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雷神の忌み子 ~五感を代償に、少年は永遠の冬を終わらせる~  作者: 蒼月よる


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離れないで

 ドモヴォイは小さな手でズラータの右の掌を覗き込んだ。


 もじゃもじゃの眉が寄り、皺だらけの顔にさらに深い皺が刻まれる。焚き火の明かりが、ズラータの掌に走る赤い焼痕を照らしていた。枝分かれした紋様。指先から手首にかけて走る、稲妻の形の傷。通常の火傷であればとうに色が褪せているはずだった。だが二日が経っても、焼痕は生々しい赤を保っている。


「消えんのう」


 ドモヴォイが呟いた。声に軽口の色がない。


「消えない。これは通常の傷ではないから」


 ズラータが答えた。声は平坦だった。巫女の知識がそう告げている。嵐の力が刻んだ痕は、人の治癒力では消えない。神の力が人の肌に触れたとき、その痕跡は肉体の記憶として残る。


「痛みは引いた」


 そう言って、掌を握り締めた。痛みは確かに引いている。焼けるような熱は消え、疼きもない。だが掌を握るたびに、あの瞬間が蘇った。指先がラスラフの肌に触れた刹那の、蒼白い閃光。弾かれた身体。氷の上に倒れたときの衝撃。あのとき、ラスラフの目に浮かんでいたもの──恐怖。自分を傷つけてしまったことへの、剥き出しの恐怖。


 ドモヴォイが焚き火に薪をくべ、ズラータの傍を離れた。小さな背中が雪の向こうに消え、野営地の外縁を見回りに行く。世話焼きの精霊は、誰かが独りでいたいときの空気を読むことに長けていた。



 焚き火の前に独り残されて、ズラータは右手を膝の上に開いた。


 枝分かれした赤い紋様が、橙の炎に照らされて浮かび上がる。ラスラフの嵐の痣と同じ形。樹枝状の、稲妻の模様。


 巫女の力はもうほとんど残っていない。モコシュの声は遠く、大地の記憶を読み取る力は霞のように薄れている。治癒の手はとうに失われた。かつてはこの手で傷を癒し、この指先で大地に触れて過去を読んだ。今はどちらもできない。


 そして今、ラスラフに触れることすらできなくなった。


 巫女でなくなりつつある自分が、ここにいる意味は何だろう。


 力を失い、使命を果たせず、治癒もできず、触れることもできない。モコシュの巫女としての自分を支えていたものが、一つずつ剥がれていく。剥がれた下に何が残るのか、ズラータにはわからなかった。


 わかっていたのは一つだけだった。


 それでもラスラフの傍にいたいという気持ちだけが、理由もなく、しぶとく残っている。使命でも義務でもない。巫女の責務とは無関係の、自分自身の──何か。名前をつけることを、ズラータはまだ拒んでいた。



 ドモヴォイが戻ってきた。


 小さな手に木の枝を抱えている。焚き火に追加の薪をくべながら、ズラータの隣にちょこんと座った。灰色のもじゃもじゃの髭が膝まで垂れ、焚き火の光にくるくると巻いている。


「お嬢」


 ドモヴォイが言った。


「わしはのう、家を守る精霊じゃ」


 唐突だった。ズラータは黙って聞いた。


「家ってのは建物のことじゃないんだのう。屋根でも壁でもない。人がおる場所が家なんじゃ」


 ドモヴォイの声は素朴だった。飾りがなく、言葉巧みでもない。老人の素朴な口調。だがその声に、焚き火の温もりに似た何かが含まれていた。


「わしの家はもうない。煤だらけで狭くて、天井の低い鍛冶場じゃった。だがの、なくなってからわかった。あの鍛冶場が家じゃったのは、あそこに人がおったからじゃ」


 ドモヴォイはズラータの顔を見上げた。小さな目が焚き火に照らされて光っている。


「お嬢がここにおる意味なんぞ、わしにはわからん。だがの、おまえさんがおるから、ここは家なんじゃ。坊主にとってもな。……たぶんじゃが」


 不器用な慰めだった。結論も解決策も示していない。ただ「いること」に意味がある、とだけ言っている。


 ズラータは答えなかった。


 だが掌の上の雷痕を見つめる目が、ほんの僅かに変わった。


 この痕は消えない。ラスラフの嵐の力が自分の肌に刻んだ証。ラスラフの苦しみが、形になって自分の掌に残っている。


 握り締めた。


 痛みはなかった。赤い紋様が指の間に隠れ、掌の温もりだけが残った。


 この痕が、あの子の苦しみの形なら──消したくない。自分の掌にこの傷がある限り、ラスラフが独りで苦しんでいるわけではない。誰かがその痛みを知っている証拠が、ここにある。


 ズラータは焚き火を見つめた。遠くに、ラスラフが独りで座っている影が見える。薄い光もなく、焚き火もなく、闇の中にぽつんと座っている。


 掌を握り締めたまま、ズラータは目を閉じた。


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