総理官邸②
エレベーターが静かに上昇し、扉が開かれると、その先には広々とした執務室が広がっていた。深紅の絨毯の先のアンティークのオーク材で作られデスクの向こう側には、背をこちらに向け諸橋総理が揆一郎が座っていた。後ろには日本国旗が掲げられ、ちょうど、ふたりともがその国旗に並んで向かう形となった。
「総理、深夜にお呼び立てして、誠に申し訳ありません。」篠塚は一礼し、静かに言葉を切り出した。
諸橋総理は、ゆっくりとこちらに向き直ると、おだやかだが威厳のある目を篠塚に向けた。「どうぞ。」諸橋は静かに篠塚官房長官に椅子を案内した。
「いえ、結構です。短い報告になりますので。」
そういって、篠塚は手元の報告書を開いた。
「総理、今から約1時間前、与那国島レーダーサイトが、台湾島南東の洋上の日本の防空識別圏内で、グライダーを複数探知しました。」
「航空自衛隊総隊司令部の分析によると、これらのグライダーが敵性のものである可能性がきわめて高いと判断されています。直ちに国家安全保障会議招集の対応が必要です。」
諸橋総理が口を開いた
「複数のグライダーを防空識別圏内で探知したというだけで、国家安全保障会議をただちに招集する必要があるのか?これは通常の不審機対応とは異なるということか?」
「総理、通常の不審機対応であれば、防空識別圏を侵犯した航空機に対して航空自衛隊が即座にスクランブル対応を行い、警告や強制着陸などの措置を取ります。しかし、今回の事態はそれとは異なります。
「もっと、具体的に説明してほしい」諸橋総理がたたみかけた。
「今回探知されたグライダーは、ロシア製の大型輸送機Il-76から分離されたものです。」
「つまり、このグライダーは通常の民間機や軍用機ではないということでです。」
諸橋は続けて問うた。
「航空幕僚長は、無動力のグライダーが敵性というが、どんな軍事目的を想定しているんだ」
篠塚は総理のその質問を想定しており、回答も用意していた。
「このグライダーは音を立てずに飛行し、レーダー反射が非常に小さいため、通常の防空システムで探知することが難しい特殊な航空機です。」
「そして、そのような航空機を使っておこなう敵対的行為で、唯一考えられるのは」
そこで、篠塚は一呼吸おいた。
「グライダーの飛行経路上にある、西表島への特殊部隊の投入です。」
「台湾情勢がきわめて深刻度を増しているなか、そこからわずか200キロ程度しか離れていない西表島への潜入行為は、日本の主権と安全保障に対する直接的な脅威となります。」
「このような事態に備え、国家安全保障会議をただちに招集し、関係各省庁と連携して迅速かつ統合的な対応を取ることが必要不可欠です。」
諸橋総理は、腕組みをして瞑目し、官房長官に背を向ける形で、日本国旗のほうに、椅子を回転させた。
実際には数十秒だっただろうが、篠塚官房長官には永遠の時間に感じられた。
諸橋総理は椅子を再び回転させ、篠塚のほうに向き直った。
「国家安全保障会議を招集してください。」諸橋は、静かだが確固たる口調て命じた。「防衛大臣、外務大臣も参加させてほしい」
日本が新たな時代に向かって動き出す歴史的瞬間だった。




