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雷神の忌み子 ~五感を代償に、少年は永遠の冬を終わらせる~  作者: 蒼月よる


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氷冠公国

 馬蹄の音が雪原を叩いた。


 一つではない。十を超える蹄の音が地響きのように迫る。ラスラフは足を止め、北の方角を見た。雪煙の中から騎馬の隊列が現れた。武装している。鎧は鉄と革を組み合わせたもので、兜の下に厳しい目が光っている。騎兵十数名。手には槍と盾。


「止まれ!」


 先頭の騎兵が声を上げた。太い声が雪原に反響する。隊列が扇形に展開し、ラスラフたちを囲むように停止した。馬の鼻から白い息が噴き出し、蹄が雪を蹴って不安げに揺れている。


 ズラータが半歩前に出た。巫女の帯の刺繍を見せるように、外套の前を開く。


「私はモコシュの巫女。旅の者だ」


 隊長らしき男が馬上から見下ろした。四十がらみの武骨な顔。視線がズラータを一瞥し、すぐにラスラフに移った。


 右手の甲。外套の袖口から覗く蒼白い紋様。


 隊長の顔色が変わった。


「嵐の痣……」


 声が変質していた。威圧的な命令口調が消え、畏敬と恐怖が入り混じった呟きに変わっている。馬上で身を乗り出し、ラスラフの右手を食い入るように見つめた。


「嵐神の落とし子か」


 ラスラフは何も答えなかった。答える前に、隊長の視線がさらに変わった。恐怖が勝ったのか畏敬が勝ったのか、判別がつかない。


「南方で冬の女神を退けた忌み子の噂は聞いている」


 忌み子。その言葉を使っておきながら、隊長は馬を降りた。片膝をつくわけではない。だが声が慎重になっている。ラスラフという個人にではなく、ラスラフが持つ力に対して態度を改めた。人間としては見ていない。力の器として見ている。


 隊長が部下に命じた。


「伝令を飛ばせ。首都に報告する。嵐の痣の持ち主が公国の国境に現れた、とな」


 伝令の騎兵が一騎、雪を蹴立てて北へ走り去った。残りの騎兵たちがざわめいている。ラスラフの痣を見て囁き交わす声が、雪に吸われながらも聞こえてくる。


「本物か」「嵐神の……」「あの噂の」


 ドモヴォイがラスラフの足元で小さく身を縮めていた。騎兵の馬が怖いのではない。大きな集団の緊張した空気が、家の精霊には居心地が悪いのだ。


 隊長が向き直った。


「客人として、国境まで護送させていただく。道中の安全は我が隊が保証する」


 護送。客人。丁重な言葉だが、断れる空気ではなかった。騎兵の隊列に囲まれた状態で「結構だ」と言える状況ではない。


 耳元に、低い声が忍んだ。


「利用される流れだ」


 ヴェレスだった。いつの間にか人型の姿をとっている。壮年の男の姿。白銀の髪を長く後ろに流し、黒い長衣を纏っている。左足をわずかに引きずる歩き方。だが凍てつく荒野にあって、その姿には場違いなほどの落ち着きがあった。


「だが今はそれに乗ったほうがいい」


「利用される、か」


 ラスラフは呟いた。その言葉が胸に引っかかった。利用。村では忌み子として避けられ、ここでは力の器として利用される。どちらにしても、ラスラフ自身を見ている者はいない。


 だがヴェレスの言う通りだった。公国の軍事力は、マルジャンナとの戦いに必要かもしれない。一人で永冬の中を進み続けるよりも、組織の力を借りたほうが現実的だ。


 頷いた。護送の隊列が動き始めた。騎兵たちに囲まれて歩く。馬蹄の音が規則正しく刻まれ、鎧の金属が擦れ合う乾いた音が絶え間なく続く。ラスラフは隊列の中央に置かれている。客人の位置であり、囚人の位置でもあった。


 北の空が近づいていく。あの暗い色が、次第に輪郭を持ち始めた。雲でも霧でもない。石だ。氷だ。人の手で積み上げられた壁が、地平線を遮るほどの規模で北の空を塞いでいた。


 巨大な城壁だった。


 氷と石を組み合わせた二重の城壁が、荒野を東西に貫いている。高さは見上げれば首が痛くなるほどで、壁の上には等間隔で見張り塔が並んでいる。氷の表面が灰白色の空を映して鈍く光り、その巨大さが距離を狂わせる。遠くに見えていた城壁が、近づくにつれてますます大きくなっていく。


 人間が永冬の中で築き上げた文明の力。冬を防ぐのではなく、冬の中で生きるために作られた壁。ラスラフは見上げた。村の鍛冶場しか知らなかった少年の目に、その城壁は一つの答えのように映った。


 人間は、こんなものを作れるのか。


 隊長が馬上で振り返った。


「あれが氷冠公国の国境防衛線だ」


 城壁の門が、ゆっくりと開き始めていた。


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