外伝 すべてを失った勇者 第2話:逃亡
夜が深くなった。
ライアンはやわらかいベッドに横になっているのに、どうしてもねむれなかった。
目を閉じるだけで、頭の中にエルフの大賢者エラの冷たい目や、ドワーフのノドラのうたがうような声がうかんでくる。
「おい、人間の若造。お前、なんでオレたちに命令できるんだ?」
こわさが、あの冬の夜のふぶきのように、少しずつ彼の理性をけずっていく。
「ダメだ……ここにいちゃダメだ。」
ライアンはガバッとベッドから起き上がった。冷たい汗で、背中がびっしょりぬれていた。
彼は、自分が本当はどういう人間なのか、よくわかっている。
【全ステータス限界突破】がなければ、もう無敵の戦神じゃない。
【全属性スキルマスター】がなければ、一番レベルの低い回復魔法すら使えない。
そして一番こわいのは、【選ばれし者の加護】がなければ、仲間たちは彼をまともに見てすらもらえないことだ。
もし明日、太陽がのぼって、洗脳の魔法が完全に消えたら。
今までずっと信じて、あこがれてきた「勇者」が、本当は何のとりえもない、チートにたよっただけのウソツキのゴミだとバレてしまったら……
みんなはどうする?
見下すのか?怒るのか?それとも、バカにされたと思って剣をぬくのか?
ライアンは、これ以上考えるのがこわかった。
ベッドから転げ落ちるようにして、まるで何かに追われる鳥みたいに、部屋の中をあさり始めた。
じょうぶな旅行用のリュックを見つけ、ふるえる両手で、王様が昼間にくれたキラキラの宝石や金貨を、必死にカバンにつめこんだ。
入るだけつめこんだ。これが、これから彼が生きていくための、たった一つの命づなだ。
でも、カバンをパンパンにして、肩に背負ったその瞬間。
部屋にある大きなカガミを見て、彼はまた絶望した。
カガミの中には、キラキラの金髪で、ものすごくイケメンな男がいた。
それは、ルシアンがくれた「カンペキな見た目」であり、この大陸で知らない人はいない「勇者ライアン」のシンボルだ。
「この家から逃げても、どうなるんだ……世界中でこの顔を知らないヤツなんているか?この金髪を知らないヤツがいるか?」
考えれば考えるほど、パニックになった。彼は苦しそうに、自分の髪を両手でつかんだ。
逃げられない。この「勇者の顔」があるかぎり、ぜったいにバレる。
みんなは喜んで、王様は彼を呼び、そして仲間たちはすぐに彼を見つけて、彼の無能さをあばくだろう。
ライアンの視線が、部屋のすみにある、もう光を失った「聖剣」にとまった。
彼はグッと歯を食いしばり、何かを決心した。
歩いていき、聖剣をぬいた。チートがなくなった今、剣はとても重くて冷たく感じた。
カガミの中の自分を見た。あんなに自慢だった「エリートのすがた」が、今では彼をしばりつける、一番こわいクサリになっていた。
「ごめん……」
彼は小さくつぶやいた。
ルシアンに言ったのか、それとも、昔の調子に乗っていた自分に言ったのかは、わからない。
そして、剣を振った。
光を失った刃は、まだ鋭かった。
まるで太陽みたいにキラキラだった金髪が、秋の落ち葉のように、音もなく床に散らばった。
カガミの中の、犬にかじられたみたいにボサボサで、みっともない男を見て、ライアンは逆にホッとした。
彼はボロボロの茶色いフード付きマントを見つけ、自分をしっかりとつつんだ。
そして、一番の栄光だった神聖なよろいと、自分の金髪を切り落とした聖剣を、部屋のじゅうたんの上に、きれいに並べて置いておいた。
彼はもう、勇者じゃない。
ライアンはそっと部屋のドアを開け、木の階段を足音を立てずに1階へとおりた。
1階のホールは暗くて、お酒のにおいがプンプンしていた。
2人のドワーフはもうじゅうたんに寝ころんで、ものすごいイビキをかいている。エルフたちはもう部屋にもどったのか、庭にはだれもいなかった。
ライアンは息を止め、心臓が鳴るたびに、だれかを起こさないかとビクビクした。
そっと重い木のドアを開けると、冷たい風が顔に吹いてきて、少しだけ気持ちがラクになった。
でも、大きな鉄の門の前に着いた時、また空気がピリッとした。
王室の兵士が2人、長いヤリを持って、夜の暗闇の中でピシッと立っていたのだ。
「だれだっ!?」
足音に気づいた兵士の一人が、すぐにヤリをかまえて大声で聞いた。
ライアンの心臓は口から飛び出そうだった。
彼はマントのフードをさらに深くかぶり、むりやり前へ歩き出した。
「俺……俺だ。」
ライアンはわざと声を低くして、昔のようなえらそうなトーンをマネした。
「さっきめい想していたら、王都の近くの森から、かすかにイヤな気配を感じた。念のため、すぐに調べに行きたい。」
兵士は少しおどろいた。
夜が暗いし、フードで顔も髪も見えない。でも、その聞きなれた声と、この家から出てきたというだけで、兵士たちはうたがわなかった。
「勇者さま!?こんな夜おそくに、お一人でですか?どうか、護衛をつけさせてください……」
「いらない。かすかな気配だから、一人のほうが目立たなくていい。お前たちはこのまま、中の者たちを守ってくれ。」
ライアンは平気なフリをして兵士の言葉をさえぎり、立ち止まらずに彼らの横を早歩きで通りすぎた。
「はっ!どうかご無事で!」
うしろから、兵士たちのていねいなあいさつが聞こえた。
ライアンはふり返らなかった。
歩くスピードを上げ、早歩きから小走りになり、最後は夜の闇の中を全力でダッシュした。
王都の町をぬけ、まっ暗な森の中へ走った。
木の枝で顔が切れ、どろでマントが汚れたけれど、まったく痛くなかった。
ただ逃げたかった。ウソだらけの神話がこわれる前に、少しでも遠くへ。
うしろからだれも追ってこないことをたしかめ、家の明かりも見えなくなった時、ライアンのピンと張っていた糸が、ようやく切れた。
彼は力なく、大きな木の下にへたりこみ、ハアハアと大きく息をした。
春の初めの森はまだ寒かったが、彼はすごく安心していた。
宝石がいっぱい入ったカバンを、ギュッとだきしめた。
それはまるで、前世の公園のベンチで、彼が持っていたたった1枚のボロボロの毛布みたいだった。
「やっと……逃げられた。」
ひどいつかれと、ホッとした安心感がまざりあい、すべてを失った男は、ざらざらした木の幹によりかかって、深くねむりに落ちた。




