嵐対冬
マルジャンナが口を開いた。
「ペルンの残り火か」
低い声だった。吹雪の向こうから聞こえるように遠く、しかし確実に届く声。感情の起伏がない。冬の風が音を運ぶように、ただ事実を述べる声。
だがその目に浮かんでいるのは──嘲笑ではなかった。
哀しみだった。
薄い灰白色の瞳の奥に、冬の静けさと同じ質の哀しみが沈んでいた。ラスラフを見つめるその目は、敵を睨む目ではなく、もっと古い何かを見つめる目だった。ラスラフの中の──ペルンの残滓を見ている。
ラスラフは戸惑った。
敵意を予想していた。怒りを。冬の女神が嵐の神の末裔に向ける、領域を侵された者の怒りを。だがマルジャンナの目に怒りはなかった。代わりにあるのは、長い時間が堆積したような、深い哀しみだった。
「おまえはペルンを知っているのか」
マルジャンナが言葉を続けた。声は変わらず平坦だが、言葉の選び方が──問いかけではなく、確認だった。
「あの雷神の愚かさを」
「ペルンは世界を守ろうとした」
ラスラフが答えた。ペルンの記憶から流れ込んできた断片的な感情。嵐神が世界のために戦った記憶。それはラスラフの中に確かにあった。
マルジャンナが、薄く笑った。
笑い、と呼べるものだったかはわからない。唇の端が僅かに動いただけだった。だがその動きの中に、嘲りはなかった。疲弊があった。三百年の孤独が凝縮されたような、乾いた疲弊。
「守る? 守った結果がこの冬だ」
声が、初めてかすかな感情を帯びた。怒りではない。疲弊を超えた、何かを諦めた者の声。
「ペルンは世界を守ろうとして、世界を壊した。ヴェレスと争い、互いを滅ぼし、その果てに何が残った。この冬だけだ」
ラスラフは答えられなかった。ペルンの記憶が反論を促している。だがその反論の言葉を、ラスラフの口は形にできなかった。マルジャンナの声に含まれる疲弊が──真実の手触りを持っていたから。
マルジャンナの視線が、ラスラフの後方に移った。
ヴェレスが立っていた。人型の姿。黒い長衣に白銀の髪。琥珀色の双眸がマルジャンナを見据えている。
「おまえもまだ這いずっているのか、蛇」
マルジャンナの声は変わらなかった。平坦で、感情を排した声。だがヴェレスに向けるその目には、ラスラフに向けたものとは違う色があった。古い因縁の色。数千年を共に在った神々の間にだけある、根の深い感情。
ヴェレスは答えなかった。
琥珀色の目がマルジャンナを見つめ、唇は閉じたままだった。ヴェレスの沈黙は珍しい。皮肉のひとつも返すのが常だが、今は黙っている。マルジャンナの前でだけ見せる沈黙。
二者の間の空気が凍りついた。比喩ではなく、実際に。マルジャンナの冷気とヴェレスの影が、空間の中央で衝突し、氷の結晶が二人の間に浮かんだ。
ズラータがラスラフの後方で息を詰めていた。神と神の間にある因縁の重さを、肌で感じている。三百年前──いや、それ以前から続く、三柱の神の関係の残滓。ペルン、ヴェレス、マルジャンナ。嵐と蛇と冬。その三つ巴の因縁の中に、ラスラフは立っている。
マルジャンナの冷気が膨張した。
唐突だった。対話の気配が消え、空間全体の温度が急激に下がった。壁の氷が軋み、天井のない空から降る雪が密度を増し、吹雪に変わった。
「まだ分からないのなら」
マルジャンナの声が吹雪の中から響いた。
「身体で教えてやろう」
氷の城が軋んだ。床が震え、壁が唸り、冬そのものがラスラフに牙を剥いた。




