触れられない
一夜が明けても、放電は止まなかった。
野営地の周囲に、焦げた匂いが漂っている。ラスラフが寝ていた場所の毛布が黒く焦げ、地面の雪が彼の体温と放電で溶け、凍り直して滑らかな氷の窪みを作っていた。
ラスラフは座ったまま両手を見つめた。指先から微弱だが持続的な放電が続いている。蒼白い火花が時折弾け、パチパチと乾いた音を立てる。金属に触れると火花が散った。ベルトの留め金に指が触れた瞬間、鋭い閃光が走り、留め金の表面が焦げた。
ヴェレスが白狼の姿で傍に座っていた。
「力を大きく解放した反動だ」
淡々とした声だった。
「覚醒が進んだ分、器が溢れている。水瓶に水を入れすぎたようなものだ。じきに収まる」
「じきにとはいつだ」
「数日。あるいは──」
ヴェレスが言葉を切った。その沈黙に、ラスラフは不安を感じた。
「あるいは何だ」
「力の器が安定すれば収まる。焦るな」
表面上は合理的な説明だった。力の過剰放出の反動。器が追いついていないだけ。時間が解決する。ヴェレスの分析は筋が通っている。
だがラスラフの中に、引っかかるものがあった。
自分で制御しようとした。力を内側に引き戻す。嵐の力を意識的に抑え込み、紋章の光を消す。蛇の庭で習った制御の技法。力を圧縮し、核の中に押し込め、表層への漏出を遮断する。
放電は弱まった。だが完全には消えなかった。
抑え込んでも、指先から微かな火花が漏れる。力が制御の壁を透過してくる。締め付けるような苦しさが胸の内側にあった。力を押し込めることが、呼吸を止めることに似た圧迫感を生んでいる。
「なぜ止まらない」
「器に対して力が大きくなりすぎている。覚醒が進んだ分、器がまだ追いついていない」
ヴェレスの分析は同じだった。だがラスラフは気づかなかった。ヴェレスが「だからもっと器を広げる修練が必要だ」と言わなかったことに。その沈黙が意図的なものだったことに。放電を止める本当の鍵が制御ではなく別の何かにあること──それをヴェレスは、今は語らなかった。
午後になっても放電は続いた。
ズラータが野営地で作業をしていた。薬草を整理し、乾し肉を切り分け、焚き火の世話をする。ラスラフの近くで。いつもより少しだけ距離を取って。
その「少しだけ」が、ラスラフには見えていた。
以前なら、ズラータは焚き火を挟んで向かい側に座っていた。手を伸ばせば届く距離。旅の中で自然に縮まった距離。だが今、ズラータは焚き火の三歩向こうにいる。三歩。わずか三歩の違い。だがその三歩が、今までなかった空白だった。
「離れていたほうがいい」
ラスラフが言った。声は平静を装っていたが、自分でも分かるほど硬かった。
ズラータは首を振った。
「これくらい平気だ。帯電しているのは分かっている。この距離なら問題ない」
巫女の知識が言わせた言葉だった。ズラータは力の性質を理解している。帯電の影響範囲を頭で計算し、安全な距離を取っている。それは合理的な判断だった。
だが──手を伸ばしても、届かない距離だった。
以前は届いた。蛇の庭での修練の後、ズラータが傷の手当てをしてくれたとき。ラスラフの腕に触れ、包帯を巻いた。あのときの指先の温もりを、左手は覚えている。
今は伸ばせない。伸ばせば、帯電した空気がズラータを傷つける。
二人の間に、今までなかった距離が生まれていた。
夜。
ラスラフが眠りに落ちた後も、身体から微弱な放電が続いていた。パチ、パチ、と断続的に弾ける音が、静かな野営地に響く。
ズラータが少し離れた場所から見守っていた。
毛皮の外套に包まり、紡錘を握りしめて。ラスラフの寝姿を見つめている。時折、放電が強くなると蒼白い光がラスラフの輪郭を照らした。苦しそうに眉を寄せて眠っている。力を押し込めたまま眠ることの辛さが、その表情に出ていた。
手を伸ばせば届く距離。
でも、今は伸ばせない。
ズラータの右手が、わずかに動いた。伸ばしかけて──止めた。指先が空を掴み、そのまま自分の胸元に戻った。紡錘を握る力が、少しだけ強くなった。




