遺影まで出張するのか――“麗奈ちゃん号”ついに移動写真館になる
上尾の住宅街を今日ものそのそ走る「麗奈ちゃん号」は、もはやパン屋の移動販売車ではなかった。
側面には、昭和チックで妙にかわいい麗奈のイラスト。荷台には麗奈パン、麗奈ちゃんまくらカバー、船橋産の朝どれいちご、歯磨き粉、亀の子たわし、時には包丁研ぎ用の砥石や小さな工具箱まで積まれている。最近では「修さん、うちの傘の骨も見てくれない?」とか「鍋の取っ手、ちょっと締めてほしい」とまで言われ、ベーカリー中村の店主・中村修は、半分パン屋、半分なんでも屋みたいになっていた。
そんな修が、ついに新しい仕事を背負い込む日が来た。
郊外の集落で、いつものように麗奈パンを売り、ついでに包丁を一本研ぎ、杖先ゴムを交換し終えた頃だった。常連のおばあさんが、少しためらいながら言った。
「修さん、あんた手先が器用だし、何でもうまそうだから……写真も撮れないかね」
修は一瞬、止まった。
「写真?」
「そう。ちゃんとしたやつ。遺影用にね」
あまりにも自然に言われたので、周りの空気まで一瞬だけ止まった。
「い、遺影……?」
「今すぐどうこうじゃないのよ。元気なうちに、まあ一枚ちゃんとしたのをね」
「なるほど……」
修は腕を組んだ。パン屋としての本能ではなく、なぜか“引き受ける方向の本能”が先に動いたのがいけなかった。
「……やれなくは、ないかもしれない」
それを聞いて、その場にいたおじいさんおばあさんが一斉にざわつく。
「修さんなら上手そう」
「この前の包丁も見事だったし」
「鍋のふたもちゃんと直したし」
「いや、包丁研ぎと遺影撮影はだいぶ違うんだけどな……」
もっともなことを言いながらも、修の頭の中ではすでに「やるならちゃんとした形で」という回路が動き始めていた。
翌日、修は大宮ふとん店の裏でごそごそしていた。そこへ通りかかった麗奈が嫌な顔で近づく。
「今度は何を始めるんですか」
「移動写真館」
「何で!?」
話を聞いた麗奈は両手で顔を覆ったが、修は真顔だった。
「いや、やるならちゃんとした方がいいでしょ」
「何で“やるなら”になってるんですか。断る選択肢は?」
「なんか期待されちゃってさあ」
そこへ、祖母がやってきた。事情を聞くなり、妙に目を輝かせる。
「だったら背景布があった方がいいねえ」
「出た、余計な一言」
祖母は止まらなかった。
「白じゃ味気ないよ。薄いグレーか、ちょっと柔らかい青系が上品よ。椅子も必要だね。普通のパイプ椅子じゃだめ。背もたれのある折りたたみ椅子」
「なんでそんなに詳しいんですか」
「昔、写真館で見たことあるから」
「その記憶だけで本格派にしないでくださいよ」
だが修は、そういう“ちょっと本格的”な話に弱かった。
「それだよ」
数日後、麗奈ちゃん号は新しい装備を得ていた。
簡易背景布。
折りたたみ椅子。
古びているが妙にきれいに磨かれた姿見。
さらに小さなレフ板らしきものまで積んである。
「もう完全にパン屋じゃないじゃないですか」
「パンも売るから」
「“も”で済ませないでください」
撮影当日。
集落の公民館の一角、いや正確には“麗奈ちゃん号の横”で、即席の写真館が設営された。背景布を広げ、椅子を置き、祖母が「顔に影が入るからもう少しこっち」と口を出し、修がスマホではなく、どこからか持ち出してきたそこそこちゃんとしたカメラを構える。完全にやる気である。
「はい、おばあちゃん、少し顎を引いて」
「こう?」
「いや、引きすぎると怒ってるみたい」
「難しいねえ」
「写真館って大変なんだな……」
最初に撮ってもらうおばあさんは、緊張していた。
「遺影用って言うと、なんか縁起でもないねえ」
すると近くで見ていた別のおばあさんが言う。
「でも、ちゃんとしたの一枚あると安心だよ」
「そうだよねえ。変な顔で残るのも嫌だし」
「せっかくだから若く撮ってよ、修さん」
「それは写真館でも限界あると思うんだけどなあ……」
修は真剣だった。椅子の角度を直し、背景布のしわを伸ばし、「少し笑って」「今の感じいいですよ」とやたら丁寧に声をかける。パン屋とは思えない集中力だった。
そのうち、集落の人たちも妙に盛り上がり始めた。
「私も一枚お願いしようかしら」
「じゃあ、うちのじいさんと二人で」
「夫婦写真もいいねえ」
「孫に送れるしね」
遺影用のはずが、だんだん普通の記念写真大会になっていく。
修はもう止まれない。
「はい、次の方どうぞ」
「パンは?」
「そのあと売ります」
「先に写真なんだ」
麗奈ちゃん号の荷台には、麗奈パンといちごとまくらカバーが乗っている。その横で遺影撮影会が行われているのだから、絵面としてはかなり狂っていた。
祖母は最後まで口を出し続けた。
「その方、もうちょっと肩を開いた方が品がある」
「背景布、あと三センチ左!」
「その笑顔いいよ、今!」
修は従順に従った。
「はいっ」
「なんでパン屋がそんな素直なんですか……」と麗奈。
結局、その日はパンもそれなりに売れ、写真も大好評だった。撮られた人たちは、皆どこかうれしそうだった。
「思ったよりちゃんとしてたねえ」
「いや、かなりちゃんとしてたよ」
「修さん、次は家族写真も頼める?」
「……まあ、できなくはないかな」
「言った!」と麗奈が叫ぶ。
帰り道、修はハンドルを握りながら少し照れくさそうだった。
「なんか、喜んでもらえてよかったなあ」
「まあ、あんなにちゃんとやればそうでしょうね」
「パンより感謝された気がする」
「そこは複雑ですね」
その夜の寄合でも当然この話題でもちきりになった。
「ついに写真館まで始めたらしい」
「次は何だ、成人式か?」
「いや、もう結婚写真までいくだろ」
「パン屋が?」
笑いが起きる。
その足元でクロじいが短く鳴いた。
「にゃあ」
麗奈の母が通訳する。
「“もはやパン屋ではないが、人生の節目も撮れる車にゃ”だって」
修はしみじみうなずいた。
「それだなあ……」
麗奈は深いため息をついた。
「そのうち卒業アルバムまで作り始めそうで怖いです」
でも、その顔は少しだけ笑っていた。
何を売っているのか、もう誰にもよく分からない。
けれど、来ると助かる。
来るとちょっと嬉しい。
そして今日は、ちょっときれいに撮ってもらえる。
そんな妙な誇りを積み込みながら、麗奈ちゃん号は今日ものそのそ上尾を走っていた。
パンの横に、背景布と折りたたみ椅子を積みながら。




