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雷神の忌み子 ~五感を代償に、少年は永遠の冬を終わらせる~  作者: 蒼月よる


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大公リュドミル

 国境を越えた先に広がっていたのは、ラスラフが知らなかった世界だった。


 石造りの街道が雪の中を真っ直ぐに伸びている。等間隔で立つ灯柱には獣脂の蝋燭が灯され、永冬の薄暗い空の下でもぼんやりと道を照らしていた。街道の両脇には凍った運河が走り、その上を荷車が滑るように移動している。氷の上を滑らせるための鉄の刃を底に取り付けた特殊な荷車だ。物資が絶え間なく流れていく。


 建物が見え始めた。石と氷を組み合わせた独特の建築。壁の外側に氷の層を張り、断熱にしている。氷で氷を防ぐ。永冬の論理に適応した知恵だった。氷の表面が蝋燭の灯りを受けて鈍い虹色に光り、街全体が暗い宝石箱のような印象を与える。


「冬の中でも、これだけのものを作れるのか」


 ラスラフの声に、感嘆が混じっていた。村の鍛冶場と木造の家しか知らない少年にとって、この景色は衝撃だった。人間がここまで冬に抗い、冬の中に秩序を築けるのだということに。


「氷冠公国は三百年の永冬の中で成長した国だ」


 ヴェレスが人型の姿のまま、隣を歩いている。左足を引きずる歩調は変わらないが、その目は街の構造を冷静に観察していた。


「大公リュドミルを頂点とする貴族制。軍事力と経済力の二本柱で永冬を生き延びてきた。そして二つの派閥がある」


「派閥」


「軍事派と神官派だ。軍事派は冬の眷属と実際に戦う武人たち。永冬を『克服すべき災厄』と見ている。神官派は神々の帰還を待つ保守勢力。永冬を『神の試練』と見て、人間の力で介入すべきではないと主張する」


 ヴェレスの説明は明快だった。まるで公国の内部事情を長年見てきたかのように、政治構造を簡潔にまとめる。ラスラフはその知識の正確さに微かな違和感を覚えたが、今はそれを追及する余裕がなかった。


 街の通りを歩く。人の数が増えていく。ラスラフの故郷の村には百人もいなかった。ここには何千、何万という人間が暮らしている。通りを行き交う人々の足音、荷車の軋み、商人の呼び声、子供の笑い声。活気というものを、ラスラフはほとんど知らなかった。


 だが、活気の中に穴が空いた。


 ラスラフの嵐の痣を見た者が、足を止めた。


 それは波のように広がった。最初のひとりが立ち止まり、隣の者の袖を引き、その者がまた隣を突く。通りの空気が変わる。ラスラフの周囲から音が引いていく。村と同じだ。人の輪の外側に放り出される、あの感覚。


 だが村と違ったのは、反応が二つに割れたことだった。


 膝をつく者がいた。老人が一人、そして若い女が一人。雪の上に膝を落とし、手を合わせている。「嵐神の印だ」と囁く声が聞こえる。


 同時に、石が飛んできた。


 ラスラフの足元に当たった。次いで二つ目が肩をかすめる。投げたのは若い男だった。目に恐怖と怒りが混在している。


「忌み子だ! あの痣は呪いだ!」


 三つ目の石がズラータに向かって飛んだ。ラスラフは反射的に動いた。左手でズラータの肩を引き、自分の体で石を受ける。背中に鈍い衝撃が走った。


 だがその瞬間、右手から放電が走った。


 蒼白い閃光が指先から弾け、空気を焦がす匂いが広がる。石を投げた男が悲鳴を上げて後ずさった。周囲の人間も一様に飛び退く。膝をついていた老人すら、腰を抜かしたように尻餅をついた。


 守ろうとしたのだ。ズラータを庇おうとしただけだ。だが放電が、その行為を「脅威」に変えた。


 沈黙が落ちた。通りの人間がラスラフを見ている。畏怖と恐怖が混じった視線。英雄と忌み子の二つの顔が、この一瞬で同時に露呈した。


 ラスラフは右手を見た。感覚のない手。放電の痺れすら感じない。だが周囲の人間の顔に走った恐怖は、はっきりと見えた。


 護送の斥候隊長が馬を進めて事態を収拾した。群衆が散り、通りに日常が戻る。だがラスラフの周囲だけは空白のままだった。人の輪の外側。いつもの場所。


 街の奥に、巨大な建物が見えてきた。


 氷と石を組み合わせた宮殿。壁面に氷の彫刻が嵌め込まれ、灯りを受けて内部から光を放つように見える。永冬の中の贅沢。冬そのものを素材にした権力の象徴。


 斥候隊長が馬を止めた。


「大公リュドミル閣下がお目通りを望んでおられます」


 凍宮。この国の頂点に立つ者の居城。ラスラフは見上げた。氷の壁面が灰白色の空を映し、冬の光の中で静かに輝いている。巨大だった。村の鍛冶場がいくつ入るかわからないほどの規模。ここに──自分が呼ばれている。


 英雄として。あるいは、忌み子として。


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