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雷神の忌み子 ~五感を代償に、少年は永遠の冬を終わらせる~  作者: 蒼月よる


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猟師の証言

 集落の外れに、ヴェレスが人型で立っていた。


 白銀の長髪を風に流し、黒い長衣を纏った壮年の姿。背が高く、痩せて、陰影の深い顔立ちに琥珀色の目が光っている。左足をわずかに引きずる──三百年前の傷の名残。この姿をラスラフの前で見せることは稀だった。


「ここに長く留まりすぎた」


 開口一番、不満だった。


「吹雪はもう止んでいる。出発するべきだ」


「あと一日くらい──」


「人間の集落に浸かると、感覚が鈍る」


 ヴェレスの声に苛立ちがあった。隠そうともしない。琥珀色の目が集落の方を一瞥し、すぐに逸らす。


「人間は群れると面倒になる。個体としては勇敢な者もいる。あの赤毛の戦士などは、なかなかのものだ。だが群れた途端に恐怖と欲望で動く。長老の判断は合理的だが、合理性の中に政治がある。政治のある場所に神の力を置けば──」


「利用される、か」


「学んだではないか」


 ヴェレスが微かに笑った。皮肉の笑みだった。


 ラスラフは永冬の荒野を見渡した。灰白色の空の下、雪原が地平線まで続いている。集落の温もりから数歩外に出ただけで、世界は元通りの冷たさに戻る。永冬は人間の営みなど気にもかけない。


「あんたは人間が嫌いなのか」


 問いかけた。率直に。


 ヴェレスは即答しなかった。琥珀色の目が荒野を見つめ、何かを量るように沈黙した。三百年分の時間が、その沈黙の中にあった。


「嫌いではない」


 やがて答えた。


「ただ、期待はしていない。人間は神を利用するか、石を投げるかのどちらかだ。中間はない。神に力があるうちは利用し、力が尽きたら石を投げる。あるいは、力を恐れて最初から石を投げる。三百年──いや、それ以上を見てきた結論だ」


 その言葉には、皮肉を超えた重さがあった。


 ラスラフは知らない。この言葉が、ヴェレス自身の行動の鏡であることを。神がラスラフを利用している──利用するか、石を投げるかの「利用する」側に、ヴェレス自身が立っていることを。自分の行いを人間に投影しているのだ。自覚があるのかないのか、ラスラフには読めなかった。


「利用されたくないなら、力を捨てろとでも言うのか」


「そうは言わん。力を捨てれば冬は終わらない。ただ──心構えの話をしている。人間の期待を背負うな。背負えば裏切られたときに折れる」


「あんたは裏切られたのか」


 ヴェレスが一瞬ラスラフを見た。琥珀色の目の奥が揺れた。


「……話を変えよう」


 ヴェレスが歩き出した。黒い長衣の裾が雪を擦る。左足をかばうように、わずかに不規則な歩調。ラスラフはその隣に並んだ。


「ペルンは人間を愛していた」


 唐突だった。荒野を見渡しながら、ヴェレスはそう言った。


「守ろうとしていた。人間を。世界を。神としての使命だと信じていた。人間のために嵐を起こし、人間のために敵を滅ぼし、人間のために戦い続けた」


 ヴェレスが足を止め、荒野を見渡した。灰白色の空。凍りついた大地。色のない地平線。


「その結果がこれだ」


 永冬の荒野が広がっていた。ペルンが守ろうとして、守れなかった世界。神の愛が残したのは、三百年の冬だった。


「俺も守りたいと思っている」


 ラスラフが言った。声は静かだったが、揺るぎはなかった。ヴォログダの人々を見て、子供の笑い声を聞いて、焚き火の温もりを感じて、具体的な形を持った想い。


 ヴェレスが一瞬ラスラフを見つめた。


 琥珀色の目に、名前のつかない感情が過ぎった。計算でも皮肉でもない、もっと柔らかな何か。だがそれは一瞬で消え、いつもの老獪な表情が戻った。


「……そうだな」


 呟いた。声に含まれる色が複雑だった。肯定なのか諦観なのか、励ましなのか嘲りなのか。三百年を生きた神の声は、単純な感情では割り切れない音色を持っていた。


 ヴェレスがラスラフに背を向けて歩き出した。


「長居は無用だ。明日、ここを発つ」


 黒い長衣の背中が遠ざかっていく。左足を引きずる不規則な足音が雪を踏む。ラスラフはその背中を見送りながら思った。


 この人の孤独は、三百年分の深さがある。


 人間を利用するか石を投げるかのどちらかだと言い切る、その断言の裏に──どちらでもない何かを求めて、裏切られ続けた記憶があるのではないか。


 ラスラフには確かめようがなかった。ヴェレスは答えない男だった。真実のすべてを語らず、皮肉の幕で核心を覆い、三百年の闇の中に本音を沈めている。


 永冬の空の下、蛇神の影が荒野に溶えていった。


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