっといい。
続いて、巨大な虫の大顎を手に取った。
戦っていたときには恐ろしい武器にしか見えなかったが、内側の縁はかなり鋭い。乾いた繊維へ押し当てて引くと、金属片より簡単に切れた。
肉も切れる。
刃物にはなる。
問題は握る場所がないことだった。
根元へ乾燥繊維を巻き、その上から編んだ紐で固定してみる。少し良くなったが、力を入れると手元がずれる。
そこで小さな外殻片を左右から当て、柄の形を作ってから縛り直した。
今度は安定した。
見た目はひどい。
それでも肉も繊維も切れる。
十分だった。
武器に使っている棒状の金属片にも、握る部分へ同じように繊維を巻いた。滑りにくくなり、手のひらへ直接食い込む感触も減った。
先端をもっと鋭くできないかと硬い石へ擦りつけてみたが、ほとんど削れない。逆に石の方が欠けていく。
《解析》で材質を調べることも考えた。
ただ、名前や性質が分かったところで、加工手段がなければ意味がない。
今は突く武器として使えればいい。
そう割り切る。
道具をいくつか改善すると、今度は拠点そのものが気になった。
水場には水があり、火も使える。外からも見つかりにくい。
その点では悪くない。
だが、通路が複数ある。
巨大な虫が実際にここへ出入りしていた以上、眠っている間に別の生物が近づく可能性は高い。
瓦礫を積んで通路を塞ぐ方法もある。
だが、自分の逃げ道まで減る。
毎回動かすにも体力が必要だ。
侵入そのものを防げないなら、せめて近づいたことが分かればいい。
必要なのは壁ではなく、警報だ。
俺は編んだ紐を通路の両側にある出っ張りへ渡し、膝より少し低い高さで固定した。中央には小さな外殻片と石をいくつか吊るす。
自分で紐を押してみる。
カラカラッ、と硬い音が水場へ響いた。
「十分うるさいな」
小型生物なら下を通るかもしれないし、飛ぶ生物には意味がない。知能の高い相手なら避ける可能性もある。
それでも、一メートル級の生物が無警戒に歩いてくれば反応するはずだ。
同じ仕掛けをもう一本の通路にも設置した。
作業を終えた頃には、思った以上に疲れていた。
戦ったわけでも、長距離を走ったわけでもない。ただ材料を切って、縛って、失敗して、やり直しただけだ。
それでも身体は疲れる。
今の俺は、まだ完全に回復していない。
水を飲み、焼いた肉を少量食べながら、出来上がったものを見る。
改良した水容器。
編んだ紐。
大顎から作った簡易ナイフ。
握りやすくした金属片。
二か所の警報。
どれも現代日本なら簡単に手に入るもの以下の性能しかない。
それを作るだけで、かなりの時間と労力を使った。
「文明って、すごかったんだな……」
スマートフォンや車の話ではない。
紐。
刃物。
蓋の閉まる容器。
そんな当たり前のものですら、材料、加工技術、工具、経験の積み重ねの上に存在していた。
現代人だからといって、知識だけで何もないところから文明を再現できるわけではない。鉄を作るには炉が必要で、炉には耐火材と燃料が要る。工具を作るにも、その工具を加工するための別の道具が必要になる。
俺が知っているのは、完成した文明の使い方だ。
その全工程じゃない。
なら、背伸びをする必要はない。
今作れるものを作る。
必要になったときに、次の技術を考える。
その方が現実的だった。
◇
十分に休んだあと、俺は森へ出た。
今回は遠くへ行くためではない。
施設内部にはない素材を探す。
欲しいものは、丈夫な植物繊維、加工しやすい木、それから包みや敷物に使えそうな大きな葉。
目的を決めて森を見ると、以前とは目に入るものが違った。
食べられるかどうかではなく、どう使えるかを見る。
小川までの道を辿りながら、木へ絡みつく蔓や地面に落ちた枝を確認する。
水辺から少し離れた場所で、小指ほどの太さの蔓を見つけた。低木から別の木へ絡みつき、数メートル以上伸びている。
表面は茶色。
強く曲げても折れない。
大顎のナイフを当てて引く。
一度では切れない。
何度か往復させると、ようやく切断できた。
断面には細い繊維が束になっている。
金属片で持ち上げて少し様子を見てから、端だけ指で触れる。
刺激はない。
少しずつ握る範囲を増やしても、皮膚に異常は出なかった。
一メートルほど切り出し、両手で引っ張ってみる。
地下で使っている繊維束より柔らかく、結びやすそうだった。
「これは使えそうだな」
全部持ち帰る必要はない。
まず一本だけ試す。
乾燥したときに脆くなる可能性もある。
次は大きな葉。
俺の胴体より幅のある葉を持つ植物はいくつかあった。
最初に調べたものは、茎を切った瞬間に白い液体を出した。
すぐに候補から外す。
毒かどうかは分からない。
だが、代わりがあるなら無理に試す必要はない。
少し離れた場所では、同じくらい大きい緑色の葉を見つけた。虫食いの跡があり、茎が自然に折れている部分からも目立った液体は出ていない。
金属片で裏返す。
棘もない。
一枚だけ切り取る。
包みや敷物に使えるかは、持ち帰ってから試せばいい。
木材はどこにでもあった。
問題は加工だった。
生木を一本切ろうと、大顎のナイフを当ててみる。
表皮には傷がつく。
何度も続ける。
だが、ほとんど進まない。
しばらく試したところで諦めた。
「これは効率悪すぎるな」
鋸でも斧でもない。
刃物が一本手に入ったからといって、木を自由に加工できるわけではなかった。
俺は考え方を変え、地面へ落ちている枝を探した。
真っすぐで、腐っていないもの。
持ち上げても簡単には折れないもの。
条件を変えれば、使えるものは見つかる。
腕より少し長い枝を二本と、細いものを数本拾ったところで、自分の荷物の量に気づいた。
肩には水容器。
腰には簡易ナイフ。
右手には金属片。
左手には葉と蔓。
さらに枝。
何かに襲われたら、まともに動けない。
「……欲張ると死ぬな」
素材を集めるために逃げられなくなれば本末転倒だ。
蔓一本。
大きな葉一枚。
太めの枝一本。
細い枝二本。
それだけに減らす。
今は量より、使えるかどうかを確認する方が先だった。
俺はそこで探索を切り上げ、小川で水を補充してから来た道を戻った。途中で大型生物の気配はなく、白い苔をまとった二股の木が見えたときには、自然と肩の力が抜けた。
何事もなく戻れた。
それだけで十分だった。
◇
持ち帰った素材は、期待どおりのものと、そうでないものに分かれた。
蔓はかなり使いやすい。
地下の繊維より柔らかく、結び目も作りやすかった。ただし乾燥後にどう変化するかは分からないため、しばらく保存して様子を見る必要がある。
大きな葉は、時間が経つと少し萎れた。
器には向かない。
それでも数枚重ねれば、敷物や包みとしては使えそうだった。
枝は加工が難しい。
それでも一本を選び、大顎のナイフで先端を少しずつ削る。途中から硬い石へ擦りつけ、また削る。
何度も繰り返す。
かなり時間はかかったが、ただの棒よりは細い先端になった。
鋭いとは言えない。
それでも突くことはできる。
そこで、巨大な虫の大顎がもう一つ残っていることを思い出した。
先端部分を枝へ固定できれば、金属片より長い武器が作れる。
枝の先に浅い窪みを作り、大顎の根元を合わせる。蔓と編んだ繊維を交互に巻きつけ、できるだけ強く締めた。
振ってみる。
ぐらついた。
「駄目か」
一度全部外す。
固定面が小さすぎる。
枝側を少し削り、大顎の根元が乗る場所を広くした。今度は縦と横の両方向から締めるよう、巻き方も変える。
二度目。
振る。
さっきより安定している。
床に置いた乾燥繊維の塊へ突き出すと、大顎の先端が深く刺さった。引き抜いて確認しても外れていない。
本気で硬い相手へ当てれば壊れるかもしれない。
それでも、試作としては十分だった。
「槍、って呼んでもいいくらいにはなったか」
初めて、自分で作った武器らしい武器だった。
もちろん、槍術など習ったことはない。
長い棒を持っただけで強くなるわけでもない。
それでも、巨大な虫と戦ったときに欲しかったものの一つが間合いだった。相手の顎や脚が届く前に、こちらから攻撃できる。
その差は大きい。
俺は水場の少し広い場所で、ゆっくり突く動作を試した。
振り回さない。
基本は前へ突く。
何度か繰り返すうちに、握る位置によって扱いやすさがかなり違うことが分かった。
十回ほど試したところで、固定部分が少し緩んだ。
やはり完成品にはほど遠い。
締め直す。
また試す。
壊れたら、原因を見て直す。
それでいい。
俺は槍を壁へ立てかけた。
その横には金属片、大顎のナイフ、水容器、編んだ紐、森から持ち帰った蔓と葉が並んでいる。
ほんの少し前まで、ここには何もなかった。
今も便利とは言えない。
粗末で、壊れやすい。
それでも、自分が環境に合わせるだけではなく、少しずつ自分の方から環境を変え始めている。
その違いは小さい。
だが、俺には大きかった。
これなら次は、もう少し森の奥へ行ける。
水場の周辺だけではなく、その先へ。
俺は作ったばかりの槍を手に取り、重さを確かめた。
まだ頼りない。
俺自身も同じだ。
それでも、冷たい石床で何も持たずに目を覚ました頃より、確実に前へ進んでいる。
森で生きる方法を、俺はようやく自分の手で作り始めていた。




